不確定要素

 ノーラは不確定要素だ。

 目の届かない場所で妙な真似をされて、それが自分の妨げになったら困る。

 そう、自分は目的があってこの世界にきたのだ。

 その妨げになるような存在は……。

 リンダは左の腰に手を伸ばした。

 すでに馴染んで久しい短剣ショートソードの金属製の柄に、指先が触れる……。


「――リンダ?」


 右手が短剣の柄を握りかけたとき、突然背に人の声を受けた。

 リンダは目を閉じ、全身に懐かしさとそれ以上の強い想いが拡がるのを感じた。


(……どうして)


 会いたくなかった。

 会いたくなかった。

 会いたくなかった。

 会いたかった。


「なんだ? その格好?」


 目を開けて振り返ると、そこに私服姿の “志摩隼人(しま はやと)” が目をパチクリさせて立っていた。

 リンダは咄嗟に言い訳を考えて、すぐに大きな問題に打ち当たった。

 自分はともかく、路上で倒れるている猫人フェルミスの幼女を、どう誤魔化せばいいというのか?


「は、隼人……」


 必死に笑顔を浮かべようとするが、顔の筋肉が麻痺したかのように強ばって不自然な笑みにしかならない。

 隼人がいる。

 隼人がいる。

 隼人がいる。

 目の前に、あの隼人がいる。


「う、う~ん……」


 その時、ノーラが微かな呻き声を発した。

 昏睡しているわけではなかったのだ。眠りが浅くなり覚醒しかけている。


「――え!? なに、その子!?」


 隼人がアスファルトに倒れ込んでいるノーラを見て仰天した。


「し、親戚の子なの。公園でコスプレの撮影してたら疲れて眠っちゃって――それで家まで運んでたんだけど、意外に重くて。こ、この子の趣味なのよ。すごい特殊メイクでしょ。プロ顔負け」


 苦しい。ツッコミどころが満載だ――内心で冷や汗を掻くリンダ。


「そ、そうなんだ。そんな親戚の子がいたんだ」


「う、うん、遠い親類なのよ」


「重いなら、俺が運ぼうか?」


「へ、平気! 駄目なのよ、この子! 人見知りが酷くて、起きたときに知らない人がいたら大泣きしちゃう!」


 人見知りの子供がコスプレなんて、不自然すぎて笑うしかない。

 それでも隼人は、リンダの “なにやら訳ありの様子” に、それ以上突っ込んだ質問はしてこなかった。

 長い……長い付き合いなのだ。

 それぐらいの呼吸も間合いもわきまえている……。


「じゃ、背負わせるだけでも」


「そ、そうね、お願い」


 隼人がノーラを優しく抱き上げて、屈んだリンダの背に預ける。


「いいか?」


「OK」


 たったそれだけの単純なやり取りなのに、リンダの心は使い慣れた短剣で串刺しにされたように痛んだ。


「あ、ありがとう」


「大丈夫か?」


「うん、すぐそこだから」


「それじゃ、俺は」


「――瑞穂のところに行くの!?」


 そういって、立ち去りかけた隼人をリンダは思わず呼び止めてしまった。


「え?」


 隼人はキョトンとした顔で立ち止まり、


「瑞穂? なんで日曜まであいつに会いにいかなきゃならないだよ」


「……え?」


「いつも学校で会ってるだろ。変なこと訊くやつだな」


 微苦笑を浮かべる隼人に、リンダは久方ぶりに熱を帯びていた心が急速に冷え込んでいくのがわかった。


(……違う。こいつは隼人なんかじゃない。隼人はこんなことは言わない。言うはずがない)


 そしてリンダは理解する。


(……これが、こんな隼人が、あの娘の隼人。ずっとあの娘の目に映っていた隼人)


 ギチッと奥歯を鳴らすと、リンダはノーラを背負ったまま歩き出した。


「お、おい、リンダ」


 が自分を呼ばわるが、もう眼中になかった。



 リンダが家に戻ると、玄関のドアには鍵が掛かっていた。

 確か隼人が、今日は日曜だと言っていた。

 父親も母親もどこかに出かけているのだろうが……買い物だろうか?

 それにしては変だ。車がない。

 ちょっとした買い物は母親が近所のスーパーに自転車で行く。

 新型コロナが猛威を振るっている最近は、休日は巣ごもりをして過ごすのに。

 そういえば、さっきのもマスクをしてなかった。

 つまりは、あの娘の心の中ではそういう設定なのだ。

 伝染病なんて流行ってない。


 リンダはノーラを下ろすと、腰の雑嚢から盗賊の七つ道具シーブズ・ツールを取り出し、玄関のドアにピッキングを試みた。

 “アカシニア” の錠よりもよほど複雑だが、基本構造は同じだ。

 何度か失敗したあと、聞き慣れた音を立ててドアは開いた。

 

 やはり家の中に人の気配はない。

 我が家の匂い……記憶と同じだった。

 だがもう懐かしさは込み上げてこなかった。

 むしろ、あの娘の中に自分の家があることが許せない。


 リンダは二階の自分の部屋に戻った。

 鬱陶しかったノーラを、ベッドの上に乱暴に投げ出す。

 とにかく、あの娘と――瑞穂と接触しなければ。

 あの娘は、お父さん子だ。

 休日は用がない限り家から出ずに、いい年をして父親とベタベタしている。

 今のリンダには嫌悪感しか湧かない行為だ。

 だから家に行けば会えるはず……。


 革鎧レザーアーマーを脱ぎかけて、視線が机に置かれたワインレッドのラップトップPCに止まった。

 上蓋を開けて電源を入れる。

 起動するまでの間、そういえばスマホは――と思い、リンダはベッドの枕元の充電器を見た。

 スマホはなかった。


(……わたしが “アカシニア” に持っていったから?)


 やがてPCが起動した。

 パスワードを入れて、ログインする。

 グーグルカレンダーを見れば、今日の日付がわかるはずだ。

 アプリを起動してみて、リンダは驚いた。

 起動した瞬間、それまで空白だった今日の予定が埋まったのだ。

 出先のスマホから同期されたわけではない。

 文字どおり予定が浮かび上がったのだ。


“灰原空高くんたちとWデート。瑞穂の家に朝イチで迎えに行く。デゼニーランド楽しみ!”


「なによこれ……」


(わたしが……もうひとりいる……?)


 それはリンダにとって盲点だった。

 当たり前だが、自分という存在は世界にひとりだけだ。

 しかしこの枝葉瑞穂の心象風景の世界では、彼女が思い描いているリンダが――林田 鈴がいる。

 その林田 鈴が、今日瑞穂と遊びに出かけている。しかも彼女の知らない男とふたりで。

 “灰原空高” なんて男、リンダは知らない。


(……どういう設定よ)


 リンダは苛立たしげに親指の爪を噛んだ。

 自分がいいように瑞穂に操られているようで気味が悪いし、それ以上に腹が立つ。

 瑞穂が帰宅するのを待って、それから接触すればいい。確実だ。

 だがリンダはいても立ってもいられなかった。

 すぐにでも行動しなければ、自分の中で駆け巡っているドス黒い “何か” に焼かれて、どうにかなってしまう。


(……浦安なら、ここから電車で一時間だ。すぐに追いつける)


 あの広くて人だらけのテーマパークで瑞穂を見つけ出せるとは思わないが、入場口や駅で待ち伏せる手もある。

 待ち伏せて、あの娘に会って――それからどうする?

 どうもしない。

 ただ、その時の衝動に任せる。

 リンダは革鎧を脱ぎ、部活の遠征や合宿などで使っている大容量のボストンバッグに詰め込んだ。

 短剣ショートソードも同じである。

 机の引き出しを開けてヘソクリを取り出す。

 お年玉を貯めておいたものだ。

 財布はスマホ共々この世界の林田 鈴が持ち出してしまっているため、これに手を付けるしかない。

 このヘソクリの存在も、瑞穂は知っている。

 リンダが話したからだ。

 もし自分が秘密にしていたら、このヘソクリはここにあっただろうか?

 もし枝葉瑞穂の知識や印象や思いが具現化されているなら、ここではあの娘は神ではないか。


(……そんなの許さない。あの娘が神だなんて絶対に)


 動きやすさだけを重視したダボシャツとジーンズでコーディネイトをまとめると、リンダはボストンバッグを肩にかけ部屋を出る。

 ドアのノブに伸ばした手を、誰かが掴んだ。

 成長するにしたがい消えるが、今はまだ消えていない肉球の柔らかな感触。


「……どこに行く気ニャ?」


 ノーラ・ノラが努めて恐い顔で、リンダを睨んでいた。



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