第3章 星追うひとびと
第101話 この世界は臭かった
はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……
眩い光から解放された瞬間に、僕は辺りを見渡した。場所はランジグのクリーチャーズマンション入り口前広場。入る時に使った転移紋の反対側にある普段は光っていない転移紋の上だ。
この転移紋が光るという事は攻略者が出たという事だ。僕たちはどうやら無事にクリーチャーズマンションを攻略することが出来たらしい。
悪魔は……追ってきてはいないようだ……
ほっと一息つこうとしたら、途端に異様な臭いが鼻を突いた。弱い毒ガスのような明らかに人体には良くないだろうと分かる匂いだ。
「けほっけほっ」
余りの臭さに咳が出た。そう言えばクリーチャーズマンション内では一度も咳は出なかったな。
【この世界は臭かった】攻略者がわざわざこのタイトルにするくらいにはこの世界は臭かった。今まで生きてきて僕はそれに一度も気が付かなかった。
獣人史では太古の戦の影響で世界は穢され、それを獣人たちが頑張って浄化してきたとされている。エルエルの話と照らし合わせると、これもどこまでが真実かは分からないけど、少なくともこの世界はまだまだ毒まみれみたいだ。
どさっ
隣から何かが倒れる音がして、すぐさまそちらを見る。
「オトン!!オトン!!死んじゃ嫌や!!」
なんと、ブジンさんが上向きに倒れていた。呼吸は浅く、顔は青白く、体はがくがくと震えている。右腕の切断面からは今もなお血が流れ出てきていた。
ブジンさんの血を頭から浴び続けて血だらけになったジェニが、泣きそうな顔でブジンさんを揺さぶる。
「ジェニ……それとアニマ……お前たちが、無事でよかった……」
喋るのも苦しいだろうに、ブジンさんはたどたどしい口調でニカッと笑う。
「オトン!!オトン!!……あっエルエル!!オトン、オトン治して!!エルエルっ!?」
慌てふためくジェニはエルエルに傷を治してもらおうとエルエルの姿を探し、エルエルの状態を見て表情を変えた。
「かっふあ……息、が……げほっげほかっ……」
なんと地面に蹲るエルエルは呼吸困難なほど咳き込んで、今にも酸欠で死んでしまいそうになっていた。
『無理よ!!!私は外では生きられない!!!』さっきのエルエルの言葉が脳裏に張り付いていた。
生きられない。それは天使であるエルエルでは人間の町に馴染めないからだと思っていた。だが蓋を開けてみれば、エルエルは呼吸すらもまともにできない。
これじゃあ僕たちがエルエルを殺すようなものだ。
いや諦めるな!絶望するのは僕の悪い癖だ!なぜエルエルは呼吸が出来ない?きっとまだ解決策があるはずだ!
考えろ!考えろ!呼吸が出来ないのはなぜだ?考えられる一番大きな要因は間違いなくこの悪臭だ。ジェニとブジンさんと怪物は咳き込むほどではなかった。だが僕は咳き込んだ。何が違う?
加えてエルエルは呼吸すら出来ない……一体何が……?
三人にあって僕たちに無い物……三人に共通してて、僕たちには共通して無い物……いや待てよ……そうかっ!
ラーテルだ!ラーテルの血だ!三人はラーテル獣人の中でも特に血が濃いのに比べて、僕は血が薄いどころかエルエルには全く違うとまで言われている!
ラーテルは凶暴で恐れ知らずの肉食獣で、毒にも強い!だから三人は無事で僕だけ咳き込んだ!じゃあなぜ僕がエルエルのように呼吸困難にならないのか?
それは恐らくこの町で生まれ育ったことが大きいだろう。両親は間違いなく獣人だし、僕も生まれながらに毒への耐性が少しはあってもおかしくはない。いや鍛えられたのか……
その観点だとエルエルは天使で、しかもクリーチャーズマンションから一度も出たことが無い。つまり毒への耐性が全くない!
だから苦しい。だから息が出来ない。それを解決するためにはどうすれば……?
