地球のテクノロジーはすごい

 物音に驚いて野次馬たちが飛び出してくる。それを圧倒的風圧でなぎ倒し、自転車は宇座大野橋へと滑り込んだ。レンガ造りの大正モダン風。観光名所化を露骨に狙うあざとさもあり、非公式ではあるが「宇座四天王最強の橋」の異名で親しまれていた。宇座市街の中央を流れる一級河川大野川にかかっている四本の橋のうち、地政学上最も重要な橋である。


 赤茶色の歩道に乗り上げたとたん、司は中空に投げ飛ばされかけた。第一波はまひるちゃんにしがみついて乗り切ったものの、宇座大野橋は直線百メートル。歩道兼自転車道は暴走防止のため路面はわざと凸凹させている。今度は足場を失って、爆回転する後輪に下半身を巻き込まれそうになった。


「ちょと、止ま、止ま……ああああああああああ!」


 司はまひるちゃんの首にしがみついて必死にシャチホコのポーズをする。脳内宇宙戦闘民族設定とはいえ、激しい突き上げを喰らいながら人間こいのぼり体勢をキープするのは至難の業だ。

 不幸中の幸いは、まひるちゃんがまったく動じず自転車の高速巡行をやめなかったことだが、なにがあっても止まってくれなかったのは間違いなく最大の不幸である。


 死の宇座大橋をなんとかやり過ごしたところで、今度は前方からも後方からもパトカーのサイレンが迫ってきた。普通の道になったので、司はかろうじて体勢を立て直した。まひるちゃんが舌打ちした。


「ウサイモンの手のものか!」

「いや、警察――」

「なんだと!?」


 まひるちゃんが剣呑に聞き返す。大音量のひび割れたスピーカー音が、それに応える。


「そこの自転車! 止まりなさい!」

「なんで警察が私を追いかけてくるんだ!」

「自転車二人乗りで信号無視して暴走してるからだよ!」


 コミュ障だけど、さすがの司もツッコミを入れざるをえなかった。俺が入れなきゃ誰が入れる? もう、オンリーワン。世界でたった一人の大切なあなた、な気分だ(錯乱)


「それがなんだ!」

「立派な犯罪行為だ!」


 まひるちゃんが悔しそうに歯ぎしりをする。ちらっと振り向きざまに、彼女の額に血の筋のようななにかが見えた。まひるちゃんがいつのまにか頭に傷を負っている?

 並走するパトカーが、更なる大音量で呼びかける。


「そこの自転車!!!」


 耳をつんざいたスピーカー音の残骸が、頭の中で暴力的に反響する。司はうっと顔をしかめた。まひるちゃんが、ハンドルをパトカー側に切るかとみせかけ、すぐに逆にきってドリフト、からの急停止。その衝撃で振り飛ばされそうになった司だが、人間タケコプターにされたら死んでしまう。後輪の軸受けに靴底の溝を食い込ませ、ウンチング・スタイルでその場を耐えきる。


「うぉおおおぉおおお!!!!!!!!」

「星野司! 私は自転車に専念するから、おまえは警察車両を排除するんだ!」

「できるかっ!」

「なに? 出し惜しみをするか!」

「なんも惜しんでねぇよ!」

「このッ、ドケチめが!」


 まひるちゃんが力強く地面を蹴って再度急発進する。後ろを追いかけてきていたパトカーに、猛然と突っ込んで行く。司は叫んだ。


「ばか、待てって!」


 まひるちゃんはさらに漕ぐ。


「とまりなさぁいっ!」


 と、スピーカーからも絶叫がほとばしる。彼女はつっと額に指をやり、宇宙的にふっくらとした前髪を払いのける。そこには本来人間にはあるはずのない『赤黒い瞳』があった。邪悪オーラの強い第三の目が、ギョロリと動いた。まひるちゃんが達人の気合いでもって叫んだ。


