第97話 エンカウント①
「これがダクトの入り口よ!」
エルエルの案内で施設の中を進んできた後、僕たちはとうとう目当ての場所に到着した。
施設の中は工場の中とはまた違って、白とガラスで統一されていて、この世ではないような感覚だった。
事前の説明通り謎金属のダクトはかなりの大きさで、中を覗くと暗くて先が見通せない。
「どう怪物?通れそう?」
「ギリギリだが無理ではなさそうだ」
怪物が通れるかどうかだけがネックだったけど、どうやら問題は無さそうだ。僕は「良し」と頷き、ダクトの蓋を外した。
「悪魔は本当に恐ろしい奴よ……皆、ここから先はくれぐれも音をたてないようにね」
「ああ」
エルエルの真剣な言葉に僕たちは頷き、ブジンさんだけが小さく声に出した。その姿佇まいに、覚悟が違う……そう思った。
怪物がダクトに入り、その後ろをエルエルが、更に僕、ジェニ、最後にブジンさんの順で四つん這いになって進んでいく。
ダクトは色々な建物へと繋がっているので道を知っているエルエルをなるべく前に、そのエルエルを守るために怪物が先頭に。
その後ろをオーラを見ることが出来る僕が行き、小柄ですばしっこいジェニをなるべく後方へ。そして一番後ろはブジンさんが守るという布陣だ。
いつどこからどんな脅威があろうとも対処できるようにと僕が考案したこの布陣は、理論上最適解のように思う。
周囲を警戒しながらハイハイしていくと、グローブと膝の布越しに金属の冷たさが徐々に伝って来た。驚いたことにダクトの中は想像よりもずっと綺麗だった。数千年経とうと自浄機能が生きているんだ。凄まじい……
僕とジェニとエルエルはまだ少しは余裕があるけど、体の大きい怪物とブジンさんは相当進みにくそうだ。ちょくちょく肘や膝を軽くぶつけている。
と言っても流石と言うべきか二人は音を立てるようなミスはしない。独特の緊張感に包まれながらゆっくりと進んでいく。
怪物が前方を照らしていた光の精霊のランタンを消した。その瞬間全員に更に緊張が駆け巡る。前方からは光が漏れてきている。つまりとうとう出口についてしまったのだ。
怪物は一度後ろを、僕たちの方を振り返ると、ダクトの蓋に手をかけた。それを一切音を出さないように慎重に慎重に外していく。
外した蓋は万が一にでも落としてしまったら大変なので、怪物は上手い事僅かな自分の背中の隙間を通してそれをエルエルに渡した。
エルエルもそれを僕に渡し、バケツリレーのようにしてブジンさんの後ろにそっと置く。
怪物は大きな体を器用に使うと、ダクトから外に出て足場に乗ったようだ。エルエルが前にいるのでその先は見えない。
その時怪物がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。ほんの微かな音だ。でも怪物の緊張感が伝わってくる。
続いてエルエルがダクトを出た。一瞬だけ下を向いたエルエルは見て分かる程に体の動きがカチコチになった。
ここまでくれば誰だってわかる。居るんだ。そこに。悪魔が。恐らくジェニが目撃した通りの位置で寝ているのだろう。
僕はエルエルが横に逸れるのを確認するとダクトを出た。ダクトは管理棟の広いエントランスの二階部分に繋がっていた。
と言ってもそこは通路ではない。一二階が吹き抜けになっているエントランスの玄関口の近くの壁の上だ。
足場となっているのは二階の床の高さに合わせるように少しだけ出ている淵だ。幅は約20~25センチメートルと言ったところか。
背中を壁につけて体を横にしないと駄目な位の危なっかしい幅だ。この淵を壁沿いに進んでいくと、二階の通路に手すりを乗り越えて侵入することが出来る。
その通路を進んだ先に見えている超巨大な扉がエルエルが転移紋があると言っていた部屋の扉だろう。見るからに分厚く重たそうな厳重と言う言葉が似合う扉だ。
あれがゴールか……
道筋の確認は済んだ……後は下を確認しなきゃ……
っっっ……………………………………!!
なんだあれは!?
ソファーを合体させた上に身を丸めて眠っているから正確には分からないけど体長は5メートル程だろうか?
古血で黒染みを斑に作ったゆったりめのボロ神父服を纏い、漆黒の皮膚を覆う長く柔らかな白い体毛が、ガリガリでミイラのような細長い全身のシルエットをぼやけさせている。
人型の獣と形容しようか、長い手足が余計に不気味さを増長している。
頭にはヤギのような曲がった角。目は白い布に隠されているが、狼のような大きな口が凶悪だ。
背中には羽があったが、何だあれは……?
枝に
いざ目の当たりにした本物は……実物の悪魔は……
眠っているというのに本能的な恐怖を呼び覚ましてくる……脳が今すぐにここから離れろと警鐘を鳴らしまくっている……
生物学的な合理性を手放し、この世の闇を全て集めて煮詰めたかのような黒い何か……
ぶわっと体のあちこちから嫌な汗が噴き出してきた。手足も痺れるように震えだした。
あいつはダメだ……!ダメだ!ダメだ!!
生物としての格が違う!!存在自体が別次元だ!!戦うなんて考えられない!!近寄るなんてあり得ない!!
僕は何も分かって無かった!!実際に、この目に見るまで!!その恐ろしさを理解できていなかった!!高名な冒険者たちですら逃げ出す理由が今分かった!!
それ程の恐怖!!それ程のプレッシャー!!
前の二人を見ると、二人とも青ざめた顔をしている。特に壁で巨乳を潰し、顔面すら擦り付けるくらいに密着したエルエルは、恐怖を声に出さないよう必死に口を抑えている。
エルエルは知ってた。この恐怖を知っていた。なのに危険を冒してまで僕たちの道案内をしてくれている。
僕は知らなかった。エルエルがどれほどの気持ちで、どれほどの覚悟でここにいるのかを。
怖い……怖い……けど、立ち止まっては居られない。エルエルには感謝してもしきれない。だからこそ今は進むんだ!
っっっ!
膝をつねり、痛みで無理矢理恐怖を黙らせた。そして音を立てないように細心の注意を払いながら進んでいく。
後続のジェニが息を飲んだのが分かった。怖いもの知らずのジェニですら、こいつは怖いのだろう。その後ろをブジンさんが続く。
ジリジリ……ジリジリ……と壁に背を擦るようにして進む。
音を立てるな……慎重に行くんだ……焦っちゃダメだ……あいつに気づかれちゃダメだ……静かに……落ち着いて……ゆっくり……ゆっくり……
呼吸を整えろ……神経を研ぎ澄ませ……音を立てないように……音を立てないように……音を立てないように……音を立てないように……
がらっ
「!?」
左足が宙に浮く感覚がする。足場が小さく、それは小さく崩れたようだった。
重心が傾いていく最中、不運にもそれを踏み抜いてしまったのだと察した。
でも確かに亀裂なんかなかったはずだ!怪物もエルエルも崩れそうな足場があるなんて気づいてもいなかった!畜生!何で!
一瞬の動揺と逡巡。その最中においても重心はどんどん宙へと投げ出されていく。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!
落ちたら死ぬ!!いや、死ぬような高さじゃない!!でも怪我はする!!怪我で済むか!?打ち所が悪かったら本当に死ぬ!!
ヤバいヤバい!!耐えろ!!踏ん張れ!!
「ふんぬぬっ……あっ」
下手に堪えようとした結果、僕の体はジェニの方へと傾いた。だがその時にはもう、体は9割以上宙に浮いていた。
落ちる落ちる落ちる落ちる!!
【余談】
エンカウントは和製英語であり、語源はエンカウンターである。双方大して意味は変わらないが、エンカウントは名詞であり、エンカウンターは動詞である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます