雪辱

「……そうだ。ここだ」


 扉を開けて中に入ると、やがてジグさんがポツリと呟きました。

 そこは一×二の狭い玄室で、六人の視線の先には第二層二階へと下りる縄梯子が垂れ下がっています。

 扉を開ける前に気配を入念に探っているので、危険はありません。

 玄室にいるのは、わたしたちだけです。


 あの時と、同じように……。


 わたしたちは前回の “大長征” の際、一方通行の扉と多数の魔物に追い詰められ、一時的に第二層からこの玄室に待避したのです。

 そして、その直後にまた別の魔物と遭遇して……。


「……あの時、ここで “座標コーディネイト” を使っておけば、あんな苦労はしなかったのになぁ」


 広げた地図の上に、パーシャが深い吐息を落としました。


「そうすれば “昏睡ディープ・スリープ” から覚めたあと、すぐに戻れたのに」


「疲労で集中力が散漫になっていたのよ。生命力ヒットポイント精神力マジックポイントと違って、ハッキリとした数値に表われるものじゃないから……」


 フェルさんが、こちらは小さく嘆息します。


「良い方に考えましょう。わたしたちは失敗に負けることなく生還し、糧とすることが出来るのです。迷宮探索者としてはどんな戦利品にも勝る、本当に得がたい経験でした」


 わたしたちはパーティ結成以来最大の危機を乗り越え、レベルも上がり、装備も充実しました。

 なにより、これまで知らなかった迷宮の怖ろしさの “一端” を、肌に染み透るほどに経験できたことは、今後のわたしたちのとって何よりの財産となるでしょう。


「エバの言うとおりだ。結果的に、二重構造区域エリアを含む第二層のほぼ全てを踏破できたのだからな」


 そう言うと、レットさんは視線をパーシャに向けました。


「確認は済んだか、パーシャ」


「うん。ヴァルレハの地図に間違いはないよ」


 パーシャはうなずくと、地図を丁寧に巻いて懐にしまい込みました。

 今日の探索の目的は、わたしたちが休養中に “緋色の矢” の皆さんが踏破し地図に記した区画を、自分たちの目で確認することです。

 模写に書き損じはないか、そもそもの原本に間違いないか。

 探索者は自分たちの目で見た迷宮と、自分たちの地図係マッパーが描いた地図しか信用しません。

 ヴァルレハさんが優れた地図係であることはわかっていますが、これはもうわたしたちの習性としか言い様がありません。


「――よし、次だ。“毛糸玉” に行くぞ」


 レットさんが出発を指示します。

 次はこの階層フロアの中心付近に存在する、わたしたちが “毛糸玉” と呼ぶ玄室群の確認です。

 前回は “ゴブリンオーク” の大群に追われて一目散に駆け抜けたため、細部が未確認なままなのです。


「…… “緋色の矢” も、あそこの探索は不充分だと言っていた」


「“動き回る蔓草ストラングラー・ヴァイン” と “コカトリス” に出会っちまったら、そら還るしかないわな」


 ボソリと呟いたカドモフさんに、ジグさんがおかしげに笑いました。

 スカーレットさんたちは “毛糸玉” を探索中に、“動き回る蔓草” と “コカトリス” に連続で遭遇し、これを撃退しました。

 どちらもネームドレベル7以下の魔物ですから、“コカトリス” の石化にさえ注意すれば、 全員が熟練者マスタークラスのスカーレットたちの敵ではありません。

 敵ではないのですが……。


「葡萄はともかく、美味で知られる “コカトリスの肉” ですもの。打ち捨てていくにはちょっと勇気がいるわ」


 フェルさんも苦笑します。


「それがトリニティさんの指示ですから。あの人は何よりもを重視する方です。一〇〇〇人の衣食住を満たしたうえで、余力があれば探索を進める考えなのでしょう」


 トリニティさんは、“大アカシニア神聖統一帝国” の筆頭国務大臣 兼 財務大臣。

 言うなれば、世界最大の帝国の兵站責任者です。

 まず人々の生存を確保し生活を安定させることが、思考の根底なのです。

 食料の確保は、その最優先事項といって間違いありません。


「素人は作戦を語り、玄人は兵站を語る――ですよ」


 得意げにいったわたしに、パーシャが『ほぇ~』とした顔を浮かべます。


「あんたって、たまに深いこというよね(覚えておこう。良い言葉だわ)」


 ま、まぁ、すべてお父さんの受け売りなのですが……。


「――ま、あたいはまだ “転移テレポート” は使えないからね。も捨てていくしかないんだけどさ」


((((((……もったいない……))))))


 わたしたちは心中に、とてもとても激しい葛藤を抱きながら先を目指します。

 まったく “毛糸玉” とは言い得て妙で、この階層の中央部は連続する小さな玄室が、中心に向かって固まっているような構造をしています。

 玄室には当然占有ねぐらにしている魔物がいることが多く、それらを殲滅しながら探索していく必要がありました。

 前回は文字どおり、蹴散らし蹴散らし脇目も振らずに突破していったため、玄室の細部までは調べていません。

 今日は隅々まですべて確認していきます。

 そして一〇室目の玄室での戦闘に勝利し、その片隅を調べたとき、不意に目眩にも似た浮遊感に襲われました。


(――転移地点テレポイント!)


 さあ、いよいよ 迷宮が牙を剥いてきたようです。



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