第62話 未だ完璧ならずとも、共に歩くが愛なれば
「このように、我が社のラタオペは実際の手術の感触とまったく遜色のないエクスペリエンスをユーザーに提供できるのです!数%の狂いも許されないのが手術というものです!ラタオペはユーザーに完璧なAR体験をサプライできるのです!!」
コンペの会場となっているホールについた時、ちょうどラタトスク社の社長である
「お前ら!どこをほっつき歩いていたんだ!?逃げ出したのかと思って冷や冷やしたんだぞ!!」
俺とマリリンのことを見つけた
「いやぁすまんね。電車が遅れちゃってさ!でもプレゼンには間に合ったろ?許してくれ」
「ごめんなさい巻機先生。事情は後でお話します。準備をしましょう」
『我々のラタオペこそが新時代の医療教育のスタンダードモデルであることは疑いの余地もありません!私は勝利を疑っていません!ラタトスク社は医療の未来を変える貢献ができることを誇りに思います!ご清聴ありがとうございました!!』
そしてわーっという歓声と共に観客たちが立ち上がりありったけの拍手を送る。会場は完全にラタトスク社有利の空気だ。そもそも前評判ですでに俺たちは負けているのだ。幻術スキルをフル活用して、実際の手術とほぼ同じ感触ARを体験できるラタオペに対して、俺たちのテュルソスは様々な異能スキルを並行で動かして、感触を限りなく近づけることには成功した。だけどその感触は完全ではないのだ。どうしてもそこがネックになる。同時にそこが俺たちの勝利の鍵ともなるのだ。
「イツキ。準備できたわ」
「サンキューマリリン」
プレゼンテーションの準備を整えてくれたマリリンが俺に声をかけた。その顔には真剣な眼差しがあった。この勝負に社運がかかっている。俺たちは負けられない戦いにいるのだ。
「イツキ。ちょっとこっちに。プレゼンを始める前に聞かせたいことあるの。耳を貸して…」
マリリンが俺の事を手招きする。俺は彼女に耳を近づける
「ん?なにかな?…っあ…」
頬に柔らかな感触を感じた。マリリンの唇が俺の頬に軽く触れた。
「今のってなにかの魔術?」
「ううん。ただのお祈りよ。イツキ。がんばって」
マリリンは俺に優しく微笑んだ。俺もまた微笑んだ。乙女からの優しいキスを貰って頑張れない男はいないんだから。
そして俺たちのプレゼンが始まった。壇上にたち、モニターに表示された資料を俺は聴衆に向かって説明していく。今回のプレゼンは俺からするとかなり楽だった。医者はインテリなので、技術的な話についてきてくれる。
「このように感触の再現のために何回も何回もお肉を切ったんですよね!そのせいで毎日がバーベキュー!ですが私の妻は一度たりとも美味しいソースの秘密を教えてくれなかったんですよ!」
『『『ワハハハハ!』』』
時たま開発秘話のようなジョークを入れてプレゼンは和やかに進む。さっきの火威のプレゼンはまるでミュージカル俳優に熱狂する観客みたいな熱気があったが、今の俺のプレゼンはどちらかというと大学のゼミの懇親会って感じだ。掴みは悪くはない。俺の話にちゃんとユーザーである医師たちは耳を傾けている。だけど彼らは同時に俺たちにそこまで期待をしていないような、感じも見せていた。俺の会社の商品の技術にはリスペクトがあるみたいだが、商品としては興味がない。すでに彼らの腹はラタオペに決まっている。実際に彼らはプレゼンの前にラタオペとテュルソスの体験を行っている。使用感なら断然あっちだ。それは揺らがない。だからこそそれをこれらから崩そうと思う。
「さて皆さま。はっきりとお申し上げておきましょう。あなた方がすでにラタオペの方を選ぼうとしていることは私も、失礼、ちょっと本音で話させてくれ。言葉遣いは許してほしい。あんたたちはラタオペが使いたい。それは俺もわかってるんだ。だけどすまないがその考えは捨ててもらいたい。なぜならばラタオペを選べぶことは未来の医療教育に恐ろしい禍根を残すことになるからだ。この資料を見て欲しい」
壇上に一つの円グラフが現れる。青が97%、赤が3%で円が構成されている。図にはタイトルは敢えて出していない。
「さて、この図の意味がわかる人がいるだろうか?これは幻術スキルへの抵抗性を何らかの形で先天的に持つ人間の人口割合だ。赤が抵抗性を持つ人間の割合となっている。これは最新の統計調査で出ている信頼性の高いデータより作成した」
すこし会場にいる人たちがざわつき始めた。
「この抵抗性を持つ人間についてだが、かならずしもすべての幻術スキルへの耐性を持つわけではない。或る者は光学系への耐性、ある者は音響系への耐性、あるものは触覚系の耐性。などなどを総合してカウントしたものだ…。もうわかっただろう?ラタオペは幻術スキルに依存するAR異能デバイスだ。だからユーザーの3%に対してはつねに感覚AR使用に対してつねになんらかの不具合を発生させることになるということだ。…不良品というわけではない。実際に抵抗性を持っていても、幻術の出力を上げれば、感覚の体験はできるだろう。だがそれに対して誤差が出ないと言い切れるだろうか?俺は技術者として断言する。幻術抵抗を持つもの相手にラタオペを使えば、その感覚の狂いは実用に耐えうるものではないものだと断言する。これが俺の懸念する未来だ」
観客たちは真剣な眼差しで俺の言葉の続きを待っていた。これが幻術スキルの落とし穴だ。人口の3%はなんらかの抵抗性を持つ。故に幻術スキルを用いたラタオペを絶対に使用できないユーザーが存在するのだ。
「たしかに我が社のテュルソスは場合によっては体感値で10%ほど実際の手術の感触とズレることがある。だけどね。俺たちのテュルソスは発展途上だ。これからより多くのデータを集めて、機械学習を積めばその誤差は徐々になくなっていくだろう。そして俺たちのテュルソスの体感ARの発生は幻術ではなく、念動力を用いた道具への力学作用だ。異能デバイスが使えないよほどのレアケースを除けば、万人が等しく使用できるのがディオニュソス社のテュルソスのセールスポイントだ。逆にラタオペはどんなに頑張っても人口の3%はつねに切り捨てられることになる」
聴衆は何処か気まずげにも見える。この可能性を知っていた者もいるだろう。だけどそういう発想が消えてしまうほどにラタオペという商品は魅力的だったのだ。だけど俺たちはその上を行く。
「俺はあんたたちに問いたい。いまだ完璧には遠いがすべての者たちの教育に貢献できるテュルソスと、すでに完璧ではあっても常に一部の少数派を斬り捨てることになるラタオペ。あなた方はどちらを選ぶ?ぜひ教育という本分を思い出してほしい。俺が言いたいことは以上だ!賢明な判断を祈るよ!!」
俺は壇上から聴衆に向かって一礼する。拍手は起きなかった。ただただ奇妙な沈黙だけがあった。俺はそのまま壇上から下りようとした。その時だ。
「質問を一つしてもいいかな?」
手前の席にいた初老の男が手を上げていた。この人のことは巻機から聞かされていた。なんでもかなり実績のある医者であり、行政や医局にも顔が凄く顔が効くらしい。
「ええ、どうぞ」
「君達夫婦はとても仲がいいようだね。さっきみたよ。奥さんが君の頬にキスしているのをね」
その発言に会場からクスクスと微笑まし気な笑い声が響いてきた。マリリンは少し恥ずかし気に身をくねらせる。
「ええ、自慢の妻ですよ。それが何か?」
「仮にだ。君の奥さんに手術する必要があったとしよう。その執刀を担当する医師が君の会社が造ったテュルソスで手術の練習をしたとして、果たして安心して任せられるかな?」
初老の医師は真剣な眼差しで俺に問いかけている。でも同時にこれほど嬉しい質問はなかった。
「ええもちろん!うちのテュルソスで訓練した医師ならば、安心して任せられますとも!」
俺は自信をもってイエスと答えた。その瞬間、その初老の医師は立ち上がって拍手をし始めた。
「ブラボー!すばらしい!君のプレゼンは素晴らしいものだった!ああ!そうだよ!君のプレゼンには思いやりと優しさと、なによりも愛があった!そうとも!我々は医者なんだ!少数だからと言って斬り捨てるわけにはいかない!我々は理想に向かって進むべきなのだ!すべてのものを病から救うには、すべての医師が良質な教育に触れられなければならないんだ!」
その医師の言葉を聞いた他の医師たちもまた立ち上がって拍手をし始めた。
『そうだ!』『そのとおり!俺たちは皆を助けるんだ!』『そのために医者になった!』
会場のあちらこちらから声が上がり始める。それは大きな熱気を持ったうねりになって俺の方まで響いてきた。
「もう結論は出たよ。我々はテュルソスを採用することにする!!我々は今完璧を選んで誰かを斬り捨てることはしない!完璧を目指してみんな共に歩くことを選ぶ!!神実樹社長!君の勝利だ!!」
初老の医師は俺の方へとやってきて握手を求めてきた。俺はそれを握り返した。この瞬間勝利が確定したのだ。俺はマリリンにまず親指を立てた。マリリンもぐっと親指を立てている。そして俺とその医師の姿をマスコミさんが一斉に撮影した。視界がギラギラしたストロボで眩む。それは俺の勝利を祝う勝鬨のように思えた。そして眩く眩む視界の端で不思議なことに火威と目が合ったのだ。火威はまるで子供のように俺の事を悔しそうな目で睨んでいた。俺は自然と笑みが浮かぶのを止められなかった。そしてこうつぶやいたのだ。
「俺とマリリンの勝ちだ…!ざまぁ!」
俺とマリリンはやっと火威に一矢報いることができたのだ。だがまだ復讐は終わっていない。俺たちは必ず報いを与える。そしてそれは遠くない日に訪れるだろうことを確信していた。
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