箱入り娘
「まあまあ~陛下が暴れた時は俺も、ユーラもいるしさ。取り押さえるから心配すんなって」
そうこちらもリム同様、不敬って何?それ美味しいの?みたいな言動をちらつかせながら、いつものゆる~い感じで私に近付いて来た元薬屋のビラスさんは、ユーラさんをチラッと見てから歯を見せて微笑んでくれた。
見られたユーラさんは嫌そうな顔をしている。
取り敢えず、宮廷愛憎の大乱闘になった時は不敬なんて知らねぇよ!な、リム兄かビラスさんを盾にしようと心に決めた。
そして皆が帰って行った後…父とふたり屋敷に戻った。
さて…
という訳で父の屋敷内にある、一応自室に荷物を運び入れて一息ついたが…この屋敷で泊まるのは実に5年以上ぶりなのだ。
母とおじいちゃんが頑なにココトローナの森から出たり、マワサムラ帝国に居る時も外出を禁止していたのは…私の癒しの力関係のいざこざを避ける為だったんだのだと、今頃になって気が付いた。
そりゃ自分が特殊なのは知っていたけど、それがエリンプシャー王国からさらに特別視されているとは思わなかったわ。
そういえば…母が亡くなった後も森に侵入者って入って来てたのかな?あ、もしかして髭父とビラスさん達が秘密裏に対処してくれてた…とか?
そんな気がする……うん
それまで頻繁に殺し屋系の人達が襲って来ていたのは、母が自発的に誘い込んで?撃退していたからだと言っていたけれど、母が亡くなった後の5年間はほぼ、侵入者が来ないっていうのは、流石に有り得ないよね?
そう言われてみれば…なんとか家に辿り着いたらしいその筋の方々は、私の前に現れる時はすでにボロボロ状態だったよね…
私は勝手に森に怖い魔物でも住んでて、襲われたりしたのかな~とか考えていたけど、そのボロボロの殺し屋?もすぐに現れた髭父に撃退されて退散していたし…
「私…守られてるなぁ」
まさに母の障壁と父の腕力に守られた箱入り娘だ。
ココトローナの障壁…今はどうなっているんだろう。貴重品はほぼ持ち出せたと思うけど、裏庭の畑の野菜どうなっているんだろう。あいつらに踏まれて荒らされてるんだろうか…
少し時間が経ってからなら見に行っても大丈夫だろうか、お父さんに相談してみよう。
°˖✧◝ ◜✧˖°°˖✧ ✧˖°°˖✧◝ ◜✧˖°
翌朝…ミラム君用に回復薬と必要な魔法の基礎本…恐らく文字の読み書きも難しいはずなので簡単な語学の本…思いつく限りの教材を鞄に詰め込んだ。
「おはよ……」
父が起きてきた。この帝国の屋敷では使用人がいない。父は夜にはココトローナの家に帰って来ていたので、ここは帝国に住んでいます~と見せかける為だけの屋敷なのだ。
「イアナ…飯…」
「!」
ああっ!!私はキッチンに駆け込むと冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の庫内は、がらーーん…としてますな…父がストックしている、お酒らしき小瓶が数本入ってるけど、ものの見事に野菜も肉も何も無い…
この帝国の屋敷はここ数年は冷蔵庫がまともに機能していなかったらしい…キッチンもあるけれど、勿論使っている形跡も無い…調理器具も必要最低限しか置いてなかった…
生活に必要なもの全然っ準備してなかったよ!?
鍋とかフライパンとか邪魔だからココトローナの家に置いて来ちゃったし…
私はいつも肩から下げている鞄の中から、干し肉とクッキーを取り出した。
「お父さん…ごめん。食材は全部エリンプシャーに置いて来ちゃった」
髭父が顔色を変えた。
「嘘だ…え?食事抜き!?」
「干し肉あるじゃない…取り敢えずこれで…」
髭父は大きな体を丸めて、私が渡した干し肉をモソモソとしがんでいる。結構哀れな姿だ…
「ごめんね~食材のこと忘れてたんだよ。ミラム君の治療の帰りに市場で食材、買って来るし…あ、市場ってまだミルバード地区にあるの?」
以前帝国に住んでいた頃の子供の時の記憶なので、うろ覚えだけどミルバード地区の中心部に大きな市場があったよね?
