第55話 本当に死んじゃったらどうしよう……!



 エドガーはかろうじて子リスの捕捉に成功していた。

 まだ余裕があるとはいえ、エドガーは一切気を抜かず、かつてないほど本気で追いかけている。ここで貴重な食料の簒奪を許すほど彼は優しくなかった。


「待ぁてコラアアアアアア! そこに止まれぇ! 子リスの丸焼きにしてやる!」


 無論、止まるはずがない。

 命の危険が分かっているのだろう。子リスも必死だった。しかし、さすがに本気のエドガーよりは遅い。かなりの時間が掛かったものの、子リスはとうとう捕まってしまった。


 しかし、試合には負けたものの、勝負に勝ったのは子リスのようだった。


「チチッ、チッ!」

「んああああああ!? テメェ全部食いやがったな!?」


 走っているうちに、パンは全て食べられていたようだった。捕まえられているのにも関わらず、子リスはエドガーの手の中で満足そうにゲフッ、と息を漏らした。気のせいか、こちらに勝ち誇ったような目を向けている気がする。口元のパン屑が余計に苛立たせた。


 ぬぐぐっ、と。エドガーは顔を真っ赤にしながら子リスを睨みつけた。しかし、ふぅ、と息を吐くと、ゆっくりと地面に下ろす。


「チッ、テメェを殺したって何の得にもならねぇ。それに、そんなことをしたらアメリアに嫌われちまうからな。今回だけは見逃してやる。俺の優しさに感謝しろよ」

「チチッ、チチッ!」

「本当に生意気だなお前! 次会ったら今度こそ食ってやるからな!」


 ムキーッと威嚇し、エドガーはクルリと背中を向け、疲れたように歩き出す。


「はぁ、余計な体力を使っちまったぜ。早くアメリアの所に戻らないと――」


 ため息を吐きつつ呟き、ピタリとエドガーは動きを止めた。


 ……今、何か重大なことを言った気がする。


 どうしようもない嫌な予感に、エドガーは頭をグルグルと回し始めた。なんだ? 一体俺は何に引っかかった? 別におかしなことなど……。


 十秒ほど思考し、エドガーは答えにたどり着いついた。さぁっと顔が青くなり、そして叫んだ。


「……アイツら、迷子になりやがった!」


 見解の相違だ。いや、軽い現実逃避だ。

 それにしても酷い責任転嫁を見た。間違ってもこの場合迷ったのは他の四人ではない。


「あれだけ気をつけろと言っていたのに、仕方のない奴らだ。まったく何処までも世話を焼かせてくれる……」


 どうやらそのシナリオで行くことにしたらしい。やれやれと首を振っているが余裕そうな仕草とは裏腹に、顔は若干こわばり、ダラダラと汗を流している。平静を保つために必死のようだった。


 一人逸れた心を守るためには仕方のない行動だったのかもしれない。まぁ、だとしても擁護できるものではないが。


「しかしどうしたもんかな。ここからアイツらと合流できるか?」


 エドガーは口にしながら、冷静な部分では無理だと悟っていた。それが出来るなら、とっくに自分たちはこの森から脱出している。


 あてもなく彷徨い続け、合流出来る事を祈るしかない。だが、それはあまりにも低い可能性だ。おそらく、このまま一人で彷徨い続け、最後には一人で……。


「ヤバイ。そんな惨めな死に方はごめんだ。なんとかしねぇと」

「チチッ、チッ!」

「なんだよ、まだ居たのか。今はお前に構っている暇は……」


 煩わしそうに、エドガーは子リスを見る。

 リスはエドガーの言葉を聞いて居なかったかのように、ピョンピョンとその場を跳ね、何かをアピールしていた。


「なんだよ、随分とはしゃぎやがって。まさかアイツラの所に案内するとでもいう気か?」

「チチチ、チチッ!」

「なんだよ、意味深だな。まさか本当に……ってちょっと待て! 〜〜〜〜ッ! ええい!」


 リスはエドガーの返答を待たずに走り出した。エドガーはためらいを見せたものの、やけになりながらその後を急いで追いかける。


 エドガーが追いかけてくると、リスはエドガーに合わせて走る速度を緩めた。時折エドガーを待つように振り返りながら、また少し先まで走る。まるでエドガーをどこかへ案内しているようだった。


「なぁおい、本当にこっちに居るのか?」


 跳ねるのを止め、のんびりテクテクと歩きながらリスに尋ねる。しかし、リスはそれを無視してひたすら前を走り続けた。


「はぁ、俺もやきが回ったか。まさかリスに命を託すことになろうとは」


 しかも、そのリスだって本当に道を分かっているかも分からない。もしかしたら、自分をからかうために適当に走っているだけかもしれない。


もしそうだとしたら、エドガーの末路は決まっている。森の中で彷徨い、飢え、惨めに一人で……。


「ぐすんっ。本当に死んじゃったらどうしよう……!」


 一人になって心細くなったらしい。若干泣きが入っていた。孤独に対しては意外とメンタルの弱い男である。


 グスグスと鼻を鳴らしていると、エドガーは森の空気が変わったことに気づいた。見れば、リスの視線の先にある木の隙間から、光が出ている。


「おい、まさかあれ、出口か!?」

「チチチッ!」


 それに応えるように、リスは駆け出した。慌ててエドガーも後を追い、光の先へ飛び込む。


「おおっ!? こりゃすげぇ!」


 木々を抜けた先は、同じ森とは思えないほど広い空間があった。

 中央に天辺が見えないほど巨大な大樹が一本だけ立ち、その周りを囲むように泉がある。木々の隙間から降り注ぐ光を泉が反射し、まるでこの空間全体に光が満ちているようだった。


 その泉は透き通り、魚が悠々と泳いでいる。周りには、鹿の親子や兎といった動物達が、美味しそうに水を飲んでいた。


 まるでここだけ、違う世界に居るような……踏み入ることすら躊躇われる、そんな神秘的な空間だった。


「水たっぷりあるし、動物も沢山だ。こんな所があったんだな」


 変わりない森の景色を長い間見続けていたせいか、がらにもなくエドガーは感動していた。


 美しい光景だが、それ以上に助かったという安堵が大きい。これで最悪、飢え死の危険性はなくなった。いざとなればここに集まってくる動物を食べればいいのだから。


 ジュルリ、と涎が溢れる。エドガーの邪な思いに気づいたのか、ビクリと動物たちが震えた。


「でも、結局アメリア達には会えないままか。アメリア達が此処まで辿り着ければいいんだが……」


 その可能性はまずないだろう。かといって、自分が探しに行ってまた此処へ戻ってこれるとも思えない。自分だって、リスの導きがあってここへ来れたのだ。


「いや、待てよ。連れて来てもらえばいいってことか。おいリス公。ちょっと頼みが――ん、何だ?」


 リスに頼みごとをしようとしたエドガーだが、ピョンピョンとその場で跳ねるリスを見て言葉を止める。まるで、何かをアピールしているようだった。


「何だよ? 何かあんのか? あっ、おい!」


 エドガーが自分に注目すると、リスは池にある岩に飛び移った。そして、また次の岩に移動する。そうやって中央にある巨大な木に向かっていた。


「なんだか分からねぇが、ついてこいってことか? しょうがねぇな」


 エドガーはリスと同じように岩へ飛び移り、大木の根元に辿り着く。

 こうして近づいてみると、その巨大さが余計に際立っているように見られた。ただ見上げるだけで、その存在感に圧倒される。


「ただの木だが、とんでもねぇな。まるで災害級の魔物みたいだ……あ痛っ!? 何すんだテメェ!」


 間抜けに口を開けていたエドガーに、リスは飛び蹴りをかました。自分よりもはるかに小さい体躯だが、そこそこ痛い。


 な、なんだ? 罰だとでも言いたいのか?

 突然の痛みに怒りつつも、不敬な発言を聞かれたかとドキドキする。

 しかしリスは気にもとめず、大木の裏へと回って行った。


「ったく、今度はそっちかよ。へいへい、ついていけばいいんだろ」


 不満そうに呟きながら、後を追う。

 最初に立っていた場所からちょうど反対側の位置で、リスはピョンピョンと飛び跳ねていた。心なしか嬉しそうだ。


「なんだ? ここに案内したかったのか? とは言っても、一体何が――」


 ぐるりと辺りを見回すと、それはすぐに見つかった。あまりにも異様な光景に、エドガーは呆気に取られた。


 大木の根元に、ちょうど人が這って入れそうな大きさの隙間がある。


 そこから――尻が突き出ていた。


「………………おぅ」


 エドガーは目を疑った。ゴシゴシと目を擦り、もう一度見る。やはり、そこに巨大な尻が突き出されていた。


 アホな光景に絶句していたエドガーだが、よくよく観察すれば、それはそれは素晴らしい尻だった。


 足元まで伸びた、スリットの入ったスカートに包まれた尻だ。そのスカートがピッチリと張り付き、余計に尻の輪郭を浮かび上がらせている。形の良い、大きな女性の尻だった。しかし、それは肥え太ったものでは無い。その証拠に、脛部分と足首はスラリと細い。細身ながら、女性らしさをぎゅっと詰めたような、肉付きの良い上品な尻だった。スリットから覗くムチッとした太股も合わさって、たまらないほどの色気を放っている。男の獣欲を挑発するような、魅力を持った尻だった。


 そんな尻が、フリフリと目の前で揺られているのだ。これは溜まったものではない。なんだこれは、御馳走か?


 ジュルリ、とエドガーは溢れ出る涎を拭った。そして、ゴクリッと唾を飲み込む。

 アメリアが居なくてよかった。エドガーは心からそう思った。


「んっ、んん〜っ! ……はぁ! だ、駄目ですっ、どうしましょう……胸がつっかえて、ん〜! ぃいいい、全っ然、動かなっ……! はぁ、はぁ、も、もう駄目、疲れてこれ以上……!」


 木の根元、隙間のあたりから、くぐもっているが可愛らしい女性の声が聞こえてきた。

 内容から察するに、どうやら長い時間ずっとこのままの体勢のようだ。個人的にはいつまでも見たい光景だが、ずっとこの状態だったと考えると、アホとしか言いようがない。


 エドガーはジト目でリスに訪ねた。


「お前、まさかこいつを助けてほしくて俺をここまで連れて来たのか?」

「チッ! チチチッ!」

「そうか、お前も大変だな……」


「——ッ!? い、今の声は……もしかしてそこに誰か居るんですか!?」


「ああ、居るぜ。リスに此処まで連れてこられたんだが、邪魔をして悪かったな。すぐに此処から去るから心配しないでくれ」

「えっ!? ちょ、待ってください! お願い、行かないでっ! もう一日このままなんですっ! お願いだから助けてくださいっ!」


 冗談のつもりだったが、尻の持ち主は思った以上に必死だった。声には泣きが入り、ブンブンと尻の動きが激しくなる。


 実に眼福な光景だったが、スケベ心よりも憐憫が大きくなったエドガーだった。色々な意味で可哀想な子に違いない……。


「冗談だよ、冗談。今引っ張り出してやるから待ってろ」

「よ、良かった。それでは、お手数かけますがよろしくお願いします」


「ああ、任せな。だが、へへっ……! これだけしっかりと嵌っていると、俺も本気で掴んで引っ張らなきゃならねぇ。その細い腰を触ることになるが、いいのかな? もしかしたら違う所も触っちまうかもしんねぇぜ? ふひひっ」


 怪しい笑みを浮かべ、手をワキワキとさせるエドガー。間違いなく性犯罪者のそれであった。ゲスに過ぎる。


「はいっ、もちろんです! どうかお願いします!」

「…………」


「あ、あの、どうかしましたか?」

「いや、あまりにあっさりとした返事で思わず正気に返ったというか……。お前、身内にもっとしっかりしなさいとか言われない?」


「わ、分かるんですか? 両親にはいつも叱られ、お姉さまはいつも心配させてしまっています。ご、ごめんなさいっ」

「いや、まぁいいけどよ。そんじゃ引っ張るぞ」


「はい、お願いしますっ」

「気をつけろよ、屁をこいたら助けるのやめるからな」


「し、失礼な! いくら私でもそんなことしませんよっ!」


 さすがに女性も憤慨しているようだった。デリカシーの欠片もない最低な男である。


「じゃ、いくぞ。せぇ、のっ!」

「うっ、うぅぅ! あ痛たたっ、すいません、もう少し頑張ってくださいっ!」

「どんだけがっつり嵌ってるんだよ。ぬぐぁあああああ!」


「いっ、痛たっ……! あっ、動いてますっ! その調子でお願いします!」

「簡単に言いやがって……うるぉああああああ! ん? なんだ? まったく動かなくなったぞ?」


「……ご、ごめんなさ……胸が、つっかえ……息が……ぐひゅっ、は、早く……!」

「どんだけ胸に溜め込んでんだよ!? しゃあねぇな、一気に行くぜ! ふんがぁあああああああああああああ!?」


 ひたいに血管が浮き出るほど、エドガーは女を引っ張り続けた。中々動かなかったが、ぐぐぐっと、根っこの隙間から力のかかった音がする。そしてとうとう、スポンッと勢い良く体が外れ、勢い余ってエドガーは女の尻の下敷きにされた。


「はっ、外れた! 良かった、もう駄目かと」

「むぎゅう……ふぅ、ふがっ……!」

「ひゃぁん!? あっ、ご、ごめんなさいっ!」


 尻に伝わった感触に驚き、かん高い悲鳴を上げて女は慌てて立ち上がった。そして、ろくに相手を見ずに頭を下げる。


「助けてもらったのに申し訳ありません! 重かったですよね!? 恩人に大してなんと失礼なことを……本当に申し訳御座いませんでした」

「なに、気にすんな。そんなに重くもなかったからな」


 というか、素晴らしい感触でした。

 鼻血を流し、痛々しい姿ではあるが、エドガーはホクホク顔で幸せそうだった。


「そう言って頂けるとホッとします。でも、本当にすいませんでした。このお詫びとお礼は私の家で――」


 女は顔を上げエドガーを見ると、大きく目を丸くした。

 同じようにエドガーも女を見て、驚きで固まっていた。


 ──デカイ。


 それがエドガーの最初の感想だった。


 エドガーのちょうど目の前に、女の深い谷間と大きな胸がドンと鎮座していた。アメリアも大きい方だが、これは比べ物にならない。今まで見てきたものを圧倒する大きさだった。きっと、とても柔らかいのだろう。思わず触ってみたいという衝動に駆られるが、エドガーはすんでのところで踏みとどまった。


 また、身体つきだけではなく、顔つきもとんでもない美少女だった。


 鼻の高さ、頬から顎までのラインが整っているのはもちろんだが、大きなパッチリとした目が可愛らしい印象だ。それが整いすぎた顔の中に愛嬌を与え、人懐っこそうにも見える。


 これほど美しく可愛らしい女性は、エドガーも見たことが無かった。


 顔、身体、どちらか一つでも男を惹きつけて離さない要素に十分である。だが、ある意味エドガーを一番驚かせたのは、そのどちらでもない要素だった。


 細く長い、金の糸のような彼女の髪の隙間から――人間種とは異なる尖った長い耳が、ピョコンと突き出ていた。




 ♦   ♦




 エドガーと逸れた四人は、背中合わせになり周りを警戒していた。


 アメリアはいつも通りの冷静な表情で。ネコタは怯えを見せつつも、毅然と武器を構える。そして、ジーナは殺気を放ち、今にも飛び出さんばかりに森を睨みつける。

 そんな中で、ラッシュはボリボリと頭を掻きつつ、ダルそうにボヤいた。


「参ったな。助かるかもと思っていたら、ここに来てこれか」


 面倒そうな表情を隠そうともせず、顔を上げ再び辺りを見回す。


 ──四人は、敵に囲まれていた。


 パッと見ただけでは数えきれない人数が、四人の周りを隙間なく囲んでいる。茂みの中から、木の枝から、あるいは堂々と弓を構え、こちらに狙いをつけていた。


 明らかにこちらを敵とみなしている剣呑な空気に、ラッシュはため息を吐く。だが、その理由はこの危機的な状況にではなく、彼らの身体的な特徴にあった。


「まさか守り人ってのがエルフだったとはな。こりゃややこしくなりそうだ」


 エドガーと出会った少女と同じく、彼らは皆、美しい容姿と長い耳を持っていた。





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