「いくぞっ! 地球の忍法『変わり身の術』だ!」


 司が声なき悲鳴を上げたのと、自転車の前輪がパトカーのバンパーに接触したのと、まひるちゃんの額の目の黄金色の瞳孔がカッと見開いたのは、ほぼ同時だった。


 一拍の静寂。それから


 ゴォオオオオォォォ――――


 と、水平線の彼方で巨大なビル群が崩壊していくような、くぐもった音がした。辺りがまばゆい光に包まれる。さらに一拍おいて、爆音と衝撃が一気に襲ってくる。





 その音波嵐じみた衝撃が過ぎ去ると、辺りはうそのように静かになった。きらきらと輝く川面が見える。宇座市の象徴、一級河川の大野川だ。秋の爽やかな陽光が降り注ぎ、河川敷にはまばらに人影がある。

 まひるちゃんはどういうわけか、大野川南岸の堤防沿いを西に向かって悠然と走っていた。橋を渡って北上していたはずなのに。というか警察はどこに行った?

 しばらくぽかんとしていた司だが、我にかえって疑問の叫びを発した。


「ええええええええぇ!?」

「どうした?」


 まひるちゃんがちらっと振り返る。額のまがまがしい眼もまた、ぎょろっとこっちを見た。


「はぁあああああああ!?」


 その衝撃に追い打ちをかけるように、遠くから風に乗ってスピーカーの声が流れてくる。パトカーの集団は、司たちではない別のなにかを追いかけて川の対岸を北上しているようだ。


「そこの地母神像ぅ……止まりなさぃ……」


 サイレンの音がどんどん遠ざかっていく。


「!?!?!?!」

「地母神ではなく、餃子像なんだがな」


 と、まひるちゃんが苦笑いをする。笑うと意外と可愛くて、そんな場合じゃないのにドキッとする。相変わらず額の邪眼はカッと開いたままなので、邪神の笑みに見えなくもないが――それに命の危険に晒された後なので、ただの吊り橋効果かもしれない。

 彼女はいささか得意げに続けた。


「昨日たまたまネットで見つけたんだが、変わり身の術は便利だな! 手近なものを己の身代わりにすることで攻撃をかわすなんて高等技術、地球人には無理だろうと思ったが、うまく追っ手をやりすごせたようだ! 地球のテクノロジーも捨てたものではないぞ!」


 やっぱりおでこに目がある。ツッコミの総需要に、頭の回転が追いつかない。自転車は相変わらず爆走しているので、きわどいウンチングポーズのままで司は必死に考えた。


 まず、まひるちゃんは宇宙(そら)から降ってきた。だがこれは記憶が曖昧なので勘違いかもしれない。昨日、校門付近でエンカウントしたのは確実だ。それから屋上でもエンカウントした。その時点ではまだクラスの一員ではなかった。


 なのに今朝、ホームルームの時点で自己紹介もなにもなく普通にクラスの一員になっていた。しかも、ちょっと前からこのクラスに存在していたかのようにみんな接している――からの、人間離れした自転車操縦能力からの、第三の目開眼、からの瞬間移動(?)


(おまえは我々のエージェントではないにも関わらず、我々の規格にのっとったメッセージを送りつけてきた)

(改めて聞くが、おまえの所属は?)

(ウサイモンは、ナノマシンあるいは細菌兵器による記憶改変を行っている可能性が高い!)


 まひるちゃんの奇天烈な言葉の数々が、このときはじめて司の頭のなかで意味のある言葉として焦点を結んだ……

 いや。

 相変わらず意味不明ではあったけれど、意味不明なりにも発言のバックグラウンド的なものが、すっと腑に落ちた(ような気分になった)


 つまり、要するに、まひるちゃんは……宇宙人?

 空から降ってきて着弾したのだから、宇宙人なのでは?

 宇宙人は本当にいたんだ?


