第33話 復讐者の狂気

 匕口あいくちにとって今回の仕事の背景は最初はそこまで興味のあるものではなかった。神実樹とマリリン・クエンティンの二人には興味を持ったが、この会社との特許を巡る揉め事にはそそられなかった。だが蓋を開ければとんでもない狂気が飛び出してきた。匕口にはそれがスリリングに感じられたのだ。神実への闘争は金を巡る妥協可能なお行儀の良い戦争ではなく、たった一人の女を巡る醜いオス同士の殺し合いに成り下がった。それがたまらなく楽しいと匕口には思えたのだ。


「社長が磐座教授を深く愛しているのはわかりました。でも彼女が選んだのは神実殿ですよね?なのにまだ愛していると?横恋慕はみっともないのでは?」


 だからこそ煽る。火威のモチベーションを高めてやって、より凄惨な戦いを仕込みたい。そうすれば神実とマリリンはその戦いの中で絆を育み成長するだろう。匕口にとっては火威ひおどしは2人を育てるために良き肥料に思えてならなかった。


「ふざけるな!!枢があんな男を選ぶわけがない!!枢は男を知らない初心な女だった!だからあいつに騙されてしまったんだ!きっと卑劣で強引なやり方だったに違いない!!…枢が誰かと関係を持ってしまったのはわかっていた。あの日の彼女の痛みに耐える声を聴いてしまったからだ。初めてだったよ。自分の足が動かなかったのは。別に女が誰と寝ようが興味なんてなかった。あの日まではな。皮肉なことにあの枢が処女を散らされてしまったその時に、俺は壁を一枚隔てたすぐ傍に居た。踏み込めばよかったのに出来なかった。実はあの日まで俺は心の何処かで枢への思いを何処かで否定していたのだ。一時の心の迷いだとな。きっといつも通り抱いてしまえば、飽きて捨ててしまう程度の思いだと思っていた。だけどその時を迎えてしまい、俺は紛れもなく枢を愛しているって、どうしようもなく気がついてしまったのだ。そんな情けない俺に比べて、枢は処女を失ったのにやはり心清らかで優しい女のままでいてくれたんだ。だから俺は枢の最初の男にはなれなかったが最後の男にはやはりなりたいって思えたんだ。愛していたから。だからその後しばらくは枢と寝た男を探して回ったんだ。殺すためにね。ああいう無垢で世間知らずで清らかな女を騙すののは経験上、地位の高い仕事の同僚だと相場が決まっている。だから教授陣や共同研究先の企業重役たちのプライベートを暴いて回ったのに、一向に出てこない。学生のはずはないと思っていた。学生の中から男を選ぶのなら絶対に俺以外の選択肢なんてないからだ。学内一の人気者、ミスコン優勝者、運動部でも全国トップ、テレビにも出てた俺以外の男を選ぶはずがない。つまり神実は間違いなく枢の弱みに付け込むような形で、彼女に関係を迫ったんだ」


「言っていることのロジックがめちゃくちゃだってご理解してますか?…してないんだろうな。あなたはご自分の見たい現実しか見たくない人なんですね」


「違う!俺が見た者こそが真実なんだ!俺はその信念でもって、この世界に俺が望むものすべてを現実化してきたんだ!!ラタトスク社は枢との約束を叶える会社なんだ!俺はラタトスク社のサービスを通してこの世界の多くの人々に笑顔を届けた!我が社が提供するラタトレは異能スキルの取引市場としては世界シェアの50%を握る最大のプラットフォーマだ!!ラタトレ登場以前と以後では、異能スキルの民間での平均価格は10%も下がってるんだ!10%だぞ!10%だ!!俺のサービスが価格の高騰していた異能スキルの安価な取得への道を拓いたんだ!俺のサービスが世界の人々の異能の力への安価なアクセスに繋がったんだ!!すべては枢の願いだ!彼女と生前話したよ。彼女は悲しんでこう言った。『異能スキルは金持ちの玩具じゃないのに…。人々を笑顔にするために神様がくれた力なのになんでみんなお金儲けばかり考えるんだろう』っとな!!俺は叶えたよ!彼女の夢を叶えたんだ!だから俺こそが彼女に愛される資格があるんだ!対して神実はなんだ!!?あいつはいったいなんだ!!大学を退学になった後はプラプラと適当に働くばかりではないか!枢と付き合っていたというならば!なんで彼女の願いを叶える為に働かなかったんだ!!今更特許や株式を求めるなど認められん!!怠惰だ!そんな男に抱かれてしまっただなんて枢が哀れすぎる…なんて可哀そうなんだ…」