自分の持ちうる情報の中から役に立ちそうなものを必死に探す。何かあるはずだ。何か。役に立つ情報が。何か。なんでもいい。何か。
『おぉ、本物のガスマスクだ!』
『クリーチャーズマンションの中は空気綺麗やから、ガスマスクは持ってかんくてもええよ』
『何があるか分からないから、一応持っていくよ』
ガスマスク!!
それを思い出した瞬間自分のリュックからガスマスクを取り出そうと背中に手を回し、そもそもリュックを背負っていないことに気が付いた。
そうだった。あの時必死になって後先なんて考えずにリュックを投げつけたんだった。
ダメか……
『ジェニ、このガスマスク、ジェニのリュックに入れてくんない?』
「ジェニ!!ガスマスク!!」
その一言で全てを察したジェニは、急いで背中のリュックを下ろしガサゴソと中を漁る。
「はいアニマ!!」
そして取り出したガスマスクを受け取ると、それをエルエルの口元に押し当てて、拙い手つきで装着させた。
「ふぅー……すふぅー……」
暫くするとエルエルは落ち着き、呼吸も正常に戻って来た。
「ありがとう王子」
籠った声でそう言うと、すぐさまブジンさんの元へ。手をかざし集中する。淡い光に包まれたブジンさんの傷が徐々に塞がっていく。
「僕せいだ。僕のせいでブジンさんは大怪我を……」
それを見ていると申し訳ない気持ちに包まれた。だって、僕があの時もっと足元に気を付けていればこんなことにはならなかった。
「王子のせいじゃ無いわ。だってたまたま脆くなった足場の下にたまたま丁度いいサイズの水槽があるなんておかしいでしょ?多分
ブジンさんに手をかざしながら、エルエルの顔には悔しさが滲み出ている。
腕の傷が塞がっていく。血は完全に止まり、顔は蒼白なままだが浅い呼吸は深くなった。恐らく折れたあばらも治ったのだろう。
「ごめんなさい。失った腕はもう二度と元には戻らないわ……それに、髄までボロボロよ……時間が経てば体調は良くなるだろうけど、かなり寿命を縮めたわね……」
「ありがとう……おかげで凄く楽になった……少し疲れたがな……」
横たわるブジンさんは自嘲気味にふっと笑うと、エルエルの頭を撫でた。
「寿命なんて知るか……今こうして俺が愛する皆が生きてる……最高の結果だ……」
「良かったぁ!!」
ジェニがブジンさんに抱き着いた。その顔は途轍もなく嬉しそうだ。
「だからエルエルが謝る事など何もない……アニマもだ……そもそもお前たちが来てくれなければ、俺はあの工場で餓死してたかもしれねぇ……だが、こうして皆命があるんだ……!」
ブジンさんは更に僕の頭も撫でてくれる。その手はとても大きく、とても暖かい。そのどこか懐かしいような温かさに、「お父さん」と言ってしまいそうになった。
ブジンさんはすぅーっと息を吸うと、
「最高の結果だ!誇れ!誰が何と言おうとも俺たちはあの悪魔を退けてクリーチャーズマンションをクリアした!
すがすがしい顔で言ったブジンさんは、最後に悪戯気にニカッと笑う。
「俺たちはやったんだ!!」
そして左の手をきつく握りしめて力強く天へかざした。
確かに今ここに暗い気持ちは似合わない。何より、胸の底から湧き上がってくるものがある!
ジェニを見る。するとジェニもこちらを見ていた。そのキラキラと輝く瞳の奥に映る僕の瞳もまたキラキラと輝いていた。
二人で怪物を見る。すると怪物も鋭い瞳に光を宿していて、僕たちの呼吸が一つに重なった。
「「「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!」」」
僕はガッツポーズで、ジェニは両手を天に伸ばして、怪物は片手をきつく握りこんで、
「よっしゃよっしゃよっしゃ!!!」
「やったーーーーー!!!」
「しゃぁぁぁぁあああああああ!!!」
声が枯れるんじゃないかってくらいに喜声を上げたんだ。
【余談】
世界は毒にまみれている。海は魚が健全に住めるような状態ではなく、多くの生物が絶滅した。今生きている生物は少なからず毒に適応した。もしくは、最初から適応していた。
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