第92話 へへっ、思う存分やってくだせぇ!
「このタイミングでかよっ」
雪に紛れて現れた【
青白い毛並みが風にたなびく。その姿には、雪にそのまま混じって消えてしまいそうな、儚い美しさがあった。
その体躯は、大の大人が見上げる程に大きい。狼というよりも、熊のような力強さを感じる。その牙に砕けぬものはなく、その爪は全てを引き裂くであろうことが容易に想像できる。
威風堂々としながら流麗なその姿は、圧倒的なまでの存在感を放っていた。
そんな超常の魔獣を見て、レティはホゥッとのぼせたような息を吐いた。
「なんて素晴らしい毛並み! 思わず見蕩れてしまいそう!」
「まさしく王者の風格だな。さすが災害級魔獣といったところか」
エルネストですら素直にその姿を称える。彼をして認めざるを得ない、そんな雰囲気があの獣にはあった。
誰もが大狼の放つ空気に呑まれ、その場に立ち尽くす。
美しい彫像のように動きを止めていたコキュートスウルフだったが、突如、生命力を爆発させたような咆哮を放った。
『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
「――ッ! こっちかよ! 俺らにその気はねぇぞ!」
「アイツにとっちゃ、山を荒らす奴らはみんな一緒ってこったろ」
焦るラッシュに、エドガーが気怠そうに答える。
緊張する勇者一行とは反対に、Sランク冒険者達はのんびりしたものだった。
「あら、あっちにいったわね」
「好都合だ。噂に聞く災害級魔獣の力。存分に見せてもらおう」
「どうせなら、俺が相手をしてぇんだがなぁ」
余裕を持ちながらも、僅かな情報も逃さぬよう、その視線は鋭くコキュートスウルフを見つめている。
グッ、と。コキュートスウルフは前足に体重を乗せた。次の瞬間、ドンッとその巨体が霞むほどの急加速を見せる。それだけの速度を見せながら、雪の上を滑るように静かに、勇者達に襲い掛かる。
「――ッ! 【聖なる盾】よ!」
あまりの速さに目を張りつつも、反射的にネコタは結界を張った。
バキンッと結界に皹が入るが、コキュートスウルフの突進をなんとか防ぎきる。
すれ違うように後方へ駆け抜けたコキュートスウルフに、ラッシュは感嘆の声を上げる。
「あの巨体であの速さか! とんでもねぇな!」
「だが、力はネコタの結界を破れない程度だ! 思ったより強くねぇ!」
「悪かったですねぇ! 貧弱で!」
巨体に見合わぬ速度に、誰もが驚かずにはいられない。しかしそれを認めつつも、ジーナは訝しそうな目をコキュートスウルフに向けていた。
「確かに速ぇが、あの程度ならいくらでも対処出来る。アレが災害級? 厄介だけどよ、そこまでの玉か?」
「いや、アレはおそらく……」
思案気な様子を見せるエドガーだったが、何かを答える前に、コキュートスウルフが次の行動に移した。
『――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
悠々と振り返り、再び、山全体に広がるような咆哮を上げる。すると、吹雪がますますその勢いが増した。
山を登った当初、遭難しかけた規模と同等の吹雪。その雪に紛れるように、コキュートスウルフの存在感が薄まる。
しかし、ジーナはヘッと強気な笑みを見せる。
「雪を操るか。確かにやり難いがそれだけだな。ネコタ、結界を解け!」
「はいっ!」
指示に従い、ネコタはすぐに結界を解く。
その瞬間、ジーナは猛烈な勢いで飛び出した。
「吹雪に紛れて隠れようってか? バカが! この程度で見失うかよ!」
走りづらくはあるが、戦闘に支障はない。初撃で敵の機動力を奪い、逃げる間も与えず押し切る!
