第72話 今日からただのポンコツな?



「そんな……何故……?」


 クレイドは目の前の相手を呆然と見上げていた。


 エドガー達の無事が気にかかり、屋敷で憂鬱な気持ちになっていた時だった。

 里全体で、なにやら慌てた空気を感じ取った。その異変を確かめようと直感的に外に出たのが、今の状況である。


 そういった状況で、クレイドはありえない事態に遭遇していた。

 目の前に、森の【聖獣】エミュールが居た。


「おっす、族長。今戻ったぞ」


 ──エミュールが喋った!?


 さらにありえないことが起きて、クレイドはいっそう混乱する。だがすぐに己を取り戻し、声が聞こえた方を見る。

 四つ足で立っているエミュールの頭の上に、エドガーが座っていた。


「エ、エドガー殿? これはどういう……」

「いやぁ、思ったよりも熱が入ってな。ついやりすぎちまったんだ。んで、なんだか素直になったからよ。ちょっと馬代わりに使わせてもらったんだよ」

「う、馬代わりとは……」


 おそるおそると、クレイドはエミュールの顔を見た。ズンと、落ち込んだ様子で肩を落としている。クレイドの知っている姿とはあまりにも違った。まったく別の生き物ではないかとすら思う。


 見ればエドガーだけではなく、背中には他の仲間も乗っていた。そこには申し訳なさそうにしている娘の姿もある。それなのにエミュールが暴れる様子がないことに、クレイドは悟った。


 ありえないことではあるが、どうやらこの者達は、エミュールを完全に屈服させたらしい。


 ムシャムシャと、エドガーは何かを食べていた。


「エドガー殿、それは?」

「おう、【豊穣の果実】って奴だ。持って来たけど我慢できなくてよ。俺らで分けて食べたんだ。でも、別に構わねぇだろ?」

「えっ、ええ。それはもう」


 まさかこれでダメだと言える訳がない。エミュールを従えている者に、一体どうして逆らえようか。


「だよなっ! いや、良かったぜ。これで駄目だって言われたらどうしようかと思った。それにしてもこれ、本当に美味いな。こんなの食べたことねぇよ!」

「き、気に入ってくれたのなら何よりです。はっ、はははっ」


「ああ。こいつを虐めて楽しかったし、美味いもんは食えたし、今までで一番楽しい試練だったな。これでようやく祭壇にも行けるからな。言うことなしだ」


 うんうん、とエドガーは頷く。ウホウホ、とエミュールもそれに追随した。息のあった動きにクレイドは引き攣った笑みを浮かべた。


 目の前の【聖獣】が恐ろしかった。しかし、それを屈服させた一行はさらに恐怖だった。だが、言わねばならない。クレイドはゴクリと唾を飲み、なんとか言葉を絞り出す。


「あの、エドガー殿。その祭壇のことなのですが……」

「おう、早く連れてってくれよ」


 ニコニコとエドガーは笑う。睨まれるよりも怖かった。


「はっ、はははっ。いえ、そのことですが、あの」

「はっはっは、なんだよ族長。随分と引っ張るな。驚かせたいのは分かるが、さすがにそこまで引っ張るのは鬱陶しいぜ」


 それともなにか――と。

 エドガーは、冷たい目でクレイドを見下ろす。


「まさか、この期に及んで案内をしない訳じゃあるまいな?」

『ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 ビリビリと、エミュールの咆哮で空気が揺れる。遠巻きに見守っていたエルフはもちろん、至近距離でそれを食らったクレイドは生きた心地がしなかった。


