第61話 尽くし報われぬ愛の果て


「なあ陰陽師さん。忘れてないか?悪いことは言わない。今すぐにこの異空間を解除した方が身のためだよ」


「はぁ?おろかですね。たかがここに辿り着けたくらいで、このわたくしを倒せるなんて思っているんですか?前鬼も後鬼も武芸の達人以上の武力を持った存在ですよ。いくらあなた方でも倒せやしないのです!!」


「そうだね。その鬼相手だと俺たちでも苦戦するだろうね。だけどさ、この声聞こえないかな?」


 俺とマリリンは無栄の前でわざとらしく耳に手を当てて煽る。後ろにある陽炎から、ひどく恐ろしい叫び声が響いてきた。


『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!AAAAAAAAAAA!!GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAGAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


「ひっ?!まさか!!」


 俺とマリリンはさっと横に跳ぶ。そして陽炎からミノタウロスが飛び出してきた。


「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!guaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!AAAAAAAAAAAA!!!!」


 ミノタウロスは目の前にいた無栄を恐ろしい目で睨みつけていた。やはり予測した通りだった。ミノタウロスはゲームの敵キャラみたいなシンプルなロジックしか持っていない。だからすぐ近くにいる人間にターゲットをかけるのだ。それが術者本人であっても関係ない。


「くっ!前鬼!後鬼!」


 無栄は鬼たちに指示を出す。鬼たちはミノタウロスに刀で襲い掛かった。だが。


「ggggyyyyyyAAAAAAAAAAAA!AA!!」


 ミノタウロスは鬼たちをあっさりと斬り殺した。何の障害にもなっていない。そしてミノタウロスは剣を大きく振りかぶって無栄に向かって振り下ろした。


「くそぅ!!星迷牛頭解除!!」


 無栄のその叫びと共に、目の前のミノタウロスは光の粒子になって消え去った。そして目の前の風景がテレビの砂嵐のようにブレて、俺たちは人々の行きかう現実の東京駅の地下広場に転送されたのだ。


「ちっ!覚えていなさい、神実樹!マリリン・ハートフォード!!」


 無栄は胸の前で印を組んで、陽炎のように姿を消した。


「やべぇ?!ここでもワープか!?」


「違うわイツキ。ワープに見せかけてるだけよ。ここはもうあいつの造った異空間じゃないわ!もうあたしの邪眼からは逃げられない!!こっちよ!」


 マリリンがライフルを構えて走り出す。俺もその後ろを走る。周りの人たちがライフルを持って走る俺たちを見て驚いて叫び声を上げている。だけどそんなの気にしていられない。俺とマリリンは階段を上って、丸の内のビル街に出た。大きなビルの横を走ってお堀の近くの広場にたどり着いた。するとそこに無栄が走る姿があった。


「ちっ!!うごかないでください!!」


 無栄は近くにいたスーツ姿の綺麗な女性を捕まえて、その首筋に小太刀を突き付けた。


「きゃあああああああああああああああ!やめて!たすけてぇ!!」


 女の人は恐怖に顔を歪めて痛ましく叫んでいる。俺たちはライフルを無栄に向けて立ち止まる。


「銃を下ろしなさい!さもなければこの女を殺します!あなた方には善良な一般人を見捨てることはできないでしょう?!さあ!わたくしを見逃しなさい!さあ!銃を下ろして!!」

 

 だけど俺たちは銃を下ろさない。確かに人質を取られたら俺たちには手が余る。無関係な人間を巻き込むことは出来ない。そう無関係な人間ならば。


「茶番はよしなさい。確かにあなたの魔術は優れてる。あたしの邪眼でも無栄一颯の正体は未だに見破れない。その姿には完璧な偽装が施されてる。でもねあんたは魔術のプロフェッショナルではあっても、戦闘までプロなわけじゃないわ!」


 マリリンと俺はライフルを無栄から人質の女性に向け直して、引き金を弾いた。辺り一帯に銃声が響き渡る。


「がはっ…」


 女性は腹を抱えてその場に蹲る。血は流れていないし、服に穴さえ開いていなかった。魔術か何かでちゃんと防御できていた。そして隣に立っていた無栄の姿が陽炎のように消えて、その場に紙でできた人形が落ちた。


「なぜわたくしが正体だとわかったのですか…?」


「あたしも女だからね。最初に話したときから、貴方が女だってすぐにわかった。火威への思いはどこかねっとりとしていたものね。それにあなたのやり方には他人を巻き込まないようにする配慮があった。ヤクザでさえ死なないように気絶したら転送されるように設定されていたもの。そんな奴が人質を取るわけがない。人質取るような奴なら最初から駅に爆弾でも仕掛けた方が確実でしょう?」