明確な意図を持ち、獰猛な笑みを浮かべ、躊躇いなくジーナは突っ込む。そして半ばまで行ったところで――ツルリと足を滑らせた。
「何やってんだアホォオオオオ!」
「いや、待て、違っ……!? ちぃッ!」
顔を真っ赤にしながら言い訳するジーナに、コキュートスウルフが襲い掛かった。前足を使って薙ぎ払う。ジーナはすんでのところでそれを受けた。だがその衝撃までは受け止めきれず、皆の場所まで吹き飛ばされる。
ネコタは改めて結界を張り、飛んできたジーナを匿った。
「痛ってええ……! あの犬っころ、よくもやりやがっ……」
ジーナは起き上がろうとして、ビクンッ、と固まった。無様に転がる彼女を、皆が気まずそうな目で見下ろしていた。
エドガーが、哀れむように言った。
「あれは庇いようがないですよジーナさん。戦う前にこけるとか、ネコタじゃあるまいし」
「いや、僕の名誉の為にも言わせてもらいますけど、流石に僕でもやらないですよ」
「やっ、待て。違げぇんだよ。まずあたしの話を聞け」
「いいんだよ。皆分かってる。お前だってしくじる時はあるよな?」
「その生温い目を止めろ中年! 足を滑らせた訳じゃねぇ! 急に力が抜けたんだよ!」
手を差し伸べるラッシュを、真っ赤になって否定するジーナ。
気になる言葉を聞き、アメリアが問う。
「力が抜けたって、どういうこと? 何かされたの?」
「いや、分からねぇが……殴りかかる直前、とにかく急に力が抜けて立っていられなくなったんだ。足を滑らせた訳じゃねぇんだよ」
「ジーナさん……。そんな必死に言い訳しなくても、僕はバカになんかしませんよ」
「だからちげぇって言ってんだろ! ブッ殺すぞ!」
「ふん、なるほどな。この雪か」
エドガーは荒れ狂う吹雪を見つめ、コキュートスウルフに目を向ける。
コキュートスウルフはネコタの結界を警戒してか、じっと見つめていた。
「ヒュルエル山の現状からして間違いねぇとは思っていたが、アイツ、【広域影響型】だな。よりにもよって一番厄介な……」
「広域影響? なんですかそれ」
ネコタの疑問に、エドガーはコキュートスウルフから目を離さずに答える。
「災害級の魔物は、その特徴でタイプ分けされてるんだ。
種族の限界値を超えた肉体性能だけで災害扱いされる、【個体逸脱型】。
特殊能力に強みを持つ、【特殊特化型】。
そして、周りの環境を変える規模で自分の影響を広げる【広域影響型】。ある意味、もっとも災害級に相応しいタイプの能力だな」
吹雪の空を見上げ、エドガーは続けた。
「この手のタイプは、自分に有利なフィールドに場を作り変えるだけでなく、相手に不利な状態を押し付けることがある。おそらくこの雪は、アイツの魔力を使って作り出された雪だ。ジーナの話を聞く限り、相手の体力を奪うような効果が付与されている可能性がある」
「反則じゃないですかそんなの!」
思わずネコタは口を出す。
吹雪の中で雪を避けろなど、実質不可能といってもいい。この吹雪が続く限り、体力を消耗させ続けることになる。あまりにも不利な話だ。
「ゲーム的に言えば……毎ターン敵HP1000消費。敏捷性十%減少、常時攻撃力二割減。自身は雪に紛れて回避率二十%アップ、五十%で完全回避発生ってところか。ん~、ぶっ壊れかな?」
「うわっ。なんてやらし……ん? んんんん? エドガーさん、ちょっと――」
「だが、それでも無敵という程ではない!」
くわっ、とエドガーは表情を変え、打開策を口にする。
「ジーナに影響が及び、俺たちが無事ということは、雪に触れさえしなければ問題はない。
つまり、こうして結界の中にいれば問題はないということだ。
さらに言えば、奴は明らかに氷を得意としている。であるなら、火で対抗することが出来れば、この雪の影響もアイツ自身の能力も下がる公算は高い!
つまり……出番です、フィーリアの姉御! へへっ、思う存分やってくだせぇ!」
「ご、ごめんなさい……寒くて、それどころでは……」
「死ねぇ!」
ストレートな罵倒だった。
肝心な時に役に立たない。一体この女はどれだけ期待を裏切ってくれれば気が済むのか。
「ふん、なるほどな」
高みの見物となっていたエルネストが、そう言って炎を周りに浮かべた。
炎の熱量で、雪がふれる前に溶ける。
その様子を見て、エルネストは満足げに頷く。
「確かに厄介だが、私が居る限りこの雪が私達に届く道理はない。さして問題ないな」
「そうね。アイツの能力はこの雪に頼る所が大きい。思ったよりも……あら?」
『ヴルルルルル……!』
エドガー達を睨んでいたコキュートスウルフが、憎々し気にエルネストを見つめ唸り声を上げる。
フッと、レティは小さく笑った。
「よっぽど火が苦手なのね。今度は私達が目を付けられちゃったみたいよ?」
「それならそれでいい。あの程度の速度なら、対処も難しくは――むっ」
氷狼はエルネスト達を見上げると、大きく口を開けた。その先端に、氷の魔力が急速で固まっていく。
その動きを見たエルネストは、炎を練り上げ、同じように一点に集めた。
『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
「【炎よ、穿て、貫け】!」
膨れ上がった氷の魔力が、半透明の青い光線となってエルネストを襲う。ほぼ同時に、エルネストは熱線でそれを迎え打った。炎と氷の光線が、拮抗してお互いを削りあう。
ほぼ互角の威力を持っていた炎と氷の対決は、やがて、氷狼の咆哮が終わるとともに終息を迎える。氷の光線が収まっていくのを見て、エルネストも魔法を切らした。
ふぅ、と心地よさそうな息を吐き、エルネストは言う。
「……なるほど。どうやら肉体よりも魔力の扱いに優れている魔物のようだな。私や【賢者】に匹敵する威力だ。【賢者】とあのエルフの小娘が居なければ、存分に試し打ちの相手になってもらっていたところだ」
「あんなのに抵抗出来るのはあんた達くらいでしょ。私やオリバーだったら一溜りも……って」
魔法が効かぬと見たのか、ブレスを吐き終えたコキュートスウルフは凄まじい速度でエルネスト達に接近していた。
あらあら、とレティは呆れたような声を出す。
「魔法が効かないと思って、接近戦を選んだみたい」
「短慮な。賢いとはいえ、所詮は獣か。オリバー」
「任されたぁあああああああああ!」
オリバーは二人の前に飛び出し、正面からコキュートスウルフを受け止める。
「【モスト・マスキュラァアアアアアアアアアアア】!」
やや片足を前に。尻を後ろに突き出しつつ、上半身を前に傾ける。そして、拳を握りしめ、腕で輪を作るように。
今までのポーズの中でも、最も敵を受け止めやすそうな格好だ。まるで相撲のぶちかましのように、バシンッと正面からオオカミに当たり、そのまま弾き飛ばす。
オオカミは自分が吹き飛ばされたことを信じられないかのように、ブルブルと頭を揺らしていた。
その様子を冷静に見ながら、エルネストが短く尋ねる。
「オリバー。どうだ?」
「ガッハッハッハ! 軽い軽い! 何百回来ようと全て弾き返してくれるわ!」
「なるほど。ならば、憂いは何もないな」
ニィッと、エルネストは笑みを深める。
ゴウッ、と。周囲に炎を発生させる。
「これで私は心おきなく戦える訳だ。さぁ、コキュートスウルフよ。私の炎と貴様の氷、どちらが強いか確かめようではないか」
「ちょっと待ちなさい」
やる気になっていたエルネストに、棘の混じった声でレティが言う。
水を差されたエルネストは、不機嫌そうに口を曲げた。
「これからという時に、一体なんだ?」
「なんだ、じゃないでしょうが。アイツは私の獲物よ。譲りなさい」
「……私は手応えのある相手と戦いたいだけだ。毛皮はお前。肉はオリバーにくれてやる。それで構わんだろう?」
「構うに決まってるでしょ。アンタに任せたら、せっかくの毛皮が台無しになるじゃない。私に焦げ付いたコートを着せる気? アンタの相手なら【賢者】がいるでしょうが。あんまり聞き分けが悪いと、しばくわよ?」
「……チッ!」
不満げに舌打ちしつつも、エルネストは従った。
フフッ、と満足げにレティは笑う。
「そう、それでいいの。さて、待たせたわね」
パシッ、と鞭を鳴らす。
神経に触れるものがあったのか、不愉快そうにウルフは唸り声を上げた。
その威嚇にも心地よさそうに、レティは目を細めた。
「大きく、そして美しい。まさしく王者のような風格ね。でも残念。貴方、私とは絶望的に相性が悪いわ。どれだけ覇気を放とうとも、所詮は獣。この私の前に、首を垂れない獣など存在しない!」
ヒュルンと、必中の鞭が唸りを上げる。しかし、その脅しにもコキュートスウルフは屈さない。戦意を見せるかのように、喉を鳴らす。
滑稽なものを見るかのように、レティは笑った。コキュートスウルフがひれ伏す姿を想像し、鞭を振るう。
当たる直前、コキュートスはその持ち前の俊敏さで回避する。しかし、その後を追うように鞭が軌道を変えた。初見の動きに、獣の瞳が大きく広がる。そしてそのまま当たるかと思われたその時、何かに接触して鞭はさらに軌道を変えてしまった。
「――はぁ? ちょっと、一体誰が!」
レティは飛んできた方向を見る。その先には、弓を構えた【狩人】の男が居た。
ラッシュは自分で矢を放ちながらも、その結果に驚いている。
「おいおい、本当に曲がりやがった。とんでもねぇなあの鞭」
「それでも撃ち落とすくらいは出来る、だろ?」
「まぁな。だが、この環境じゃ百発百中とまではいかんぞ。精々七割……いや、六割くらいか」
「十分だ! アメリア、雪の対処は頼む! フィーリア、もう動けるな!? お前はあのクソ眼鏡を抑えろ! ジーナ! ポンコツ! 突っ込むぞ!」
「分かってる! 命令すんな糞ウサギ!」
「この件が終わったら絶対地獄を見せてやりますからね!」
エドガーが飛び出し、ジーナとネコタがその後を追う。
その後姿を見送り、アメリアは杖に魔力を通す。
「【
熱の膜が全員を包み込み、雪から身を守る。
雪の影響が消え、エドガー達の速度がグンと上がった。
舌打ちし、レティが鞭を振るう。
だがエドガー達に当たる直前、その鞭はバシッ、バシッと矢に弾かれた。
「この風の中で……! よくもまぁこんな面倒な奴が何人も!」
「悪いなぁ。数少ない取り柄なもんで」
「ゲハハハハハ! もらったぁあああああ!」
「甘いわぁあああああああああ!」
下卑た笑みを浮かべ斬りかかるエドガーを、オリバーが割って入り弾き返す。
そのまま盾になろうとしたところで、目の前に現れたジーナにぎょっと目を剥いた。
「死ねデカブ――ッ! チィ……!」
「そう思い通りにはさせん!」
【発勁】を撃ち込もうとしたジーナの前に、エルネストの炎の壁が立ちはだかる。
咄嗟に後ろに下がったジーナに、エルネストはその炎をそのまま差し向けようとして……憎憎しげな声を上げた。
「エルフめ! またしても私の炎を!」
「ここで役に立たないと、今度こそ捨てられるんですっ!」
切実なまでのフィーリアの声だった。必死な表情で精霊に懇願し、精霊がその思いに応えようと動き回る。干渉された炎を奪われまいと、エルネストは抵抗する。
目まぐるしく攻守が入れ替わる。完全に乱戦となっていた。気を抜けばその隙を敵に突かれるだろう。ほんの一瞬の油断が、そのまま退場へと繋がりかねない。誰がそうなってもおかしくない状況だった。
その戦いに、ネコタも参戦する。
フィーリアに対抗し、動きを止めたエルネストを狙った。
オリバーを避け、レティの鞭をラッシュの援護で掻い潜る。
そして、ネコタは必殺の間合いまでエルネストに接近した。
「殺しはしません! だけど、大人しくしてもらいます!」
完全なタイミングに、勝利を確信する。
刃の向きを変え、峰打ちで聖剣を振り下ろす。
ビュッ――スカッ!
「へぁ?」
「舐めるな小僧!」
エルネストは【魔導士】に見合わぬ反応を見せ、短仗をネコタの頬に目掛けて振り上げる。メキィと、ネコタの顔面から嫌な音が聞こえた。
ネコタの身体が宙に浮き、ベシャリと地面に叩きつけられる。頬を抑えながら、あり得ない物でも見るかのようにネコタはエルネストを見た。
「おっ、おぐぅ……!? なっ、なんで……」
「私を二流、三流の【魔法使い】と混同するな。一流の【魔導士】たる者、弱点である接近戦も嗜んでいる。雑魚は引っ込んでいろ。貴様のような半端者が割って入る領域ではない」
「ぐぐぐっ……くそぉ……!」
まさか魔法使いに接近戦で負けるとは……!
