………………?

 …………ホ……。


 ……ホ……。


 ……ミズ……。


 ……ミズホ……。


「――瑞穂っ!」


「ふぁあい……?」


 誰もいない放課後の教室。

 窓際の自分の席。

 窓からそよぐ春のうららかな風に微睡んでいたわたしを、誰かが現実に引き戻しました。


「ふわわわ……起きてますよ。というか寝てませんし。夢とうつつの間をたおやか揺蕩たゆたうていただけです。精神的に」


 運動部の掛け声や、金属バットの放つ甲高い打球音。

 管弦学部が行うチューニングの音。

 意識の覚醒と共に、そんな “色取り取り” の音が押し寄せてきます。

 お天気のよい、普段どおりの放課後です。


「“ふぁあい?” “ふわわわ……” と来て、“起きてますよ” もないもんだわ。“起きてます詐欺” ここに極まれりね」


「なんですか、それは?」


 ふわわわ……と小さな欠伸を指先で叩いてから、わたしはうーんとノビをしました。

 身体の中に “たおやかに漂っていた眠気” が雲のように散っていきます。

 そんなわたしを、親友で幼馴染みでもある “林田 鈴はやしだ すず” ――通称 “リンダ” が呆れたように見ていまた。


 リンダは亜麻色の髪をポニーテールにまとめたスポーツ少女です。

 中学の頃からバスケットボール部に所属していて、高校に入学するとすぐに一年生ながらポイントガードに抜粋された逸材でもあります。

 快活でフランクな性格は男女を問わず人気があって、その明るい性格にはわたしも何度となく助けられてきました。


「覚醒した?」


「覚醒しました」


「なら帰るわよ」


「? 帰るのですか? 今日はバスケットボールの練習は?」


「はぁ? あんたまだ寝ぼけてるの? バスケ部に入っていたのは中学まででしょうが。高校に入ってからは帰宅部一択で遊びまくるって二人で決めてたでしょ」


 あれれ? そうでしたっけ?


「もう、全然覚醒してないじゃない――ほら、シャッキリする。シャッキリ」


 リンダがそういって、わたしのほっぺをつまんで横に “びよ~ん” します。“ びよ~ん”


「はわわわ」


「バスケ部に入ってブイブイ言わせてるのは、わたしじゃなくて隼人でしょうが」


 あれれ? あれれれ? あれれれれ? そうでしたっけ?


 リンダのいう “隼人” ――というのは、わたしたちのもう一人の幼馴染みの “志摩隼人しま はやと” くんのことです。

 同い年の中肉中背のどこにでもいる普通の男の子で、雑学に明るいので仲間内では少しオタク(ヲタク?)な存在として親しまれています。

 顔は……まぁ、幼馴染みのよしみです。ここは “見ようによってはハンサムに見える” と言ってあげましょう。


「隼人くんがバスケ部……」


「――ったくあのヲタク、なに覚醒してるのよ。そうまでして女の子にモテたかったわけ? ヲタクのくせに生意気なのよ。ああ、気持ち悪る!」


 とてもとても嫌な顔をして、身震いするリンダ。


「ああ、もうあんな奴の話はいいから帰るわよ。スタンダップ、スタンダップ」


 リンダが小首を捻っているわたしの手を引っ張って無理やり立たせます。

 う~ん、なんでしょうこの違和感は?

 荷物を持って昇降口に向かいます。

 靴箱から学校指定のローファーを出していると、


「――ねえ、今度の日曜、暇?」


 リンダが同じよう靴箱から、こちらはレディースのスニーカーを出しながら訊ねました。


「忙しいです」


「は?」


「朝寝をして、二度寝をして、それから読書をして、お父さんとお話をしますから」


「……世間一般では、それを暇っていうのよ」


「失敬な」


 まったく、分かっていませんね。


「いいですか。“寝坊をして遅刻だと青ざめる ⇒ 今日はお休みだったと思い出す ⇒ ホッとして二度寝をする” 。人生の快とは、これに尽きるのですよ。それに読書は心を豊かにしてくれますし、お父さんとの会話は頭をよくしてくれます。わたしのお父さんは物知りでお話がとても面白いのです」


 えっへん。


「……でたわ。瑞穂のファザコン、オヤジ趣味」


 “うへぇ……” みたいな顔で言わないでください。失敬な。


「いいから日曜はあたしと出かけるわよ。朝一で迎えに行くからちゃんと支度しといてね」


「相変わらず強引ですね。出かけるってどこに行く気ですか?」


「“どこに” じゃなくて “誰と” って訊いてよ」


「? 誰とと言われましても、リンダとわたしとではないのですか?」


「はぁ? なにが悲しくてせっかくの休みに女同士で出かけないといけないのよ」


「? 悲しいも何も、今までもそうだったではありませんか?」


 どうも話に要領を得ません。

 リンダ、あなたはいったい何を言いたいのですか?


「今までは今まで、これからはこれから――よ。わたしたちもう高一よ? 男と一緒に決まってるじゃない」


「ああ、隼人くんですか」


「違うわよ!」


 はぁ…………と、靴箱の前でガックリと頭を垂れるリンダ。


「リンダ、あなたの言っていることはまったく意味がわかりません」


「先週の日曜にナンパされたのよ。北高の男子に」


「ナ、ナンパですか!?」


「そう、ナンパ」


 難破……ではないですよね。海には行ってないはずですし。


「それでその男子とLINEで連絡取り合ってたら、今度の日曜にまた会うことになって……」


 そこでリンダはガバッとわたしに向き直り、両手を合わせました。


「一生のお願い! 一緒に来て! その男子も友達の男の子を連れてくるから! Wデート付き合って!」


 ええーーっ!!


「わ、わたしはデートはしたことはありません」


「そんなことはあたしが誰よりも知ってるわよ! そもそもデートじゃなくてWデート!」


「で、ですが、わたしはそのWデートもしたことがありません……」


「そんなことはあたしが誰よりも知ってるわよ!」


 “クワッ!” というう顔でリンダが、わたしに “クワッ!” します……。


「瑞穂、あんたは悔しくないの! 隼人がいきなり色気づいた挙げ句、あたしたちを無視してバスケで女子の人気者になろうだなんて、そんなの許せるわけ!」


「……あ~」


 そういうことでしたか。


「ま、まあ、隼人くんもほら年頃の男の子ですし、その辺りは多目に見てあげないと……」


「あたしたちだって年頃の女の子でしょ! それとも瑞穂! あたしがひとりでノコノコ出ていってレイプとかされちゃってもいいわけ!」


 そ、それはもちろんよくありませんが、そもそもノコノコ出て行かなければいいだけの話では……。


「へ、変な説得をしないでください」


 に、苦手なんですよ~、知らない男の子と話すの~。


「行ってくれるの! くれないの!」


「……」


◆◇◆


 ――そして、次の日曜日。


 妙に気合いの入ったメイク&服装で迎えにきた(本当に朝一でした)リンダに叩き起こされたわたしは、念入りに支度をさせられて朝ご飯も食べさせてもらえずに、待ち合わせ場所の最寄り駅まで連れて行かれます。


 ……ぐぅ。


「はい、このキャンディー舐めて、そのお腹の音鎮めて」


 道すがら、リンダがわたしにレモン味の飴を差し出します。


「……よけいにお腹が減りそうですから、今は遠慮しておきます」


「間違っても会った瞬間でお腹鳴らさないでよ。恥ずかしくて死んじゃうから」


 わたしだってそんな恥ずかしいのは遠慮したいですよ……できれば。

 お腹の虫に鳴かないようにお願いしているうちに駅に着きました。

 待ち合わせ場所は駅の改札口で、同じ年頃の男の子がひとり先に来ていました。


「おまたせ!」


 おおう、リンダ。

 素晴らしい “外行そとゆき” の笑顔と発声ですね。

 わたしが感心してしまうほどキラキラと輝く零れんばかりの笑顔で、リンダが男の子に駆け寄ります。


「やあ、林田さん。おはよう」


「おはよう、灰原はいばらくん」


 どうやらこの男の子が、リンダをナンパ?したという北高の男子で間違いないようです。

 名前は “灰原空高はいばら そらたか” というらしいです(リンダからLINEで教えてもらいました)。

 “そらたか” くん……さん? 少し変わった名前ですね。

 派手さはありませんが、品の良さを感じるカジュアルなグレーのジャケットとネイビーのチノパン。

 髪は短めにセットされていて清潔感に溢れています。ピアスなどのアクセサリーもしていませんし、なんというのでしょう? 正統派? な感じに格好いい男の子だと思います。

 なかなかになかなかなイケメンさんではないかと。


「灰原くん、この子がわたしの友達の “枝葉瑞穂えば みずほ”」


「初めまして。灰原空高です」


 灰原くんが爽やかに挨拶します。


「は、初めまして。枝葉瑞穂です」


 ほ、本日はお日柄も良く、なによりです。


「よろしく枝葉さん」


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


「ごめんね、この子こういうのに慣れてなくて」


 リンダがさも自分は慣れているような口振りでフォロー(なのでしょうか?)してくれます。


「そんなに緊張しなくてもいいよ、枝葉さん。俺たちもこういうは初めてだから」


「は、はぁ」


「灰原くん、そのだけど、もう一人の子は?」


 リンダがキョロキョロと周りを見渡しながら訊ねました。

 辺りには休日を少しでも楽しもうと足早に改札に消える利用客か、さもなくばわたしたちのように待ち合わせをしている思われる人たちばかりです。

 集合に遅れてしまい、こちらに向かって慌てて走ってくるような人は見当たりません。


「それが……朝出てくるときに起こしはしたんだけど」


 灰原くんがとてもとてもバツが悪そうに、人差し指でほっぺたを掻きました。


「朝出てくるとき?」


「実は……今日一緒に遊びに行くのは俺の友達じゃなくて――あ、来た!」


 リンダに言い訳めいた説明をしかけた灰原くんが突然顔を上げて、わたしたちの後ろを見ました。

 つられて、リンダとわたしも振り返ります。


 駅前のターミナルを “えっちらおっちら” 横切って、その人がこっち来ます。


 ひょろりとした細身の身体。

 やや猫背の姿勢。

 灰原くんとは対照的な清涼感とはほど遠い、ボサボサの髪。

 大欠伸する口。

 そして元気のげの字もない、今にも眠りこけてしまいそうな三白眼……。


「兄貴――道行みちゆき!」


 灰原くんが、疲れ切ったグーレトデンの老犬のようなそのに手を振りました。



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