歪み
「妙案が浮かんだのかい?」
ドーラは彼女一流の舌なめずり、ざらつく舌で平らな鼻先を舐めた。
「いや、材料が足りねえ――パズルを完成させるには、ピースが欠けてるみてえだ」
アッシュロードはボリボリとフケだらけの頭を掻き、
『最近飲んでねえから、頭が回らねえ』
と、ぼやいた。
「あんたは酒飲んだ方が頭が良くなるかねぇ」
「おめえ、まだ行けそうか?」
アッシュロードの意外な言葉に、可笑しげに笑っていたドーラが眉を上げた。
この男にしては珍しく、迷宮をもう一回りしようというのだ。
「
「いつだって恋しいさ。だが一度布団を被っちまったら、出てくるのが億劫だからな」
アッシュロードは勤勉とはほど遠い性格だが、非合理でもない。
むしろ物臭な分だけ、出来るだけ効率的に物事を運びたがる。
「付き合うよ。別に
「南だ――地図の上では北になるが」
この
地図上の北に行くには、最南端からさらに南に下る必要があるのだ。
「未踏破の北東
「もう片方の狂信者のねぐら」
ドーラはあっと息をのんだ。
ここまで言われれば “悪巧み” には向かない自分の頭でも、相棒の考えが察せられた。
この男は “邪僧” と “
「そんなことができるのかい?」
「わからねえ。だが元々派手に殺りあってるんだ。うまく油を注げれば両方とも火達磨になるだろう」
「その油を探しにいくってわけかい――ハッハッハッ、いいね、気に入ったよ。天使との呉越同舟もいいけど、やっぱりあんたとあたしはこうでなくちゃね!」
それはそれは。
事がうまく運んだ暁には、さぞ愉快痛快だろう。
「さあ、そんじゃ行こうじゃないかい」
ドーラが快活に言い放つ。
極上の料理は想像できた。
あとはその美味を再現するための、食材を集めるだけだ。
調理はこのやさぐれた相棒がやってくれる。
「ああ、だがその前に――」
ふたりは北東区域に足を踏み入れる前にいったん三層に下り、
詳しい理屈はわからないが、魔法の伝達物質であるエーテルは階層ごとに微妙に濃度が違うらしい。魔法封じの罠が効果があるのはその階層のエーテルだけで、他の階で補った分までは無効化できないようなのだ。
仕切り直しを済ませた古強者たちは、階層東部の最南端から最北端に抜けた。
南の南に北が――である。
最南端の扉に開けて最北端に玄室に入り、その東にある扉をさらに開けると、南に延びる曲がりくねった回廊が現れた。
ドーラとアッシュロードはそれぞれ獲物を手に進んでいく。
まずはセオリーどおり回廊の終端まで歩き、
それから引き返し、途中の扉を開けては中を確かめていく。
「……思いの外、複雑だね」
「……ああ、だが複雑なだけで “目くらまし” はねえみてえだ」
“
魔物との
やがて北東の未踏破部の半分が埋まった。
ふたりは占有者のいない狭い玄室に入り、休息を摂った。
“
栄養価といい糖度といい申し分ないのだが……あいにくアッシュロードもドーラも酒飲みなので、正直この甘さには閉口させられる。
「子供のおやつにはいいんだろうけどねぇ…… それにしても “鋼鉄の口糧” とはまた大げさな名前をつけたもんさね」
レーズンを囓るのを止めて、ドーラがひとしきり笑った。
命名者はもちろん、あの弱くて強い聖女様だ。
アッシュロードは何も言わず、玄室の壁を焦点の曖昧な瞳で見つめながら、ボソボソと口を動かしている。
(……この男は、いったいどうするつもりなんだろうね)
猫人のくノ一は、再び干した葡萄の実を囓りながら思った。
あの聖女が隣のくたびれた男に、深い愛情を抱いているのは誰の目にも明らかだ。
そしてこの男が、あの聖女に対して憎からざる感情を抱いているのもまた、見る者が見たら明らかだ。
この男自身がまだその想いに気づいていないのか、あるいは気づかないフリをしているのか。
おそらくはその中間あたりで、不器用にも “ない交ぜ” になっているのだろがが……。
(……この男があの娘の救いなのは間違いない。だけどそれ以上に、あの娘はこの男の救いなるだろう)
ドーラは知っている。
この男の人生の過酷さを。
ドーラほど、グレイ・アッシュロードの――灰原道行の数奇な運命を知り尽くしている者はいない。
この男は疲れ果てている。
傷だらけで、ボロボロで、もはや苦痛すら感じなくなっている。
この男には休息が――なによりも癒やしが必要だ。
それは加護でどうこうできる類いの消耗ではない。
この男には長い長い休息が、憩いの時間が必要なのだ。
あの娘なら、この男にその時間をもたらしてくれるだろう。
生涯をかけて、この男の疲れと傷を癒やしてくれるだろう。
(……問題はこの男が、自分で自分を決めちまってることさね。自分は薄汚れた取るに足らない迷宮保険屋だと、頑なに自分を定義しちまってる……灰と隣り合わせの迷宮で二〇年生きてきたからだけじゃない。この男はそれよりももっとずっと以前に歪んじまってる……)
アッシュロードを歪めてしまったものが何なのか、そこまではドーラにもわからない。
だがきっと、それがこの男のこだわりであり、病巣なのだ。
幼年期から続いた忍者としての峻烈極まる修行の日々が、今なおドーラ・ドラという魂を歪め続けているのと同じように……。
今のままでは、この男は目の前に差し伸べられた救済の手を取ろうとしない……取れないだろう。
それでは……あまりに救いがないでないか。
自分はこの男と出会ったことで、忍者としては
この男にとってあの聖女は、自分にとってのこの男になるのだろうか……。
「……なあ、アッシュ。この迷宮を出られたら……」
「……
突然アッシュロードが立ち上がり、玄室の扉に耳を寄せた。
「え?」
「それも――かなりいる」
すぐにドーラも、玄室の外から響いてくる無数の鉄靴の響きに気づいた。
(なんてこったい! こんな騒々しい大行進に気づかないなんて!)
くノ一は内心で激しく自分に毒づいた。
(あたしは生娘かい!? 峻烈極まる修行が聞いて呆れるよ!)
アッシュロードはそんなドーラの様子には気づかずに、入り口の扉をほんの少しだけ開けた。
「……ここで休んで正解だったな」
保険屋の口元が不敵に歪む。
「見ろ、信心深き遠征軍のご登場だ」
言われるままに扉の隙間からドーラが見たものは、整然と隊伍を組んで近づいてくる “
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