第65話 勇者の剣と遺書


 マリリンが落ち着いてから、俺たちはシートをバックに仕舞って美術館に行くことにした。なんというか互いに照れくさくて顔をうまく見れなかった。マリリンは俺の左手にぎゅっと抱きついていた。でもいつもと違って少し俯きがちで、微かに微笑んでいた。美術館はその点良かった。目の前の絵や銅像なんかを話題に出来る。写真オッケーな場所ではマリリンがカメラをパシャパシャやってくれて気が紛れた。そして俺たちは一枚の絵しかない広間にやってきた。その絵はとても大きかった。縦横5mくらいはある。こんな大きな絵は初めて見た。巨大な樹とその根元にただずむ白いドレスを着た黒髪に赤い瞳の美しい女が金色の林檎を持っているだけの絵。だけど不思議と訴えかけてくるものがあった。


「不思議な絵ね。金色の林檎?モチーフはギリシア神話かしら?」


「ジャムにしても美味しくはなさそうだね」


 絵のタイトルは『黄金の林檎と世界樹、そして口づけを待つ姫』と書かれていた。


「確かに金色のジャムはトーストには合わなさそうね。でもこれ相当の名画よね?でも作者の名前がないわね?誰が描いたのかしら…?」


 マリリンは首を傾げている。俺はどっちかっていうと理系特化の科学馬鹿なので人文方面の教養はそんなにない。だから絵の作者についてマリリンに向かって蘊蓄を垂れ流して男らしく女の子にウザがられるなんてことは出来なかった。でも気になる。誰が描いたんだろう?


「その絵に作者はいない・・・のさ」


 後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには電動の車いすに乗った老婆がいた。老婆は俺たちの横まですうっと車いすを走らせてきた。


「この絵は気がついたら、この広間にあった。誰も知らぬ間にここに飾られていたのさ。そしてそのことに誰も違和感を持っていない。そう。誰もね」


「何言ってんの婆さん?こんなにでかい絵なら運び込まれたら気がつくでしょ。記録が紛失したってんならわかるけど」


「いいや。記録漏れや紛失、あるいは改竄はなかった。あたしはよく覚えているよ。この絵は突然現れたのさ。そう…まるで神様の奇跡みたいにね…」


 老婆は俺の事を見上げる。結構なお年のはずなのに、その視線はとても強いものだった。ただモノではない雰囲気を感じた。


「ところであんたたちは随分色惚けしてるみたいだね。2人の世界って感じだね。なあ気づかないかい?この広間に私たち以外いないってことにさ」


 そう言われて初めて気がついた。結構広い広間なのに俺たち以外誰も客がいない。


「まさか人払いの結界?!うそ!?あたしちゃんと警戒してたわよ?!魔術やスキルを使われたらわからないわけないのに!」


 マリリンが邪眼を発動させ、スカートの下に隠していたエアガンを取りだして構える。俺もズボンのベルトに差し込んでいたエアガンを取りだして老婆に向けて構える。


「物騒なもんはしまいな。人払いのスキルなんて使ってないよ。出入口をよく見てごらん」

 

 広間の出入り口に黒服を着たボディガードっぽい連中が立っていて、他の客が入ってこれないように塞いでいた。


「最近の若いもんはこれだから嫌になるよ!ちょっとでも不思議なことがあればスキルのせいだのなんだってね!異能スキルできることは他の手段でもできるんだ!デバイスを通してお手軽に発動できるけど結果まですごいわけではないってことを忘れているのさ!」


 老婆はケラケラと笑っていた。俺とマリリンは互いに顔を見合わせてエアガンを仕舞った。


「おばあちゃんは何者?俺は最近ベンチャーを起業してブイブイ言わせてるオラオラ系社長さんだから年寄りの説教とか聞きたくないんだけど。もしかして火威のお友達かな?それともあいつに敵対してる?」


「おやおや。最近までうだつの上がらないただの中年だったくせに、出来た女を嫁に貰って成り上がったもんだから調子にのってるってか?かかか!いやはや男ってのは結局のところ隣にいてくれる女次第でいくらでも変わっちまうんだねぇ!良かったねぇ!その子にだけは捨てられないようにするんだよ!」


