第45話 ええ曲やと思わへん?

 フリーの後を追ってアナーキーを訪れた日以来、俺もアナーキーでギターの練習をさせてもらうことになった。フリーのようにバイトはしない。接客業なんか俺には無理だ。純粋に練習だけをする。少し虫がいいような気はしたが、背に腹は代えられない。

 フリーはどこか不満げだった。大方、こっそり練習して同じ楽器初心者の俺やタムを出し抜くつもりが、叶わなくなったとかそんなところだろう。そんなこと知ったことか。


 部活の練習にしっかり参加をした後で何食わぬ顔をして部室を離れ、アナーキーへと向かう。

 フリーは部室に来ていなかった。今日はバイトがあるのだろう。もっとも、フリーが部室に来ていたとしても一緒にアナーキーへ向かうことはないから、あまり関係がない。

 フリーがいるのといないのとでは、部室の雰囲気が違う。よく言えば静か、悪く言えば物足りない。どちらの方がいいのかは、明白だ。やはり、フリーも部室にいてくれた方がいい。


 そんなことを考えながら一人部室を離れ、歩いていると、校門を出たところで見覚えのあるポニーテールが揺れているのが見えた。

 アナーキーにいるはずのフリーがそこにいた。その手にはパンパンに膨れ上がったビニール袋と、模造紙の束が抱えられている。

 今日はバイトの日じゃなかったのか? あの荷物。リサさんに買い出しでも頼まれたのだろうか。だとしても、アナーキーの近くで買い出せばこと足りるだろうに。なぜ、こんなところであんな大荷物を抱えているのだろう。それにあの袋や模造紙は、とてもカフェやライブハウスで使うものとは思えない。そもそも、あいつはここ最近頻繁に部活を休むが、そんなにバイトを入れているのだろうか。なにかトラブルを抱えていやしないだろうか──。

 瞬間的に色々なことが頭を駆け巡る。最後に顔を覗かせた根拠のない心配には、無理やり蓋をした。

 どうせアナーキーで会うとはいえ、声をかけよう。出方次第では荷物を持ってやらんこともない。と思い一歩踏み出したところで、突如背後から「振角さ〜ん」という甲高い声がした。


 その声にザワリと嫌な予感がよぎる。さっき蓋をしたはずの心配が、見たくもないのに自ら俺の前に現れたような感覚がした。奇妙な引力をもって心配と声がリンクする。


 フリーを呼ぶ声は、どこかよそよそしかった。友達という距離感では、きっとない。けれど、全くの他人とも呼べないような微妙な関係を感じさせる声。俺も、よくかけられる種類の声。

 例えば、クラスが一緒なだけの女子とか、たまたま委員会でペアを組まされただけの相手とか──。そういう相手から何度となくかけられたことのある声。


 ショートカットと二つ結びの二人組の女子が、俺のすぐ脇をフリー目掛けて駆け抜けていく。ショートカットの方は、いつかフリーに対して『友達がいない』と、そして『新しいタイプの陰キャ』と面と向かって告げた女子だった。

 二人が通り過ぎる瞬間、フリーと目が合う。その瞬間、フリーの黒目がぐらりと揺れ動いたような気がした。


「なに? どないしたん?」


 フリーは俺のことをはっきりと無視して、呼び止めた声に応えた。その声は、部室をうるさく──、もとい明るくするあの声とは似ても似つかない不安そうで卑屈な声だった。


「いつも色々と用事を押し付けちゃってごめんね」


「いや、ええねん。うちもクラスの一員なんやし、手伝えることは手伝わんと」


 フリーは、ロミ研では見せたことのない、困ったような顔で笑う。ものすごく窮屈そうに。気を使って二人に接しているのが分かった。あいつも気を使えるんだなと思うのと同時に、あいつが気を使わなければならない状況なのだということに思い至る。


