侵略される宇宙との交信の場

 不幸中の幸いというべきか、司の学習能力はそんなに高くはなかった。よく言えば、立ち直りがはやい。


 せっかくだから良いところを強調していくスタイルでいこう。


 脳内設定が宇宙戦闘民族(笑)な星野司さんは、くよくよと過去のショックを引きずったりはしない強メンタル(ただし装甲は紙)の持ち主だった。


 その代わりといってはなんだが、戦争も革命もクーデタも起こり得ない平和な教室で平和裡に座り続けるのは苦手で、移動教室なしの座学が四時間で続くともう完全に教室に飽きた。


 とくに三時間目から二時間にわたり続いた「コミュニケーション英語」は、コミュ障にとっては名前からして苦行だった。


 英語教師・岡本がはりきっていた。十八番の武勇伝「オレが大学を一年休学して行ってきたワンダフル世界一周の旅」を、休み時間ぶっちぎって語り続け、四時間目の終了を告げるチャイムが鳴ってもやめる気配を見せなかった。


 教室を満たす無言のフラストレーションは危険水域に達していた。フランス革命前夜の不穏な空気に似て殺伐としていた。大多数の第三身分(生徒)が、ごく少数の特権階級(岡本)の専横を憎々しげに見守っていた。なぜなら校内の売店は昼休みの最初の五分が勝負だ。黄金の五分を逃した一年四組には、もうろくな食料は残されていないだろう。校外のコンビニに駆け込むとしても、分速一二〇メートル換算で往復八分かかる。貴重な昼休みにこの八分は惜しい。


 ようやく岡本の「オレが大学を一年休学して行ってきたワンダフル世界一周の旅・西アフリカ編♪」が終わり、一年四組はアンシャンレジームから解放される。売店組は起立とか礼とかする間も惜しんで教室から飛び出ていった。岡田は構わず「オレが大学を一年休学して行ってきたワンダフル世界一周の旅・中央アフリカ編♪」に突入しようとしたが、お弁当組は無視してランチ仲間を探しはじめる。昼休みはもうとっくの昔にはじまっているのだ。


 ところで司は売店組だったが、かといって全速力で馳せ参じるほどのガチ勢ではない。どうせ今から急いで行ってもろくなものは残っていないのだ。


 ちなみに宇座高校にはカフェテリアとかいう名前の小洒落た施設も存在する。入り口には券売機が置いてあり、カウンターの向こうで給仕のおばちゃんが忙しく働いていて、人気メニューはカレーうどんとカツ丼だが、あくまで学食ではない、カフェテリアだ。しかしなんとなく、下級生は立ち入ってはいけないような雰囲気がある。


 コンビニまで走るか、事実上三年生の専用フロアと化しているカフェテリアに侵入するか、二つにひとつ。

 司は思った。


(いざとなったら、コンビニに走るか。んで、昼からは地上絵の描き直しでもするかな)


 この時点で彼は、校門でパンツ星人とエンカウントしたショックをすっかり忘れていた。一人が怖くて屋上に行けなくなった癖に、大した強メンタル(ただし、装甲は紙)の持ち主だ。





 宇座高校の普通科一年の教室は南校舎の三階と四階にあって、二年三年の教室とは別棟にある。さらに特進クラスは専用校舎があり隔離保護されている。


 南校舎の一階と二階は職員室や守衛室、校長室やなにかの資料室、事実上のパソコンルームである多目的室とその準備室という名のサーバールームがあったりして校内の安全保障上地味に重要なエリアだ。


 そして南棟とはロータリーを挟んだ北棟の東側に生徒用玄関があり、南棟と実習実験棟と第一体育館、特進棟と美術棟を繋ぐ渡り廊下があるため、東側の階段は利用者が多い。


 だから司はいつも西側の閑散としたほうの階段から屋上に出ていた。


 売れ残りの小さないちごジャムパンと、自動販売機で同じく売れ残っていたノーブランドのスポーツドリンクを持って、司は南校舎西階段をとぼとぼと登る。


 昼休みも半分が過ぎ、さすがに空腹が限界を超えている。いちごジャムパンは一包三二五キロカロリーで、一食分としては心もとない熱量だが、餓えに耐えるのも戦闘民族のたしなみだ。