 この婆さん若干イラっとするけど、個人的にはすごく話してて楽しい感じがする。


「うふふ。そうよね。隣にいる女が男の価値を決める。すばらしいわね」


 マリリンは間接的にとは言え褒められて上機嫌だ。


「婆さんのジョークは好ましいが、そろそろ本題に入ろうか。わざわざ公共施設のお部屋を貸し切って俺たちに接触してきたってことは外に出したら不味い話をしに来たって事でしょ?あんたは俺たちの事を知ってるみたいだけど、お婆さんは何者?」


調月つかつき柚香ゆずかって言えば、お前さんならわかるだろう?」


 お婆さんはニヤリと笑っている。その名には聞き覚えがあった。というかその名を知らない奴はいない。なにせこの人は。


「おいおい…?!マジかよ?!あの調月博士なのか?!世界で最初に異能スキルの術式を人類集合無意識からマイニングに成功したあの天才科学者?!」


「そう。その調月さ。いまは皇都大学の名誉学長をやらせてもらっているよ。よろしくね。うちの大学の駐車場に勝手に住み着いている神実樹社長殿!」


 俺の目の前にいる人はまさしく異能スキルの技術開発創世記に活躍した伝説中の伝説。現在の汎用型異能デバイスの基礎理論はこの人から始まったのだ。そんな人間は俺の前に姿を現した。事態の急速に動く気配を感じた。


「さて。お前さんたちがラタトスク社と戦っていることは知っているよ。そんでもって今は火威ひおどし陽飛はるとが優勢だってこともね。このままだとあいつは株式上場に成功してしまうだろう。そうすればあの男に一泡吹かせてやるのはますます困難になっちまう。そうだね?」


「まあね。株式上場して権力が高まるとさらに手を出しづらくなる。ビジネス的にも今以上の資金をかき集めることになるから、俺たちみたいなベンチャーが戦うのはさらに厳しくなるね。テュルソスみたいなスマッシュヒットは幾らなんでも連続して出せるもんでもない。まあまだ諦めてはいないけどな!」


「ならいい。…そうか枢がお前さんを選んだ理由がわかったよ。確かに面白い男だ」


「学長は枢と親しかったのか?」


「私はあの子の指導教官の一人だったし、なんどか研究プロジェクトで一緒になってる。プライベートでも親交があったよ。あの子は私の孫たちとも仲が良かった。個人的な恩もある。だからあんたと枢が付き合ってたことも知ってるよ。結婚する予定だったんだろう。それも枢から聞いてる。あの子は私にとっては孫の一人みたいなもんだった。…あんなことになって本当に残念だよ…私のような年より先に逝っちまうなんてね。この世界は理不尽だ」


 学長はやるせなさそうに顔を歪めてる。本当に仲が良かったようだ。


「だけどもっと理不尽なことがある。あの子をまるで偶像のように奉っている愚か者がいる。そして今や枢はその者の持つ底知れぬ悪意によってこの世に争乱という呪いを残す魔女に貶められてしまった。火威陽飛。…この世界に魔王がいるとすればあの男だろう」


「さながら俺たちは勇者ってところかな?なあ学長。わざわざ来たってことは勇者の剣みたいなすごいアイテムをくれるって事でいいのかな?俺はゆとり世代だから会話はスマートに省いていきたいんだ。どう?」


「ああ、勇者の剣を持ってきた。あとで確認しな。あんたならこれをうまく扱えるはずだよ」


 老婆は俺にUSBのスティックを渡してきた。


「火威はもう誰かが力づくで止めるしかない。枢が選んだ男であるあんたにそれを託したい。あの子の名誉を守って欲しい」


「わかった。まかせろ」


「それと…そのUSBには枢が生前に遺した最後のメッセージが入ってる。新婚のお前さんに見せるのは忍びないんだけど、すまないね。見てあげて欲しい」


「…え…枢のメッセージ…?」


 俺の体が凍り付いたかのように動かなくなった。それで否応なく、まだまだ俺は彼女の事をひきづっているんだなってわかってしまった。


「新婚なのにすまんね、マリリンさん。お前さんの旦那さんを一度でいいから10年前の思い出に返してあげて欲しい。ほんとうにすまない…」


「…いいえ。気にしないでください…それはきっと仕方がないことですから…」


 マリリンは俺の手をぎゅっと握った。


「イツキ。…一つだけ約束して」


「…なにかな?」 


「見終わったら…あたしのことぎゅっと抱きしめてね」


「ああ、ありがとう、マリリン…!」


 俺はマリリンの手をぎゅっと握り返した。枢のメッセージが何かはわからない。だけどこの手を放すことだけはしたくなかったんだ。 

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