急転直下

「……さすがにこれは既視感がありますね」


 わたしは視線の先に垂れ下がる縄梯子を見て、誰とはなしに呟きました。

 魔物に追い立てられ、逃走と消耗の果てに現れた上層への縄梯子。

 前回の “大長征” の記憶が嫌でも甦ります。


「だが同じじゃない――そうだろ?」


「ええ、わたしたちには前回の経験がありますから」


 先ほどの会話が立場を変えて再現され、わたしはレットさんに微笑みました。


「――よし、登るぞ! まずは追っ手をまくのが先決だ! 登ったら安全を確認してすぐにキャンプを張れ! 扉があるなら加護で閉ざして時間を稼げ! “座標” の確認を忘れるな!」


 レットさんの指示に、全員がうなずきます。


「そんじゃ、お先に」


 こちらはいつの時だったかと同じ台詞を口にして、ジグさんが飄々と縄梯子を登っていきました。

 レットさん、わたし、パーシャ、フェルさん、そして殿を “鉄壁の人間要塞” が守るのも同じです。


(……この上はおそらく最上層の第六層。こんな消耗した状態で登りたくはありませんが)


 “龍の文鎮この迷宮” は、全六層構造です。

 “グッド” の属性の者だけが入れる二層の次が四層。

 “イビル” の属性の者だけが入れる三層の次が五層。

 四層から五層への縄梯子は意味がないので、おそらくこれは最上層の六層へつながる縄梯子です。

 そして黙々と縄梯子を登るうちに、それが正しいという思いが強まりました。


(……縄梯子が長い。一層から二層への倍。二層から四層と同じくらいの長さがある)


 やはりこの縄梯子は、五層を飛び越えて六層へと続いているのです。

 初めての最上層。

 いったいどれほどの魔物が、罠が、危険が待ち受けているのでしょうか。

 レットさんにしても、この状況で探索をするつもりはないでしょう。

 階下の魔物たちが落ち着くまで、やり過ごすつもりなのだと思います。


(そうです、レットさん。やり過ごしましょう)


 決意を固めて、縄梯子の踏み縄をつかむ手に力を込めます。

 やがて先頭のジグさんが梯子を登り切り、階層フロアの縁に軽やかに飛び乗る気配がしました。

 その瞬間――。


“ここは汝らの立ち入れぬ所、早々に立ち去るがよい!”


 突然頭の中に聞き覚えのある声が轟いて、重力が消失しました。

 目眩にも似た感覚が全身を支配し、視野が暗くなります。

 そして断絶していた意識が再びつながったときには、目の前に “湖岸拠点レイクサイド・キャンプ” の見慣れた光景が広がっていたのです。


「…………戻ったの……ですか」


 それは予期せぬ、急転直下の帰還劇でした。

 わたしだけでなく他の五人も同様に帰還し、同様に呆然としています。

 そこは拠点のほぼ中央にある “帰還の広場” という場所でした。

 以前第一層の要塞が炎上した際に、“真龍ラージブレス” によってアッシュロードさんたちが強制転移させられたことがありましたが、その経験を踏まえてトリニティさんが定めた場所です。

 一×一区画ブロック四方の広さがあり、帰還時の事故を防ぐために立ち入りが厳しく禁止されていました。

 まかり間違って転移してきた時にしまえば、“人の中にいる!” という想像するだに恐ろしい事態を招いてしまうからです。


「……どうやら、そのようだ」


 やはり呆気にとられた様子のレットさんが答えました。


「……でも、どうして? 六階じゃなくて五階に登ったの?」


 フェルさんも呟きます。

 梯子を登った先が “善”の人間が入れない第五層であるなら、理解できる話です。


「……いや、声は俺も聞いた」


「……ああ、俺も聞こえた。五階だったら “中立無属性” の俺やカドモフには聞こえなかったはずだ」


 カドモフさんが答え、ジグさんもうなずきます。


「……それはともかくとして」


 パーシャが引き継ぎ、


「「「「「「――助かったぁ~~~~~~!!!」」」」」」


 六人の安堵の叫びが重なって、全員が今度こそ誰に遠慮することもなく、思う存分ヘナヘナと座り込みました。


「――エバ様っ!?」


 わたしたちが拠点の中央で互いを支えにへたばっていると、聞き知った声が響きました。


(ああ、懐かしくて涙が出そうです。探索に出る前に聞いたばかりなのに、随分と長い間離れていた気がします)


 わたしは少しだけ瞑目して声の懐かしさに浸ると、


「ただいま帰りました、アン。みんなに変わりはないですか?」


 顔を上げて、驚いた表情を浮かべているアン・アップルトンに弱々しく微笑みました


「大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」


 アンは駆け寄ってきてわたしを支えると、泣きそうな表情で身体中に視線を走らせました。


「そんなに心配しないでも大丈夫ですよ。怪我はしていません。ただ疲れているだけです」


「――待っていてください。すぐに “聖水ホーリーウォーター” をもらってきますから!」


 言い残すや否や、アンはメイド服の裾をつまむと、救護所に向かって一目散に走っていきました。


「……もう、はしたないですよ」


 でも “聖水” はとても助かります……。

 わたしたちが持って出た分は、“立て札ゾーン” を突破した際に全部飲んでしまったので……。


 ほどなくして、両手に “聖水” の詰まった革袋を抱えたアンが戻ってきました。

 わたしたちはアンの手から水牛の皮で作られた水袋を受け取ると、全員で奪い合うように回し飲みして、失った体力と喉の渇きを癒やしました。


「ぶはーーっ! 甘露、甘露、生き返るーーーーっ!」


 パーシャがなんともオヤジ臭く生気を甦らせた隣で、


「これこそ慈雨の恵みね」


 水袋から口を離したフェルさんが、ホッと一息つきました。

 ホビットとエルフの見事なコントラスト……と言うべきでしょうか。


「みんな、動けるようになったのなら少しだけ移動しよう。ここは危険だ」


「おっと、そうだった。“人の中にいる!” はごめんだからな」


「うへぇ……せっかく生き返った気分なんだから、気色悪いこと想像させないでよ」


 どうにか体力と気力を取り戻したわたしたちは、それでも重い身体を引きずるように “帰還の広場” から出ました。

 そして再び座り込みます。

 さすがの “聖水” の効果も、“神癒ゴッド・ヒール” のように全快というわけにはいきません。


「お腹は減っていませんか? 簡単な物ならすぐに用意できますけど」


「お願い! お願い! お願い! ――あ、あと乾し葡萄レーズン――じゃなくて、親の敵みたく持ってきて!」


 アンの申し出に、パーシャが即座に反応しました。

 早速 “報復の報復” ――復讐の連鎖を始めるようです。


「……さすがホビットね。わたしはまだとても食欲は湧かないわ」


「……同感です」


 感心するフェルさんに、心の底から同意します。

 疲労困憊で、お腹は減っているのですが、胃が食べ物を受け付けられる状態ではないのでしょう。食欲がまるでありません……。

 まずは睡眠を摂りたいところですが、それはそれで神経が昂ぶっていてなかなか寝付けそうにありません……。


「とにかく今回も誰も欠けずに還れたんだ。今は好きなだけ休もう」


 実感の籠もったレットさんの言葉に、誰もがしみじみとうなずきました。


「――アン」


 食事の用意をしに立ち去りかけたアンを、わたしは呼び止めました。


「はい、なんでしょう?」


「アッシュロードさんたちは戻っていますか?」


「いえ、あのおふたりはまだ戻られていません」


「……そうですか」


 我知らず、声が沈みます。

 ま、まぁ、あのふたりに限ってもしものことなんてあるはずがないのですけどね。

 今回は、わたしたちの方が早く還れた。

 それだけのことです。

 胸に浮かぶ仄かな不安を無視して……わたしはそう思うことにしました。



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