心の旅

 わたしがその人の名前を叫んだ瞬間、目の前の白い壁が蒼白い聖光を放ち、それからスゥ……と音もなく消え去りました。


 ガコンッ! ガコンッ、ガコンッ、ガコンッ――!


 さらに壁の奥の空間――一×一区画ブロックの玄室に、突然石造りの階段がせり上がり、遙か上方へと積み重なっていきます。


「……嘘でしょ」


 リンダの呆然とした呟きが聞こえます。

 わたしも同じです。

 おそらくはわたしが現出させたであろうこの奇跡を、わたし自身が信じられないでいました。

 そうだ、道行くん……道行くんは……。

 わたしはすぐ後ろにいるはずの道行くんに振り返りました。

 ですがそれよりも速く、腕の中のノーラちゃんが叫びます。


「――臭う! 臭うニャッ! 掃除されてにゃい砂場よりも強烈に臭うニャッ!」


「に、臭うって何が――何が臭うの?」


 両手で鼻を覆って顔を顰めるノーラちゃんに、ギョッとして訊ねます。

 ノーラちゃんは三角形の小さな耳をピンと立てて、玄室を忙しなく見渡しています。革鎧レザーアーマーに隠れていない体毛がこれ以上ないほどに逆立っていて――。


「あいつらニャッ! 目がウサギ真っ赤なとんがり耳と、蝙蝠羽の露出狂女ニャッ!」


「あの “淫魔インキュバス” と “夢魔サッキュバス” か」


「瑞穂が出口を開いたんで、すっ飛んで戻ってきたってわけね」


 ノーラちゃんが叫び、道行くんとリンダが身構えます。

 そして、


「――ここは俺に任せて、お前らは行け」


 道行が、わたしたちを背にして言いました。


「道行くん!」


 そんな! そんなの、このなの急すぎるよ! こんなお別れなんて嫌だよ!


「……また、あっちの世界でな」


 道行が肩越しに振り返って、わたしに微笑みます。

 涙が……涙が溢れて……。

 言葉が……言葉にならなくて……。


 道行くんっ! 道行くんっ! 道行くんっ!


「……うんっ」


 ……うんっ……うんっ……うんっ!


 わたしはギュッと目をつぶり、両手を握りしめてうなずきました。

 そうする以外、それ以外のことをしたら、彼に抱きついて離れられなくなってしまうからです。


「……その子を無事にマンマのところに帰してやってくれ」


 道行くんがリンダに向き直り、リンダがハッとしたときでした。

 濃厚な妖気が周囲に溢れました。


「――行けっ! 走れっ!」


「行くよ! 瑞穂!」


「――っ!」


 わたしは唇を噛みしめ、ノーラちゃんの手を引いて現われたばかりの階段を駆け上がりました。

 ブーツを通して石造りの硬い感触が伝わってきます。

 幻ではありません。

 幻ではありません。


(――道行くんっ! 幻じゃないよ、この階段!)


◆◇◆


「KiSyaーーーーーーッッッ!!!」


「――それじゃ、おっぱじめるか。正真正銘、この “冒険アトラクション” のラストバトルってやつをよ!」


 寂寥感を戦いの高揚感に変えて、道行が叫ぶ。

 眼前に空間を歪めて現われたのは、つい先ほどまで仲間だと――親友だと思い込んでいた二匹の魔物――魔族だ。


「てか格好悪ぃな! でかい口叩いて颯爽と退場したわりに、血相変えて戻ってくるなんてよ!」


「KyIiiiッッッ!!! お退き、お退きよ! “聖女” を目覚めさせるわけにはいかないんだよ!」


「退けっ、道行っ! 退かないとその腹を引き裂いて臓物を引きずり出すぞ!」


「空高、下品だぞ! どうした、地が出たか!?」


 挑発を繰返しながら、二匹の魔族の注意を引きつける道行。

 本来なら前衛職の役目だが仕方がない。

 幸いなことに、人でも魔物でも怒らせるのは彼の特技だ。


 “淫魔空高” と “夢魔リンダ” は共にレベル8。


 レベル9の道行よりも低いが、二匹とも魔族だけあって呪文に対する抵抗力を持っている。

  魔術師メイジの道行が単独ソロで殺り合うには嫌な相手だ。

 だから道行は出来るだけ時間を稼ぎたかった。

 少しでも瑞穂たちを現実の世界へと近づけるために。

 その出口へはおそらく地下一階よりもさらに上――地上にあるはずだ。

 道行はそう確信していた。


(――あの真面目で律儀者の瑞穂の夢だ。お約束だろ!)


「その焦り様、よほど瑞穂を現実の世界に戻したくないらしいな! ”大魔女アンドリーナ” 様はよっぽど怖いご主人様とみえる!」


 さらにヘイトを稼ごうと発した言葉だったが、返ってきたのは道行の予想外の反応だった。


「―― “アンドリーナ” だって!? あはははっ! なに言ってるんだい、あたしたち誇り高き魔族があんな人間如きの指図で動くものか!」


「……なに?」


「リンダの言うとおりだ。ふん、そうだな。良い機会だから教えてやるよ。あの聖女は “とんでもないお方” に目を付けられている。まったく馬鹿な奴らだよ。ここで、この “薔薇色の牢獄” でいつまでも幸せに暮らせばよかったものを。万が一ここから出られたとしても、あの女を待っているのは文字どおりの地獄だぞ、道行!」


 直後、“夢魔サッキュバス” の唱えた “氷嵐アイス・ストーム” が吹き荒れた。

 道行は魔力の発動を察したと同時転がり避けたので、氷の乱刃の直撃こそ受けなかったが、猛烈な冷気による凍傷は負った。

 魔術師には二回と耐えられないダメージだ。


「……ぐっ!」


「あははっ! 散々挑発しておいてその様じゃ、格好悪いのはどっちだろうね!」


「魔術師は脆弱だな。物臭しないで戦士を選んでおけばよかったんだよ、


「……そうでもないさ。魔術師だからこそ、おまえらを殺れるってこともあるんだぜ」


「“殺る” ? あたしたちを?」


「道行、おまえも知ってるだろう? 俺たち魔族には大気エーテルの伝播をある程度遮断する能力があるってことを」


「そうそう、あんた達が耐呪レジストって呼ぶ力さ」


「“氷嵐アイス・ストーム” を使い切ってるおまえに残ってるのは、最大でも “凍波ブリザード” か “焔嵐ファイア・ストーム” だ。このふたつの呪文じゃ、一発で俺たちの生命力ヒットポイントは削りきれない。運がよくて二発。悪ければそれ以上の回数を当てなければならない」


「……それで?」


「おやおや、ここまで説明されてもわからないのかい? あんたは耐呪レジスト能力のあるあたしたちに、最低でも二発の呪文を直撃させないとならないんだよ。それに引き換え、あんたはあと一発でボンッ! あの世行き」


「……なるほど。確かにそれは願い下げだな」


「そうだろう? そこで提案なんだけどさ、道行くん。あんた、あたしに? あんたのこと嫌いじゃなかったのよねぇ。むしろタイプっていうか」


 “夢魔サッキュバス” が真っ白な裸身をくねらせて舌なめずりした。

 鮮血ように赤い唇が妖艶に蠢く。


「どう? 凍死する寸前って気持ち良くなるらしいけど、呪文で氷漬けにされるよりも、よっぽど天国を感じさせてあげるわよ」


「……それも願い下げだ」


「なぜよ!?」


「……決まってる。俺はこれでも面食いなんだ」


 一瞬の間を置き、道行の言葉の意味を理解した “夢魔” が激高する。


「SyAaaaッッッ!!!! このあたしに向かってよくも言ったわね! 気が変わった! 地獄の炎で焼かれて死ぬその瞬間までもがき苦しむがいい!」


 憎悪に顔を歪めて牙を剥き、期せずして道行の正しさを証明してしまった “夢魔”

