グレイ・アッシュロードの一番弟子

 氷の迷宮を――岩の泰山を鳴動させる大咆哮!

 それは雄叫びではなく、 明らかな苦悶の吼声ほえごえでした!

 高濃度・高純度の酸素の檻に閉じ込められた “暴竜クオックス” !

 その緑青ろくしょうの鱗を蝕んでいた醜悪な肉腫が次々と弾け、バラバラと周囲に落下していきます!


「やったのか!?」


 壮絶な光景を目の当たりに、ジグさんが叫びました!


「……いえ!」


 ジッと、破裂し四散していく肉腫を見つめていたわたしが鋭く答えます!


「いえ、まだです! 駆除できたのは酸素に触れた外皮の分だけです!

 “真龍ラージブレス” の体内を侵しているは摘出できていません!」


 一呼吸!

 一呼吸でいいのです!

 吸い込んだ酸素が全身の細胞に行き渡る、深い一呼吸!

 細胞レベルで同化している以上、今度はあの巨体そのものが “妖獣” にとって逃げようのない檻となります!


「肺に染み渡る呼吸を! それであなたは助かります! “真龍ラージブレス” !」


◆◇◆


 エバ・ライスライトの看破したとおりだった。

 “真龍” と同化した “妖獣THE THING” は楽しんでいた。

 この世界で最も大きく、最も強く、最も賢く、最も美しい生物として、自分に抵抗する矮小な人間の姿を嘲笑っていた。

 本来知能を持たない “妖獣” にとって、それは新鮮な経験だった。

 絶対安全な場所から見下ろす、目前の破滅に涙ぐましく抗う小さな小さな者たちの足掻き。

 自分は決して同じ境遇には落ちないという優越感。

 これこそ知能を持つ者にとって、最大の愉悦だ。


 “妖獣” は楽しんでいた。

 勝利者だけに許された娯楽を、打ち震えるほどに楽しんでいた。

 そして驕れる者の例に漏れず、足をすくわれた。

 自分を戒め警戒できるほど、“妖獣” は知性に慣れていなかった。


 外皮を蝕んでいた肉腫が剥がれ落ちたことで、“真龍” の支配力が戻ってきた。

 しかし、身体の深部まで同化していた“妖獣” は酸素に触れていない。

 “真龍” が高濃度の酸素を巨大な肺いっぱいに吸い込み、全身の細胞に行き渡らせようとした刹那、今度は “妖獣” の意思が抵抗した。

 いまや抵抗しなければならないのは、“妖獣” の方だった。

 せめぎ合う宿主と寄生獣の意思と意思。

 巨体が悶え狂い、長大な尾の一振りが聖女の施した障壁を粉々に撃ち砕いた。


◆◇◆


 一瞬のことでした。

 ですが一瞬が無限だったとしても、どうすることも出来なかったでしょう。

 発作を起こした子供ですら、大の大人が数人がかりで抑えなければならないほど、苦しむ肉体が出す力は暴力的です。

 まして世界最大竜属ドラゴンです。

 フェルさんが高めた内圧に耐えたとはいえ、わたしが作りだした障壁が、苦悶にのたうち回る “暴竜” の一撃に耐えられる道理がありません。

 わずかに輝く半透明の “神璧グレイト・ウォール” は、地面に落としたガラス板のように砕け散り、押し込めていた高濃度の酸素は瞬く間に周囲の大気と混じり合ってしまいました。


「万事……休す」


 口から苦い諦観ていかんの言葉が零れました。


「ぜんぜん “休す” じゃない! 今なら隙だらけだ! 拠点に戻って――」


 わたしの呟きを耳にし怒りを露わにしたパーシャに、


「そうではないのです、パーシャ。いまここであの “暴竜” を止められなければ、世界が滅ぶのです」


「……え?」


「遅きに失しましたが、わたしはようやく “真龍” に寄生した “妖獣” たちの目的がわかりました。あの遊星からの物体は気候すら操れる世界蛇と同化して、この星から酸素を――自分たちにとって有害な物質を消し去るつもりなのです」


「そ、そんな……そ、それじゃまるで……」


「ええ、世界規模の “酸滅オキシジェン・デストロイ” です……」


 ひび割れるパーシャの表情。

 魔術師だけあって、わたしの言わんとすることがすぐに理解できたようです。


「おい、どういう意味だ!? 俺たちにもわかるように言ってくれ!」


「ここであの物狂いのデカ物を止めないと、世界が海の底に沈んだみたいになっちゃうんだよ! あたいたち全員、溺れ死んじゃうの!」


「「「……っ!!!?」」」


 パーシャのわかりやすい例えに、前衛三人の顔色が変わりました。


「世界を救うには “真龍” から “妖獣” を駆除するしかありません。しかし酸素の檻が壊されてしまった以上、体内まで侵入した “妖獣” を取り除く術がもうないのです」


「“烈風ウィンド・ブレード” は、さっきのが最後よ」


「“酸滅” はまだ残ってるけど、それだけじゃ意味がない。そもそも同じ手に二度も引っかかるかどうか」


「炎も、氷も、風も、“真龍” の身体の中までは届きません。さっき採った手段だけが、唯一の方法だったのです。だから――」


 わたしは唇を噛みしめて、全員を見ました。


「万事休す――です」


 ガッ!


