賢王賢母

 ……終わった……何もかも。


 自分の娘ほどの少女騎士エルミナーゼと、組んず取っ組み合いを演じていたアッシュロードは、瞬間的に自分の人生の帰結を悟り、諦観の境地にいたった。

 外交使節団の一員が、訪問国の元首の目前でその娘を手籠めにしている(……ようにしか見えない)のである。

 よくて極大の外交問題。

 普通に戦争に発展。

 正統な裁判の末、己の首ひとつで事が収まるなら望外の幸運というものだろう。


 強姦君主レイパーロード……。

 かつてホビットの少女魔術師メイジ から受けたいわれなき罵倒が、完全な冤罪とはいえまさか真実になるとは……。

 灰の暗黒卿アッシュ・ザ・レイバーロードの方が、なんぼかマシである……。


 老いたグレートデンは自分の極々少ない近しい者たちの反応を思い、暗澹たる気持ちになった。

 恐ろしい童顔の帝国宰相はどう思うだろうか。

 猫人フェルミスのくノ一は?

 才媛の副官は?

 エルフの僧侶プリーステスは?

 黒髪の……聖女は?


 愚者が予期せぬ幸運から宝を手に入れ、その価値にようやく気づき始めた矢先、再び奪われる。

 慈悲の欠片もない残酷な仕打ちだ。

 自分はろくでもない人間で、ろくでもない人生を歩んできたが、ここまでろくでもない末期まつごを迎えなければならないほど、ろくでもなかっただろうか。

 嗚呼、無情……。


「陛下の御前です。お控えください」


 ふたりの衛兵とともに女王マグダラの背後に控える侍女メリッサの言葉に、アッシュロードはエルミナーゼの戒めを解き立ち上がった。

 エルミナーゼも同様だったが、君主の前で乱れた髪や服を整えるわけにもいかず、その余裕もなかった。


「もう一度訊ねます、これはいったいなんの騒ぎですか?」


 視線を娘であるエルミナーゼに向け、マグダラが再度詰問する。

 押し殺してはいるが声には確かな憤りが籠もっていて、白磁のような肌が心なしか紅潮していた。


「答えなさい、エルミナーゼ!」


「……剣の稽古をしていたところ、熱が入りすぎました……申しわけございません」


 うつむき唇を噛むエルミナーゼの答えに、アッシュロードは驚いた。

 この娘が自分を誰かと勘違いし、その誰かを殺したいほど憎んでいるのは明らかだ。

 誤解が解けてない以上、ここで自分のを告発すれば、母親の手を借りて始末できるではないか。

 そうしないのは王女としての誇りか、騎士としての矜持か、あるいは別の目的があるのか。


「アッシュロード卿が我が国の賓客であることは、あなたとて理解しているはず。その卿に対してこのような非礼を働くなど、王女として、また騎士としてあるまじき行いです。直ちに自室に戻って謹慎なさい」


「……」


 エルミナーゼはうつむいたまま、衛兵に連れられて訓練場から出て行った。

 娘の姿が消えるとマグダラがアッシュロードに向き直り、頭を下げた。


「お許しください、アッシュロード卿」


「「陛下!」」


 声を上げたのは老いたグレートデンではなく、侍女のメリッサと訓練場に残ったもうひとりの衛兵だった。

 それはそうであろう。

 いかにアッシュロードが国賓待遇の他国の筆頭騎士だからとはいえ、マグダラはこのリーンガミル聖王国の女王であり統治者なのだ。

 これではまるで属国の振る舞いではないか。


「修業のために近衛騎士クィーンズ・ガーズに任じているとは言え、エルミナーゼは紛れもなく我が娘。娘の非礼を母親が詫びるのは当然のことです」


 侍女も衛兵も押し黙った。

 ここまで言われれば、阿呆あほうでもわかる。

 マグダラはこの騒ぎを、女王と外賓ではなく、母親と訪客の問題として収めたいのだ。

 外交問題も戦争も、いち母親とその客では起こりようがない。

 賢王にして賢母と謳われる、リーンガミル聖王国女王マグダラ四世。

 まさしく賢王の振る舞いだ。


 ……だが。

 

 救われたはずのアッシュロードは、感謝や尊敬の念よりも猛烈なわり悪さを覚えた。

 娘の言い分を一切聞かずに、この判断。

 もし俺が本当に不埒者だったら、どうするつもりだ?