 昼休みの浮かれたざわめきを背中に受けながら、司は四階からさらに一階ぶん階段を上った。途中でスポーツドリンクを二口飲んだ。口当たりは爽やかだがのど越しはすっきりしなくて後味はべたっとしている。ジャムパンとは壮絶に食い合わせが悪そうな予感しかしない。だが仕方がないのだ。

 司は肚をくくって三口目を飲む。売店の勝負は初動で決まる。この敗戦の責任はすべて、授業を延長した岡本にある。


 階段の終点には南向きの大きな窓があった。明るくて大変よろしいのであるが、日射熱がこもるので、二学期も半ばにさしかかろうというこの時期でもじりじりと熱い。真夏ともなれば灼熱地獄だ。


 階段はさらに東に折れて五段あがり、鉄製の重い扉に行く手を阻まれる。それが屋上の入り口だった。ペットボトルを小脇にかかえ、ポケットから器用にヘアピンを取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 そこで、手元に違和感を覚えた。

 鍵が開いている。


 司は眉をひそめた。ほかの生徒に踏み荒らされないよう、用事が終われば鍵はきちんとかけていくのだが。

 しかし、ヒューマンエラーはつきものだ。締め忘れたのかもしれない。


 サビついた外見を裏切るように、鉄扉はするっと音もなく開く。蝶番に油を差してあるため滑りは良好だ。むろん学校には無断でやった。司はより快適な宇宙活動のために環境整備を怠らない主義なのだ。

 そして登っただけ降りる五段だけの外階段があり、降り立てば灰色の屋上砂漠。大切な宇宙との交信の場――


 ヘアピンを胸ポケットに突っ込み、ペットボトルを開けて四口目を飲み込みかけたところで、司はおもわず口の中身をブホッと噴き出した。


 風雨で薄くなった地上絵を、真剣に吟味している不審者がいた。


 長髪をポニーテールに束ね、花粉用高級立体紙マスクで顔の下半分をすっぽり覆っている。制服を着ているくせに意味深な白手袋をしている時点で、生徒として絵面がかなり怪しい。

 しかも制服の下のハイネックなインナーを耳の高さまで上げる鉄壁の防御っぷりだ。今朝、校門付近でエンカウントした二人組の、男の方に違いない。

 だが、地上絵のそばにしゃがみこんで慎重に観察する姿は、専門家然としており至って真面目だ。


 不審者が立ち上がる。地上絵を踏まぬよう、注意深く歩みを進める。身体が、扉の近くで立ちすくんでいる司のほうを向いた。司は動けない。幸い、不審者は地上絵に夢中で、こちらの存在に気づいていない。


 階下から誰のものともしれないざわめきが聞こえてくる。不審者は、しゃがみこんだり立ち上がったり、腕を組んでぶつぶつとつぶやいたりを繰り返しながら、また身体の向きを変えた。


 ちょうどそのとき、耳をつんざくような至近距離でチャイムが鳴った。

 司は光速よりもすばやく踵を返した。

 外階段を跨ぎ越して、鉄扉のノブに手をかける。

 扉が勝手に開いた。

 弾き飛ばされてコンクリに叩きつけられる。灼熱の屋上が、受け身をとった司の手のひらを焼く。


「――ッ!」


 そのうえ至近距離から殺気を浴びせられる。真新しい上履き、ソックス、そして脚。スカートは短い。この角度だと中が見える。その柄は、黒地にピンクの水玉模様。


 臙脂色の制服のスカートの上はセーラー服。そしてパンツ星人が、絶対零度の蔑みの視線をこちらに向けていた。


 片手に弁当入りのビニール袋、おそらく近くのコンビニで調達してきたであろう昼飯をぶら下げている。しかし、これからのんびり屋上ランチをする雰囲気ではない。彼女はかつてなく強大かつ凶悪なオーラを放っている。


 開け放たれた扉と、その枠に切り取られた踊り場から差し込むまばゆい光。それらを背景に威風堂々と佇むパンツ星人の姿は、さながら最希少最強URが現実世界でドロップしてしまったかのように見えた。

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