髭父は頷いた。
「ああ、確かまだあった…移転とかして無いと思う…?」
使えないなぁー!なんでそんな曖昧な返事なんだよ、これだからお金持ちの坊ちゃん(伯爵家三男)は駄目なんだよ。さては父は一人で市場に出かけたことが無いな?
「分かった…私が何とかするよ。お父さんは今日は帰りは遅い?」
父はキリッとした顔になった。片手には干し肉持ってるけど…
「昨日の段階でエリンプシャーから何も言っては来ていないが…状況が変わるかもしれん。遅くなるようなら連絡蝶を出すから」
連絡蝶とは…魔道具の一種で、伝書鳩の虫ヴァージョンというものだ。蝶と言ってはいるが、私から見るとそんな優雅なものではなくて、大きな蠅みたいな感じの虫を模している魔道具だ。虫が苦手な人は初代〇面ライダーの頭部を思い出してくれ…それで察して欲しい。
父が財布を渡してくれたので、有難く頂戴して朝のお見送りをした。私も買い出しのリストを作成してから屋敷を出ることにした。
屋敷を出てまずは東西南北を確認する。
え~と…こっちが北だから…ミルバード地区はこっちで…転移魔法を使ってもいいんだけどリムの家は一度しか行ってないので、そこへ飛んで行くまでの経路のイメージが頭の中で湧かないのだ。
転移魔法は好き勝手に移動出来る便利な魔法だと思っている人も多いのだが、実際は制約が多い高位魔法の一種だ。
まずは術を行使するのに魔力が沢山必要で、行きたい場所の景色が明確である…例えば飛んだ先にいる会いたい人の魔質を正確に感知している…方向音痴な人は飛んでも明後日の方向に行ってしまう確率が高い…等々、扱いにくい術でもあるのだ。
だから転移魔法が使える人でも、自分が何度も訪れたことのある場所にしか術を使わないのが一般的だ。見知らぬところへ一瞬で飛んでいけるなんてことは無いのが現実だ。
私は徒歩でミラム君の家へと向かうことにした。恐らく帝国にも大通りとか、役所の前に巡回魔法陣が設置してあると思う。これはいわゆる、公共のバスや電車と同じ扱いだ。
ただ、帝国で使ったこと無いんだよね…知らない所で乗るには怖すぎるわ
という訳で徒歩で移動して行く。これはこれでいいかもしれない…と歩き出して気が付いた。父の屋敷の周りにどんな建物が建っているか確認出来るし、市場の場所も事前に確認出来ることに気が付いたのだ。
「あ、立て看板がある…ここからミルバード地区ね!」
朝の通勤ラッシュかな…人の流れを確認して人の多そうな方角に足を向けてみた。
「当たりだ!」
市場があった。近付いて行くと開店の準備をしているお店が多い。あ…!定食屋さんかな?開いてるね…どうしよう、と店内を覗いていると店内にいた恰幅の良いおばさんと目が合った。
「いらっしゃい!ひとりかい?」
そう声をかけられたら、もう仕方ない。店内に入り食事を頂くことにした。
「ひとりです~ここは…」
「うちはメインはバナオ汁の店なんだよ!肉料理も出せるよ」
おおっ…バナオって確か豆っぽい穀物だったよね?
「じゃあ一番人気のバナオ汁を一つ、焼いた肉一つ、お願いします、味付けはおまかせで!」
「はいよっ!空いてる席に座っておくれ」
「は~い」
おばさんは勢いがあるね、こういう定食屋は嫌いじゃない。その勢いで注文を入れてワクワクしながらテーブルで待っていると、おばさんがトレーを私の前に置いてくれた。
「お待たせっ!具沢山ホームのバナオ汁とロートン焼きスウ風味だよ」
ホームって何だろう?と覗き込むと茸だった。ロートンは鳥?鳥の照り焼きかな?
