第53話 ――NO
遭難二十一日目の夜。勇者一行の間には、重苦しい空気が漂っていた。
ネコタ、ラッシュ、ジーナの三人は気力を失いかけていた。ただでさえ節約に食料を減らしている状況で、体力の消耗が激しい。それに加え、外に出られる見通しが立たないこの状況だ。逆によく此処まで保ったと褒めるべきであろう。
しかしこの極限状況では、性格を歪める程の影響をネコタ達に与えていた。
一欠片のパンと僅かな水を見ながら、ジーナは吐き捨てるように言った。
「チッ、おい、もっと寄越せよ。こんなんで腹が膨れるかよ」
「バカ言ってんじゃねぇ。そんな食料があるならとっくに出してるんだよ。もう残りは明日の分しかねぇんだ。それで我慢しろ」
「そんなこと、聞かなくても分かるだろ。子供じゃないんだから、黙って食ってろよ……」
「テメェ、誰に向かって口聞いてやがるッ!」
「殴るしか脳がないジーナさんですけど? 何か問題ありますぅ?」
「上等だテメェ! 勇者なんて知ったことか! ぶん殴る!」
「やめねぇか! こんな時にまで争ってどうすんだ! 少しは状況を弁えろ!」
ラッシュが苛立ちながら一喝する。
だが、二人は蔑んだような目で見ると、鼻を鳴らした。
「よくもまぁそんな偉そうなこと言えたもんだな。テメェの配分計画が悪ぃから今こうしてあたしらが苦しんでるってのによ」
「なにぃ……?」
「そもそも、ラッシュさんが自信満々で挑んだ癖に迷子になってるからいけないんじゃないですか。最初からやな予感がするとは思っていたんですよ。アンタが分不相応に自分の力を過信しなければこんなことにもならなかったのに……」
「言いたいことはそれだけかこのクズ供! 役立たずの癖に文句だけは一丁前に叩きやがって! 俺が面倒を見てやんなきゃテメェらはとっくにくたばってただろうが!」
「面倒をみてやっただぁ? テメェの無能のせいで迷ったんだろうが! 恩着せがましくしてんじゃねぇ!」
「結局こうなるんですか。いいですよ、僕だって昔のままじゃないんだ。中年と暴力女の相手くらい、僕でも出来るってところを見せてやるよ!」
それぞれが武器を構え、敵を睨みつける。
まさに一触即発。誰かが動きを見せれば、なし崩しに殺し合いが始まるだろう。それだけ本気の殺気だった。
だが、今にも爆発しそうな殺気の中で、グゥ〜、と三人の腹から音がなる。三人共が目を丸くすると、同時にどっと疲れたように座り込んだ。
「止めよう。腹が減るだけだ」
「そうですね。失礼なことを言ってすいませんでした」
「いや、あたしも気が立っていた。当たってすまなかった」
「じゃあ、皆お互い様ってことで」
三人は顔を見合わせ、力なく笑った。
ラッシュは上を見上げ、絞り出すような声を出す。
「しかしまぁ、こりゃそろそろ本気でまずいな。どうにかせんとな」
「そうですね。といっても、まったく思いつきませんけど……」
このままではどうなるかということくらい、ネコタにも想像がつく。まず確実に、長く辛い苦しみを味わいながら惨めな終わりを迎えることになるだろう。
まさかこんな死に方をするとは……、ネコタは自虐的な笑みを浮かべた。飽食の日本ではなかなかない終わり方だ。ネコタは早くも諦め掛けていた。
日本での生活が脳裏に蘇る。捨てるほど余っている美味しい料理に、寝心地のよいベッド。様々な娯楽。なんと贅沢な生活だったのだろう。今のような状況だからこそ、心からそれが理解できる。
ネコタはふと、かつて見たテレビ番組を思い出していた。自分とは少し状況が異なるが、遭難して生き残った人達のことをまとめた番組だったはずだ。
今ならあの人達の気持ちが分かる。何があっても生きたい。その気持ちがあったからこそ、絶望的な状況から生還できたのだろう。確か、あの番組の人達が生き残れたのは――
「……ちょっといいですか。これは僕の故郷の世界の、外国であった話なんですけど」
「気を紛らわすには丁度いいか。いいぜ、聞いてやるよ。話してみな」
「その人たちは、飛行機っていう空を飛ぶ乗り物で墜落して、雪山で遭難しちゃったんです。
凍えそうなほど寒くて生きているだけでも辛い状況で、食料になるようなものがない。それでも、あらかじめ持っていた食料を大事に分け合って、なんとか生き延びていたんです。
でも、やっぱり食料は少なくて、すぐに尽きてしまったようなんです」
「なるほど、今の俺らと同じような状況だな」
「はい。ですが彼らは食料が尽きたところから、数人が自力で雪山を脱出し、救助を呼んで生き残った人たちは全員助かったんです」
「本当かよそれ? 一体どうやって……」
希望を見出しかけたラッシュだったが、ネコタの顔を見て絶句した。
その表情を、ラッシュは何度も目にしてきたことがあった。突如襲いかかってきた理不尽によって、あるいは、自業自得の行いによって不幸のどん底に落ち、やけになった者の……絶望と狂気に染まった顔つきだった。
「確かに、普通に彼らが食べられるものはそこにはなかったんです。でも、それはあくまで常識での話で、食べようと思えばいくらでもそこにあったんです。最初から、そこにあったんですよ。
そして同じ食料が時間を経つにつれ、増えていったんです。幸運にも生き延びることが出来た彼らとは違い、不運にも命を落とした、彼らの……ッ!」
ラッシュとジーナは背筋に言いようのしれない寒気を感じた。自然と、体がこわばっていた。
ネコタは言いよどむと、後悔するような声を漏らしながら、顔を手で包む。
「……すいません、今のは忘れてください。僕……どうかして……ッ!」
「……気にすんな。この状況じゃしょうがねぇよ」
「ああ。むしろよく耐えてるぜ。大したもんだ。胸を張れよ」
戦いに明け暮れていた時期がある二人でさえ、辛い状況だ。争いとは無縁の世界から来た少年には過酷だろう。人間の根源的な欲望、狂気に触れかけても無理はない。そこから戻ってこれただけでも素晴らしいことだ。まさしく、勇者に相応しい少年だろう。
ネコタ達は、間違いなく追い込まれていた。全てを犠牲にしても、生き延びることを考えなければならない。人の矜持を捨てる必要があるかもしれないと、考えさせられるほどに。
――ただし、一部を除いては。
「フンッ、フンッ、フフーン!」
体を揺らしながら、エドガーはノリノリで鼻歌を歌っていた。
そんなエドガーの前で、ニコニコしながらアメリアは大人しく座っている。パチパチと手を叩き、エドガーの歌を褒め称えていた。
調子に乗ったエドガーは、続けて歌いだした。
「何~が出るかな? 何~が出るかな? 両手を叩いて何~が出るかな? わぁ~! 美味しい美味しい人参だ〜、っと!」
パンッとエドガーは勢いよく手を打ち鳴らし、両手を地面に着けた。すると、そこから光が漏れ出る。その光る物をエドガーはズルズルと引き抜く。ポンッと音を立てて、ニンジンが姿を現した。
フンフン、とご機嫌に鼻歌を歌いつつ、エドガーはニンジンをポキリと半分に折った。そして、片方をアメリアに渡す。
「ほらよ、アメリア。半分こな」
「いつもごめんね、エドガー」
「なに、気にすんなよ。アメリアにだったらいくらでも分けてやるぜ」
「ふふっ、ありがとう。そうだ、一緒に食べさせっこしようか」
「おいおい、そりゃ照れるぜ」
「いいからいいから。はい、あーんして」
「ったく、しょうがねぇなあ。あーん、と」
「「「……っざけんなぁああああああああ!」」」
ネコタ達は立ち上がり、怒鳴りつけた。先ほどまで衰弱していたのが嘘だったかのように、素早くエドガーに詰め寄る。その表情は憤怒に染まっていた。まるで鬼のような顔つきだった。
それほどまでの怒りをぶつけられているというのに、エドガーは嘆息すると、鬱陶しそうな目を向ける。
「なんだよ、うるせぇな。こんな近くで怒鳴るんじゃねぇよ」
「これがっ……! これが怒鳴らずにいられますか! 僕が……僕たちがどれだけ苦労して……! こんなに辛いのに……なんで貴方は……僕はぁ!」
ネコタは怒りのあまり泣いていた。ひきつけを起こし、呂律が回らない。不満を全てこのウサギにぶつけたいというのに、どうしてこんな時に上手く喋れないのか。自分への怒りで、余計に涙が止まらなかった。
無論、エドガーは引いた。
「えっ、何でそんなに泣いてんのお前? 正直ドン引きなんですけど……」
「おまっ……お前が……お前がぁああああああ!」
「頼むから会話をしてくれよ。何が言いたいか全然分からんわ。言葉のキャッチボールよ。分かる?」
「とぼけてんじゃねぇぞ糞ウサギ! 言わなくても分んだろうが! この状況でテメェらだけ食いもん食ってるとかどういう神経してんだこらあああ!」
「どういうつもりも何も……自力で作り出したものを食べて一体何が悪いのか。むしろ、俺はお前らの為を思って最低限の食料で我慢してやってるんだから、感謝されこそすれ責められる覚えはない」
実際、エドガーは節約を始めた当初、ラッシュの考えた配分を断り、各食料を一口分だけもらって残りは四人に回している。等しい配分を受けているのは水だけだ。それは事実なだけに、責め辛くはあった。
しかし、たとえ正当性があったとしても、目の前で悠々とされて納得できるものではない。
「――ッ! ざけんなテメェ! じゃあなんでアメリアには分けているくせにあたしらには寄こさねぇんだよ!」
ジーナはエドガーの胸倉を掴み、怒鳴りつけた。
しかし、エドガーは毅然とした態度で答える。
「前にも言ったが、俺のニンジンは俺が本気であげてもいいと思った者。こいつの為なら命を懸けられる、そう思った者だけしか渡せない。
俺がそう思えるのはアメリアだけだ。俺のニンジンは俺とアメリアだけの物だ。お前たちには渡せない」
「――ッ、エドガー……!」
アメリアは頬を赤く染めた。きゅん、と胸が疼く。幼いころに感じた久方ぶりの感情だった。エドガーの情熱はアメリアに確かに届いた。
しかし、残念ながらジーナには届かなった。
「ざけんじゃねぇ! だったらテメェをぶっ飛ばしてでも!」
「待てジーナ! その手を放すんだ!」
「ああ!? 邪魔すんじゃねぇぞクソオヤジ! 邪魔するならテメェからーー」
「いいから離すんだ! 今すぐに!」
本心としては、ラッシュもジーナと同じだった。加勢して、このふざけたことを抜かすウサギを八つ裂きにしてやりたい。しかし、ここでなんとかしなければ本当に全滅してしまう。どんなことをしてでも、それを避けなければならなかった。
その覚悟を察したのか、ジーナは不服そうにしながら、舌打ちしてエドガーを放した。
地に降りたエドガーに目線を合わせるように、ラッシュは膝を着いて懇願する。
「なぁエドガーよ。お前が俺達の為に遠慮して食料を譲ってもらったのは分かる。少なくとも俺は、それに感謝しないといけないと思っている。ここまで持ったのは間違いなく、お前のお蔭だ」
「ふむ、分かってるじゃないか。その通り、お前の無能を助けてやったんだ、感謝しろ」
――殺してやろうかと思った。
が、ラッシュはぐっとこらえ、頭を下げた。
「この上でさらに頼みごとをするのは、恥ずかしいことだと思う。だが、もうお前に頼るしかないんだ。どうか俺達にもそのニンジンを分けてくれないか?」
「断る」
きっぱりとエドガーは言った。考慮する余地すらないようだった。
拳を振り上げかけ、ラッシュは息を呑みこんだ。頭を地面に付け、乞食のように縋りついた。
「頼む! もうお前しかいないんだ! それしか方法がないんだ! 頼むから俺達を助けてくれ! 面倒とは思うだろうが、どうか、この通り!」
「――NO」
迷いはなかった。どうやらラッシュの誠意は何の感慨も与えていないようだった。ラッシュは今度こそ本気で殺してやろうと思った。
しかし、ラッシュよりも早く、ネコタが限界を迎えていた。
「あ、アンタ! 我儘もいい加減にしろよ! どうせその掟ってのもただの意地悪なんだろ!? 今の状況が分かってるだろ! このままだと本当に僕達は死んじゃうんだぞ!」
涙ながらに、ネコタは必死になって訴えた。
しかし、エドガーは半目でネコタを見て、冷めた声音で言った。
「なら死ねば? お前らがどうなろうが別に知ったこっちゃねぇし」
「「「————」」」
三人の反応は、当然のように決まっていた。
そして、話は冒頭の状況に戻る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます