犬も歩けば底無し沼






 九死どころか九十九死くらいに一生を拾った俺は、銀髪の女と表通りの雑踏を縫っていた。

 ……互いの腕を深く絡めた状態で。


「下を向くな。恋人のように振る舞え。怪しい素振りを見せたら毒を打つ。泣き叫ぶ演技が面倒だ、できればやらせるな」


 傍目にはデート中のカップルか、客を相手する商売女に見えなくもないだろうけど、実際はこの調子。

 チラつかされた針には、直視するのも嫌な色味の薬液が塗り込んであった。

 十年飼われたチワワ並みの従順さを発揮する所存ですので、刺すのだけは勘弁願います。


「そこを右。次を左」


 鼻腔に纏わり付く香水の匂い。ウチの女性陣もジャッカルとカルメンが香水を使ってるけど、彼女達の嗜好とは趣が異なるそれ。

 薄着越しに伝わる低めの体温。耳元で繰り返される浅い呼吸音。いわゆる恋人繋ぎの形で掴まれた右手を這い回る、細く柔らかな五指。


「……肩に力が入り過ぎだ。身体を預けにくい」


 何の気兼ねも無ければ、きっと結構な役得。

 が、少なくとも今は、ただただ終わりを祈るばかり。


 だって、デカい蛇かムカデあたりに纏わり付かれてる気分なんだもん。

 正直、恐怖と忌避以外の何も感じない。


 …………。

 て言うか俺、どこに連れて行かれるんだろう。






 まるで生きた心地のしなかった一時の末、銀髪の女が立ち止まる。

 半ば拘束の意味合いで道中ずっと組んだままだった腕も、ようやく解かれた。

 手汗やべぇ。


「ここだ。降りるぞ」


 表通りと裏通りを繋ぐ細道。小さな店が点々と並んだ、いわゆる横丁。

 その端。注視しなければ見落とすだろう、存在感の欠落した階段。

 先に行けと促され、恐々としつつ従う。


 一段ごと耳障りな軋みを響かせる、古めかしい木製。

 降りてすぐ、錆びの目立つ鉄扉が設けられていた。


「七回と三回ノックしろ。回数を間違えるな」


 すり減って意匠が分からなくなったノッカーで、言われた数だけ扉を叩く。

 銀髪の女を一度振り返ってから、押し開ける。鍵はかかっていなかった。


 入ると薄暗く、見たところ広くはない。

 ぽつんと置かれた四人掛けのテーブル、粗末な丸椅子。奥には疎らに酒瓶の並んだバーカウンター。

 酒場、なのだろうか。


「扉の横で待っていろ。あまり動くなよ」


 素早く戸締めした銀髪の女が俺の耳元でそう囁き、カウンターまで歩く。

 色褪せた天板の隅にあったベルを鳴らすと、更に奥の扉から誰か出てきた。


「……遅かったな『灰銀』。首尾は」

「概ね手筈通りに。大きな問題は無い」


 大柄で強面な、低い声の初老男性。

 彼は銀髪の女と幾つか言葉を交わすと、小さな袋をカウンターに乗せる。

 音からして中身は金か。結構な額っぽい。


「御苦労。じゃあ、お前さんの話とやらを聞こうか」

「ああ……おい、こっちに」


 振り返り、手招く銀髪の女。

 今なら逃げられるか、なんて考えもしたが、重い鉄扉を開けて外に走り抜けるまでの時間を稼げるほど、出入り口とカウンターとの間に距離は無い。


 まあ殺すつもりなら、とっくに殺してる筈。こんなとこまで何のために連れてきたのかは皆目見当もつかないけど、ひとまず大丈夫だろう。

 そんな楽観ないし開き直りも手伝い、銀髪の女の横に立つ。


 ……やっぱり逃げておけばと嘆いたのは、この少し後。

 まさしく、後悔とは先に立ってくれないものなのである。


 俺の腕を掴んだ銀髪の女が、淡々と言った。


「コイツを『暗殺ギルド』の一員にする。刻印の用意を」





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