「……!」


 宿願叶った興奮と感動と、半信半疑のもやもや感と、これじゃない、俺が求めていたのはこれじゃないんだ! という強い葛藤と、やっぱり俺の目がおかしいんじゃないか? という己の認知力への深い不信感とが、ごちゃまぜになった奇声が喉元にせりあがってきた、そのとき


 まひるちゃんがいきなり背筋を伸ばした。司はしたたかにアッパーを喰らう。


「ふがっ!?」

「む、忍術が効かないやつがいたか」


 風の爽やかな堤防沿いの道に、その平和さには似つかわしくないサイレン音がしている。しかも確実に、こちらとの距離を詰めてきている。


 大野川の北岸でチェイスを仕掛けてきたパトカーは、まひるちゃん曰く「忍法・身代わりの術(地球のテクノロジー)」で撒いたらしい。

 そして、いま接近中のパトカーは「忍法」に騙されず追いかけてきた、ということか?


 まひるちゃんがするどくあたりを見回した。路上駐車が多く、交通量は少ない。パトカーがこちらの位置を捕捉しているかどうかは定かでないが、この道を直進してきているのは間違いない。


「交差点の先は一方通行! でもパトカーは入ってくるかもしれない」


 司は空を仰いで鼻血を堪えながら言った。さっきのアッパーカットで鼻を打ったのだ。


「わかった!」


 まひるちゃんが即座に盛り漕ぎモードに移行する。


 この先、川沿いの道は比較的交通量の多い道と交差しているが、駅前の国道を尋常に突っ切ったまひるちゃんなら余裕でぶっちぎるだろう。


 交差点を越えるとすぐ左手に「ムーンパワータワー」という名の怪しい塔がある。宇座市の文化施設だが、公営にしては外見が攻めすぎているし、なぜか数年来閉館している。近日改装工事をするといわれ続けて、はや幾年が経っていた。


 そんな胡散臭い塔と川の間の小道は細くて鬱蒼としており、道幅は狭くて車が一台しか通れない。しかも東からは侵入できなかったはずだ。問題はパトカーが一方通行表示を守るかどうか、だ。正直、かなり微妙な賭けである。


 いよいよサイレンが迫ってきた。


「こらぁあああ、そこの自転車ぁ、止まれぇえー!」


 暑苦しいおっさんの声がスピーカー越しにがなり立てる。まひるちゃんは振り返らない。ただ前を見て漕ぎ続ける。交差点が見えてきた。プラネタリウムを縦方向に引きちぎったような姿の「ムーンパワータワー」も視界に入る。まひるちゃんはまた前髪をかきあげた。


 チュギュン――


 さっきの「忍法」よりはずいぶん細いビームが、額(の第三の目)から放たれる。白熱したエネルギーは閉じた放物線状の束となり「ムーンパワータワー」の基部に吸い込まれる。

 そうこうしているうちにパトカーが追い付いてきた。目の前の信号は、赤から青に変わる。


 まずいな、と司は思った。パトカーとはいえ運転するのは生身の警察官だ。赤信号に突っ込むのに多少は躊躇する。まひるちゃんは躊躇しない。このわずかな差で逃げ切れると思ったのだが――


 そのとき「ムーンパワータワー」が川側に向かってぐらっと傾むいた。自転車は交差点を通過して、いままさに倒れようとする塔の真下に滑り込もうとしている。

 非常に嫌な予感がした。


 まさか、タワーを倒して道を封鎖しようとしている?

 まさかな、いやそのまさかなのかな?

 でもタイミングが早すぎる。このままだと二人とも下敷きになる。司はまひるちゃんの首にしがみつきながら絶叫した。


「ばかばかばかばかとまれぇえええええ!」


 追いかけてくるパトカーも「プゥォーーーーーーー!」とクラクションを鳴らした。

 にもかかわらず、まひるちゃんは最終形態「立ち漕ぎ」へと移行する。「ムーンパワータワー」が、基部からぼふっと灰色の粉塵を吐いた。

 二人は自転車もろともそれに吞み込まれた。

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