一章 四節 一項

誘拐






「起きろ」


 側頭部を蹴り飛ばされる痛みで、俺は目を覚ました。


 脳が揺れる。誰だ、こめかみにトーキックくれやがった馬鹿野郎は。

 もう少し、やり方ってもんがあるだろ。文句のひとつも言ってやらんと気が済まん。


 硬い床で横になっていた身体を起こす。妙にダルい。

 辺りを見回す。覚えの無い、ずいぶん昔に棄てられたであろう廃屋の中。

 すぐ傍に『灰銀』が居た。目が合った瞬間、何もかも思い出す。


 ダッシュで逃げた。


「起き抜けにしては判断が早いな。悪くない」


 そいつはどうも。

 アンタに褒められたって、これっぽっちも嬉しくないけどな。


「が、甘い。捕らえた獲物を、みすみす逃すと思うか」


 ――クソッ、開かねぇ!


 年季の入った扉に取り付き、いっそ壊すぐらいの勢いで押し引きを繰り返すが、びくともしない。

 見た目は単なる木製、それも朽ち始めてるってのに。どんな仕掛けだ。


 数秒で無理と諦め、次いで窓からの脱出を企てるも、実行へと移す前に不可能を悟った。

 鉄板が打ち付けられてる。ちょっとやそっとで剥がせるようには見えない。

 時間さえかければ話は別だろうけど、その間『灰銀』が大人しく突っ立ったままのワケ非ず。

 とどのつまり逃走は望み薄。ヤバみ。


「自分の置かれた状況を理解したか? 分かったなら話を――」


 こうなっては先手必勝。殺される前に『灰銀』を倒す。

 相手はガチの殺し屋だが、シンゲンやハガネを相手にすると思えば、人間である分マシ。アイツら、サイボーグと猛獣だし。


 姿勢を低く、半ば四つん這いに近い形で突っ込む。

 これなら顔の近くしか狙えない。以前目の当たりとしたノーモーションのナイフ捌きも、左右の手から一切視線を切らなければ必ず初動を捉えられる筈。

 どうにかマウントさえ取ってしまえば、体格で勝る俺が有利。その先は考えてないけど、ひとまず抑え込んでから決めよう。


「――第二案、第三案を立て続け即断する機転。益々悪くないが、まず話を聞け」


 逆に押し倒され、あっさり手足を絡め取られてしまった。

 ひどく身体が痺れてる。色々サボり続けた劣化と寝起きの気だるさを加味したって、いくらなんでもおかしい。


「抵抗は徒労。お前を眠らせた薬、まだ半日は効いてる筈だぞ」


 赤い唇に指先を添えた『灰銀』の言葉で、ハッとなる。


 そうだ。街中でコイツと遭遇したあの時に、クソ苦い粒を口移しで飲まされたんだ。そこから先の記憶が無い。

 この妙な痺れはアレのせいか。なんて周到、なんて悪質。


 ――ひっでぇファーストキスだ。


「安心しろ。思えば私も初めてだった」


 そいつを聞いて、何を、どう、安心しろと。





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