祈り

「ひっく……む、無理ですよぅ……出来るわけないですよぅ……意地悪しないでくださいよぅ……もう嫌です、お家に帰らせてくださいよぅ」


 わたしはついにその場にへたり込むと、ボロボロと泣き出してしまいました。


 お父さんに会いたいです――会わせてくださいよぅ!


 ――ドスンッ、ドスンッ!!!


 なんなんですか、これはぁ!

 こんなのアトラクションじゃないですよぅ!

 楽しくないですよぅ!


 ――ガンガンッ、ガンッ!!!


 お客さん楽しませないでどうするんですかぁ!

 こんな遊園地、遊園地失格ですよぅ! 大嫌いですよぅ!


 ――ドンガラ、ガッシャン!!!


 すぐ近くで物凄いがしているというのに、わたしときたら “ぺちゃんこ座り” で文句をブゥブゥ、おいおいと泣くばかりです。


 でも――だって――だって、こんなのどう考えてもおかしいじゃないですか!?

 お客さんを怪我させて、本気で怖がらせて、こんなの――こんなの――。


「…………おい」


「ひっ!!?」


 いきなり声を掛けられて、わたしは “ぺちゃんこ座り” のまま飛び上がりました。

 いつの間にか乱闘は収まっていて、顔中にひっかき傷を作って血塗れの道行くんが立っていました。


「……平気か?」


「ひっく……全然……平気じゃないです……ひっく」


「だろうな。でももう心配ない。“犬頭” は始末した」


 道行くんの後ろを見ると、胸に深々と短刀を突き立てられた “犬の頭をした毛むくじゃらの怪物” が、石畳に倒れています……。


「こ、殺したんですか……?」


「ああ。こっちも必死だったんでな」


 そういって道行くんは、両手にベッタリと付いた血を自分のローブのまだ血で汚れていない奇麗な部分で拭いました。


「いいか、枝葉瑞穂。危険はいったん去った。まずは落ち着くんだ。冷静になれば頭が働くようになる。冷静でいる限り “悪巧み” の資源リソースは無限だ」


「……ぐすっ…… “悪巧み” は……苦手です……」


「それじゃ、それは俺がやる。あんたはあんたの出来ることをやってくれ」


「……わたしの……出来ること……ですか……? わたしには何も出来ませんよぅ……」


「出来るさ。空高を癒せる」


「無理ですよぅ、さっき何度もやったんですよぅ! ひっ、ひっ! お祈り、思い出せないんですよぅ! 助けられないんですよぅ!」


「辛かったな。でも祈りとか祝詞とか、これがならおそらく関係ない」


「……ぐすっ?」


「神様ってのが本当にいるなら、大切なのは “救いを求める心” だと俺は思う。祈りの文言だのの正確さが重要だとしたら、そんな “信仰” は嘘っぱちだ――そうは思わないか?」


「ぐすっ…………思うかも……しれません」


「そう思えるなら、きっとあんたには聖職者としての資質がある。だから頼む。空高を助けてやってくれ」


 それは……不思議な光景でした。

 道行くんは、駄々っ子と化していたわたしに静かに語りかけてくれています。

 決して声を荒げず、苛立ちも見せず、忍耐強く。

 これまでの彼の態度からは、思いも寄らない姿です。


「やってくれるか?」


「……は、はい」


 わたしは両腕でゴシゴシと涙を脱ぐと、もう一度倒れている空高くんの傍らに膝を突きました。

 火照った肌が冷たい水に触れたように、わたしの千々に乱れた心を道行くんの言葉が冷静にしてくれたのです。

 空高くんは血を流しすぎたのか、土気色の肌をしてグッタリとしています。

 わたしは深呼吸をして、もう一度心を落ち着かせます。

 祈りの文言なんて……祝詞なんて……もう思い出せません。思い出そうともしません。

 ただ――。


 (――神様。もしかしたら女神様かもしれません。わたしはそんなことも知りません。でも、それでもお願いします。この人を――空高くんを助けてください。お願いします。お願いします)


