第57話 日陰に生まれた憎しみの陽炎

 最近はもっぱら都内で仕事をしている関係で、電車での移動が多くなった。今日、俺たちは丸の内のとあるビルにて行われる予定のコンペに参加するため、朝早くからこうして地下鉄に揺られていた。地下鉄は朝のラッシュで混雑しており、マリリンと二人身を寄せ合って立っていた。


「ラッシュって嫌いだけど、今日はいいわね…。…こうしてると緊張が紛れるし…」


「たしかにね、こうして人ごみに紛れると不思議と気にならなくなるかも…はは…」


 今日のマリリンはハイヒールだったし、電車はすぐに揺れる。だからマリリンは俺に体を預けるように立っていた。スーツ越しだけど彼女の体の柔らかさと、余所行きの香水の甘い匂いに少し体が熱くなるような気がした。


『まもなく東京です。混雑しておりますので、乗り降りの際はご注意ください』


 アナウンスが聞こえてきた。今日は俺たちの作った『テュルソス』とラタトスク社の『ラタトレ』のコンペティションが行われる。複数の大学病院が共同して、各社の公開プレゼンを元に、どちらの異能デバイスを採用するか決めるのだ。決まった方が、事実上日本の手術練習ARデバイスのシェアを握ることになるだろう。絶対に負けられない戦いだ。俺はマリリンの体をぎゅっと抱きしめる。


「マリリン。絶対に勝とう!」


「うん!勝てるって信じてる!」


 俺たちが互いに見つめ合い、気合を入れたその時だった。突然足元がふわっと揺れたような気がした。


「きゃ!」


「うわ!」


 不思議な浮遊感を感じたと思って2人してふらついた。そして異変に気がついた。電車の中に俺たち以外の誰もいなかったのだ。


「なんだこれ?!人払い?!」


「…イツキ、違うよ。これ人払いじゃない…。…嘘でしょ…。空間の位相がズレてる…。やられた。あたしたち魔術で創られた異空間に放り込まれた!この魔力の感じは、あの鼠の使い魔の術者だ!!」


 マリリンは邪眼を発動させて周りを観測していた。聞いたことがある。高度な魔術師には空間そのものを操ることが出来る者がいると。なんでも現実空間と同じような空間を作り出して、そこへ人を誘い込むなんていう信じがたい現象を引き起こせるのだという。


「…オカルトはだから嫌なんだ!でたらめで意味の分かんねぇことしやがって!!空間制御とか概念操作とか、科学舐めてんじゃねえぞ!再現可能性と反証可能性をもっと大事にしろバーカバーカ!!魔術師のバーカ!どうせ自分がやってることの原理なんてわかってないくせにドヤ顔しやがってバーカバーカ!!」


 そして電車はホームに辿り着き、ドアが開いた。ホームには見るからに陰陽師って感じの烏帽子に狩衣を着た奴が立っていた。顔には何かの紋章が描かれた布がかけられていて見えない。俺たちは電車からホームに降りた。


「はじめまして。神実樹。マリリン・ハートフォード。わたくしは陰陽師の無栄むえい一颯いぶき。ラタトスク社の異能セキュリティコンサルタントをさせていただいています」


 顔が隠れている上、声でも男なのか女なのかよくわからなかった。


「へぇ。わざわざ自己紹介してくれるんなんて随分とお上品だな。だけど俺たちは忙しいんだ。事前のアポイントメントのない、面談や商談はお断りさせていただいてるんだ。お引き取りいただけないかな?」


「そういうわけにはいきません。あなたがたにはここで死んでいただきます。…チュルソスはお見事です。ハルトも対抗商品を作ったまでは良かったですが…残念ながらあなた方の商品には勝てそうもない…ハルトは突貫でラタトレを作らせたから、幻術スキルの落とし穴に気がついていないのです…コンペを開けば必ず負ける…。ハルトが負けるところは見たくない…」


「だったらそれを自分の所の社長に進言しろよ。こっちとしても無駄なコンペなんてするのは時間と労力の無駄なんだからな」


「ハルトは磐座教授が絡む件では冷静ではいられない。ましてやその婚約者であったあなたが敵なのです。勝負からは絶対に下りられない。男のプライドとは度し難いものです。もうこの世にいない女はどんなに頑張っても抱けやしないのに、ハルトはまだ足掻いてる。だからあなたが許せない。ハルトはあなたのすべてを否定するまで止まらない。…わたくしはこれ以上、あんな女の事でみっともない姿を晒すハルトを見たくない…。本当に磐座教授は人の人生を狂わせる魔性の女だった…」


