第95話 兎がクスクス、笑ってる



「テメェら……どうしてここに……」


 三人のSランク冒険者を見て、エドガーはそう聞かずにはいられなかった。

 最悪だ、とエドガーは思う。

 よりにもよって、三人揃ってこの場に現れるとは。せめてこちらにも仲間が居れば、なんとか対抗できるものを。


 仮に【永久氷狼コキュートスウルフ】と共闘出来たとしても、勝ち目は薄い。そのことを、エドガーは認めざるを得なかった。


 そんなエドガーの思考を見抜いているように、余裕のある笑みでレティは言う。


「簡単よ。エルネストがコキュートスウルフの魔力を追ってね。幸い、雪崩にもあまり流されずに済んだから、すぐに追うことが出来たの。でも、こんなに早く再会出来るとは思ってもみなかったわ。会いたかったわよ、狼ちゃん」

『ヴルルルルル……!』


 不快そうに、コキュートスウルフは唸り声を上げる。

 しかし、レティは怯えるどころか、ほうっと熱いため息を漏らした。


「ああっ、なんて美しい毛並み……! こうして近くで見るとまた違うわね」

「ああっ! いい肉をしている! あれなら俺の筋肉も喜びの声を上げるだろう!」


 レティのみならず、オリバーもまた興奮した様子だった。


 二人にとって、コキュートスウルフは既に敵ではなく、単なる獲物に過ぎない。殺した後に得られる自分達の利益で頭が一杯だった。


「ふざけんじゃねぇ! 俺がそれを許すとでも思ってんのか!」


 怒声を上げ、エドガーは剣を抜いた。

 レティは目を丸くすると、堪え切れないといった様子で笑い出す。


「プッ、アッハハハハ! 何? もしかして私達を止めるつもり?」

「当たり前だろうが! コイツを狙うと聞いて、俺が見逃すとでも思ってんのか! おめでたい頭だな!」


「おめでたいのは貴方の方でしょう、エドガー。貴方一人で私達を止められるとでも? 

 私達が手こずったのは貴方じゃない。貴方のお仲間の方よ? 

 貴方とコキュートスウルフだけなら障害にもならないわ。それなのに私達を本当に止められるとでも?」


 まるでやんちゃな子供でも目にしたように、レティは微笑む。しかし、その目は愚か者を見るかのように冷え切っていた。


 エドガーはそんな目にも怯まず、正面から見返して言う。


「たとえ不利だろうが、黙って見過ごす訳にはいかねぇんだよ! コイツに手を出してみろ! 俺の魂を掛けてでも、テメェらをブチのめす!」


 エドガーの言葉にキョトンとした顔を見せ、レティはまた抑えきれずに笑い出す。


「フッ、フフフフ! 貴方、普段は抜け目ないくせに、時々変な所でムキになるわね。どう考えても勝てるわけないのに。エルネスト、貴方も何か言ってあげ……どうしたの?」


「バカな……なんだこれは……まさかあの狼の仕業だとでも……いや、しかし、一体何のために……あのボロ小屋か? それだけのために、これほどの……いや、待て……確かこの山は……!?」


 エルネストに水を向けたレティだが、何かに取り憑かれたようにぶつぶつ呟き続ける姿に、不思議そうな顔を見せる。


 エルネストは【魔導師】だからこそ、一目見ただけでその氷の異常性に気づいた。そして僅かなヒントから、エドガーと同じ結論に至る。


「フッ……ハハハハハ! 何だこれは!? あり得ない! だとすれば、一体どれだけの力を持っている!?」

「ちょっと、一体どうしたのよ。貴方、本当におかしくなっちゃったの?」


 狂ったように笑うエルネストに、レティは怯えたような顔を見せる。

 エルネストは自らを落ち着けると、薄っすらと笑って答えた。


「いやなに、期待外れだと思っていた相手が、とんでもない化け物だと分かってつい、な。どうやら私達は、獣風情に手加減されていたようだぞ」

「はぁ? どういうことよ?」

「あの狼の魔力の大部分が、ボロ小屋を囲む氷に注がれている。私達は残りカスの力で相手をされていたわけだ。舐められた話だな」


 気づきやがったか……と、エドガーは心の中で舌打ちした。


 レティとオリバーは、エルネストの発言に、信じられないような顔で小屋を囲む氷を見る。


「嘘でしょう? 確かに思ったほどの強さではなかったけど、それでも厄介な相手だったのに。あれで手加減をしていたっていうの?」

「ふむ、そりゃスゲェな。それだけの力を使うほど、あの小屋を大事に守ってるという訳か」

「ああ、あのボロ小屋がどれだけ大事なのか知らんが、くだらん力の使い方だ。私ですら出来ぬ大魔法を、あんな物の為に使うとはな」


『ヴルルルル……!!』


 コキュートスウルフは地の底から響くような唸り声を上げる。それは、もっとも大事な物を侮辱された怒りだった。


 エルネストはそれに気づいていないように、獰猛な笑みを浮かべる。


「気が変わった。レティ、アイツは私に譲れ」

「はぁ!? なに言ってるの!? 譲る訳ないでしょう! 貴方が戦ったらせっかくの毛皮が台無しになるじゃない!」


「そうか。譲らぬというならそれでいい。貴様から片付けるまでだ」

「ちょっ、貴方ねぇ……!!」


 文句を言おうとしたレティだったが、エルネストの表情を見て口を閉ざした。

 エルネストの瞳は、魔導を追い求める狂気に染まっていた。先ほどの言葉も冗談ではなく、必要ならば本気でレティを排除するつもりなのだろう。


「枷を付けていながらあれだけの強さを持つ魔獣だ。全力で戦えば、一体どれ程の物なのか興味がある。私の炎がどれだけの高みに登ったのか、確かめるのに相応しい相手だ。

 安心しろ、私が望むのは正面からの力比べ。毛皮には焦げ目一つ付けないようにしてやる。だが、邪魔をするというのなら貴様から燃やす」


「~~~~~~ッ!」


 レティはギリギリと歯を鳴らしながらエルネストを睨み、苛だたしそうに髪をかきあげた。


「チッ、本当に勝手な奴ねっ! いいわ、好きにしなさい。ただし、毛皮が駄目になると判断したら、力づくでも貴方を止めるわよ」

「ああ、それでいい。さて、まずはあの氷を溶かすところから始めようか」


『――ッ! ヴォオオオオオオオオオ!』


 その言葉を聞いた瞬間、コキュートスウルフが弾かれたように飛び出した。

 憤怒の表情に染まり、殺気を放ちながら真っ直ぐにエルネストを襲い掛かる。しかし、その間にオリバーが体を割り込ませた。


「【モスト・マスキュラァアアアアアアアアア】! ──ッ!? ぬぅううううううん!?」


 ポーズを取り、真正面からコキュートスウルフを受け止めるオリバー。一度戦った時と全く同じ状況だが、簡単に受け止めた前回とは違い、やっとの思いでコキュートスウルフを跳ね返す。


 ジンジンと腕に残る感触に、オリバーはニカッと笑った。


「ガハハハハハ! なんだ、さっきよりも手応えがあるじゃねぇか! 一瞬押し負けるかと思ったぞ!」

「この狼にとって、それほど重要な物だということだろう。そんな物を壊されたら、さぞかし怒り狂うだろうな。やる気になってくれるのなら、そちらの方が都合が良い」


「ッッッ! このゲス野郎が!」


 剣を構え、エドガーがエルネストを止めるべく走り出す。体が霞む程の速さで距離を詰める。しかし、その剣が敵に届くことはなかった。


 ──ヒュパパパパン!


「んひょぉおおおおおおおお!? ンギィイイイイイイイイイイイイグウウウウウウウウ!?」

「今は貴方に構ってあげる暇はないの。そこで大人しくしてなさい」


 一瞬で四度叩き込まれたレティの鞭により、エドガーは腰砕けになる。快感に囚われたエドガーは、あっさり役立たずと化した。


 アヘ顔を晒して置物となったウサギを見届け、エルネストは入念に炎を練り上げる。


「さぁ、喜ぶと良い。未練も残らぬほど、跡形もなく燃やし尽くしてやる」

『──ッ! オオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』

「貴方も今は静かにしていなさい。あとでゆっくりと相手をしてあげるから」


 艶然と微笑みながら、レティはエルネストに襲いかかろうとするコキュートスウルフに鞭を振るう。


 ──ヒュパパパパパパパパン!


 小柄なエドガーとは違い、その巨躯ゆえに当てるのも容易い。エドガーの倍以上の鞭を受け、ガクリとコキュートスウルフの体が崩れる。


 魔獣であるコキュートスウルフにとって、レティの鞭で与えられるダメージはエドガーの比ではない。そのエドガーよりもさらに多く鞭を受けては、もはや動けるはずもない。


 動けない筈、だが──


「……嘘でしょ?」

『グルッ、ルルルルル……ッ!』


 苦しみながらも闘志を失わないコキュートスウルフに、レティは絶句した。

 ありえない……獣であれば、私に服従しなければならないのに……!


 コキュートスウルフはゆっくりと、震える足を前に出す。それを見て、レティはハッと我を取り戻し、慌てて追撃を重ねた。


「このっ、いい加減、大人しく寝てなさいっ!」


 ──ヒュパパパパパパパパパパパパン!


 動きの鈍くなったコキュートスウルフを痛めつけるように、過剰なまでの鞭が襲いかかる。それは行動を縛るどころか、ショック死してもおかしくないほどの量だった。


 しかしそれでも、コキュートスウルフは止まらなかった。


『グルルル! ガルルルル! ヴォオオオオオオオン!』

「そんなっ、どうなってるの……!」


 死んでもおかしくないというのに、未だに動いている。

 獣を支配するレティにとって、それは有り得ない異常事態だった。未知の怪物を見たかのような恐怖を感じ、気付かぬうちに後ずさる。


 コキュートスウルフは、ヨロヨロとしながら、小屋を守るようにしてエルネストの前に立った。


 体を引きずり、今にも倒れそうなコキュートスウルフを見て、エルネストは愉快そうな笑みを浮かべる。


「くっくくっ。そんなにもその小屋が大切か。良かろう。ならば、これを防いでみろ!」


 エルネストは見せつけるようにして、練り上げた炎を放った。

 迫る炎を目にし、コキュートスウルフも急速に魔力を集め、放つ。


『ウォオオオオオオオオオオオン!!』


 咆哮と共に放った氷のブレスは、正面から炎と激突する。しかし、レティの鞭によって傷ついた身体では、万全のエルネストに対抗することは不可能だった。


 一度は互角の勝負を演じた二人の対決は、今度はハッキリと明暗が別れた。氷のブレスは炎に徐々に飲み込まれ、そのままコキュートスウルフのもとまで押し込まれる。


 力尽き、コキュートスウルフがブレスを止めた瞬間、その身体は炎に包まれた。


『ヴォォオオオオオオオオ……ッ!』


 氷に属するコキュートスウルフにとって、それは生き地獄さながらの苦しみだった。魂までをも燃やし尽くそうとする炎に、苦しげな声を上げる。


 最後の力を振り絞り、コキュートスウルフはなんとか炎を振り払う。しかし、その姿は満身創痍だった。あれだけ見事な毛皮が見るも無残に焦げ付き、立っているのが不思議なくらい呼吸を荒くする。


 その弱り切った姿を、エルネストは嘲笑う。


「おっと。いかんな、危うく殺してしまうところだった」

「殺してしまうところだった、じゃないわよ! 見なさいよあのみすぼらしい姿を! 私の毛皮になんてことしてくれるの!?」


「仕方なかろう。この期に及んで本気を出さぬアイツが悪い。なに、あの氷を破壊すればすぐにでも力を取り戻し、体調も回復するだろう。そう心配するな」

「本当でしょうね? もし駄目にしたら容赦しないわよ」


 恨めしそうな目を向けてくるレティをあしらい、エルネストは再び炎を練り上げる。弱々しく震えるコキュートスウルフを一瞥し、慰めるような声で言った。


「その身体では、これ以上の抵抗も出来まい。そこであのボロ小屋が燃えるところを見ているがいい。そして今度こそ全力で、どちらが強いかをはっきりさせようではないか」


「や、やめやがれっ……馬鹿やりょぉ……! ぶっ殺りょしゅぞぉ……!」


 気の抜けた声で止めようとするエドガーに、エルネストは何の反応も見せなかった。

 躊躇わず、炎を山小屋に向けて放つ。彼の興味は、既に全力を取り戻したコキュートスウルフとの再戦に向けられていた。


『ヴ……ヴヴヴ……ッ!』


 だが、事態はエルネストの思い通りには進まなかった。


『ヴッ……ヴォォオオオオオオオオオン!!!!』


 立ち上がることさえ出来ないでいたコキュートスウルフが、その身を盾にして炎から小屋を守った。


 ただでさえ弱り切った体が、さらに痛めつけられる。しかし、炎はますますその勢いを強め、コキュートスウルフの全てを燃やし尽くさんとする。


 明らかな自殺行為に、エルネストは呆然としながらその様を見続けていた。


「バカな……何を考えている? このまま死ぬ気か?」

「早く止めなさいよバカッ! 本当に使い物にならなくなるじゃない!」


「ガッハハハハハ! よっぽどあの小屋を守りたいらしい! 大した根性だ! おい、お前も男ならアイツの気持ちに応えてやれよ! ついでに良い具合まで焼いてくれると助かる!」

「それじゃあ毛皮が駄目になるでしょうが! 毛皮が! 私の毛皮がぁあああああああああ!」


 コキュートスウルフの奇行に、レティは普段の振る舞いを忘れるほどの醜態を見せる。

 しかし、エルネストは冷静さを取り戻し、そのまま炎を操り続けた。


「ハッタリのつもりか? 我が身を犠牲にすれば、私の方が引くとでも? 生憎と、私はそのような手に乗るほど甘くはない。どこまで耐えられるか見せてみろ」

「やめっ……ろ……!!」


 ギリィッと、歯が割れんばかりに噛み締め、エドガーは声を絞り出す。


 エドガーには分かっていた。コキュートスウルフの行動が、決してハッタリなんかではないと。

 自分の身を犠牲にしてでも、あの小屋を守ろうとしているのだと。

 大事な物を守りたいというコキュートスウルフの気持ちが、痛いほど伝わっていた。


 だが、エドガーの声は何の意味もなさない。

 エドガーは既に、三人の眼中になかった。


 エドガーの声など聞こえなかったように、苦しむコキュートスウルフを見ながら、はしゃいでいる。

 それは、酷く不愉快な光景だった。


「やめろ……!!」


 コキュートスウルフは今も炎に包まれ、体を蝕まれている。しかし、それでもその場所から退こうとはしない。

 少しずつ、少しずつ、体から命が失われているというのに。

 それでも、最後まで小屋を守ろうとしている。


『――――ォォン……!!』


 今までの姿からは想像も出来ない、か細い声で。力なく、空を見上げる。

 儚く消え去ってしまいそうな、その姿を見て。


 ――エドガーの中で、何かがブチ切れた。


「やめろって──言ってんだろうが!!!!」


「「「―――――!!」」」


 エルネストは瞬時に炎を止め、エドガーの方へ向き直った。レティとオリバーも同様に、警戒した目を向ける。


 エドガーは剣を杖にして、震える体を支え立ち上がろうとしていた。しかし、万全には程遠い。今のエドガーならば、この三人ならば誰であっても一人で対処できるだろう。



 障害にはなりえない、全く問題のならない相手だ。にもかかわらず、誰一人として侮った目を向ける気にはなれなかった。


 ――それだけの殺気が、エドガーから放たれていた。


「初めて見るな」


 意外そうな顔で、エルネストが呟いた。


「思えば、お前は短気なところはあっても、誰かに本気で怒りを見せることは少ない。そんなお前が、そこまで剥き出しの殺意を放つことがあるとはな」

「意外ね。獣同士とはいえ、そんなに仲良くなっちゃったの?」


 レティはボロボロのエドガーを見て余裕を取り戻し、からかうような口調で言う。

 エドガーはグッと力を入れ、自らの足で立ち上がり、吐き捨てるように言った。


「……気に入らねぇんだよ」

「あん? なんだって?」


 オリバーが眉を顰めて聞き返す。

 エドガーは強い眼差しを向け、繰り返した。


「気に入らねぇんだよ。テメェらみたいに、テメェの都合で大事な物を奪おうとするやつらが!」

「……理解出来んな」


 呆れたというように、エルネストはため息を吐く。

 そして下らなそうな目で、コキュートスウルフと小屋を見た。


「あんな小屋を後生大事に守る獣の、どこに同情する要素がある。お前になんの関係もなく、なんの利益にもなるまい。そもそも、獣風情の守る物なぞどうでも……」

「人だろうがっ!! 獣だろうがっ!! そんなもんは関係ねぇ!!!!」


 エルネストの声を搔き消すように、エドガーは叫んだ。

 それは、空気を揺るがすほどの怒りだった。


「テメェらには分からねぇだろうな。大事な物を、勝手な理由で奪われようとしている奴の気持ちが。それを守れなかったとき、それがどんだけ無念なのか!

 俺はそういう奴らが気に食わねぇんだ! だから止めるんだよ! 周りの被害がどうとか、ギルドの決まりだとかいった義務感じゃねぇ! テメェらが気に食わねぇから、止めるんだ!

 俺の意地とプライドに懸けて……たとえ、俺の命に代えても!!!!」


「「「…………」」」


 ――ある者は、理不尽に奪われた食料を思い出した。

 ――ある者は、何よりも大事な肌に潤いを与えてくれる水を思い出した。

 ――ある者は、生涯をかけて探し求めていた古代の書を焚火にされたことを思いだした。


 何よりも忘れがたい過去を思い、三人は心の中で思った。


 ――――お前が言うな。


 しかし、彼らは決して口には出さなかった。

 自分達を怯ませる殺意を放った傷だらけの剣士に、敬意を払ったからである。

 彼らは自己中ではあるが、空気の読める大人であった。


「……貴様の言いたいことは分かった。で、どうする?」


 チャキッと眼鏡の位置を直して、エルネストは言う。


「貴様に従う理由が、私達にはない。貴様が何を言おうと、このまま続けるだけだ」

「ガッハッハッハ! そうだな、お前もアイツも、何を言おうと弱者の戯言にすぎん! まさに負け犬の遠吠えって奴だ!」

「その通りね。悔しかったら力づくで止めて御覧なさい。もっとも、出来ないから今の状況があるのでしょうけど」 


 その意気は買うが、気合でこの戦力差は覆せない。

 お前に何が出来るのか、と。それを理解しているからこそ、三人は挑発するような目を向けた。


 エドガーは、ただ黙って三人を睨むだけだった。

 ただの強がりかと判断し、エルネストは冷笑を浮かべて続ける。


「さぁ、どうやって止める? 【魔獣化】か? あのふざけた人参でも使うか? それとも、お得意の毒舌で私達を苛立たせでもするか? 

 くっ、ははははっ! 無理だな、どれも私達を止めることは出来まい。無駄に傷つくくらいなら、そこで大人しく見ていろ。もっとも、他に手があるなら別だがな」


「……ああ。あるぜ」

「何?」


 コキュートスウルフに身体を向きかけたエルネストが、再びエドガーに目を戻す。

 一時期はパートナーとして活動していた身だ。エドガーの実力はよく知っている。だからこそ、この戦力差を覆すことは出来ないと断言出来る。


 ハッタリにもならない、単なる悪足掻きだ。見苦しくもある行動に、エルネストは失望で満ちていた。

 しかし、エドガーの目を見てその認識を改めた。


 ――エドガーの瞳は、確かな自信を秘めて、こちらを見据えていた。


「私の知らぬ奥の手があるとでも? くだらん、もっとマシな嘘を吐け」

「嘘かどうかは、テメェの目で確かめてみやがれ。幸運に思えよ。めったに使わねぇ、俺のとっておきだからよ」


 その言葉に込められた力に、三人は戦闘態勢に入った。

 何かは分からない。だが、アイツは何らかの手段を持っている。

 その直感が、Sランク冒険者の体を動かした。


 エドガーは警戒し始めた三人を前にしても、悠々と構えていた。

 そしてゆっくりと地面に手を突き、人参剣を作り出す。


 見慣れた武器の姿に、三人はどこか期待外れのような様子を見せた。

 結局それかと、一瞬、つまらなそうな表情を浮かべる。


 そんな三人の前で――――エドガーは謡い出した。


「『獣狩り、命を繋ぐ、狩人は。今日も今日とて、獲物求めて森を行く』」


「あん? なんだ急に?」

「これは……唄?」

「いや、唄だが、ただの唄ではない。これは……」


 呆気に取られるオリバー、レティとは違い、【魔導士】であるエルネストは、その異常性に気づいた。

エドガーの体から、魔力が発せられ、唄に乗せられている。その魔力が、空気を侵食していく。


 これはただの唄ではない。魔法言語ですらなく、ただの大陸共通語ではあるが……。


 唄という形を使った詠唱。あるいは、唄を通した自己暗示。なんらかの儀式をする際に、魔力をより分かりやすい形に誘導する為の技法だ。


 予想外の動きに、固まる三人を置きざりにして。


 エドガーは、子供に言い聞かせるような声で、謡い続けた。



 ――獲物なしには帰れない。手ぶらじゃおうちに帰れない。

 ――お腹を空かせた子供達。お家で父の帰り待つ。

 ――子供の喜ぶ顔のため。父は森をウロウロさまよい歩く。

 ――見つからないのに意地張って。森を延々さまよい歩く。

 ――でもほら、よぉぉぉぉぉく、見てごらん?

 ――君の傍……ほら、すぐそこで。

 ――獣がクスクス笑ってる。

 ――茂みから、ヒョッコリ顔出して。

 ――獲物がクスクス、笑ってる。

 ――兎がクスクス、笑ってる。


 独特の唄に、三人は手を出さず、ただ聞き入っていた。

 そして、三人の聴衆を前にエドガーは……最後の唄を紡いだ。


「――【兎狩りの森】」


 言って、エドガーはニンジンを足元へと突き刺す。


 ズブリと、何の抵抗もなく人参は全て土の中へと埋まった。

 何かが起きると直感し、エルネスト達は気を入れなおした。しかし、エドガーはニンジンを埋めた体勢のまま固まり、何も変化がない。


 警戒しすぎたのかと、三人の気が緩みかけたその時だった。


 ――――ゴゴゴゴゴゴゴッ!


「きゃあ!? ちょっと、なにこれ!?」

「ぬぅん!? まさか、また雪崩か!?」


 伝わってくる振動から判断し、オリバーはコキュートスウルフの方を見る。

 実は全てハッタリで、コキュートスウルフの回復の為の時間稼ぎだったのかと、そんな考えが頭によぎった。


 しかし、すぐにそれはないと判断した。コキュートスウルフもその場に伏せ、小さく目を丸くして辺りの地面を見回している。


「――ッ!? 下だ!!」


 いち早く原因に気づいたエルネストが、叫んだ。


 ――その直後、地面から何かが突き出て、エルネスト達を飲み込んだ。




 ♦   ♦




「ちょっ、待ってくださいよ二人共! もう少しペースを落としても……」


「そんな悠長なこと言ってる場合ですか! 早くしないとエドガー様が!」

「フィーリアの言う通り。一刻も早く助けてあげないと」


「僕だって助けたいとは思ってますけど、今から頑張りすぎても体力が――ってちょっとおおお! ああもう、まったく聞いてくれないし」


 ネコタ達五人は、雪崩にだいぶ流されたものの、なんとか逸れずに済んだ。


 そのおかげで、今も五人でこうして山を登っている。しかしエドガーと逸れてしまったせいで、フィーリアとアメリアの気が逸っていた。


 ネコタですら無茶と分かるペースで、どんどん山を登っている。何度注意しても、改めようとする気配すらない。


 がっくりと肩を落とし、ネコタはぼやいた。


「駄目だ。全然言うことを聞いてくれない。あんなに急いで、疲れた時にまたあの人達に会っちゃったらどうするつもりなんですか……」

「まっ、仕方ないだろ。アイツらのエドガーの執着を考えるとな。何か言って機嫌を曲げられても面倒だ。それに、エドガーの野郎を助けてやらなくちゃならんのも確かだしな」


「あの人なら、助けなくても自力でなんとかしますって。死んでも死ななそうな人なんですから」

「まっ、そりゃそうなんだがな」


 ネコタの言いように、ラッシュは苦笑しながらも同意した。実際、ケロリとしていそうなイメージが出るのだから、無理もないとは思う。むしろ心配なんてしていたら、こちらの方がバカにされそうだ。


「まっ、助け出して恩を売れると思えば、少しは急ぐ気にもなれるだろ? こんな機会、そうそうないぞ?」

「ラッシュさんは甘いですね。エドガーさんがその程度で恩を感じるとでも?」

「あぁ……それを言われるとな……」


「何やってるんですか~! 早く行きましょう~!」


「っとと。まぁ、アイツらを放っておくわけにもいかんからな。ここは付き合ってやろうや」

「はぁ、仕方ないですね。無駄な努力だとおもうんだけどなぁ……」

「まぁ、そう言わずによ。おい、ジーナも急げよ! 早くしないと置いてかれ――」


 気乗りしなさそうなネコタの背を叩き、最後尾のジーナに声を掛けようとして、ラッシュは怪訝な表情をする。

 ジーナは、どこか遠くを見て固まっていた。


「どうした? 早くしないとまたアイツらがうるさいぞ」

「……いや、あたしの目がおかしくなったのかと思ってよ」


 あん? と、ラッシュは疑問顔を浮かべる。

 ジーナは何も答えず、そっと指を伸ばした。

 その方向に顔を向け、ラッシュはあんぐりと口を開けた。


 氷で閉ざされた山、【ヒュルエル山】。

 全てが白い雪で染まった、その極寒の地で。



 ――青々と茂った、緑豊かな森が出現した。





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