 そんなわたしの胸ぐらを、ドーラさんがつかみました。


「なに甘ったれたこと言ってんだい! あんたはそこで伸びてる男の一番弟子だろう! グレイ・アッシュロードが、そんな諦めのいい言葉を吐くと思ってんのかい!」


「ド、ドーラさん」


「なにかあるんだろう! ないなら捻り出しな! 出さないとアッシュは死ぬんだよ!」


 そして肉食獣の獰猛さと戦闘機械忍者の冷徹さを合わせ持つ瞳が、わたしを射竦めます。


「……自分の都合のいい時だけ寄り添おうだなんて、そんな都合のいい話はないんだよ、小娘」


 勃然と燃え上がる怒りの炎。

 わたしは睨み返し、怒鳴り返します。


「捻り出せるものならとっくに捻り出しています! 今いったとおり、炎も氷も風も “真龍” の中までは届かないのです! これでいったいどうしろというのですか!」


「だったら炎でも氷でも風でもないもんを使えばいいだろう!」


「それこそ都合のいい話――」


 そこまで言い掛けたとき、頭の中に火花が散りました。


「なにか閃いたようだね。その顔、アッシュが悪巧みを思い付いたときとそっくりだよ」


「限りなく成功する可能性の低い悪巧みですが――」


 わたしは険しい表情のまま、ドーラさんと周りの仲間たちに説明しました。


「――なるほどね、それなら確かに可能性はありそうだね」


「あくまで可能性です。論理的に考えて、大部分は外皮を伝わって迷宮の床に流れてしまうでしょうから」


「それはあたしがどうにかするよ」


「ドーラさん」


「抜かるんじゃないよ、エバ・ライスライト」


 ドーラさんは身をひるがえすと、暴れ狂う世界蛇に平然とした足取りで近づいていきました。

 わたしは意を決し、乾坤一擲のために精神を統一します。


(負けて――負けてたまるものですか!)


◆◇◆


 ドーラは暴れ狂う世界最大の竜属に出来る限り近づくと、その巨体見上げた。

 見れば見るほど巨大で、強大で、なにより美しい生き物だ。

 外皮にへばりついていた肉腫はすべて剥がれ落ち、緑青の竜鱗は本来の輝きを取り戻している。

 頭部を奇形に膨らませていた瘤も同様である。

 取り戻せていないのは、未だに狂気を孕んだままの両の瞳だけだ。


(狙うは、その瞳か。あるいは開いた上顎か)


 とにかく傷を――目印を付けるのだ。

 ドーラは右手に握っている、黒いこしらえの曲剣を思った。

 +3相当の魔法強化が施された魔剣は凶悪な斬れ味を有してはいるが、投擲には向かない。


(……あれが今ここにあればね)


 利き腕と共に師に奪われた本来の得物が頭を過る。

 あれが―― “手裏剣苦無” が手中にあるならば、これから行う作業はドーラにとってさほど難しい仕事ではないのだ。


(詮無きこと!)


 ドーラは気持ちを切り替え、腰を落とす。


(目か! 口か! 耳か!)


 遙か頭上の空間を激しく移動する “暴竜” の器官に意識を集中し、魔剣を振り上げた。


 ヒュンっ!


 それは集中した意識の外側から飛んできた。

 のたうつ長大な尾が弾いた拳大のつぶて

 まともに受けたくノ一は吹き飛ばされた。

 溶解した天井の一部が垂れ、蒸発した氷の下から現れた財宝の山に頭から突っ込む。

 聖女を除く仲間たちの悲鳴が一瞬遠のいたが、どうにか意識を保った。

 ゴボッと口から、血の塊が吐き出される。

 内臓にまで達する打撃。

 魔法の着込み鎖帷子を身につけていなかったら、胴体に風穴が開いていただろう。


(……万事……休す!)