 娘が本当に手籠めにされかかっていたのだとしたら?

 これで賢母と言えるのか?

 仮に女王としての判断だとしても、それならそれで自分を見る瞳に一片の蔑みもないのはどういうわけだ?

 まるでとわかっていたようではないか。

 理解が及ばなすぎて、まだ地下の魔物の方がまともに思える。


 アッシュロードは迷宮が恋しくなった。


◆◇◆


 窓際に置かれた椅子に座ったまま、エルミナーゼは長く身じろぎしなかった。

 いつしか日は暮れ落ち、窓から差し込む光は黄昏を経て蒼い夜光となっている。

 姿勢を正し、背もたれに身体を預けることなく座り続けるのは、謹慎中の騎士の作法だ。

 立ち上がるのはもちろん、歩き回ったり、ましてベッドで身体を伸ばすなど許されない。

 王女とは言え、今のエルミナーゼは髪を切り、騎士としての証を立てた身。

 女王と剣に捧げた誓いに懸けて、なによりも意地として、動揺を見せるわけにはいかない。


 ドアに取りつけられた黄金製のノッカーが、訪問者を告げた。

 侍女が手を着けないままの食事を下げに来たのだろう。

 喫緊の事情がない限り、謹慎中の人間を訪ねることは禁じられている。

 謹慎は罰であると同時に、面目を失った騎士を好奇の目から守る慈悲でもあった。

 再度ノッカーがなる。


「……鍵は掛けていません。自由に入ってくれて結構です」


『わたしです。開けてください』


 通廊からドアを通して響いた声に、エルミナーゼはようやく顔を向けた。

 立ち上がり、最高級のチークで造られたドアを開ける。


「……どうぞ」


 エルミナーゼは礼儀として目を伏せながら、女王を迎え入れた。

 それが子供じみた意地の裏返しであることをマグダラはすぐに見抜いたが、賢明な母親は気づかぬ振りをした。


「顔をおあげなさい、エルミナーゼ」


「……」


 それでもエルミナーゼは顔を上げない。

 素直で礼儀正しい娘の “拗ね様” は痛々しく、マグダラの心は痛んだ。


「……どうしてあのような真似をしたのです?」


「……」


「……エルミナーゼ」


「……稽古に熱が入りすぎたと申し上げました」


「……そうではないでしょう。アッシュロード卿の命を奪うつもりだったのでしょう。なぜそのような……」


「……それをわたしの口から言わせるのは……卑怯です」


 そして感情の堰が決壊した。


「それをわたしの口から言わせるのは卑怯です、お母様!」


 母親に瓜二つの娘の顔が、悲憤に歪む。

 抑制し続けたきた感情が激発し、言葉の刃となって母娘の関係を切り裂く。


「あの男が、これまでどれほどわたしをさいなんできたことか! あの男の存在が、どれだだけわたしを苦しめてきたことか! あの男は――グレイ・アッシュロードは、仇なのです!」


「アッシュロード卿が仇などと、なんの理由があってそのような思い込みを……!」


「思い込みではありません! ではなぜこの時期に、父上を辺境領の視察に向かわせたのです!? 上帝トレバーンの使節団を迎えるこのタイミングで、王配である父上が聖都を離れるなど尋常ではありません! 父上をあの男を会わせたくなかったからではありませんか!? 父上がわたしを愛してくだされないのは、あの男のせいなのでは!? わたしの、わたしの本当の――」


「――お黙りなさい、エルミナーゼ!」


 マグダラの一喝がエルミナーゼの狂乱を打ち砕き、決定的な言葉が発せられるのを防いだ。


「自分だけでなく、あまつさえ父と母、さらには賓客の名誉まで貶める増上極まる幼稚な言動! 見るに堪えず聞くに堪えません! 新ためて近衛騎士エルミナーゼ・リーンガミルに命じます! 許しがあるまでこの部屋で謹慎し、自分と向き合いなさい!」


 あなたは母親としてこの部屋にきてくれたのではなかったのか。

 それが女王として命令するのか。

 エルミナーゼは唇を噛み、アッシュロードに向けたのと同じ燃える瞳でマグダラを睨むと、やがて左胸に右手を当てことさら恭しく頭を下げた。


「……仰せのままに、陛下マイ・クィーン



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