真っ当な実力で負けただけに、なにも言い返せない。興味すら抱かれていない。ネコタは本気で泣きそうになった。
『ウォオオオオオオオオオオオオオオン!』
しかし、そんなネコタの傷心など知ったことではない。
弱いものから殺す。野生の決まりに従い、コキュートスウルフが牙を剥いた。
「――――ッ!」
急速に間合いを詰めてくる狼に、ネコタは逃げる間もなかった。が、ネコタには逃げる気など毛頭なかった。どんどん大きくなる狼の姿から目を逸らさず、睨みつけ叫ぶ。
「【聖なる盾】よ!」
――逃げるのではなく、あえて、受ける!
結界がネコタを囲む。その囲みにまともにぶち当たり、狼は身を逸らした。
ここに来て、ネコタの直感が冴える。瞬時に結界を消し、聖剣を振りかぶる。
「ごめんなさい! 少しだけ静かに――」
「【ダイナミックラビットォオオオオオ】!」
ドカンッ、と。白いウサギの跳び蹴りが、凄まじい勢いでネコタの横腹に突き刺さった。
カハァと息を吐き、ネコタは白目を向いて吹き飛ばされる。
悶絶するネコタに、エドガーは激怒して怒鳴りつけた。
「この底なしのバカが! 言っただろうが! コキュートスウルフは殺しちゃなんねぇんだよ!」
「おまっ……ふざっ……分かって……! ただ、少しだけ……大人しく……させ……!」
「【聖獣】でもあるまいし、災害級の魔獣を聖剣で斬りつけて無事で済む訳ねぇだろうが! 一太刀で致命傷になりかねんわっ! 考えなしのクソボケがぁ! 邪魔だからそこで寝てろ!」
「考えなしはお前だバカウサギ! 貴重な戦力を減らすな!」
「アッハハハハハ! 煩わしい子が勝手に消えたわ! チャンスよ!」
「居ても居なくても変わらん奴が消えただけだ! 油断するな!」
「……うっ……あうぅうううう……っ!」
敵からも味方からも、酷い扱いである。
ネコタの目からつつーっと涙が零れた。流石に堪えきれなかった。
『ウォオオオオオオオオオオオオオオン!』
再び、コキュートスウルフの口元に雪が集まる。
その目は横たわったネコタを見据えていた。
ギョッと、ラッシュが目を瞠る。
「――ッ! フィーリア!」
「ごめんなさいっ! この人、凄くしつこくて!」
「チッ……! なら、アメリア!」
「分かってる。加護を外すよ」
流石にアレを防ぐとなると、片手間ではいられない。
アメリアは火の加護を解除し、ネコタの前に炎の壁を作った。コキュートスウルフのブレスが、その壁を突き破らんとする。
着弾した傍から、蒸気が立ち上った。ブレスの勢いに負けぬよう、アメリアはグッと力を込め、更に魔力を注ぎ込む。
急造の物であったが、なんとか防ぎきった。ネコタの無事な姿に、ホッと息を吐く。
それを緩みと見たか、コキュートスウルフは即座にアメリアに襲い掛かった。
「アメリア! 傷はつけるな!」
「――――ッ! 【
エドガーの声に反応し、アメリアは攻撃から防御に切り替えた。
【対物理障壁】に、コキュートスウルフが体当たりをブチかます。その衝撃にアメリアは表情を歪めた。
苦し気なアメリアを見て、苛立たしそうにジーナが叫んだ。
「ウサギッ! いい加減にしろ! 状況が分かってんのかお前!」
「無理でもなんでも、アイツを傷つける訳にはいかねぇんだよ! アイツは縄張りを荒らされたことに怒ってるだけだ! 傷なんかつけてみろ! それこそ逆鱗に触れて、この周辺が大変なことになるぞ!」
「だからって、このままだとあたしらが殺られるだろうが! 殺しゃあしねえよ! 少し黙らせるだ――」
ジーナの言葉が止まった。
その巨体からは想像できぬ隠密で、敵が傍まで迫っていた。
ぬぅん、と。ハリセンを横に構えている。メキメキッと筋肉が唸る。またそれかとジーナは呆れつつ、拳を振りかぶった。
「周りのことを考えぬその性格――貴様ぁ、暴君か!」
――スパァアアアアアアアン!
