第5話

ここにいたの…!

"俺"を見つけた"わたし"がこちらへ向かってくる…!


その指にはリングが輝いている。


…ウソだ。


どうしたの?…!


言葉を発した"わたし"のそれは、

本物となんら変わらなかったのだ。


くそ。なんだこれは。


しかし、"俺"にはまだ証明の担保が残っていた。

このすぐ背後のドアの向こう、その空間にいる事こそが、"わたし"の証明なのだ。

目を逸らすな、偽物は姿形は何にでもなれる。


…君の目的はなんだ?

何故、ここにきた?


何を言ってるの?決まってるでしょ、船を治す為よ。月面基地に戻らないと。



"俺"は冷や汗が止まらなかった。

この現象はなんだ?

俺は何を試されている?


…君の目的は船を直すこと。

そして故郷に帰ること?

そうよ。



…。

ねぇ、どうしたのよ?何があったの?



近づくな…!"俺"は懐から銃を構えた。


何のつもり…?

…君は、本物か?

…え?


しらばっくれるな!さっき俺たちの前に現れただろう?


…”俺たち”?


何も見てないとは言わせないぞ、お前が何者かはわからないが、危害を加えるつもりなら容赦はしない。


待って、落ち着いて、お願いだから。



俺は落ち着いてる!さっさと答えろ!お前は何者だ!?


何なのよ…!気でもおかしくなったの!

俺は狂ってなんかない。


ま、待ってよ!これ、これを見て!


"わたし"は2人が探していた備品を掲げた。


さっき外で見つけたのよ!これが有れば故郷に帰れるわ!


それは…。


貴方と別れた後、別棟で見つけたの。

…どういう事だ。

…さっきから何をいってるの?私たちは仲間でしょ!


…確認させてくれ。君のそのリングは誰に貰った?


?何なの?貴方でしょ?

違う、元々は誰のものかと聞いてるんだ…!


…これは貴方の、亡くなった奥さんの…。


…。

記憶。形質。目的。

全てが"わたし"そのものだ。

これで本当に"わたし"たらしめるものは、このドアの向こうの空間でしかない。

しかし、記憶に関してはまだ違和感がある。


それは”何の為”に身につけているんだ?

え。…貴方に言われたのよ、君の証明の為に身につけろって。


…何だと。

何故その記憶があって、さっきの俺との会話の記憶がないんだ…!


お前は嘘をついている…!


な、何なのよ。嘘なんかついてないわ!貴方が私に言ったんじゃない!この指輪を証明の為だと言えって言ったじゃない!


俺はお前に指輪なんか渡していない!

じゃあこれは何なの!?

貴方こそ、何者よ…!

…待て。本当に、俺に会ったのか?


…資材を探しに貴方と別れた後、霧に囲まれたの。

連絡を取ろうとしても酷いノイズで貴方は応えないし、1人でも施設に戻ろうと思ったの。その時だったわ、貴方が霧の向こうからやってきて、唐突に私の手を引いてここまで連れてきたんじゃない。貴方は指輪を渡すと、君の証明の為だって。


ねぇ、これって何の冗談?一体何が起きてるの?

…もう1人の"俺"だって?

では、君は俺の”偽物”がいて、そいつに指輪を託されたと言いたいわけだな。 

“偽物”…?


本物は俺だ…。


私が言い訳のために嘘をついていると言いたいわけ?

…。

あり得ないわ。何で私が嘘をつく必要があるの?貴方の方こそ何故そこから動かないのよ…?


…その扉の向こうに何かあるの?


"わたし"は扉を開けようと、"俺"に歩み寄ってきた…!


どうする…。


この扉が開いた時、一体何が起きる?


そもそも今、目の前にいる"わたし"が偽物だとする確証は…?


動くな…!

…ちゃんと説明する。

だから今は近づかないでくれ。


何なの。


君が2人いる。

えっ?

2人いるんだ。


困惑した顔を浮かべる"わたし"。


…記憶も、姿形も、そして俺が君に託したそのリングだって全く同じ君がいる。

その扉の向こうに、もう1人私がいるの…?

ああ、そうだ。

だが、ただ一つ、違う事がある。


今俺の目の前にいる君はもう1人の君を見ていないし、存在も認めていないが、この扉の向こうにいる君は、君を知っているし、実際に既に視認している。

その時の記憶は確かに俺と共有している。君だけがないんだ。

だから、俺はキミを疑わざるを得ない。

そして、だからこそ、君を本物だと区別する為にこの先の向こう側には行かせられない。


…本当なの。

…信じられない事だが。

…。


おそらく、君が見つけたその装置が有れば、船は修理が可能になる。

そして、”俺たち2人”は故郷に帰る事が出来るだろう。


船の定員は2人だ。


…そんなのって。


…ま、待ってよ!私はこの装置を見つけた!船に乗る権利がある!

貴方が本物だと”信じている”その子は何をしたの?何もしていないじゃない。

その子を本物だと証明する確信は貴方の主体的な決断の結果でしかないわ!


納得がいかない…!そもそもその貴方の言うもう1人が私は信じられない!

私が見ていないものの存在を認める事は出来ないわ!


"わたし"はにじり寄ってきた。


…その扉を開いて!

…だめだ…!それは出来ない。

どうして!?私が本物なのよ…!?

違うんだ…。

…。


…私がその子を認識してしまえば、私とその子を隔てている違いがなくなってしまう。

そうなれば、貴方は決断しなければならなくなるのね?



…そうだ。だから、この扉は開けられない。



ひどいわ。悩んでくれさえもしないのね?

…貴方の中ではもう決めているの…?



…正直分からない。



いいえ、違うわ…!

これ以上苦しい決断をしない為に、初めに出会ったその子を選んでいるのよ。


…いや。だが…。


何で?私が私だと言う証明はいくらでも付き合うわよ!

…それは分かっているんだ。

…。


…信じられないわ。

…。


…それなら私も貴方を信じない。

…私を選んでくれない限りこの部品を渡さない。


…!。


あの船の起動には”私たち2人”の認証IDが必要よ。

パートナーである貴方は必ずどちらか一方を選ばなくてはならない。


貴方がその扉を開かなければ、私は逃げ続けるつもりよ。

…まぁ、貴方が私を拘束出来れば、その子を連れて行けるでしょ。


…待て!


"俺"が理解するよりも早く、"わたし"は姿を消した。

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