 その醜悪な魔族の女に向かって、道行が言い放つ。


「ひとつ忘れてるぜ。俺の特技は人を怒らせること+ “悪巧み” だ」


 道行がローブの衣嚢かくしの中でを握り潰す。

 途端にミルクよりも濃い乳白色の霧が玄室に満ちあふれた。


「“霧の玉” か!?」


「ご明察。さすが伝説の “夢魔” さまだ」


 目の前で鼻を摘まれてもわからない濃霧の中で、自分が瑞穂に言ったのと同じ嘲りを受けて “夢魔” が怒り狂う。


「魔族を甘く見るんじゃないよ! あんたの精気はこんな霧ぐらいじゃ誤魔化せないんだよ! もういい、お喋りはしまいだ! 消し炭になって消えちまいな!」


 “夢魔” が道行の宿す精気に向けて “焔嵐ファイア・ストーム” の詠唱を始め、“淫魔” がそれに追随する。


 道行は動かない。

 いや、正直にいうと動けなかった。

 “氷嵐” よって受けた凍傷は重く、身体の自由と呪文の詠唱に必要な集中力を奪っていた。

 そのため彼は挑発した。

 もっとも惨たらしい死を、自分にために。

 それは吸精エナジードレインよりも凍死。

 凍死よりも焼死のはずだった。

 そして二匹の魔族の呪文が完成する――その直前、道行が笑った。


「魔族ってのは馬鹿じゃないかもしれんが間抜けだな。だから人間如きに足元をすくわれる」


 何かが二匹の足元に投げつけられ、玄室の床に砕けた。

 魔術師だからこそわかる、呪文が完成する刹那のドンピシャのタイミングだった。


「――燃焼促進剤だぜ」


 最初歩の “火弓サラマンデル・ミサイル” の呪文を、ひとつ上位の “焔爆フレイム・ボム” 並の威力にまで引き上げる燃焼性の高い油である。

 まして火炎系の呪文では最上位の “焔嵐” 、それも倍掛けに添加したのだ。

 その火勢は “対滅アカシック・アナイアレイター” に匹敵する熱量となった。


(……Good Luck幸運を


 道行が心の内で呟くと、大気エーテルによる魔力の伝播など関係なく、“イラニスタンの油” に発火した二発の “焔嵐” が玄室内を一瞬で席巻し、充ちていた乳白色の濃霧を橙に染めた。


◆◇◆


 階段を駆け上がるわたしたちの背後で、轟音が響きました。

 空気が震え、続いて真っ赤な炎が逆巻きながら追い掛けてきます。


「――走って!」


 リンダが叫び、わたしたちは再び走り出しました。

 あんなものに巻き込まれたら、ノーラちゃんはもちろん、リンダや一番生命力が高いわたしでも絶対に助かりません。

 加護を嘆願して障壁を張っている余裕はありません。

 今は走るしか――駆け上がるしかないのです。


 炎の奔流の勢いは凄まじく、あっという間に追いすがってきます。

 “恒楯コンティニュアル・シールド” の加護に守られていてなお、その熱はわたしの肌を焼くようでした。


(――いけない! ノーラちゃんとリンダは “恒楯” に守られてはいない!)


 ふたりに加護を願っておく余裕なんていくらでもあったのに。

 後悔の臍を噛んでも、後の祭です。


 走って、走って、走って!

 ぜぇぜぇと吸い込む空気は乾燥しきっていて、まるで肺を焦がすようです!

 迫り来る猛炎がわたしを、ノーラちゃんを、リンダを舐める、舐める、舐める!

 舐める! ――直前で、からくもわたしたちは炎の追撃を振り切りました。


「「「――はぁ、はぁ、はぁ!」」」


 長い階段の途中で立ち止まり、肩で荒い息を吐きながら後ろを振り返りました。

 ドッと噴き出した汗が、露出している肌を滝のように流れます。

 石造りの冷たかった階段は真っ黒に焼け焦げ、太陽を直視しているような熱が籠もっています。


「……道行くん……」


 わたしは呆然と呟きました……。

 あんな炎に巻かれてしまったら……道行くんが……。


「どこへ行く気!」


 階段を戻りかけたわたしの手を、リンダが掴みました。


「離して! 道行くんが! 道行くんが!」


「甘ったれないで!」


 鞭のように飛ぶ、リンダの一喝。


「階段を登った時点で、あんたは彼を犠牲にすることを選んだのよ!」


「ぎ、犠牲」


「そうでしょ! そうじゃないの!? あんた、その覚悟もなくて彼を置いてきたの!? もしそうなら彼が――道行くんが滑稽すぎるわ! 死に損よ!」


 パンッ!


 右手が一閃して、リンダの頬を張り飛ばします。


「エ、エバ」


 ノーラちゃんが心配げにわたしたちを見上げています。


「……行きましょう。出口は、地上はもうすぐです」


 唇を噛みしめて。

 頬を伝う涙を無視して。

 わたしは階段を登りました。


 進むは、闇。

 待ち受けるは、死。

 立ち向かうは、絶望。

 そして目指すは、一筋の光。


 彼方に涙に滲む “光の正方形” が輝いていました。



 目尻から涙滴が零れる落ちる感触に、わたしは目を覚ましました。

 冷たく硬い感触のする岩の床に、わたしは寝かされていました。

 薄暗く湿気に充ちた、かびこけの匂いのする場所です。

 一瞬、つい今し方までいたアトラクションの玄室かとも思いましたが、どうやら違うようです。

 燭台に灯された蜜蝋の火が地下室の岩壁に影を揺らしています。

 わたしは魔方陣の中にいて、左右にはリンダとノーラちゃんが寝かされていました。

 微かに身じろぎがあり、ふたり共に覚醒する兆しが見られます。

 椅子に座って毛布にくるまっていたハンナさんが、驚いた顔で立ち上がりました。

 一緒にいたダイモンくんやクリスくん、セダくんにエドガーくんも同様です。


 わたしは身体を起こすと、お腹にそっと手を当てました。

 そして顔を上げます。


「――行きましょう。あの人が戦っています」



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