「そうだよね。ありがとう。それじゃあさ、このあとなんだけど……」


 二人組のうちの一人。ショートカットの方が話しだす。その途中でフリーの顔がわずかに曇った。


「──ん? どうかした?」


 ショートカットは、目ざとかった。とぼけた様な口調で首を傾ける。フリーは、瞬間的にハッとしたように表情を動かして、「なんもないよ」と言った。


「そう? ──で、このあとなんだけど。振角さん、このまま残って準備を手伝ってもらうことってできる?」


 最初から決めていたセリフなのだろう。ショートカットは、驚くほど流暢にそう告げる。

 その声を合図にフリーは、それまでソワソワと動かしていた体をピタッと止めた。目だけが何かを求めるように動く。そして、フリーの目は俺を捉えて止まった。

 俺はどうすることもできず、かといって視線を外すこともできなかった。


 目の前の光景。ショートカットの言葉。フリーの視線。あることを思い出す。

 文化祭のクラス出し物。

 あまりにも縁がなさ過ぎて、今の今まで忘れていた。そういえば、俺と千冬ちふゆのクラスは、何をやるのだろう。なんとなく当日の当番を割り当てられたような気はするが、具体的に何をするのかは覚えていない。

 準備など一度も参加したことがない。おそらく千冬も同じだ。

 しかし、目の前のフリーはクラス出し物の準備を押し付けられようとしている。少なくとも俺の目にはそう見えた。


 クラス出し物の準備は任意のはずだ。各クラスごとに定められたクラス委員が中心になって準備をすることになってはいるが、強制参加ではない。

 現に俺と千冬ちふゆは、ほとんど参加していないにもかかわらず、それを理由に咎められたことはない。存在感がなさすぎて、クラスの一員だと認識されていないという恐れもなくはないが、タムだって、シラサギだって、毎日放課後になると部室にやってくる。

 シラサギはともかく、タムはクラスで浮いてしまうタイプではないし、どちらかといえばむしろ、周りからあれやこれや頼まれるタイプだろう。それが故に部活を七つも掛け持ちする羽目になったのだ。そんなタムもクラス出し物の準備に参加している気配はない。

 クラス出し物の準備は、やはり任意なのだ。


 けれど、目の前のフリーは強制されているように見える。ショートカットの口調はお願いするようなスタンスだが、断れる雰囲気ではない。それを理解した上で、一応のところは予定を尋ねるという体裁をとっている。

 そして、それをフリーは本心ではよかれと思っていない。本当は断りたいのだ。

 理由は簡単。ベースの練習がしたいからだ。


「……ねぇ。ダメ?」


 息をのんだように黙ったまま固まってしまったフリーに対して、ショートカットは容赦なく追い打ちをかける。顔を覗き込まれてしまったフリーに、もはや逃げ場はない。


 フリーが何事か言おうと口を開きかけた瞬間、その音は唐突に鳴り響いた。俺の少し後ろで鳴ったそれは、中庭で聴いた『あの曲』だった。千冬が創った曲。月華の歌う『あの曲』。

 振り返ると、いつのまにそこに立っていたのか千冬がいた。慌てたようにスマートフォンを操作している。しかし、『あの曲』が鳴り止むことはなかった。千冬は、「あれ? ちょっと……勝手に……なんで? おかしいな」と、なおもスマートフォンをいじくりまわしている。その間も『あの曲』は流れ続けていた。


 その音はフリーたちのところまで届いたらしい。

 フリーを取り囲むように立っていた二人がこちらを振り向いた。二人の視線がフリーから外れた瞬間、フリーの顔がほっとしたように緩む。二人組は俺たちを見つけて少し怪訝な顔をしたが、すぐにフリーに向き直った。

 ほんの一瞬だった。『あの曲』が包み込むようにフリーの周りを漂い、そしてフリーの中へと消える。その瞬間、フリーの瞳が何かに気がついたように見開かれる。

 そして、その瞳は意思を固めるように目の前の二人組に向けて固定された。もう不安そうに揺らいだりはしていなかった。


「この曲──、今聞こえてる曲、ええ曲やと思わへん?」


 フリーは目の前の二人に尋ねる。それは見慣れたいつものフリーだった。二人組の表情はこちらからは見えない。けれど、主導権がフリーに移ったのが分かった。

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