 もともとマリリンは米軍で反米テロリストを鎮圧してきた戦争のプロ。無栄の戦術背景を読み取ることなど造作もないことだ。


「そうですか…わたくしは慣れないことをしてボロを出してしまったんですね…」


「あなたは火威の愛人かしら?」


「やめてくださいそんな言い方…。わたくしは彼の子供だって産んでるんですよ…そんな日陰の女なんかじゃないんです…」


 無栄は悲し気に俯いている。俺たちに負けたことよりも、自分の境遇を憐れんでいる様に見える。というか子供いたのかあいつ。似合わねぇ…。


「あなたのその境遇には同情するわ。愛する人の為に戦うという気持ちにも共感はしてあげる。だけどやっぱり言ってあげるわ。あの男を愛したのは間違いだったわね。あなたに男を見る目はないわ!」


「見る目はあった!あの人は!昔のハルトは優しかった!!優しかったのぅ…。昔はあんな人じゃなかった…わたくしに殺しをやらせたりするような人じゃなかったんです…。いつかは…いつかはきっと優しかった頃の彼に戻ってくれるって信じてたのに…ずっとわたくしは悪夢を見てる…どうしてこんなことに…磐座枢のせいで悪夢はもっとひどくなってしまったんです。あんな女がハルトに大きすぎる悪夢を見せてしまったから。そして神実樹、あなたがハルトの前に姿を見せたから全て壊れてしまったんですよ!あの女さえいなければ、わたくしだってここまでひどいことしなくて済んだのに…」


 ポロポロと涙を流す無栄の姿には何処か憐れみを感じてしまった。


「イツキの両親を殺した火を周囲に延焼しないように、あの家だけに留めていたのはあなたの術でしょう?さっきの異空間を見たからわかるのよ、空間制御のやり方がよく似てるから。…あなたはイツキの両親を殺した実行犯の一人ね?刺野草太、鉄丸銀治、そしてあなた。この三人が実行犯?」


「…そうです。…神実樹の両親を殺すのは刺野と鉄丸博士への指令でした。だけど刺野は馬鹿だし、鉄丸はやる気がない。わたくしが証拠隠滅を含めて暴行と殺害を監督しました…。ハルトは磐座枢の案件になると冷静さがなくなる…足元がすぐに危うくなる…だからわたくしがサポートしなきゃ…そう思ってやったんです…。うう…ああ…」


 この女は多分人殺しなんてやりたくないんだろう。おそらく10年前に枢と俺の交際に気づいても言わなかったのは火威が殺しなんて言う短絡な手段に出ることをよく知っていたからだ。根はやさしいんだろう。だからこそ尽くして利用されてこんな末路に至ってしまった。


「どうせもうハルトは止まらない…わたくしは顧みられることもない…ならばいっそここで…!」


 無栄はスーツから梵字が書かれたお札を取りだして、呪文を唱え始める。


「泰山府君よ!我が命をもって、この祝詞を…」


「甘い!」


 マリリンは魔術が起動するよりも前に無栄を蹴り飛ばして、彼女の上に跨る。札を奪い取り、、胸にライフルの銃口を当てる。


「きゃあ!やめて!いやぁ!もういやなの!生きてたって仕方がない!なら命を使って彼に尽くすの!せめてそれくらいは!」


「五月蠅いわ!黙ってなさい!あなた自爆しようとしたわね!!あなたは母親なんでしょう!?子供を残して死ぬような馬鹿な真似はやめなさい!!」


「子供を産んでも彼はわたくしの事なんて見れてくれないのに!!」


「だけど子供は貴方の事を見てるのよ!!子供はあなたの愛した男の子なんでしょうが!!いい!?例え愛した男に振り向いてもらえなかったとしてもね!子供は貴方が人を愛した証明でしょう!?身勝手な恋でも子供を授かったんなら子供置いて逃げるな!愛されなかった分子供を愛してやって、せめて自分を慰めることくらいしなさいよ!!この馬鹿女め!!」


 マリリンは無栄の腹を思い切り殴った。


「ぐぇ…」


 それで無栄はそのまま気絶してしまった。マリリンは無栄にバインドをかけて拘束した。


「…イツキ。…あたしはこの女が憐れだわ。自分の子を産んだ女に人を殺させるなんて…だから火威がますます憎くなった。…今日のコンペ…絶対に勝つ…!」


「そうだね。俺も男としてますます許せなくなった。絶対に勝ってあいつに恥かかせてやる!」


 俺たちはすぐに公安暗部の雲竜刑事を呼んで、無栄を引き渡して現場の処理を任せ、コンペ会場に向かった。

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