第31話 自然に

「はよ」


 教室にたどり着いて、自分の席に向かう。

 尾崎と木下はもう教室にいて、席に着いていた。


「おはよー」

「はよー」


 そう挨拶を交わして、席に着く。

 自然に振舞わないといけない、なんてことを考える。けれどなんだろう、今まで、どうしてたっけ。わからなくなってきた。


「神崎」


 後ろからちょいちょいとつつかれて、ビクッと身体が震える。


「えっ、なにっ」


 慌てて振り返ると、声が裏返ってしまった。……どう考えても不自然極まりない。

 木下は一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐにいつもの表情に戻って、そしてこちらに手を伸ばしてきた。


「自転車のカギ。助かった」

「あ、ああ……うん」


 手のひらを差し出してカギを受け取る。そういえばそうだった。自転車を貸したのだった。


「またいつでも、言うてくれたら貸すけえ」

「ほいじゃあ頼むわ。下りの自転車はやっぱり楽じゃわ。ありがとの」


 木下はそう言って笑う。

 これはたぶん、自然に会話できたのではないかと、心の中で胸を撫で下ろす。


 すると前の席から尾崎がやってきて、俺の前に立ち、そして密やかに言う。


「驚いた?」

「えっ」


 川内が植物と話ができるとかいう話に?

 いや、待て。それは尾崎にも言っていないという話だった。違う。


 ああ、そうだ。尾崎と木下が付き合い始めたというのを、昨日、聞いたんだった。

 なんだかもっと前に聞いたような気がする。あれからいろいろあったから、昨日のホームセンターでの出来事とか、全部頭から吹っ飛んでしまっているような感じだ。


 尾崎は俺の前で首を傾げている。どう見ても不審そうな目をしてこちらを見ていた。

 まいった。

 自然に振舞う、ということがこんなに難しいとは思わなかった。


 それでもなんとか、口を開く。


「あ、ああ……驚いた……ような、そうでもない、ような……」


 しどろもどろでそう答えると、尾崎はポンポンと俺の肩を叩く。


「とにかく、園芸部以外には内緒じゃけえね」

「あっ、うん」

「自然にしてよ。なんよ、朝からギクシャクして」

「そ、そう?」

「うん」


 尾崎がうなずく。

 よかった、どうやら二人の交際を聞いたから態度が変になってしまっていると誤解されたようだ。

 となると、これに乗るしかない。


「ごめん、なんか……ちょっと意識してしもうて」

「今までと一緒だって」

「うん」


 それはきっと、間違いない。なんだか少し、落ち着いてきた。

 笑って尾崎に言う。


「おめでとう?」

「めでたいかどうかは、わからんわ」


 そう言って、あはは、と笑っている。後ろの席では木下が机に突っ伏してしまっていた。


「おはよう」

「おはよー、ハルちゃん」


 そこで川内が教室に入ってきた。

 やっぱりまだ、自然に、というのは難しい。けれどなんとか挨拶する。


「おはよ」

「おはよう」


 にっこりと笑って、川内が返してくる。

 あれ?


「千夏ちゃん、昨日、種買ったけえ」

「あー聞いた聞いた。サボテンだって?」

「うん、そう。お昼休み、種撒きする?」

「するー」

「あっ、じゃあワシらも昼休みにしようで」

「あ、ああ、うん」


 そんな話をしていると、予鈴が鳴った。俺たちはそれぞれの席に着く。

 前の席の川内の背中を見て、なんだか複雑な気持ちになった。あまりにも自然で、あの温室での出来事が夢だったのではないか、という気分になってきていた。


 そのあと、昼休憩に温室に集まったときも、帰り道で三人で帰ったときも、川内の態度はとても自然でいつも通りだった。


 俺だけが、どぎまぎしているのかな、と少し寂しくなった。


          ◇


 家に帰ると、姉ちゃんはもう帰宅していて、居間のソファにだらしなく座ってスマホの画面を見ながらくつろいでいた。


「そういえば、最近、早いな」

「うるさいな」


 単純に事実を述べただけなのだが、なにか気に障ったらしい。不機嫌そうにそう返された。


「上手くいった、とかいう報告はいらんけえね」


 そしてさらに、そう続けてきた。

 ということは、上手くいく、という予想がついていたのか。


「なんでわかったん?」

「わかるわ。『ついで』に怒るいうことは、そういうことじゃろ」


 なるほど。


「まあ断る口実にするって可能性もあるけど、あの子、そういうことはしそうにないし」

「ああ、うん」


 そううなずくと、姉ちゃんはスマホから視線を外して、こちらを横目で見て、嫌そうに眉根を寄せた。

 なんだなんだ。


「あ、そうだ」


 俺は姉ちゃんに手を差し出す。


「なんよ、これ」


 俺の手のひらを見て、姉ちゃんは首を傾げた。


「日曜、出掛けるけえ。小遣い、くれるんじゃろ?」


 姉ちゃんが言ったのだ。「あんたがデートするときになったら、あげるわ」と。

 姉ちゃんはますます眉間にしわを寄せた。


「ほんま、はがええムカつくわ」


 そう言って、深く深くため息をついた。

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