「わ~美味しそう!ありがとう」
私が笑顔で給仕してくれたおばさんを見上げると、小鉢を差し入れてきた。
おや?これは…見た目、ライチに似てるけど…
「採れたてクシラの実だよ~」
「このクシラは剥いて食べるのですか?」
私が聞くと、おばさんは一粒剥いて見せてくれた。やっぱりライチに似てるね。ツルンと皮が剥けるよ。
そうして、たっぷりと朝食を頂いて市場を後にした。
市場を出て…暫く歩くと住宅街に入って来た。昨日貰った、リムの家の住所を書いたメモ紙を開いた。
通りを見回すと、標識が見えた。この角を曲がるのかな?しかし、大通りにしか標識立ってないじゃないか~
「え~とここの通りを右に曲がって…」
それから道を何度か戻ったりしながらも、何とか昨日訪れたフィッツバーク家に辿り着いた。
「おはようございます~」
扉の向こうに声をかけると、リムのおばあちゃんの魔質が、戸口まで近付いて来たのが分かった。
「おまちしておりました」
玄関扉を開けてくれたおばあちゃんは、嬉しそうに魔質を輝かせている。ミラム君の容態を診なくても、おばあちゃんの魔質の輝きでミラム君の容態が手に取るように分かる。
「ミラムは起きて、先生が来るのを待っております」
「まあ、もう起きられるのですね。お渡しした回復薬は飲めましたか?」
おばあちゃんは嬉しそうに頷いた。
「朝も回復薬を飲ませました。飲み物なら飲ませても大丈夫…と仰ってたので、果実水を飲ませてみました」
おばあちゃんの話を聞きながら、居間にはいるとミラム君がソファにチョコンと座っていた。
わあっもう起きていられるの!?
「先生、おはようございます」
「おはよう、ミラム君。起きていたのね?無理はしていない?」
私はミラム君に駆け寄るとすぐに体の魔質を診た。
うんうん、魔力は綺麗に流れてるね。魔流が流れなくて壊死仕掛けていた内臓も治療したし綺麗に動いている。
そう…リムにはこれ以上衝撃を与えてはいけないと思って、黙っているが…ミラム君は魔力が循環していなかったせいで、内臓機能が壊死しかけていたのだ。今まで持っていたのはリムが与えていた高濃度の回復薬を服用していたからだろう。
まさに間一髪…後数日、リムが私の所に来るのが遅ければ、ミラム君は臓器不全で亡くなっていた。こんな怖いことは今更リム兄やおばあちゃんに伝える必要はない。もう完治しているのだから…
「よし…魔力は綺麗に流れてるね。そうだなぁ~ミラム君…今日からバナオ汁飲んでみようか」
「バナオ汁?」
「お野菜のたっぷり入った汁を飲んで…まずは先生がミラム君の体を触って解していくね」
「先生、解すってなんです?」
診察の様子を後ろから見ていたおばあちゃんがそう言って私の顔を覗き込んで来た。
「ミラム君は長い時間寝たきりで体力も筋力も落ちています。まずは体の強張りを柔らかくしておきたいと思います。実は魔力があれば、術を使って強引に体を動かせることは可能です。ですが根本的な体力不足は治りません。ミラム君には大変なことだけど少しづづ歩いたり、運動したりして体を動かして行きましょう。そうすればお腹も空いて更に食欲も増して…もっと体力がつきます。それと並行して魔力の勉強もしましょう。私のお母さんね~帝国の魔術師団の副団長してたんだよ!ほら、お母さんの使ってた魔術本!これを使うよ」
ココトローナの家から持って来た、母のコレクションの魔術書をミラム君の前に出すとミラム君の顔が輝いた。
「僕、お勉強したい!お勉強と剣のお稽古いっぱいして…隊長のお髭のおじさんみたいになりたい!」
「……んん?あ……それは止めておいたいいと思うよ?うん…」
「?」
ミラム君は小首を傾げてキョトンとしている。こんな可愛いミラム君が髭の親父みたいなゴリラやマントヒヒみたいな暑苦しいおっさんになってしまっては全国のイケショタ率が下がってしまうじゃないか…
なんとしても、ミラム君のゴリラ化を防がねばならん。
私は新たな使命に燃えてミラム君に熱い視線を向けていた。
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