 体を貫く振動に、クレイドは放心状態になる。

 エドガーは感情のない声で尋ねた。


「で、どうなんだ? 早く答えろ」

「──申し訳ありませんでしたぁあああああ!」


 クレイドは迷わず地に伏せ、頭を垂れた。




 ♦︎   ♦︎




「はぁ!? 祭壇の場所が分からないだぁ!?」

「ええ、その、はい。まぁそういう訳でして」


 ドスの効いた声を上げるジーナに、クレイドは恐縮そうに頭を下げた。

 エミュールを使った脅しは、クレイドを初め、長老衆といったエルフの指導者達の心を完全に折った。全員がエミュールの前で膝をつき、神妙な顔で沙汰を待っている。


 止めに入ったネコタの提案とフィーリアの懇願により、弁明の機会が与えられた。そうしてエルフ達が自供した内容が、ジーナを怒らせた理由である。


 流石に納得がいかず、エドガー達は厳しくエルフ指導者達を睨む。しかし、それ以上に納得がいかなかったのはクレイドの娘達だった。


「お父様。長老衆の方々。これは一体どういうことですか? エドガー様達にあんな試練を受けさせておいて、場所が分からない? ふざけているのですか?」

「お父様、最低です」


 ワナワナと怒りを堪えて問い詰めるフィリス。今にも爆発しそうな表情だ。そして、フィーリアは虫でも見るかのような目をしている。普段の態度からは想像もできない姿だった。


 愛する娘二人の怒りに、クレイドは身を縮こまらせた。


「いや、その、騙すつもりではなかったのだ。儂らも全力で探したのだが……」


「言い訳はいいですから、なんでそうなっているのかを答えなさい! あんな試練を受けさせておいて場所を知らない!? 出来もしない契約を持ちかけたなど、エルフの矜持に関わる問題ですっ! もしエドガー様が死んでいたらどうするつもりだったのですか!」


「まぁまぁ、フィリスちゃんよ。一応族長の話も聞いてやれや。処分するのはそれからでも遅くはないからな」

「……エドガー様がそう言うのなら」


 困ったような顔で、フィリスは下がる。一瞬、ほっと息を吐くクレイドだが、すぐに言葉を思い出し絶望した。そうか、処分される可能性があるのか。


 落ち込むクレイドに、ラッシュが労わりながら問う。


「それで族長。一体どういうことです? 祭壇の場所が分からないとは?」

「そのままの意味です。儂らの誰もが、祭壇の場所を知らんのですよ」

「どういうことだ? テメェらは守り人のはずだろ? だったら知らない訳がねぇだろうが」


 殺気を込めてジーナは睨みつける。もはや遠慮するつもりはさらさらなかった。返答しだいじゃただじゃおかない。血にまみれた地獄を見せてやる。


 ジーナに怯えながら、クレイドは続けた。


「確かに族長とその周りの指導者の間で、そのような伝承が残っております。

 ”世が暗黒に包まれようとする時、世界を救済する【勇者】が現れる。その来るべき時まで、この森を守り続けよ。そして【勇者】をそこに導け”と。

 ですが、肝心の祭壇がどこにあるのか。それが全く伝わっておらんのです」


「はぁ? ここにいる全員がか?」


 エドガーは座っている年老いたエルフ達を見回した。誰もが肩を竦めながら頷き、言う。


「この里、あるいは森のどこかに祭壇があるのは間違いない。だが、そんな物を儂らは見たことがない」

「伝わっておるのは、【勇者】が来れば分かると、ただその一文だけで……」


「そのような曖昧な伝承だけじゃからこそ、儂らとしても守り人の意識が薄かったのです。なにせ、物がありませぬから。それゆえに、この伝承も御伽噺の一つ程度の認識で、まさか真実だったとは思いもよらず」


 口々に話す長老衆の内容に、ネコタはズルリと肩を落とした。


「そ、そんな理由で……」

「なるほど。理由は分かりました。ですが、それならそうと教えてくだされば……なのに、何故あの試練を受けさせたのです?」


 ラッシュの問いに、長老達は顔を見合わせる。


「自覚は薄かったといえ、仮にも守り人。祭壇の場所を知らない、では格好が着きますまい」

「だからこそ、なんとしても儂らが先に祭壇を見つけ、そこに案内する必要がありました」

「ですが、そのためにはまず時間を稼がなければなりません。そこで、一番初めに話を聞いたクレイドが機転を利かせて、試練で時間を稼ごうと……」


「つまり全ての原因はテメェじゃねぇか! テメェらの見栄の為にあたしらにあんな苦労させたのか! ふざけんじゃねぇぞコラァ!」


 ジーナがクレイドの胸ぐらを掴み上げる。

 クレイドは苦しげに呻きながら、弁明した。


「ぐぅ……! わ、儂が決めたのは”狩人の試練”のみ。後の試練は長老衆が決めたことです。儂は流石に悪いと止めたのですが、彼らは言っても聞かず……!」


「なにぃ!? ク、クレイド! 貴様、儂らに罪をなすりつける気か!?」

「よくもまぁそんなデタラメを! 止めたのは儂らじゃろうが! どの口がほざきよるか!」


 責任の押し付け合いという、醜い内部争いが始まった。

 ぼーっと仲間内で罵り合うエルフを見ながら、ラッシュは言葉を漏らす。


「なんというか、エルフも案外俗っぽいな」

「うん。意外だね。エルフっともっと厳格な種族ってイメージがあったのに。人もエルフも、根本的なところは変わらないんだね」


「いえ、アメリア様。あれがエルフの全てだと思わないでください。あれはエルフの恥です」

「お父様、最低です。見損ないました」


 エルフ姉妹の目はとても冷たいものだった。軽蔑の視線を隠そうともしていなかった。

 どうにも怒りが収まらないらしい。ジーナは首を締めながら怒鳴りつける。


「だいたいなんで場所の一つも分からねぇんだよ! 人間ならともかく、テメェらはエルフのだろうが! 五百年前なんてつい最近のことだろ!」


「そ、それは人間の勘違いだっ。我々エルフは老けるのが遅いだけで、せいぜい長くても寿命は百五十年が精一杯だ。五百年前といったら、儂の曽曽祖父でさえ生まれておらんわっ。そんな昔のことを知っている奴がいる訳なかろう。無茶を言うなっ!」


「それならそれで、口伝じゃなくて文字にして残すべきだと思うけどな。大事なことならなおさら」


 どうでも良さげに呟いたエドガーに、長老衆の一人が答える。


「おそらくですが、大事な情報だったからこそ、漏れないように口伝で残したのだと……」

「それで忘れてりゃ世話ねぇな」


 エドガーは白けた目を向ける。実はエルフはアホの集まりなのではないかと、ちょっぴり本気で思った。


「で、祭壇の場所が分からないと言ったが、まったく情報がないのか? いくらなんでも、見当の一つや二つくらいついてるんだろ?」

「それが、手の空いたエルフを全て使って里や森を全て探しましたが、まったく見つからず。お手上げの状況でして……」

「チッ、役立たず共が」

 

 ハァとため息を吐いて、ジーナはクレイドから手を離した。

 ドサリと尻餅を着き、クレイドはゴホゴホと息を鳴らす。

 それを横目で見つつ、ラッシュは頭を抱えながら言った。


「しかし参ったな。族長や、長老衆まで知らないとなると、本気でお手上げだぞ。この森に詳しいエルフ達が本気で捜索しても見つからないとなると、俺たちが探しても見つかりそうにもない。ましてやヒントすらない状況じゃあな……」

「ふむ。しゃあねぇ。こうなったらネコタに頼るしかねぇな」


 期待してなさそうな声で、エドガーは言う。

 ネコタは困ったように尋ねた。


「僕に頼るって言われても、どうしろと?」

「そりゃオメー、勇者様パゥワーで女神の祭壇まで導いてもらうとかよ」

「【勇者】の力ですか。言われてみれば勇者っぽい気もしますけど……」


 半信半疑ではあったが、ネコタは聖剣を抜き、騎士のように剣先を空に構えた。そして、一心に祭壇を求める。祈る姿は意外にも様になっていたが、しかし、何か起きるということもなかった。


「……やっぱり駄目ですね。何も起きません」

「チッ、なんだよ。期待させやがって。お前それでも勇者かよ。お前ポンコツ勇者じゃなくて、今日からただのポンコツな?」

「本当だぜ。ぬか喜びさせんじゃねぇよ。出来ねぇなら最初からやんじゃねぇ」


「一応試してみただけじゃないですか! 少しくらい優しくしてくださいよっ!」

「ネコタ、あまりムキになるな。お前が損するだけだぞ」


 今にも向かっていきそうなネコタを、ラッシュが後ろから羽交い締めにして止めた。それでもネコタは諦めなかったが、横からのそりとエミュールが近づき、ぎょっと目を剥く。


「エ、エミュール? あの、なんで?」

「格下のお前から、主人である俺らを守ろうとしている。そういうことだ。お前、俺らの中で唯一雑魚扱いされてたしな」

「そんなのずるいでしょ! 仕方ないじゃないですか! 相性が悪すぎるんだから!」


 剣を滑らす相手と、一体どう叩けばいいというのか。素手で戦え? バカを言え、そんなキチガイ染みた真似、ジーナ以外に出来そうにもない。


『ウゥウウウ! ホオオアアアアアア!』

「うぇ!? ちょっ、そこまでして!?」


 ネコタに近づいたエミュールは、咆哮を上げると一人でに輝き出した。そして、その体毛を白に染める。恐れていたエルフ達だったが、神々しい姿に見惚れありがたそうに拝む。


 しかし、ネコタは気が気でなかった。完全な戦闘態勢に、まさか本気で戦うつもりじゃないだろうかと、緊張する。しかし、エミュールはネコタの緊張をよそに、むんずと聖剣を掴んだ。


 掴みはしたものの、ネコタから取り上げようとしているわけでもない。不可解な行動に皆が首を傾げると、エミュールに応えるように、聖剣が白く輝きだした。


「えっ? えっ、なんですかこれ!? どうなってんですか!?」

「これは……まさか、聖剣と【聖獣】が共鳴しているのか?」


 エミュールが発する光に合わせ、聖剣の輝きが呼応する。その幻想的な光景に誰もが見惚れていた。すると、徐々にエミュールの輝きが小さくなり、その光を吸うようにして、聖剣が更に強く輝く。


 エミュールがすっかり体毛を黒に閉めたころ、聖剣は眩いばかりの光を放っていた。誰しもがその神々しさを認めざるを得ない。本物の聖剣がそこにあった。


 わぁっと、フィーリアが見惚れて呟く。


「凄く綺麗です。いつまでも見ていたいくらい」

「うん、本当に凄い。それに、なんだか暖かい」

「そんな、今まで一度もこんな姿には……でも、凄いですよこれ。なんだか力が漲ってくる気がします!」


「ネコタが使うとナマクラ。しかし、エミュールは聖剣の力を引き出す。実はエミュールが本物の勇者説」

「やめてっ! 本気で傷つく」


 エドガーの鋭い指摘にネコタは涙目で抗議した。実際、自分でもちょっぴり思っていただけに否定しきれない。ふぃーっ、と、満足げに額を拭うゴリラに負けたとなっては、勇者としてのアイデンティティに関わる。断じて認められない。


 暖かな光を放っていた聖剣だが、フッとその光が止まった。そして次の瞬間、剣先から細い光の線が伸びる。途中にエルフや建物を貫いていたが、どうやら害は無いらしい。慌てて逃げるもエルフに怪我はなく、建物も無事のようだ。


 一直線に伸びる光を、呆然としながらネコタは見続ける。


「これって、もしかして」

「もしかしなくても、この先に祭壇があるってことじゃねぇか?」

「ほう、まさか聖剣にこんな機能があったとはな。これで探す手間が省けるな」


「それじゃあ、エミュールのおかげだね」

「だな。やるじゃねぇかゴリラ。腕っ節だけじゃなかったんだな」

「はいっ、やっぱりエミュールは森の【聖獣】なんですねっ!」


『ウホホウゥ……!』


 女性陣と里のエルフから褒められ、エミュールはデレデレと鼻の下を伸ばしていた。大層喜んでいるようだった。その光景を、ネコタはなんとも言えない目で見つめていた。


 ポム、とネコタの膝下をエドガーが叩く。


「残念だったな。エミュールに人気を取られちまって」

「いや、どういう意味ですかそれ。別になんとも思ってないですからっ」


「言うな。気持ちは分かるよ。なに、お前には案内人の役割がある。だからそんなに落ち込むなよ」

「余計なお世話ですよっ! 言われなければ落ち込まなかったのに!」


「どんまい、どんまい。そのうち挽回出来るって。さて、とりあえずこの光を追ってみようぜ。どうやら里の中にありそうだが……族長も来てもらっていいか?」

「ええ、もちろんです。しかし、この方向は……」




 光が差す方角を見つめ、クレイドは訝しげに眉を顰めた。




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