 ドーラは片膝を突いて身体を起こしながら、胸中で呻いた。

 ダメージはともかく、頼みの魔剣は財宝の中に飛び紛れ、今やその一部になってしまった。

 すぐに見つけ出すことなど、到底不可能だ。

 いくら徒手空拳での闘法が忍者の神髄とはいっても、無手は


(……大口を叩いた手前、せめて落とし前だけはつけないとね)


「――企みは失敗だ! 聖女と馬鹿犬を連れて逃げな!」


 何事にも万が一ということがある。

 もしかしたら、世界はすぐに滅びないかもしれない。

 拠点に戻れれば、トリニティを交えて次の悪巧みを企めるかも。

 そのために、ドーラは叫んだ。

 折れた肋骨が肺に突き刺さるのも構わずに叫んだ。


「このイカれ蛇っ!!! 物狂ってるだけで、虫ケラ一匹踏み潰せないのかいっ!!! 遊んでやるからこっちにきなっ!!!」


 ドーラの罵声は巨龍の中でせめぎ合っていたふたつの意識のうち、片方を痛撃した。

 “妖獣” は怒っていた。

 娯楽だと思っていた矮小な存在に足をすくわれ、窮地に落とされ、怒り狂っていた。

 絶対に滅ぼす。

 滅ぼさなければ

 その瞬間 “妖獣” の意識は “真龍” を凌駕し、“暴竜” はドーラに向き直った。


(……そうだ……良い子だ……そのままこっちにきな)


 ドーラは可笑しくなった。

 くノ一の……それも猫人フェルミスの自分が、竜属に踏み潰されて最期を迎えるなど、まるで喜劇ではないか。

 でも……それもいい。

 悲劇で終わるよりも……ずっといい。


 斬っ!!!


 突如爪先を襲った激痛に、“暴竜” が吼えた!


「――逆鱗げきりんだ!!!」


 剛刀で深々と竜属の足先を斬り裂いた用心棒が、さっさと身を潜めた物陰から叫ぶ!

 ドーラの意識が覚醒する!

 咄嗟に財宝の山に手を突っ込むと、一番最初に指先に触れたそれを引き抜き、巨龍の喉元に向かって投げつける!

 精緻な蝶の飾りの施されたナイフは、ドーラが触れた瞬間不思議な力で彼女から傷の痛みを消し去り、正確無比な投擲をもたらした。

 顎下に唯の一枚逆立つ鱗に、“蝶飾りのバタフライナイフ” が突き刺さった。


「撃てぇ、ライスライトォォ!!!」


◆◇◆


 炎も氷も風も、“真龍” の中には届きません。

 宇宙開闢ビッグバンと同質の力である純力も、聖職者には扱えません。

 聖職者には扱うことは出来きるのは、残されたひとつ――。


「女神 “ニルダニス” よ、わたしに御力をお貸しください!」


 わたしは叫ぶと、一気に祝詞を唱え上げました!


「――慈母なる女神 “ニルダニス”。厳父たる男神 “カドルトス”。その他、天に御座す諸神に代わりて我、神々の代弁者にしてその意思の執行者たる、エバ・ライスライトの名の下に、今悔い改めぬ不敬なる者たちに神罰を与えん! 畏れよ、神の怒りを!」


 それは “湖岸拠点レイクサイド・キャンプ” 南の防衛戦で、『今はその時ではない』とトリニティさんに止められた力!

 女神の依り代となった銀色の髪が呼ぶ、泰山の山頂を遙かに超えた天空高みから放たれる、不敬なる者への神の怒り!


「――ぶちかませ、瑞穂っっっ!!!」


「“神威ホーリースマイト” ッッッ!!!!!」


 アッシュロードさんが怒号し、わたしは最後の聖印を切りました!

 轟雷が虚空を、岩山を、天井を貫き、ドーラさんが投擲したナイフに落ちます!

 閃光に包まれる巨体!

 大気を白熱させる神の雷は迷宮に流れることなく、すべて逆鱗に突き刺さったナイフを通じて狂える “暴竜” の体内へと迸り、身中を蝕み続けてきた異星の生命体を灼き尽くします!


「この星はわたしたちの星! この世界はわたしたちの世界! 消え去りなさい、異星の漂着者よ!」


 それは本当に長く感じる時間でした。

 とてもとても長く感じる戦いでした。

 神々は世界を蝕む異星の生命を許さず、徹底的に灼きつくそうとしているようでした。

 ですが……やがてその長い戦いにも終わりが、諸神の怒りも治まるときがきました。

 閃光が消え迅雷が止んだとき、後には全身から白煙を上げる巨龍の姿があるだけでした。

 微動だにしない巨体。


 死んでしまったのでしょうか?

 いえ、そんなはずはありません。

 星の意思が具現化したこの巨龍を殺せる者など、いるはずがないのですから。

 と、芸術品のような造形の竜頭がゆっくりと持ち上がり、巨大な胸がさらに大きく膨らみました。

 最膨張した肺いっぱいに満たされ、全身の細胞に行き渡る深い深い一呼吸。

 そして迷宮を、岩山を、世界アカシニアを揺るがす、大咆哮。


 それは自由を取り戻した世界蛇の、歓喜の雄叫びでした。



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連載開始

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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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