トリニティ、ぼやく

 眩い山吹色の光が、室内を満たした。

 一〇メートル四方の正方形の部屋だが、地下迷宮の玄室とは違い、染みひとつない純白の大理石で造られていた。

 飾り気はないが気品と――宗教的建造物特有の荘厳さがあった。

 光が徐々に部屋の中央に向かって、集束を始める。

 やがてそれは、中心部に置かれた台座の上で人の形を成しはじめ、光が消失すると同時に、一糸まとわぬ女が現われた。

 侍していた修道尼たちが駆け寄り、台座から下りる女に部屋と同色の僧衣を掛ける。

 肌を隠された女は、修道尼たちに一瞥をくれることもなく、早足で “帰還の間” を出た。

 同じく大理石の長い回廊には、尼僧たちの歌う清澄な賛美歌が漏れ聞こえている。

 聖職者系第六位階の加護 “帰還リターン” で、自らの信仰の総本山に舞い戻ったニルダニスの高司祭は、城塞都市 “大アカシニア” で起きた変事を報告すべく、最高司祭長アーク・ビショップの元へ急いだ。


◆◇◆


「…………はぁ」


 身分や役職に比べて簡素なチュニックをまとった女性が、大きくて豪奢な御影石の執務机の向こう側で、ため息を吐きました。

 女性は一見するととても若く(幼くといった方がしっくりくるほどです)、小柄な人です。

 普段は知的でミステリアスな微笑を浮かべている顔に、今はあからさまな困惑……いえ呆れ顔が浮かんでいます。


「…………はぁ」


 女性が再び、深いため息を漏らしました。


「おまえたちは、いったい何をしているのだ?」


 “大アカシニア神聖統一帝国” の筆頭国務大臣にして、“紫衣の魔女大魔女アンドリーナ” を除けば帝国最強の魔女っ子……ではなく最強の魔法使いスペルキャスタートリニティ・レインさんが、来客用のソファーに座るわたしたちにました。


 財務大臣(筆頭国務大臣が兼務)の執務室には、トリニティさんの他に、わたしと、そしてもちろんご主人様がいました(主人と奴隷は一心同体なのです)。

 わたしはお行儀良く揃えた膝の上に、最高級の紅茶が入れられたティーカップとソーサーを載せて、にこにことトリニティさんを見つめており、ご主人様は対照的なゲンナリした顔で、猫背をますます丸めています。


「“ニルダニス大聖堂” から、リーンガミルの王城政府を通じて厳重抗議がきているぞ。『貴国の筆頭近衛騎士が、我らが女神の現人神あらひとがみたる “聖女” を奴隷にした挙げ句、こともあろうに土下座させるとはいったい何事か、即刻事情を調査し “聖女” を解放しろ。改善がなされない場合はすべてのニルダニス信徒への挑発と見なす』……とな」


「それはまた、随分と激烈な調子ですね」


「これでもまだやわらかく表現しているのだが」


「ですが認識に齟齬がありますね。わたしは確かにご主人様の借金奴隷になりましたが、あれは土下座ではなく、わたしの生まれた国に伝わる(女が嫁入りする際の夫となる人への)古式ゆかしい挨拶ですよ」


「それがはたから見たら、土下座以外のなにものでもなかったのだよ」


「それにしても早いです。わたしがご主人様の奴隷になってから、まだ三日しか経っていないのに」


「それだけあれば充分だ。ニルダニスの高司祭は、総本山であるリーンガミルの大聖堂と “帰還” の加護を使って行き来しているからな」


「ああ、“すっぽんぽん” の」


 わたしの言葉に、トリニティさんが苦笑を浮かべました。

 “帰還” の加護は、嘆願した者とそのパーティを事前に指定した場所に瞬時に送り返す大変便利な加護ですが、欠点もあって、それは生身の体しか送れないということです。

 武器や防具はおろか下着すらも駄目で、すべて加護を嘆願した場所に打ち捨てていかなければなりません。

 つまり、帰還したときには生まれたままの姿……というわけです。

 ですがそれさえ許容できれば、どんな離れた距離でも一瞬で移動できるので、ニルダニス寺院では緊急時の連絡に使っているのでしょう。

 悪事ではないにもかかわらず、わたしとご主人様の噂はリーンガミルまで千里を走ってしまったのです。


「そもそも誰がッたのです? あの時、周りには誰もいなかったはずなのに」


 文字どおり一夜にして、あの翌朝にはわたしがご主人様の借金奴隷になったことが城塞都市中に拡がってしまい、大変な騒ぎになっていました。

 まったく迷惑な話です。


(……あれだけ大騒ぎしておいて、誰もいなかったもねぇもんだ)


 ご主人様が何か言いたげな目つきでわたしを見ましたが、キニシナイ。


「おおかたドアの隙間から覗き見られていたのだろう――それよりも、だ。わたしは陛下からこの問題への対処を命じられている。なんとかしなければならない。この忙しいときに迷惑なことだよ、まったく」


「それは……すみませんでした」


 ご主人様とわたしの個人的な契約が、“火の七日間” の後始末に追われるこの時に、なにやら国家間の問題にまで発展してしまったようです。


「まぁ、今回はたまたまおまえたちだった――というだけだがな」


「……?」


 トリニティさんの言葉に怪訝な顔をしたわたしに、


「……例の騒ぎの直後だからな。揺さぶりをかけてきたのさ」


 面白くもなさそうに(本当に面白くもなさそうに)、ご主人様がボソリました。


「アッシュの言うとおりだ。先の騒乱の影響を測ってきたのだろう。この件でこちらが下手を打てば、それだけ帝国が動揺していると言うわけさ。馬鹿な話だ。あの程度の騒ぎで、この “大アカシニア” が小揺るぎもするものか」


「…………なるほど」


 とおふたりの説明にうなずきますが、実感はありません。

 騒ぎ……馬鹿な話……小揺るぎもしない。

 わたしとってあの “火の七日間” は、あまりにも身近で生々しすぎて、とても歴史の教科書を流し読むような、俯瞰した見方はできないのです。

 わたしは少し冷めてしまった紅茶を、静かに口に含みました。


「それでどうする気だ? コイツの借金を国が肩代わりするってのか?」


 カシャン、


 ティーカップとソーサーが予期せぬ衝突をして、耳障りな音を立てました。

 わたしの中で、泣き叫びたくなるような不安が一気に膨らみます。

 しかしトリニティさんは気をとめるでもなく、ご主人様に言葉を返しました。


「そんな真似はできない。我が帝国は世界に冠たる法治国家だ。厳正なる法とその執行をもって秩序を維持している。一個人の正統な契約に国家が介入するなどあってはならないことだ。そんな真似をすれば統治の根幹が揺らいでしまう。影響は迷宮から魔物が湧き出したどころの話ではない――これは我が国への重大な内政干渉に他ならない」


「なら、これを口実に宣戦布告するか?」


「選択肢には含まれている――我が帝国は上帝トレバーン陛下の領国だぞ。当然だろう」


 驚いた顔をするわたしに、トリニティさんが事も無げに言います。


「だが、今回はそのオプションは採られまい。陛下の戦の虫は今のところ治っている。向こうから軍事的挑発がなされぬかぎり、戦闘国家 “大アカシニア” が荒ぶることはひとまずあるまい」


のガス抜きだな」


 上帝トレバーン陛下が妙手と讃えた “紫衣の魔女” が引き起こした騒乱劇は、一時的にとはいえ彼の人の危険な欲求を充たしているのです……。


「それじゃどうする? 国は肩代わりできねえ、宣戦布告もしねえじゃ、あとは適当な返事をしてお茶を濁すか、黙りきめこんで無視するか」


「どちらも駄目だな。リーンガミルに弱腰と見られる。やつらも調子に乗るだろうし、こちらとしても業腹だ。だいいち、それでは陛下がご納得しない。下手したらわたしの首が比喩ではなく飛んでしまう」


「それならいったい……」


「ある意味これは好機なのだよ。わたしがかねがね望んでいた機会を、向こうから提供してくれたのだ。これを奇貨として、わたしはこの目でリーンガミルの内情をしかと見てくるつもりだ」


 わたしとご主人様の前で、“大アカシニア神聖統一帝国” の宰相である女性が、意地の悪げな笑みを浮かべました。


◆◇◆


「今帰ったよ」


「あ、マンマ! お帰りニャ!」


「好い児にしてたかい?」


「もちろんニャ! ニャーはいつも好い児ニャ!」


「そうか、そうか。それじゃ好い児にはご褒美をあげないとね」


「ご褒美!? なんニャ!? スィートロールかニャ!?」


「もっとずっといいもんさね――ノーラ、おまえ国外旅行とか行ってみたくないかい?」



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