近似値
「……呪文はいくつ残ってる」
「…… “
「……攻撃の加護は “
「……わたしも低位階の癒やしと戒めの加護以外は、“
押し殺した声で訊ねたレットさんに、やはり押し殺した声で
大咆哮は止み、“
それが逆にとてつもない絶望となって、それだけで圧殺されそうです。
暴走しているのではなく、わたしたちに狙いを定めている……その意思がハッキリと感じられます。
「……どうしても、あたしたちを滅ぼしたいようだね」
「……ケジメをつけたいのでしょう」
「……ケジメ?」
呟きに答えたわたしに、ドーラさんが聞き返しました。
「…… “
「……なるほどね、あたしたちは引っ越す前に燃やされるゴミってわけかい」
「……退路は?」
「……ないな。あいつの足元を突っ切っていかない限りは」
「……“
レットさんがジグさんに、ついでパーシャに訊ねます。
「……
「……尻尾の一振り……で全滅か」
「……うん」
絶望に押し潰されそうになりながらも、レットさんは必死に生き残る術を探し続けています。
“暴竜” はまるでその様子を楽しんでいるように、低く唸りながらわたしたちを見下ろしていました。
いえ……まさしく楽しんでいるのでしょう。
虫ケラよりも卑小なわたしたちが、恐怖に怯え竦みながらそれでも生にしがみつく様を。
時空が歪んでいなければ迷宮にはとても収まりきれないだろう、世界最大の
美しい
肉腫からは例の細い針管のような触手が飛び出し、発せられるヒュンヒュンという風切り音は低い唸り声と合わさって、わたしたちの心を切り裂きました。
――と。
不意に “暴竜” が唸るのをやめ、その胸が明滅し大きく膨らんだのです!
魔剣のような牙が無数に並ぶ巨大な口がカッと開かれ、わたしたちに向けられました。
――
「逃げろっ!!!!!」
レットさんが絶叫します。
それが絶対に不可能であることは、レットさんにもわかっていたはずです。
むしろこの状況で大きな声を上げられたことこそ、称賛されるべきでしょう。
彼以外の誰もが、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、指一本動かせずにいたのですから。
次の瞬間、不意に鎌首がもたげられ、“暴竜” の口から竜息が迸りました。
それは炎ではありませんでした。
冷気でもありませんでした。
迷宮の高い天井を、岩山の分厚い岩盤を、瞬時に溶解・貫通する超高出力の蒼白い
岩山を貫いた光線は、空を突き抜け、外宇宙に達し、その先へとさらに伸びていきました。
溶けた天井が凍った床に落ち、莫大な財宝を覆っていた氷を一瞬で蒸発させたあとも、わたしたちは魂を抜かれたように立ち尽くしました。
蛇に睨まれた蛙……そんな生易しいものではありません。
神の
希望も……絶望すらも消滅させる、圧倒的な力の差。
最後の戦いは、最期の戦いにすらならず。
澄んだ青空は、限りなく透明に近く。
もう一度見ることは叶わない。
わたしたちはごく自然に、その事実を受け入れたのでした。
――唯一人を除いて。
「……ターボだ……」
耳元で囁く声。
「……ターボをかけろ……」
わたしはハッと我に帰り、彼を見ました。
高熱に冒されていましたが、その瞳は澄んで沈着でした。
邪気のない少年のような
その微笑みの奥にある真意に辿り着いたとき、辿り着けたとき、わたしの中に希望を超えた力が沸き起こりました!
それは信頼よりも強く、恋情よりも濃く、愛情よりも深く大きな感動!
この人は――アッシュロードさんは、ずっと気づいていたのです!
ずっと気づいていて、ずっとわたしに教えてくれていたのです!
生き残るための術――悪巧みを!
「パーシャ、フェルさん! ターボをかけます! 手伝ってください!」
わたしは驚くふたりに、パーティの全員に、手早く説明しました!
「そんなことが出来るのかい!?」
「出来ます! すでに何度となくやっていることです!」
仰天するドーラさんに、キッパリと言い切ります!
今回はそれをアレンジするだけです!
「躊躇している時間はありません! チャンスは “暴竜” がわたしたちを侮っている今だけです!」
「よし、やってやろうじゃないの! このままペシャンコにされるなんてまっぴらだからね!」
パーシャが躍り上がるように叫び、
「いいわ! やりましょう!」
フェルさんも力強くうなずきます!
「基点はあんただよ、エバ! タイミングは任せた!」
パーシャの励ましを耳に、わたしの目はすでに自分たちを見下ろしている “暴竜” ――その周辺の空間に注がれていました!
「――いきます! 慈母なる女神 “ニルダニス” よ、大いなる敵に挑む勇気ある子に、護りの
女神に嘆願が聞き届けられるや否や、光り輝く半透明の障壁が巨大な立方体を作り、周囲の大気ごと “暴竜” を閉じ込めます!
「慈母なる女神 “ニルダニス “ の烈しき息吹持て――風よ、
さらにフェルさんが、その障壁に向かって真空の刃を斬りつけました!
カミソリよりも薄い不可視の刃は女神の障壁を斬り裂き、そのさらに内側に向かって吹き込みます!
密閉された巨大な箱に、無理やり風を送り込み続けるフェルさん!
障壁の中でどんどん圧縮されていく空気!
“風のフェリリル” 以外の誰に、ここまで自在に
そして障壁の中で高まる気圧はわたしにのし掛かり、そんなわたしに構わずフェルさんは風を送り込み続けます!
ふたりの
((負けるものですかっ!!!))
事ここに至って、ようやく “暴竜” が自分の身に起こっている異変に気づきました!
圧縮されて濃度の高まった酸素に、“妖獣” が悶え出したのです!
密閉された
まさしく
さらに――!
「パーシャ、今です!」
「音に聞け! ホビット竜殺しの呪文、いざ唱えん! ―― “
酸素を消滅させる “酸滅” の呪文を使って、パーシャが酸素以外の物質を消し去ります!
過給器と、空気から窒素を除去する酸素濃縮器の合わせ技――これこそアッシュロードさんが、わたしに囁き続けてくれていた生き残るための秘策、悪巧みだったのです!
しかも、
巨大な物体を包み込んで張り巡らす障壁も、
風を自在に操る祝詞も、
大気の成分を思い通りに変質させる詠唱法も、
拠点の作業場で “
決してぶっつけ本番ではないのです!
いろいろと言われ、実際にいろいろと欠点の多い人ですが、土壇場でのしぶとさという点においてグレイ・アッシュロードという人は――まさに天才です!!!
“暴竜” の大咆哮――苦しみの咆哮が、氷の最上層を震わせました!
限りなく透明に近くても、それは透明ではなく、
限りなく絶望に近くても、それは絶望でない。
あくまで、近似値でしかないのです。
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迷宮保険、初のスピンオフ
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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m
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迷宮無頼漢たちの生命保険
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