「ぐぉ……! な、にぃ……!?」
食らいながら仕留めようとしたジーナだが、音とはそぐわぬ重さと硬さに意識が遠のく。
まともに顔面に食らい、骨が軋んで脳が揺れた。ジーナは耐えきれず、ドサリと膝を着く。
【ツッコミ】による補正とオリバーの怪力が、ジーナの耐久力を打ち抜いた。
「ハッハァ! さっきの借りは返させてもらったぜぇ!」
「でかしたわ、オリバー!」
鞭を掴む非常識な女が沈んだ。
面倒な相手がこれだけ消えたなら、思う存分、全力を出せる。
高々と鞭を振り上げ、レティは艶っぽく微笑んだ。
「さぁ、私の鞭の味、その身でよく御覧なさい!」
――ヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパン!
途切れることなく続く、鞭の連撃。
あまりの速度に鞭の大部分が消え、カマイタチのように先端の残像のみが襲い掛かってくる。
「くっ、この数は……!」
矢で可能な限り撃ち落とすも、これだけの速度を持って無差別に仲間を狙う鞭を全て抑えるのは、ラッシュといえど至難の業だった。
健闘むなしく、風を読みそこない矢が外れる。
不幸にも、狙ったその鞭はラッシュ自身に向けたものだった。
――バチィイイイイイイイイイイン!
「ぐぅううううううんむ……!?」
肌が破けるような痛みに混じり、妙な感覚が体中を駆け巡る。
形容しがたい感触に、ラッシュは膝を着いた。
――バチィイイイイイイイイイイン!
「んきゃあああああああ!?」
続いて狙われたのは、フィーリアだった。
人生で感じたことない痛みに、悲鳴を上げる。その痛みとは異なる、電流のような感覚が体に走った。なぜかいけない背徳感を味わったような気がした。倒錯した感情に混乱しつつ、その場に膝を着く。
――バチィイイイイイイイイイイン!
「らめぇえええええええええええええええええええええええええええ!?」
最後に狙われたのは、エドガーだった。
この男に関しては、最早かける言葉もない。
表情を蕩けさせ、ヒクヒクと痙攣させている。たっぷりと胆のうしていた。この場において間違いなく最低な男だった。
「エドガー! 今助けに……ッ! くっ……!」
「くっ、はははは! ようやく競い合えるな【賢者】よ! 今度こそ決着を付けるぞ!」
「……ッ! 本当に、気持ち悪い!」
仲間を助けようとするアメリアだったが、エルネストに絡まれ対応を余儀なくされる。嫌悪感をむき出しにするも、エルネストは気にもとめない。ようやく本命の相手を迎え、歓喜していた。
ほんの少し、対応が後手に回っただけだった。
たったそれだけのことで、大勢は決していた。
「フッ、フフフッ! アハハハハハ! さぁて、ようやく貴方の相手が出来るわね」
艶美な笑みを浮かべ、レティはコキュートスウルフを見つめる。
コキュートスウルフの唸り声でさえ、うっとりとした視線は変わらない。
ピシッと鞭を引っ張り、レティは言う。
「オリバー、盾になりなさい。まぁ、念の為だけどね」
「おう! いいだろう! 存分にやれ!」
「フフッ、それじゃあ、遠慮なく。さぁ、私に跪きなさい!」
レティは鞭を振るった。
目で捉えることすら至難の攻撃に、コキュートスウルフはしっかりと反応し身を翻す。しかし、それも無駄だった。
【森と獸の神ブディーチャック】。狩人の信奉する神の力は、獣だからこそ逃げられない。
――バチィイイイイイイイイイイン!
『オオオオオオン! ……グルルッ、ルルル!』
痛みではなく、本能が。コキュートスウルフの動きを鈍らせる。
抗いきれない快楽が、知性を犯し肉体を従わせる。
先ほどまでの鋭い動きからは想像も出来ない、ヨタヨタとした足取りで、憎々し気にレティを睨む。
それに、レティは高々とした笑い声を上げた。
「アッハハハハハハ! 凄いわね貴方! 獣の身で、私の鞭を受けてその程度なんて! いいわ、なら、満足するまでたっぷりと叩いてあげる!」
――ヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパヒュパン!
一発でも獣には致命傷になりかねない鞭が、際限なく襲い掛かる。
コキュートスウルフは避けることも出来ずに、ただその身に受け続けていた。
強烈すぎる快楽が、高位の獣から知性を剥ぎ取る。
恍惚と陶酔に抗えず、コキュートスウルフはとうとうその場に伏せた。
「凄いわね、貴方。大したものよ。獣の身でこれだけ私の鞭を受けるなんて……」
『グルッ、グルルルル……!』
抵抗力のある人ですら、廃人になってもおかしくない程の量だった。
獣の身ならば、そのダメージはどれだけの物か想像もつかない。にもかかわらず、このオオカミは伏せるだけで、戦意を失っていない。増悪の瞳で牙を剥いている。それだけで、レティは敬意の念が浮かぶ。
「でも、そろそろ限界でしょう? さぁ、これで終わらせてあげる!」
これまで以上に高々とレティは鞭を上げ、そして全力で振り下ろした。
最高の一撃が、コキュートスウルフに襲い掛かる。食らえば間違いなく、絶対の奴隷と化すであろう一撃が、高々とその音を鳴らした。
――バチィイイイイイイイイイイン!
「イクゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!」
それは、欲望に塗れた淫獣の嬌声だった。
力を振り絞り、なんとかその身を割り込ませ盾になった、エドガーの喘ぎ声だった。
レティどころか、コキュートスウルフまでもが、目を丸くしたような気がした。
そんな周りの目など気にもせず、エドガーは快楽に浸っていた。
「もうっ、だめぇ……動けないのぉ……あたし、汚されちゃったよぉ……」
「……侮ってたわ。まさかあの状況からアンタが割ってはいるなんて。他のお仲間さんはそれどころじゃないっていうのに、本当、凄い根性してるわね」
――まぁ、それも結局、無駄な足掻きだけど。
勝利を前にレティは嘲笑う。確かに、この底力は認めよう。だが、所詮は最後の悪あがき。ほんの少し……そう、ほんの少し、終わりまでの時間が伸びただけだ。そうと知ってもここまで体を張るエドガーは、滑稽ですらあった。
しかし、レティは甘いと言わざるを得なかった。
――野生の底力を、舐めていた。
『――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
「はぁっ!? ちょっと、どこにそんな力が……!」
たった数秒、目を放しただけ。それだけの時間で、いつの間にかコキュートスウルフは立ち上がっていた。
遠吠えと共に、吹雪の勢いが更に強くなる。数歩先の視界が怪しくなるほどの、もはや暴力的とまでも言える大雪だった。
レティは休まず畳みかけるべきだった。絶対的に相性が良いとはいえ、相手は災害級魔獣。大人しく思い通りになるほど、やわではない。
殺される前に、一矢報いる。それだけの誇りを備えた気高い獣だ。
『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
二度目の遠吠え。ビリビリと空気が振動するほどの音に、思わず耳を抑える。体中にいつまでも震えが伝わるような、そんな強い声だった。
……いや、気のせいではない。
確かに、足に振動が伝わっていた。
「ちょっと、嘘でしょ!?」
「おいおいおいおい! またかよちくしょう!」
レティとラッシュが、ほぼ同時に声を出す。
敵味方問わず、危機的な状況が訪れようとしていた。
オリバーの時とは比べ物にならないほどの、強烈な雪崩が迫っていた。
「レティ! オリバー! 私の元に集まれ!」
「全員、ネコタの傍に!」
もはや戦いどころではない。
生き残る為に、全員がこの雪崩に対応出来る仲間に縋る。
レティとオリバーはエルネストの元へ。二人が集まったのを見て、エルネストは障壁を張った。
同じように、ラッシュ達もネコタの結界に逃げ込んだ。
そして結界に入ったところで、ハッとアメリアは顔色を変える。
――エドガーだけが、未だに動けずその場に横たわっていた。
「エドガーッ!? 駄目!」
「バカッ! もう間に合わねぇ!」
「いいから離して! エドガー!」
飛び出そうとするアメリアを、必死にジーナが止める。
振り払って出ようとするが、そこで見た光景にアメリアは青ざめた。
――いつの間にか、エドガーはコキュートスウルフに銜えられていた。
「エドガー……ッ! 駄目、返して!」
一瞬、コキュートスウルフとアメリアの視線が交わる。しかし、アメリアの悲痛な叫びも虚しく、コキュートスウルフは身を翻し、そのまま雪の中に消えた。
アメリアの表情が、絶望に染まる。
その直後、雪崩は結界を飲み込み、再び山を白く染め直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます