第113話 たったあれだけのことで!?
──同じ迷宮内。エドガーとラッシュがいる迷路とはまた別の場所。
下り坂となっている通路を全力で走っている者が居た。
「ひゃっ、ひゃああああああ〜! ま、待ってくださいジーナさん! これ以上はもう!」
「バカ! 死にたくないなら無理でも走れ! 飲み込まれてぇのか!?」
狭い通路を走っているのは、フィーリアとジーナの二人だった。
先頭をジーナが走り、その後ろをあっぷあっぷとフィーリアが追いかけている。ジーナはともかく、フィーリアは今にも転びそうな、心もとない走り方だった。
しかし、なぜよりにもよってこんな下り坂を、転べば大怪我をするほどの全速力で走っているのか。それは、彼女達の背後に原因があった。
「っくそ! こんな罠があるなんて聞いてねぇぞちくしょう!」
「はわっ、はわわわわわわわっ!?」
ジーナですら後ろをちらりと見る程度で、フィーリアは振り返る余裕すらない。それほどの脅威が、後ろから迫っている。
ザザアアアアアアア! と、音を立てながら。
狭い通路を全て飲み込むかのように、大量の水が二人を追いかけていた。
みるみるうちに迫ってくる水音に、ジーナも走ることに集中する。しかし、罵倒は止まることはない。
「くそっ! なんでいきなりあんなもんが現れやがった!? ここに来るまで何もなかったじゃねぇか!」
スフィンクスによって同じ場所に飛ばされ、二人はここまで一緒に行動を共にして居た。よりにもよって頭を使うのが得意ではない組み合わせに、当初はさすがの二人もこれはまずいと危機感を覚えていたほどだ。
しかし、敵も存在せずこれといった罠もないため、二人は安全にここまで進んでいた。意外に楽に進めていることに余裕を感じて居た時に、この事態である。油断していた分、二人の動揺は大きかった。
「フィーリア! てめぇやっぱりなんか変なとこでも触ったんじゃねぇだろうな!? 罠でも踏んだんじゃねぇか!」
「ひぃっ、ひぃっ! ち、違いますよっ! もしそうだったら私だって気づきますっ! ジーナさんこそ、何か途中で壊したりしたんじゃ!?」
「するわけねぇだろボケ! あたしだってこんな危なっかしいところで何かやるほどバカじゃねぇ!」
犯人探しをする二人だったが、ザザアッ、という水の音が大きくなり、それどころじゃないと気づく。
チッ、とジーナは背後を伺いながら舌打ちした。
「まずいな。このままだと溺れて死んじまうぞ。おい、お前の力でなんとかならねぇか!?」
「むちゃ言わないでください! こんな狭い通路で、炎を使ってあんな大量の水を押し返そうだなんて、どうなるか分かったもんじゃないですよ!」
「じゃあ飲まれる前に出口につくしかねぇな! おら、もっと足を動かせ!」
「む、無理ですっ! これ以上は……!」
「バカ野郎! お前死にてぇのか!? 無理でも走るんだよ!」
「無理なものは無理ですぅ……! む、胸が引っ張られて……これ以上スピードを上げたら……!」
──ボインボインボインボインボイン!
下り坂なせいもあってか、走るフィーリアの大きな胸は自由に暴れまわっていた。
スピードを上げれば上げるほど、胸に引っ張られて体幹がブレ、逆に遅くなる。おまけに引っ張られた痛みで、フィーリアは半泣きであった。
まさしく巨乳の悲哀である。貧乳には決して分からない悩みだった。
ジーナの目が、死んだように冷たくなった。
「……………………」
「ああ〜!? ま、待って待って! なんでそんな急に早く!? ジーナさんっ、お願い! お願いですから、置いてかないで〜!」
みるみる離れていくジーナに、心細さからフィーリアはわーんと泣き始める。しかし、本当に泣きたいのはジーナの方であった。忘れていた女としての悲しみが蘇っていた。キラリと目の端が光った気がした。
「──おっ? あれは……出口だ! フィーリア、もう少し頑張れ!」
通路の先に明かりが見え、ジーナは正気に返った。
ジーナに励まされ、フィーリアも最後の力を振り絞る。
そして、二人は出口に向かって飛び込み──絶望した。
「んげぇ!? や、やべぇ!」
「ひ、酷いですっ! せっかくここまで頑張ったのに!」
通路の先は、遥かに高い天井と、通路よりもやや広い道に繋がっていた。ただし、途中で道が切れ、その先は底なしの穴が広がっている。水に流されれば、そのまま奈落へと落とされるだろう。
二人は半ばでそれに気づき、慌てて足を止めた。しかし、気づいたとしても悩んでいる時間はない。その数秒後、出てきた通路から大量の水が流れ出し、鉄砲水のように二人に襲いかかろうとしていた。
「んぎぃぃぃぃいい! くそっ、ここまでか……!?」
「まだです! まだですよぉおおおおお! これだけの広さがあれば──精霊さん!」
鬼気迫る表情で、フィーリアは水に向かって手を向ける。すると火の精霊が集まり、大量の炎と化して水を迎え撃った。
まるで竜種の【
「おっ、おお! フィーリア、お前やるじゃねぇか!」
「はいっ! たとえ相手が水だろうと、精霊さんの炎ならこのくらい簡単に……きゃああああああああああああああああああ!?」
自身満々の様子だったフィーリアが、涙目で悲鳴を上げる。
受け止めていたと思われた炎だったが、徐々に水の勢いに負け、押し返されていた。
フィーリアは助けを呼ぶように、泣きながら振り返った。
「やっぱり水が相手じゃ相性が悪かったですっ! ごめんなさいっ!」
「いや謝られても、水が相手じゃあたしだって無理だっつの! ここはお前しかいねぇ!」
「で、でもぉ! だってぇぇぇえええ!」
「踏ん張れ! 大丈夫だ、お前なら出来る!」
いつになく優しいジーナだった。よっぽど命の危機を感じているらしい。
ジーナの縋るような目に、フィーリアはハッと目つきを変えた。
あのジーナさんが、私を頼っている? そうだ、泣き言なんて言ってられない。今、この場を切り抜けられるのは、私しか居ない!
いつも誰かに頼ってばかりの者が、他の誰かの命を背負っている。その責任感は、フィーリアに勇気を与えた。
キッ、と激流を睨みつけ、フィーリアは命じた。
「精霊よ! 今こそ私に力を! 全てを燃やし尽くして!」
思わず膝をついてしまうような覇気ある声が、その場に響く。
そして炎は──その勢いを弱めた。
「んきゃああああああああ!? なんでぇ!? どうしてなのぉ!?」
「おい、どうした!? 何で弱くなってんだ!?」
「わ、分からないですっ! なんだか精霊さんがやる気がなくて……せ、精霊さん? 精霊さーん! 今こそ頑張り時ですよ! ほら、どうしたの!? 早く動いて!」
見当違いの方向に声をかけるフィーリアを、ジーナは困惑しながら見る。
ジーナには見えていないことであったが、フィーリアの目には、億劫そうな表情で宙をまばらに漂う火の精霊達の姿が映っていた。
フィーリアが必死に懇願しているというのに、小規模の精霊がノロノロと水に向かうだけで、ほとんどの精霊がそっぽを向いている。まるで今まで懐いていた子供が反抗期を迎え、親を邪険にしているような有様であった。
「どうしてぇ!? こんなの今まで一度も! いつもは呼んでない時でも近寄ってくるくせに〜!」
「……もしかしてお前、精霊に嫌われたんじゃねぇか?」
「えっ!? なんで!? 私が何かしました!?」
「いや、ここに入る前、砂漠で散々言ってたじゃねぇか。暑いから来るなだの、鬱陶しいだの」
「……あっ!?」
バッ、とフィーリアは再び精霊たちを見る。その不貞腐れたような表情に、愕然とした表情を作った。
「もしかして拗ねてる!? め、面倒くさい! たったあれだけのことで!?」
「お前、またそういうこと言ったら余計に……」
「あっ、あ〜! 待って待って! ウソウソウソ! 冗談ですよ冗談! あんなの言葉の綾じゃないですか! 私が皆のことを嫌うわけないでしょ、やだな〜もう、拗ねたって可愛くありませ……あ〜ん! 待って! お願いだから本当に待って!」
精霊達はフラフラと離れたり近寄ったりして、フィーリアの心を揺さぶった。反応を見て駆け引きをしているようである。まるで老獪な商人のようであった。
「ムキ〜ッ! 今が大変な時だからってこっちの足元見て! 酷い! 酷すぎます! 皆がそんな意地悪な子だと思いませんでした!」
「それくらいで泣くなよ。子供かお前……」
あんまりな対応に、フィーリアはとうとう泣いてブチギレた。精霊達の行動は裏目に出てしまった。心の駆け引きが出来るほど、彼女は成熟した精神の持ち主ではなかった。
フィーリアの有様を見て、危機的な状況だというのにジーナは逆に冷静になった。しかし、徐々に弱る炎と、未だ勢いの止まらぬ水流を見て、また難しい顔を作る。だが、水流の向こう側へ目をやり、おっと小さな声を上げた。
「よし、これなら……フィーリア、跳ぶぞ!」
「へっ? 急になにおぅんっ!?」
ジーナはフィーリアを脇に抱え、激流に向かって跳ぶ。荷物のように抱えられたフィーリアは、腹に掛かった力に野太い声を上げた。
激流の上を飛び越えるジーナだが、当然飛び続けられる訳もない。重力に引かれ落ち始める。そのまま水に呑み込まれようとした寸前、足元から【氣弾】を放ち、反動でもう一度跳んだ。
目指すは、自分たちが出てきた通路。今は大量に水を吐き出す排出口となっている場所の、さらに上。裏側にある壁である。
「おおおおぉ──らぁ!」
壁に激突しようとした時、ジーナは空いた拳を叩きつける。バコンッ、と音を立て、ジーナの拳は壁に突き刺さった。そしてその手を支えにして、壁に着地する。激流が届かぬ安全地帯に、二人は見事たどり着いた。
壁にぶら下がったまま、下を流れる激流を眺める。やがて水が完全に止まったのを見て、二人はゆっくりと元の場所に降りた。
「ふーっ、なんとか凌いだな。思いつけば簡単なもんだ。冷静さって大事だな」
「おかげで私は今、死にそうですけどね……」
フィーリアはお腹を抑え、青い顔でふるふると震えていた。必死に乙女の尊厳と戦っているようだった。しかし、ふわふわと近寄って来る精霊を見て、あっと表情を変える。
「皆してなんですか! 今更すり寄ってきて! 私、あんなに助けを呼んでたのに! もう皆嫌い! 大っ嫌いです! うわーんっ!」
危機から去って安心したのか、人目を憚らず大泣きするフィーリア。そんな彼女の周りを、精霊達はオロオロとしながら漂っていた。一悶着あったとしても、やはり泣く子には弱いようだ。どちらが大人なのかは明白であった。
そんなフィーリアを不安そうに見ながら、ジーナはボヤいた。
「こんなんで大丈夫かよ。この先、生き残れんのか?」
序盤でこれなら、この先は更に凶悪な罠が待ち構えているだろう。
そう思うと、柄にもなく頭を抱えたくなるジーナだった。
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