愛しい人

 状況は錯綜していた。

 “前線基地駆け出し区域” の後方に浸透された帝国軍は、地上との連絡を遮断されたのみならず、指揮官のドーラ・ドラが負傷。

 次席指揮官である第四中隊長が所在不明(“毒巨人ポイゾンジャイアント” の 毒息ブレスで溶解し死亡)になっており、指揮系統が壊滅的に混乱していた。

 各所で戦っていた兵士たちは自分たち以外の状況が分からず、他の部隊は無事だろうという前提――思い込みで動いていた。

 実際には前後から挟撃され、その前後の部隊とも潰走寸前という危機的状況だった。


「――スカーレット!」


 最前線の要衝である “ウォール” を放棄し、半減した守備兵を背後の扉の奥に待避させたスカーレットの耳に、聞き覚えのある声が響いた。

 このときスカーレットは、工兵隊が取りつけた頑丈なかんぬきと、重ね掛けした障壁の加護で固く施錠した扉に寄りかかり、脂汗を流して喘いでいた。

 “毒巨人” の毒息をわずかだが吸い込んでしまったのだ。

 危うく肺が腐るところだった。


「スカーレット・アストラ!」


 もう一度名前を呼ばれて、緋色の髪の女戦士は重い目蓋を上げた。


「どぅ……した?」


 彼女の喉から自分でも驚く掠れ声が漏れた。

 しかしその驚きも、次の瞬間には消し飛んでいた。


「レット!」


 革鎧レザーアーマーを着込んだ若い男――確かジグリッドとかいう盗賊シーフに担がれていたのは、蒼白で虚ろな表情をしたレトグリアス・サンフォードだったからだ。

 首に巻き付けた布きれが、吸い込んだ血によってドス黒く染まっている。


「どうした、なにがあった!?」


「“達人ハイマスター” にやられた!」


「なに!?」


 スカーレットだけでなく、その周囲にいる探索者や守備兵たちに動揺が走った。

 迷宮最強格の魔物ではないか!

 そんな奴に後方を侵されているのか!?


「“神癒ゴッド・ヒール” を頼む! あんたの仲間に使える僧侶がいるだろう!」


「ノエル!」


 言われるまでもなく、スカーレットはパーティの回復役ヒーラーであるノエルを振り返った。

 ノエルは驚いた。

 スカーレットがこれほどまでに狼狽しているのを初めてみたからだ。


「――そこに寝かせて! 静かによ! 失血死直前だわ! 少しでも刺激を与えたらショック死する!」


 ノエルがレットの紫色に変わっている唇を見て鋭く命じた。

 レベル12の 僧侶プリーステスであるノエルは、究極の癒やしの加護である “神癒” を授かっている。

 この加護を願えば、たとえ死の直前の状態からだろうと瞬時に全快する。

 ただし心臓が動いていればの話だ。

 心停止してしまえば “神癒” は用をなさなくなる。

 ノエルはレットのかたわらにひざまづき、女神への祝詞を唱え始めた。

 どうやらギリギリのところで間に合ったらしい。

 スカーレットとジグリッドが、同時に安堵の息を漏らす。

 そして同時に呟く。


「「……礼を言う」」


 そして同時に顔を見やる。

 

「あ、いや――つまり、レットをここまで運んでくれてだな、それは大変な作業だったと思うのだよ! だからわたしはその労力に対して――」


 しどろもどろのスカーレットにジグは、


「こっちこそ、貴重な “神癒” を分けてくれて感謝する。この例は必ず


 と絶妙の答えを返した。


「そ、そうか。うむ、それは――期待していよう」


 ぷっ、と噴き出す祈祷中のノエルを除く、ヴァルレハ以下の仲間たち。

 スカーレットが真っ赤な顔で睨み付けたとき、背後の扉がズンッ! と震えた。


「“壁” を放棄したのか?」


「ああ、“毒巨人” 相手に “滅消” なしでは戦えぬからな」


 スカーレットは扉に体当たりをしているだろう毒々しい巨人の姿を想像して、吐き捨てた。


「パーシャは無事か? 今はあの娘が持っている指輪が必要だ」


「“達人” を “ボーパルキャット” が抑えてくれてるなら無事だろう。そうでなければ――」


 ――それ以上のことなどわかるものか。


 ジグは憤りの言葉を呑み込んだ。

 状況は錯綜を通り越して、もはや混乱に陥りつつある。

 そして完全に陥る前に行動するべきだ。


「あんたの言うとおりだ、スカーレット。ここで “毒巨人” を迎え撃つのは無理だ。後退してパーシャと合流しよう」


 とっととパーシャを助けに行って、あいつの魔法の指輪を頼るしかない!

 ジグの目は、そう叫んでいた。

 もちろん、スカーレットにも否やはない。

 彼女が臨時に指揮を任せれていた第四中隊第一小隊は、探索者 “緋色の矢” を加えても二〇人と少しにまで半減してしまっている。

 後詰めですぐ後方に待機している第二小隊と合流しなければ。

 第二小隊に配属されている数少ない魔法使いスペルキャスターが是が非でも必要だ。


「“第一” の手前まで後退するぞ! 第二小隊と合流する!」


 スカーレットの号令に、生き残った叩き上げの小隊長が頷いた。

 半数の部下を失い、顔には色濃い疲労が滲んでいた。

 駆け足でその場を離れるスカーレットたちの背中に、“毒巨人” が扉に体当たりする重く激しい衝撃音が響いた。


◆◇◆


 ――とにかく、混戦・乱戦を治めて、敵と味方を切り離さないと!


 パーシャは二人の仲間と、意識を失っているドーラ・ドラを運びながら必死に打開策を探った。

 戦いで敗北が濃厚になったら、まず何はなくとも退くのだ。

 退いて距離を取り、そして態勢を立て直す。

 この際、小数の捨て駒を作るのも仕方がない。

 今回の場合は第三小隊がそうなるだろう。

 第三小隊を捨て石にして、無傷の第二小隊であの “旗本ハタモト” を迎え撃つ。

 “旗本” は魔法は使えない。

 加えて第三小隊との戦闘で、幾分かは損耗しているはずである。

 第二小隊に配属されている小数の魔術師や聖職者と自分やフェルが協力すれば、充分に勝機がある。

 この際、第三小隊の生き残りを少しでも回収する。

 その為にも、とにかく今は第二小隊と合流するのだ。


 回廊を東に後退するパーシャたちの前に、今や帝国軍の唯一の拠点となった玄室 “第一” との分岐路が見えてきた。

 東に直進して扉を越えれば “壁”

 南に折れれば “第一” である。

 ほんの半時間ほど前に彼女たちはこの南側の回廊から、鳴り響く鳴子アラームの原因を探るべく飛び出してきたのだ。


(……レット……ジグ……)


 パーシャが別行動を採った仲間を思い唇を噛みしめた、その時――。

 目の前から、そのレットを肩に担いだジグが血相を変えて走ってきた。

 しかも大勢の兵士たちの先頭に立って。

 しかもその兵士たちのすぐ後ろには、四体の “毒巨人” がドスンドスンと迫っている。


「――はぁ!?」


 あれは第二小隊じゃない!

 自分たちが合流しようとしていた最後の希望が、凶悪な巨人に追われて潰走してきている! ホビットの少女は両手で頭を抱えた。


「パーシャぁ!! 指輪っ!! 指輪っ!!」


 パーシャの素っ頓狂な声を上書きするように、ジグの怒声が響いた。


「馬鹿ジグッ! その位置取りで “滅消ディストラクション” は使えないわよ!」


 ジグや兵士たちごと塵にしてしまう!

 壁際に寄せるにも人数が多すぎる!


「そのまま南に――左に折れて! “第一” に逃げ込んで!」


 パーシャが怒鳴り返す。


曲がれTURN! 曲がれTURN! 曲がれTURN!」


 左手をぐるぐる回して誘導するパーシャの前を、文字どおり死に物狂いの形相で兵士たちが駆け抜けていく。


(いったい全体、これってば何の冗句!?)


 当事者でなければ、パーシャはきっと腹を抱えて笑い転げていただろう。

 それほど眼前で展開されている光景は、一見すると滑稽で喜劇的だった。

 だが逃げている兵士たちも、その尻を叩いているパーシャも、大真面目である。

 少しでも速度をゆるめれば巨人に取って喰われてしまう。

 そして最後の兵士が全速力で回廊を曲がり終えたとき、パーシャは叫んだ。


「――まったく! あたしは指輪の付属品じゃないっての!」


 だが、それももうすぐ終わりだろう!

 これで経験値の山である “毒巨人” を都合八体仕留めることになる!

 そうすれば一気にレベル9まで成長し、自前で “滅消” の呪文を唱えられるようになるはずだ!


(そのためにも今一度がんばって、あたいの―― “いとしいしとmy precioussss” !)


「――召しませ、ホビット神速の指輪、ここにあり!」


 パーシャが彼女の代名詞とも言うべきホビット流の口上と共に、右手を親指を突き出す!


 突き出す!

 突き出す!

 突き出す!


「……え?」


「パーシャ、指輪が!」


 すぐ後ろにいたフェリリルが悲鳴を上げた。


 パーシャが慌てて視線を向けると、彼女の “いとしいしと” はそれまでの金色ではなく鉛色に変わっていた。



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迷宮保険、初のスピンオフ

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連載開始

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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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迷宮無頼漢たちの生命保険

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出演:小倉結衣 他

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