 何度も何度も、その言葉を胸の中で繰り返します。

 疑ってる余裕なんてありません。

 わたしはその時いました。

 そして……わたしの胸の内側に温かな光が灯りました。

 その光は徐々に身体全体に拡がって、さらには空高くんに触れている掌から、彼の身体へも……。


「……ありがとう……ございますっ」


 わたしは空高くんの身体から手を放し、胸の前で堅く握りました。

 傷が塞がった空高くんの顔色に血の気が戻ってきて、浅かった呼吸が穏やかになりました。

 神様は……女神様は……わたしの祈りを聞き届けてくれたのです。

 そしてその様子をわたしの後ろで見ていた道行くんが、ポツリと漏らしました。


「……驚いたな。本当に出来ちまったぞ」


「……へっ?」


「まさか本当に魔法なんてものが存在するなんてな。この分だと、もしかしたら俺も使えるかも――すげーな、こりゃ」


「あ、あ、あ……」


「……あ?」


「あなたは信じていなかったのですか!?!?」


「当たり前だろう。魔法なんて今日日きょうび幼稚園児だって信じてないぞ」


「それではわたしに言った言葉はなんなのです!?!?」


ハッタリ悪巧みに決まってる。あんたをその気にさせて上手く言ったら儲けもんだった」


「あ、あ、あ……」


「とにかく魔法があるってことは、聖水とやらで魔方陣を描けば安全地帯も作れるはずだ。そこで一休みして――ん? どした?」


 


 お、お父さん……わたし……う、生まれて初めて……詐欺に遭いました…………遭っちゃいました……。


◆◇◆


 ハンナの計画はからつまづいてしまった。

 昏睡状態エバを運んでダイモンたちと都大路に出たところで、警備の衛兵にいきなり呼び止められてしまったのだ。


「――どうして通れないんですか!? この人は筆頭近衛騎士のグレイ・アッシュロード様の指示で、王城まで運んでいるのですよ!?」


「だから、その証拠は!? 今朝からその手の言い訳をしてここを通ろうとする奴らがウンザリするほどいるんだ! いちいち通してたら都大路が一般人で溢れちまうんだよ!」


 都大路は今その王城から出された戒厳令によって、一般人の通行が禁止されている。

 当然市民には外出制限も課せられているのだが、そもそも敵が城壁内に侵入し都市部を荒らし回ったのだ。

 焼け出された住人も多い。

 治安維持に当たる兵士も根こそぎ防衛線に投入されてしまい、未だ本来の任務に復帰していない。

 要するに城塞都市はまだ混乱の最中にあった。


「通りたいなら命令書を出してくれ! そうでなけりゃ駄目だ!」


「そんなものは――」


 ――ない。

 ハンナは唇を噛むしかない。

 彼女はアッシュロードから『俺の名を出せば通れる』――とだけしか言われていない。

 まさか “俺の名” を出す人間がとは、アッシュロードもスッポリと意識から抜けていた。

 しかし臨時とはいえ一軍の司令官であるアッシュロードにそこまで求めるのは酷であるし、この程度のアクシデントに対処できないのであれば、それは “ただの子供のお使い” だ。


「仕方ありません。裏道を行きましょう」


 ハンナは振り返り、後ろに控えていたダイモンたちに言った。

 戦士ファイターのダイモンとクリスはロングソード木製の大きめの盾ラージシールド。そして鎖帷子チェインメイルを装備して、いつでも抜ける気配を漂わせていた。

 ダイモンに次ぐ体躯を持つ魔術師メイジのセダがエバを背負い、その背後をもう魔術師エドガーが守っている。

 残る盗賊シーフのリンダが周囲を警戒しているが、ときおり刺すような視線をエバに向けていた。


 ハンナたちは都大路と並行して伸びる、一本西に入った通りに戻った。

 “獅子の泉亭” や “探索者ギルド” がある、いわゆる “冒険者街”と呼ばれる広い通りだ。

 裏道と言っても都大路に比べれば細いだけで、他都市では充分に大路と呼べる通りである。


 普段から人踊りの多い通りだが、都大路が閉鎖されているためいつも以上に混雑している。

 ポツリポツリと配置されている衛兵が声を嗄らして家に戻るように呼び掛けているが、従う者など誰もいない。そんな真似をすれば必要な物資が他の誰かに買い占められてしまう。

 当然、通りを行く人間も皆殺気立っている。

 当然、トラブルも起きる。


 ハンナたちの目の前で始まった通行人同士の小競り合いは、瞬く間に周囲を巻き込んでの乱闘に発展した。

 ハンナは顔を顰め、ダイモンやエドガーが舌打ちする。

 巻き込まれるわけにはいかない。

 こうして、さらにもう一本奥まった街路に迂回する。


 アッシュロードやドーラ――いやレットやパーシャなら、この時点ですでに違和感を覚えて対応していただろう。

 しかし職務に忠実である以上に友人たちに誠実であったとしても、ハンナ・バレンタインはやはり受付嬢でしかなかったし、ダイモンたちは全員が今朝初めてを経験した駆け出しだ。


 彼女たちが “おかしい” と感じたのは、迂回した街路がバリケードで塞がれているをの見たときだった。

 二度目の偶然で異変を察知するのは素人だ。

 生き残る者は最初の偶然でその臭いを嗅ぎとり、二度目の偶然次に待ち受ける必然に先手を打つ。

 バリケードで行く手を遮られたハンナたちを、複数の住人たちが囲んでいた。



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