 どこか寂寥と侮蔑のようなやるせなさを感じる声だった。


「ねぇちょっといいかしら?あなたは磐座教授のことを知っているのかしら?火威ともまるで仲がいいように話してるけど」


 マリリンが無栄に問いかけている。同時に邪眼のきらめきがさらに深さを増していた。会話で情報を引っ張って、この異空間について解析をする気のようだ。


「そうですね。ハルトとはかれこれ20年近くの付き合いになるかもしれません…。だからこそ驚きましたよ。ハルトがたった一人の女に執着するなんてね…。どんな女相手でも執着しやしなかった彼が…あんな…抱いてもいない女にですよ…」


「恋愛とはそういうものでしょう?体を重ねなくても、心は通い合わせられる。火威を庇う気はないけど、ある意味ピュアなのではないかしら?気持ち悪いのは事実だけどね」


「では体を重ねて思いを深めた者は?彼に体を捧げた女は、股を開いてもいない女に愛を奪われたんですよ。ハルトは判断を誤ってしまった。磐座教授は男を誤らせる卑しい女です」


「ふーん。そういう考えもあるのね。でも一つ言わせてもらうなら。馬鹿な男相手に股を開いた女も悪いのよ。男を見る目がないことは言い訳にはならないわ!」


「なっ!違う!ハルトはどんな女でも惹かれる強い男だ!!」


「あの男が強い?笑止!だってあたしはちっともあの男に惹かれない!だからあの男には魅力なんてありはしない!ねぇ知ってる?神様はちゃんと誰にも運命の優しいパートナーを用意しているものよ。火威は違う。あれは絶対に愛してはいけない寂しい男。あいつが好きなのは磐座教授でもない。自分の妄執ただ一つだけ!そんな寂しい男を愛するのは人生の浪費に他ならない!!」


 マリリンは侮蔑的な笑みを浮かべながら、そう吐き捨てた。

 

「もういい黙りなさい!!神実樹…。あなたはつくづく女を見る目がないようだ…こんなはねっ返りを妻にするとはね!」


「はねっかえり上等ですよ!俺はマリリンが傍に居て毎日楽しいからな」


「あたしもイツキと一緒だから楽しいわ」


「「結婚サイコー!うぇーい!!」」


 俺とマリリンは腕を組んで、無栄相手にピースを向ける。この煽りが一番効いたようだ。無栄はプルプルと体を震わせている。


「結婚など何がいいというのだ…!…あなたはやはり10年前に殺しておくべきだった。磐座教授が事故にあった後に、殺しておくべきだった…。何となく予感がしていた。あなたは必ずハルトの敵になるって予感がしてた…ハルトにあの時言っておけばよかった。磐座を抱いたのはこの男だと、教えてやればよかった…そうすればあなたはあの時死んで後腐れがなかったのに…」


「あれ?周りには秘密の付き合いだったんだけど、気づいてた人いたんだ」


「磐座教授があなたに向けている目を見れば、寝たかどうかくらいすぐにわかります…ああ…わたくしの判断ミスだった…あの時真実をすべて明かしておけばよかった…ハルトの顔を曇らせたくないと思って…躊躇したわたくしが間違っていた…死してなお亡霊となってわたくしたちの人生を縛るのか…!まさに呪いの女!いわくらくるるぅうううう!!!」


 それはまさに怨念の籠った声だった。地獄の底から響くような憎しみの声。こいつが本当に排除したいのは、俺じゃないな。きっと枢の影なんだろう。枢の影を色濃く受け継いだ俺をだから殺したい。コンペの妨害はきっと二の次だ。


「一応言っておくけど、コンペの前に俺と殺すと、きっと火威はあんたのことを一生恨むぜ。男のプライドは傷つけられると後を引き続けるんだからな」


「かまいません!彼のプライド以上に彼の栄光の方が遥かに大事なのです!!さあここで死んでください!!このわたくしが造ったこの陽炎の地下街でね!!」


 そう言って無栄の姿は消えた。そしてホームの両側が陽炎のように揺らめいて、そこから防弾ベストと軍用の首輪型異能デバイスを装着し、各々ライフルや拳銃を構えたヤクザたちが大量に湧いてきた。


『『『『死ねやおらぁあああ!!!』』』』


 俺とマリリンは互いに背中合わせでヤクザたちに相対する。


「イツキ!コンペには絶対に間に合わせるわよ!!」


「おうとも!時間厳守は社会人の常識だからな!」


 そして互いにヤクザたちに向かって突っ込んでいった。

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