対立

「瑞穂は連れ去られたんだぞ! 後を追わなくてどうする!」


「だがパーティがばらけた場合は、始点縄梯子に集まるのが決まりだ」


 巨人が飛び越えた穽陥ピットの前で、対照的な声が火花を散らす。

 ひとつは感情も露わに幼馴染みの身を案じる、志摩隼人の声。

 もうひとつは迷宮の岩壁いわかべのように無機質な、五代 忍の声。


 聖女と巨人の間に信頼が芽生える一方で、彼女を欠くパーティでは剣呑な空気が立ち込めていた。


「あれは連れ去られたんじゃなくて、たんに運び去られただけだ」


 隼人の焦りを切り刻むように、忍が指摘する。


「同じことだ!」


「同じじゃない」


 対峙するふたりを見つめる仲間たちは、魔物との戦闘よりも緊張していた。

 隼人と忍は、もともと相性がよくなかった。

 忍が隼人に対して対抗意識ライバル心を持っているのは明らかで、それが時に見えない刃となって抜かれた。

 しかしプライドの高い忍がそれ以上激発することはなく、隼人も大人の態度で受け流し、ふたりは武装中立をたもってきたのだ。

 これまでは。


「こんなことをしている暇はない!」


「おまえはリーダーだろう、志摩」


 背を向けた隼人に、忍の言葉が鞭のように飛んだ。

 振り返った隼人から、触れられるほどの殺気が噴き出す。

 実際に隼人の右手は、腰の剣に伸びていた。


「お、落ち着けよ! 仲間割れしているときじゃないだろう!」


 外野から、早乙女月照が声を掛ける。

 ふたりの見えない闘争が激しすぎて、割って入ることができないのだ。


「この階層フロアの魔物は、ほとんどがネームドレベル8未満だ。枝葉の実力なら単独ソロでも切り抜けられる」


 狼狽する月照を無視して、忍が続ける。


「魔法の指輪があるから数にも対処できるし、位置も確認できる。座標はわかってるんだ。枝葉なら必ず始点に向かう」


 階層の始点の座標を頭に叩き込むのは、迷宮探索者の “いろはのい” だ。


「そもそも今から追ったところで追いつけない。なにより――マッピングが間に合わない」


 忍の言葉に地図係マッパーである安西 恋が、胸奥きょうおうで安堵した。

 “巨竜の腸” のように入り組んだ階層である。

 息急き切った追跡劇を演じながら、道順を記憶する自信はなかったのだ。

 忍は彼女をおもんぱかったわけではないだろうが、恋は感謝にも似た想いを抱いた。


「う、ううむ……確かに忍の言うとおりかもしれねえ」


 月照が唸る。

 性格的にも感情的にも月照はすぐにでも後を追いたかったし、ふたりの対立を治めたあとは、そうするつもりでいた。

 しかし忍の言葉を聞き、自分の浅薄さを悟った。

 確かにこんな階層を闇雲に走ったら、あっという間に迷子になってしまう。


「志摩くん、わたしも今は五代くんが正しいと思う。それでも巨人を追うのならただ我武者羅にではなく、地図を作りながら冷静に痕跡を追うべきだわ」


 それまで成り行きを見守っていた田宮佐那子が、裁定者然と告げた。


「……くっ!」


 苦しげに顔を歪める隼人を見て、佐那子は思った。


 なんということだろう。

 枝葉瑞穂が抜けただけで、パーティはこんなにも不安定になってしまった。

 つい先ほどまで頼もしいほどだった志摩隼人からして、この有様だ。

 彼女が加わったことで、パーティは格段に強化された。

 志摩隼人は精神的に充足し、信頼に足るリーダーへと変貌した。

 他のメンバーも、それぞれ自分の役割に専念できるようになった。

 高レベルの回復役ヒーラーである瑞穂の加入は、パーティに確かな安定をもたらしたのだ。


 枝葉瑞穂はパーティの安定要因かなめだった。

 しかし――。

 それは取りも直さず、不安定要因でもあるということ。


(……わたしたちは枝葉さんに依存している)


 佐那子は苦い思いで、認識した。


◆◇◆


(……これは少し困りましたね)


「オウン?」


「あ、いえ、お水がもう残り少ないのです」


 唇を湿らせた水袋は軽く、ほとんど空でした。

 アクシデントもあり、今回の探索は長時間に及んでいます。

 本来ならトキミさんの部屋に戻っていて然るべき頃合いでした。


「節約してきたつもりだったのですが……」


 わたしは困った顔で苦笑します。


「オウン!」


 ドンッ! と胸を叩くオウンさん。


「え? お水がある場所を知っているのですか?」


「オウン、オウン」


「それは助かります!」


(あ、でも……)


 わたしは喜びを表してしまってから、逡巡しました。


 このまま始点である縄梯子に向かうべきでしょうか?

 隼人くんたちも向かっているはずですし、何よりも合流を第一に考えるべきでしょうか?

 そとれとも、飲料水が確保できる場所を確認しておくべきでしょうか?


(もちろん、お水の確保を優先するべきです)


 このまま何事も無く隼人くんたちと合流できると考えるのは、希望的観測です。

 万が一単独でトキミさんのところに戻るにしても、途中には広大な暗黒回廊ダークゾーンがあります。

 ひとりで突破するにしても、飲料水が必要でした。


「オウンさん、お水のある場所に案内してください」


「オウン!」


 紳士的なひとつめの巨人さんは方向を転じ、再びノッシノッシと歩き出しました。

 回廊は東西南北にぐねぐねと折れ曲がっていて、どの方角に向かっているのかまるで見当がつきません。

 何度か “示位の指輪コーディネイトリング” で確認してみると、おおよそ西に向かっているようなのですが……。


 徘徊する魔物ワンダリング・モンスターに遭遇することもなく、オウンさんはしばらく歩き続けました。


「――あ! 扉です!」


 やがて長く続いた回廊の先に、扉が現れました。

 この階層に下りてきてから、初めての扉です。

 扉には鍵がかかっていましたが、オウンさんの一蹴りであっけなく開きました。

 扉の先は七区画ブロックほどの広さの台形の玄室で、壁一面が真紅のカーテンで覆われた異様な雰囲気の空間でした。

 突き当たりにも扉があって、そちらには鍵はかかっていないようです。

 オウンさんが目指していた水場は、その扉の奥にありました。


「え……っと、あの……」


 わたしの顔が引きつります。


「こ、これ飲める……のですか?」


 泉が湛えていたのは、血のように真っ赤な水だったからです。



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