第80話 ――ひゃっ!? つ、冷たい……っ!
「クッソ寒みぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
【ヒュルエル山】に入って三日目。猛吹雪に襲われる中、ウサギは叫んでいた。
最初の二日は各自が重い荷物を背負い、慣れない雪に足を取られながらも順調に進んでいた。それが崩れたのは三日目の今日、突然の猛吹雪が六人を襲ってからである。
目の前が見えなくなるほどの吹雪に視界が狭まり、風に押されろくに体が前に進まない。立っているだけで体力を消耗して行くこの吹雪に、六人は苦戦していた。
エドガーは鼻水を垂らし、ガチガチと歯を鳴らしている。寒さに強いと豪語した男の、この姿である。どれだけの寒さなのかが容易に知れた。八つ当たりに叫ぶのも無理はない。
そんなエドガーの後ろを歩くネコタは、顔にかかる雪を払いながら言う。
「ぶっ! ぺっ、ぺっぺ! あーもう、わざわざそんなに叫ばないでくださいよ。聞いてるこっちまで寒くなるじゃないですか。さっきからこの雪にうんざりしてるっていうのに……」
「うるせぇ! お前は防寒着を着てるからそんなこと言えんだよ! 見ろ! 俺なんかいつも通りのシャツ一枚だぞ! そんなに気にくわねぇってんならお前の服寄越せや!」
「やるわけないだろ! 雪は俺のホームとか大口叩いてたのはどこのどいつだよ! 余裕ぶって服を用意しなかったのはアンタのミスだろうが!」
「普通だったら何の問題もないんだよ! この吹雪は異常すぎる! 流石の俺でも耐えられねぇ!」
「確かにな。エドガーが不用意だったのは間違いないが、こいつはちょっと尋常じゃない。こんな猛吹雪がやってくるなんて、誰も予想出来ないだろうさ。運がないな、まさか俺達が登る時になってこんな天気に当たるとは」
あまりに酷い天候に、ラッシュは苦笑していた。ここまでくるともはや笑うしかない。とはいえ、天候を完全に予想するなど誰にも出来ることでもない。素直に運がなかったと諦めるしかないのだろう。
……知らないということはある意味、幸せなことなのかもしれない。
「くしゅんっ! あ〜、ちくしょう……! 寒すぎるぜ……! 敵ならいくらでも相手になるが、流石のあたしでも天気が相手じゃどうしようもねぇ……! おい、アメリア! 魔法で火は出せねぇのか? このままじゃ全員凍えて死んじまう……!」
「無理。火を出したってすぐ消えるし、こんな状況で魔法を使い続けてたら、私の体力が持たない……フィーリア、精霊術でなんとか……フィーリア?」
「……………………」
「フィーリアさん!? ちょ、なに倒れてんですか! こんな所で寝っ転がったら凍死しますよ! 埋もれてる! どんどん雪に埋もれてますって! 早く起きて!」
「あぁ……無理、無理で……私、寒いのだけは……苦手で……」
「あなた暑いのも駄目だって言ってたじゃないですか! エドガーさん、ストップ! フィーリアさんが限界です!」
「分かった! 俺達は先に休める場所を探して休んでから迎えにくる! お前はそれまでフィーリアを見とけ!」
「その間に僕まで死ぬだろうがクソウサギィィイイイイイイ! いいから止まれって言ってんだよおおおおお!」
実に混沌とした状況だった。
わりと冗談ではなく、パーティー壊滅の危機である。
勇者一行の壊滅理由が、雪に埋もれての凍死では洒落にならない。その場合、どう考えても責任を取るのはパーティーの監督役である。
ラッシュは焦りつつ、自己保身からエドガーを引き止めた。
「エドガー、止まれ! ここで置いて行くわけにもいかん!」
「役立たずは放っておけぃ! 今はそんな奴に構っている場合では……おぉう?」
――パタリ。
「お前まで何寝てんだ! ふざけてないでさっさと……おい、エドガー?」
「エドガー? ……やだ、エドガー!?」
「おい、マジかよ。本格的にやべぇなこりゃ」
「エドガー様……エドガー様!? お待ちください、今、私が……!」
「ちょっ、フィーリアさん! あなたも無理はしないで!」
エドガーが倒れるというアクシデントに、限界だったフィーリアも起き上がり全員で駆け寄った。
涙目になったアメリアがエドガーを抱き上げ、頬を叩きながら声をかける。
「エドガー! エドガー! 寝ちゃうだめだよ! ほら、起きて!」
――バチン! バチン! バチン! バチン!
――ゲフッ! ゴフ! ゴハッ! ガハァ……!
「アメリア、落ち着け。そのままじゃお前の手で死んじまうぞ」
「で、でもっ、眠ったら死んじゃう……!」
「いや、弱いわりに呼吸はしっかりしている。これ、もしかして体力切れで倒れたという訳じゃないんじゃ……」
「体力切れじゃないって……え、まさか冬眠?」
「こんだけ寒いなら分からないでもねぇが、ウサギって冬眠するのか?」
「いや、そんなことないと思いますけど、でも、エドガーさんですし」
「んな馬鹿なと言いたいとこだが、コイツならあり得そうな気もするな。あながち否定できねぇ」
「そうなのですね。流石エドガー様です!」
「良かった、本当にもう駄目かと……凄いな、エドガーはそんなことも出来るんだ」
「感心してんじゃねぇ。つまり冬眠して楽をしようとしてるってことじゃねぇか。クソがっ、人がこんなに苦労してるってのにいい度胸だ。だが、そうはさせるかってんだ。おい、とっとと叩き起こせ」
もはや心配している者は誰もいなかった。
エドガーへの熱い信頼があってこその対応である。
アメリアに抱かれながら、エドガーは弱々しい声を出した。
「はぁ、はぁ、アメリア……」
「エドガー、しっかりして!」
「う、うん……でも、駄目なんだ。寒くて、なんだか眠くて……」
「駄目だってば! 眠っちゃ駄目! ほら、頑張って!」
アメリアは必死に揺さぶる。
しかし、エドガーは力なく首を垂らすだけだった。
「ごめん、ごめんよアメリア……あの時、ちゃんと俺が我慢していれば……頑張れって言ってあげれば、アメリアを傷つけずに済んだのに……」
「何を言ってるの! 訳の分からないこと言わないの! ほら、しっかりして!」
どうやら意識が混濁しているらしい。
エドガーを引っ叩き、正気に戻そうとするアメリア。
しかし、エドガーが正気に返ることはなかった。
「ふっ、ふふっ……なんだか気持ち良くなってきた……ごめん、このまま少しだけ、寝かせて……」
「だから駄目だって言ってるでしょ! 早く起きるの!」
「エドガー様! 本当に駄目ですよ! 起きてください!」
「なぁ、寒さとアメリアのビンタ、どっちがトドメだと思う?」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃありませんから」
「俺も心配しすぎだと思うがなぁ。コイツがこんなんで死ぬとも思えんし」
温度差が激しい仲間の反応であった。
普段からそれぞれがエドガーをどう思っているのか、よく知れて実に面白い。
「そうだっ! ほら、エドガー。ここに入れば暖かいから……」
アメリアは胸元を開けると、エドガーを仕舞い込み、服を閉じる。
濡れた毛皮でアメリアの内着が湿る。ブルリッ、と体が震える。しかし、アメリアは躊躇わなかった。これでエドガーを救えるのなら、こんなものどうってことない。
そんなアメリアの行動に、ハッとしてフィーリアは抗議する。
「ず、ずるいですよアメリアさん! 代わってください! 私だってたまにはエドガー様の役に立ちたいです!」
「駄目。これは私の役割。そもそもフィーリアだと、胸が邪魔で中に入らない。痩せてから出直してきて」
「酷いっ! そ、それはいくらなんでもあんまりでは……! いえ、その分大きくて柔らかいですから、居心地はアメリアさんより良いはずです! 負けてませんよっ!」
「なんですかアレ!? ありえない! いくら緊急事態だからって許されることじゃないだろ!」
「あの野郎、上手くやりやがって! 今ほどウサギの姿が羨ましく思ったことはない……!」
「男ってのは本当にどうしようもねぇな」
ギリィ、歯ぎしりをする男共を、冷えた目で見るジーナ。
どうやらシリアスさんはどこかへ行ってしまわれたようだった。
「エドガー、どう? 暖かくなったでしょ? もう大丈夫だからね」
「うっ、あっ、うぅ」
アメリアが優しく声をかけるが、エドガーはうめき声を上げるだけだった。
いくらかはマシになったようだが、それでもまだ辛いらしい。
そんなエドガーを、心配そうにフィーリアが見ている。
「まだ弱ってらっしゃるようですね。やっぱり私が代わった方がいいんじゃ?」
「それは駄目。でも、これ以上何かしろって言われても……エドガー、私に出来ることはある?」
「うっ、うぅぅ……ああぁ……」
声を出すのも億劫な中、エドガーはパクパクと口を開き、なんとか声を絞り出した。
「ゆ、ゆきやま……そう、なん……から、だ……ひえ、たら…………――――人肌で温める」
「人肌……そっか、そうだね。分かった、ちょっと待っててね」
「アウトォオオオオ! アメリアさん、騙されないでください!」
「その通りだ! そいつ正気に戻ってるぞ!」
ゴソゴソと服をいじり始めたアメリアを、ネコタとラッシュが止める。
アメリアは険のある目で二人を睨んだ。
「どうしてこんな時までそんなことを言うの? エドガーがこんなに苦しんでいるのに……」
「演技ですよ! 演技! もうそいつ正常ですって! ただアメリアさんの体を味わいたがってるだけですよ!」
「その通りだ! 弱ってる奴が自分の要望を重要な部分だけ流暢に話せる訳があるか!」
「あっ、あぁぁ……さむ……ぃよぉ……あめりあぁ……」
「見え透いてるんですよクソウサギ! そんな演技がバレないとでも思ってんのか!」
「舐めんのも大概にしとけよコラァ! 俺たちは真面目に旅をしてるんだ! ふざけるな!」
「最低だよ、二人共。なんで真っ先にそんなゲスな発想が出るの? 信じられない……エドガー、ちょっと待っててね。今用意するから」
「うっ……ぅん………………フヒヒッ!」
「ほら! 今笑った! 笑いましたよ! 下心丸出し!」
「アメリア! そいつの顔をよく見ろ! 顔! 鼻の下伸びてるぞ! スケベ心が隠しきれてねぇから!」
「いい加減にしてください! それ以上邪魔をするなら私が容赦しません! エドガー様を殺す気ですか!?」
「あれくらいで死ぬ訳ないでしょ! あんたらバカじゃないですか!?」
「むしろ俺らが殺してやりたいくらいだ! そこをどけ! そのふざけたウサギに引導渡してやらぁ!」
「もう諦めろよお前ら。必死すぎだろ」
軽蔑を通り越し、ジーナは粘る二人を呆れた目で見ていた。
こんな時にまで、こんなくだらないことで本気になるとは。男はつくづく馬鹿だと、改めて思った。
「――ひゃっ!? つ、冷たい……っ!」
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