第94話 やっぱり、お前スゲェな
風の音だけが流れる、白い雪原。
静寂が永遠に続くように感じられるこの雪の絨毯に、突然、極大の火柱が立ち昇った。
天まで届くかと思われる勢いで燃える炎は、周りの雪を溶かし尽くし、ボウッと音を立てて消える。
その炎の後に残ったのは、三つの人影だった。
その中で一際巨大な男――オリバーがうんざりとした声で言った。
「ああー、酷い目にあったぜ……」
「ええ、まったくね。それにしても、あと少しだったっていうのに、あのウサギ! 良いところで邪魔をして! お陰で逃げられちゃったじゃない!」
きぃーっと声を上げるレティを、エルネストは鬱陶しそうな目で見る。
「騒ぐな。耳障りだ。また見つければ良いだけの話だろうが」
「なに言ってんのよ、どこに行ったかも分からないのに! それとも、あんたは分かるっていうの!?」
「当然だ。私を誰だと思っている。」
「嘘? ほんとに?」
目を丸くするレティに、エルネストは鼻を鳴らす。
「奴の魔力の質はもう覚えた。あれだけ強大な魔力だからこそ、ハッキリと分かる。ここからそう遠くない。すぐに追うぞ」
「あははっ! なによ、それならそうと早く言いなさいよ。ほら、早く行くわよ」
「おう、待てよっ。俺はあんまり長く走れねぇんだ……!」
嬉しさを抑えきれず、はしゃぎながらレティは肝心のエルネストを置いて山を登り始める。その後を、オリバーが重そうな足取りで追う。
エルネストはそんな二人を見てため息を吐き、山の頂上付近を見上げた。
「”孤高の氷狼”か。大層な名だが、貴様の底は見えた。もう運良く助けが入ることもないだろう。まだ奥の手があるのなら見せてみろ。でなければ、私たちに狩られるだけだぞ?」
いや――と、エルネストは自分の呟きを否定しつつ、最後に見た獲物の姿を思い出した。
吹雪の中、溶けゆくように姿を消した【
もし仮に、アレが障害になるのならあるいは……と考え、エルネストはその馬鹿馬鹿しさに笑いだす。
「いくらアイツでも、一人じゃ何も変わらん。精々獲物が一つ増えるだけだ」
エルネストは僅かな懸念も払い、二人の後を追いかけた。
♦ ♦
山小屋の外に出て、向かい合うエドガーとコキュートスウルフ。
じっとこちらを見てくるコキュートスウルフに対し、反射的にエドガーは剣に手を伸ばし――その手を下ろした。
その狼の怖さは、存分に知っている。こうしてのんきに、向き合っていい相手ではないことも。
しかし、エドガーはもうすでに、コキュートスウルフと戦う気を失っていた。
「よう」
『…………』
気づけば、エドガーは声をかけていた。
やはりコキュートスウルフはただ黙って、じっとエドガーを見つめ続ける。
それでも気にせず、エドガーは続けた。
「もしかしなくても、俺を助けてくれたんだよな? どうしてだ?」
『…………』
「アレか? 俺があの年増の鞭から庇ったからか?」
『…………』
「やっぱりそうか。義理堅い奴だな、お前。お前を守ったのはこっちの都合だから、そんなに気にしなくても良かったんだが……まぁ、何はともあれ、助かった。おまけにベッドまで借りて、随分と世話になっちまったな。あんがとよ」
『…………』
何の反応もなく、コキュートスウルフがどう思っているかも分からない。
しかし、エドガーは言葉が通じているかのように、そのまま話しを続けた。
相手は魔獣だ。動物と会話が出来るエドガーといえど、その範疇には入らない。
しかし、間違いなく通じ合っている気がした。
『…………』
警戒している様子だったコキュートスウルフから、フッと力が抜けるのを感じる。フイッと顔を背け、コキュートスウルフはそのままエドガーに背を晒し、ゆっくりと歩きだした。
小屋の裏手から少し離れたところに、崖になっている場所がある。コキュートスウルフはその手前で足を止めると、その場に伏せた。
エドガーは少しだけ悩んでから、ピョンピョンと追いかけ、コキュートスウルフの真横に立った。コキュートスウルフはチラリとエドガーを一瞥し、また目を前に戻す。
「おおっ……」
その崖から見えた景色に、エドガーは思わず感嘆の声を上げた。
どうやらこの場所は、山の頂上に近い場所にあるらしい。視界一杯に、山の景色が飛び込んできた。
雪山の美しさと雄大さに、心が埋め尽くされる。自分がちっぽけな存在であると思わずにはいられない。同時に、自分がこの山を独り占めしているような気分にもなる。
山を見守るのに、これ以上の場所はないとエドガーは思った。そしてだからこそ、コキュートスウルフはここに居るのだろうと分かった。
崖の岸、その手前に。僅かに膨らんだ地面の中央に、供えられたかのように大きめの石が置いてある。そしてこの雪山特有の物なのか、小さく可愛らしい花がその石の周りに咲いていた。
「なぁ、ちょっと聞いてくれるか?」
エドガーは、隣のコキュートスウルフに声をかけた。
「俺は寝ている間、ちょっと変わった夢を見てな。すっげぇ楽しくて、それでいて、すっげぇ悲しい夢だった」
『…………』
「これ、爺さんの墓か?」
エドガーの問いに、コキュートスウルフは何も答えなかった。
ただ、じっとその石と、その先に広がる山の景色を見つめている。
まるで、大事な物を見ているかのように。それでいて、どこか悲しんでいるような……郷愁を感じさせる目だった。
「ふっ、そうか」
エドガーは小さく笑った。
そして、気軽な口調で続ける。
「良いところに墓を建てたな。ここなら、どんな時でも山を見渡せる。きっとお前の爺さんも喜んでいるだろうさ」
『……ヴルルルル』
コキュートスウルフから、唸り声が聞こえた。常人なら、今すぐにでも逃げ出してしまうような、そんな恐怖を感じる唸りだった。
しかし、エドガーは恐れることなく、明るい調子で答えた。
「ああっ。この山で生きた狩人なら、本望だろうぜ。これ以上に相応しい場所はない」
『……ウォン』
「そうだろうかって? 当たり前だろうが。墓だけじゃねぇぞ。あの小屋だって、ああしてしっかりと残ってる。これで喜ばない筈が――」
そこまで言って、エドガーは目を見開いた。
そしてバッと振り返り、氷に閉ざされた山小屋を見る。
「……あり得ねぇ。どうなってやがる?」
氷越しに、古びた山小屋を見る。
年季の入った、古い小屋だ。風情はあるが、手入れが行き届いているとは言いづらい、ボロボロの小屋。
しかし、だからこそおかしい。
「【ヒュルエル山】が雪山に変わったのは、お前が現れた数百年前の話だぞ? あの夢が本当なら、この小屋だってその時の物。そんな昔の物が、こうして形に残ってる訳が……」
そう、未だに小屋の形を残っていることがあり得ない。普通に考えれば、とっくに崩れ、壊れていなければならない。
では、エドガーが見た夢が間違っているのだろうか?
一瞬そう考え、エドガーはすぐに頭を振った。
あの夢が、自分の勘違いや間違いであるとは思えない。それだけリアリティのある物だったし、その思いが伝わってきた。何より、感情的なことではあるが、エドガー自身がそれを間違いだと認めたくなかった。
では、一体どうして……。
「……まさか」
エドガーはハッと何かに気づいた様子を見せ、もう一度、小屋を囲む氷を観察した。
「嘘だろ? なんだよこれ……!」
なぜすぐに気づかなかったのかと、エドガーは自身の間抜けさに呆れた。こうして意識を集中させれば、ハッキリと分かる。
この氷に秘められた、絶大なまでの魔力量に。
それは、すぐ隣のコキュートスウルフ本体の魔力量をも超えていた。
「……硬い氷を纏わせて、外的要因から小屋を守っているだけにしては、馬鹿げた力だ。そもそも、近くで見た限りでは普通の氷と全く変わらなかった。ってことは、この魔力は別のことに使われている」
あり得ない。あり得ないことではある……が。
「まさか……
自分で口にしながら、エドガーはその内容を信じられないでいた。
氷の魔法を、世界の概念を干渉するまでに昇華させるなど、神にも等しい大魔法だ。これだけの魔法となると、アメリアでさえ再現出来るか分からない。
「……お前、とんでもない奴だな」
エドガーの経験から言って、コキュートスウルフの強さ、厄介さをを認めつつも、正直なところ、災害級の中では今ひとつ脅威を感じないと思っていた。
だが、これを見ればそれも当然だ。自らの力のほとんどを、この氷に注ぎ込んでいるのだから。むしろ、残った力だけでこの山を雪で埋め尽くし、あれだけの戦闘能力を持っていることが恐ろしい。
最初から枷を付けて戦っているようなものだ。それさえ無ければと、思わずには居られない。まともに力を振るえば、エルネスト達を相手にしても後手に回るどころか、圧倒出来ただろうに。
「……いや、違うか」
夢の内容を思い出し、エドガーは小さく笑った。
ハンデとなるのは間違いない。しかし、こうして守る物があるからこそ、この獣はここまで強くなったのだろう。
大事な思い出を、いつまでも守りたい。
その純粋な一心で、世界の法則にさえ逆らう魔法を使うことが出来た。
それだけでも体に負担がかかるだろうに、残った僅かな力を振り絞って、今も自らの爪と牙で外敵を排除し続けている。
全ては、大事な物を守りたい――その一心だけで。
「……”ヒュルエル山の主”。”孤高の氷狼”か。はっ、何が孤高だよ」
そんな言葉からは程遠いと、エドガーは思う。
一人を好む者が、こんなにも誰かとの思い出を大切にするものか。
この狼は、孤高などではない。
孤高ではなく、これは……。
「お前、寂しくないか?」
『…………』
誇り高い獣は、やはり何も答えなかった。
だが、それだけでエドガーには十分伝わった。
「そっか。やっぱりお前スゲェな」
自分に同じ真似が出来るかと聞かれて、出来ると答える自信がエドガーにはなかった。
大事な人が居なくなって、たった一人で来るはずもないと分かっている相手を待ち続ける強さなんて、エドガーは持っていない。いや、エドガーに限らず、どんな人間でも出来ないだろう。
死を見届けた相手を待つなんて、見ようによっては愚かな行為だ。だが、その覚悟は何よりも気高く、何よりも美しい。
こんなに心を打つ忠義を、エドガーは見たことがなかった。
「忠犬、だな。まさしく異世界のハチ公。渋谷で一緒に並んでいてもおかしくない、見事な忠誠心だ。他の誰が否定しても、俺は認める。今日からポチ公と名乗るがいい」
『…………グワァ』
――――ガブリッ!
「ほぎゃああああああああああ!? 俺のお尻尾がぁああああああああ!?」
尻に感じた激痛に、エドガーは悲鳴を上げた。エドガーが暴れ出すと、コキュートスウルフはすぐにパッと口を離す。
エドガーはコキュートスウルフから距離を取ると、尻尾の無事を確認し安堵の涙を流した。
「よ、良かった……俺のキュートなお尻尾が千切れたかと……! 何しやがんだテメェ!? ウサギの尻尾は幸運のアイテムだと知らんのか!」
『…………』
エドガーの抗議が聞こえなかったかのように、コキュートスウルフはツイッと首を背けた。
その態度に、ぬぐぐっと悔しげな声を上げたエドガーだったが、すぐに小さく微笑む。
もしかしたら、ただの気のせいかもしれない。だが、顔を背けたコキュートスウルフは――笑っているように見えた。
「ったく、しょうがねぇな。許すのは今回だけだぞ。普通なら泣くまでボコボコにしてやる所だ」
『…………ヴルルルルルッ!』
「おいおい、なんだよ。キレたいのはこっちの……おい、どうした?」
雰囲気の変化を感じ取り、エドガーはコキュートスウルフの表情を伺う。
つい先程まで穏やかな表情をしていたコキュートスウルフは、臨戦態勢に入り、小屋のさらに向こう側を警戒していた。
『……ヴォン!』
「おいおい、なんだってんだよ急に!」
突如走り出したコキュートスウルフを、エドガーはすぐに追いかける。
コキュートスウルフは小屋の前に陣取り、唸り声を上げながら山の斜面を見おろしていた。エドガーもその隣に立ち、同じ方向を見つめる。そしてすぐに、なぜコキュートスウルフがここまでの警戒を見せたのかを理解した。
「ガッハッハッハ! やっと見つけたぞ! 今度こそ逃がさな……おう? どうなってんだこりゃ?」
「あらあら、意外な光景ね。下手すれば死んでると思ってたのに、獣同士、仲良くなっちゃったの?」
三人のSランク冒険者が、雪の斜面を登って姿を現した。
自らの置かれた状況に、エドガーは一筋の汗を流した。
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