閑話休題 休息
前文。
これは聖女エバ・ライスライトたちが “
数ヶ月にわたる迷宮での生活で、一〇〇〇人を超えた “リーンガミル親善訪問団” の陣容は乱れた。
かつての威容を整え直し、外界とのつながりを取り戻すまで、彼らは巨大な岩山の麓に野営地を設営し、そこで過ごした。
◆◇◆
「アッシュロ~ドさ~ん、起きてますか~? 朝ごはんですよ~♪」
個人用の天幕の前に立つと、わたしは爽やかに朗らかに声を掛けます。
真龍の棲まう岩山の麓に築かれた新しい拠点は、すでに目覚めの中にありました。
これからまた、活気に満ちた一日が始まろうとしているのです。
「アッシュロ~ドさ~ん」
しかし、そんな周囲の喧噪とは隔絶したように、目の前の天幕はひっそりとしています。
(隔絶というより、拒絶かな……)
わたしは熱々のスープの入った鉄鍋と、リーンガミルから取り寄せたばかりのパンの入った
それから濃緑の天幕に近づき、そっと入り口の垂れ幕を上げます。
訪問団どころか、この
「……」
天幕の中に寝転がり、低い天井をぼんやりと見つめています。
ぷにぷに、
わたしは膝を抱えるようにしゃがみ込むと、その頬を指で突きます。
「……まだ充電中ですか?」
「……」
アッシュロードさんは、視線だけをわたしに向けました。
ふむ、少しは充電できているようです。
数日前までは、視線すら向けてくれなかったのですから。
「
大は対策本部が使っていた司令部用の天幕から小は
“
ですが備え付けの浴場やトイレまでは移設できず、わたしたちは近くの川に水を汲みに行ったり、穴を掘ったりして間に合わせていました。
“
「わたしも今日は午後から迷宮に戻って、運び出しを手伝います。それまでは救護所にいますから」
「……」
アッシュロードさんはわたしを見つめるだけで、何も言いません。
岩山の迷宮での終盤。
この人は本当に辛そうでした。
頭も、身体も、心も疲れ切っていて、それでも帰還の道を切り拓いてくれたのです。
今は休息の刻。
眠りの時間なのです。
「朝ご飯、外に置いてありますから冷めないうちに食べてくださいね」
わたしは微笑み、天幕の外に出ました。
背筋を伸ばし目を細め、柔らかい日差しと優しい風に洗われます。
お風呂とおトイレは迷宮の方がよいけれど、それ以外はやっぱりこっちの方が何倍も心地よいです。
迷宮は潜る場所であって、暮らす場所ではないことを実感します。
背中で気配がしました。
天幕からモゾモゾとアッシュロードさんが出てきて、鉄鍋の前に座り込みました。
座っただけで手を伸ばそうとはせず、ぽつねんとしています。
わたしは苦笑し、大きめのマグにまだ熱いスープをよそってあげました。
やはり黙って受け取り、ズズッとすするアッシュロードさん。
「どうですか?」
「………………うん」
「『うん』だけじゃわかりませんよ」
「………………うん、美味え」
わたしはもう少しの間、ここにいることにしました。
救護所にくる必要がなくても、癒やしを必要としている人はいるのです。
パンの入った籐籠も差し出します。
アッシュロードさんは籠から大きめのパンをひとつ取り出すと、千切ってマグの中に浸しました。
しばらくそうしてから口に運び、モソモソと噛み始めます。
まるで灰を含んでいるかのような表情ですが、人は心身ともに疲労してしまえば、きっとこのような顔になってしまうのでしょう。
「………………他の……連中は?」
「みんな元気ですよ。みんな元気にそれぞれの場所で働いています」
「………………うん」
アッシュロードさんは、指一本動かすのも
「まだもうしばらくの間、ここにいることになりそうです。“大アカシニア神聖統一帝国” の面子に賭けて、“リーンガミル” の援助は受けられませんからね。食料や医療品は城内で買い求められても、馬車や礼服などは本国から取り寄せなければなりませんし」
わたしの言葉を聞いて、アッシュロードさんはホッとしたように見えました。
今のこの人に、外交団の一員として他国を訪れ、延々と続く歓待の儀式に参加するなど、苦痛以外の何者でもないのでしょう。
元々そういうことが、死ぬほど嫌いな人なのです。
「お天気は良いし、風は爽やかですし、ずっとここで暮らすのもよいですね」
「……それじゃ、おめえが……」
「? それじゃ、わたしが?」
「………………いや」
(それじゃ、わたしが幸せになれない――ですか?)
再び黙り込んでしまったアッシュロードさんに、
口にも態度にも出してはくれないけど、考えてくれている。
わたしのことを、考えてくれている。
そう思うのは、思い上がりでしょうか?
でもそう思えるかぎり、わたしはこの人の側にいられる。
迷宮にだって恐れることなく潜っていけるし、強力なライバルたちとも渡り合っていける。
心に希望という名の灯火が点っているかぎり、人は生きていくことができるのです。
だからわたしも口にも態度にも出さずに、胸の奥で答えます。
(わたしは今でも幸せですよ)
――と。
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