「そもそもあなたが彼を大学から追い出さなければ、今頃神実さんはまっとうに科学者やってたんじゃないでしょうか?だいたい特許権にしても、いままではなんとか彼に気づかせずに済んでいたのに、社長が彼に殺し屋を差し向けたからきづかれちゃったんでしょ?」


「もともと上場を前に消すつもりだった。あれでも枢の最後の弟子の一人だ。枢の意志に反すると思って生かしておいた。それと例の論文流出の件だ。おれは例の論文の科学的価値まではつまびらかには承知していないが、あれは遺伝学に基づく異能スキル研究の巨大利権を崩してしまうだけのインパクトがあったわけだ。だからわかったんだ。あの論文をあいつが書いていた当時、枢は時たま何かを恐れるようなそぶりを見せていた」


 匕口はダークウェブにおける神実の論文流出事件については良く知っていた。カンザネ・スルーと呼ばれる異能スキル業界でのブレイクスルーは匕口のような武芸者タイプにとっては一種の福音に近い出来事だった。なにせ異能力強度の血統依存性はほぼ常識だとされていたからだ。産まれた時の才能で使える異能の上限は決まる。それは例え汎用化した異能スキルであってもそうだった。同じ術式を使っても、遺伝的に優れているとされる人々は素質がないとされる人の何倍もの効果を発動できた。それは努力の否定であり、人々から希望を失う過酷な現実だった。だがカンザネ・スルー以降、改良型デバイスが裏の世界に出回り始めた時、異能力の格差に苦しんでいた人たちは、皆一人残らず救われたのだ。そしてそこから鍛錬を積み新たなる強い異能者が誕生し、匕口は絶頂さえ覚えた。世界は変わって新たなる強敵がひしめく楽園が生まれたのだ。だからこそ賞金に釣られたのもあるが、神実を感謝の気持ちを込めて殺そうと思ったのだ。


「それはあなたのストーカーが怖かったのでは?」


「そうだ。ストーカーがいたんだよ。俺も何度か彼女のストーカーを目撃している。いつも枢をつけまわしている奴がいたんだ。…枢が事故にあった日もそうだった」


「ほう…貴方以外にも磐座教授をつけ狙うものがいたわけだ。興味深い…」


「今更ながらにおれは後悔したよ。当時の俺はあの論文の価値を知らなかった。だが神実は傲慢な男だということはよく理解していたんだ。昔からそうだ。空気も読まずに自分のエゴだけを押し通す男だ。だから論文が社会に与えるインパクトをまったく理解していなかったんだろう。そのとばっちりを枢が喰らったんだ。神実の指導教官だった枢は、あの論文との関連を疑われたんだろう。そして巨大な利権を維持するための生贄に選ばれてしまった…。だから神実を殺すことにしたんだ。これは正当な復讐だ!神実は自分が犠牲者だと思っているが、枢を死に追いやったのはあいつのやらかしたことだ!!俺は奴に苦しみを与えてやる。殺してくださいと言い出すまで追い込み続けてやると決めたのだ」


「ははぁ。なるほどねぇ。それはなかなかに人情味の溢れる動機ですね。だからマリリンちゃんを誘拐しようとしてんですね?」


「そうだ。あの子は一目見て分かった。まだヴァージンだ。そして神実に雌犬じみた視線を向けている。なあ男がプライドを傷つけられるのはどんな時だと思う?」


「誰かに負けた時ですね」


「その通りだ。だからあの金髪を神実の目の前で犯してやろうと思ったんだ。枢以外の女の処女性などどうでもいいが、今回ばかりは感謝するよ!神実はモラリスト気取りだから、自分に好意を向ける女を無下には出来んだろう。その女が力及ばず目の前で犯されてしまい、処女を失えばどれほど屈辱だろう?…ああ、想像だけで楽しくなってくるよ!」


「でも最近あの二人結婚しましよ。僕お祝いに炊飯器を贈りましたもん。今頃はきっとしっぽりと愛し合ってるんじゃないですか?」


「それならばそれも大変結構なことだ。自分しか男を知らない女を犯されれるのは処女を奪われるよりも屈辱だよ。なにせ一度はその女を独占したというのに、それが失われるのだからな。ああ、神実…なんて憐れな男なんだろう!殺してあげたい!!」


「なかなか趣味の悪いことですね。だからこそ熱中できるんでしょうけど。まあご忠告して差し上げるならば、無駄だからやめた方がいいと一応言っておきます。マリリンちゃんはこの世界でもトップクラスの異能者の一人です。誘拐なんて無理ですよ。僕に普通に殺せって命令を出してくれればすぐにでも行くんですけどね」


「駄目だ。お前はあいつらを苦しめたりしないだろう?それは駄目だ。俺はあいつを殺すが、それと同時に苦しめなければいけないんだ。じゃなきゃ枢が可哀そうだ。枢の魂を慰めるためにも神実に苦しみを与えなければいけないのだから」


「左様ですか…まあそれならば暫くは静観させてもらいましょう。ところで神実殿が会社を創りましたけど、なんか邪魔とかしないんですか?取引先に圧力かけるとか、スラップ訴訟をおこして妨害するとか」


「はぁ?お前はおれを舐めているのか?ふざけるな!!あいつが建てるビジネスが何かは知らんが、この俺が育てたラタトスクのビジネスに敵うはずもないんだよ!!冗談じゃない!あいつごときのビジネスにこの俺が小物の様に恐れて妨害する?この俺は異能業界最大のプラットフォーマーだぞ!!なぜ起業したばかりの男を恐れて小物の様に振る舞わなければいけないんだ!!正面からだ!正面から叩き潰してやるんだよ!!じゃなきゃ枢の名誉が守られない!!枢にとって神実と付き合ってしまったことは不幸な汚点だ!だからこの俺が正面からあいつのビジネスを否定してやることで、あいつの汚点を拭い去ってやらなければいけないんだ。取るに足らない男に弄ばれてしまったならば、おれがその男の器を正々堂々と超えれば枢の魂は慰められるんだ!」


「…すごい矛盾ですねぇ…裏では殺意ビンビンなのに表では堂々と戦う。そのロジックの矛盾と破綻ぶりに僕はなんかゾクゾクしてきましたよ!」


「ふん。殺し屋に殺されるような器ならば、そもそもビジネスで大業を成すことなど出来やしないよ。だから裏で命を狙うことはなんら矛盾でも破綻でもない」


「まあクライアントの言うことは守りますし、貴方の手であの二人が脅かされるとは思えない。だから最後の警告をさせてください。復讐に楽しみを見出すと絶対に負けますよ。神実殿はその隙を必ずついてきます」


「おれに隙などない。10年だ。枢が事故にあって10年。おれは力を溜め続けたんだ。何もしてこなかったあいつには決して負けることはないんだ」


「それが甘いんですよ。時に人間は恐ろしい集中力でもって時間の差なんてものを軽く吹き飛ばしてしまうんです。一瞬ですよ。一瞬で勝利は決まるんです。積み上げた物の重さなんて関係ないです。きっとその一瞬の思いの強さだけですべてを覆すんです。神実殿はね」


「それこそありえない。おれの枢への愛はいつだって、あいつの持つ思いの強ささえ及ばないほどに深い。あいつの運命はもう決まっている。あいつはおれの手によって惨めな敗北を迎え、そして屈辱の内に死ぬのだ。くくく、あはは、あーははははははははは!!!!」


 火威は窓の外の摩天楼の夜景に向かって笑い続ける。匕口はそのまだ何もわかってない背中に哀れみを覚えてしまったのだった。

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