一方、その頃(4)

「そうですか……最高の潜在能力ボーナスポイントに加えて “勇者” の “聖寵” まで」


 王城の居館パラス

 その最奥の最も静かな場所にある私室で、“リーンガミル聖王国” の統治者であり王国随一の魔法の遣い手でもある “女王マグダラ” が、物憂げな表情で頷いた。

 ティーカップから立ち上る湯気を、ドワーフの最高名匠でも再現できないであろう完璧な造形美の顎に当てている。

 それはまさに女神が造り賜ふた究極の芸術品であった。


「はい。しかもそれだけではありません。志摩隼人の仲間たちもそれぞれ高い潜在能力を持ち、田宮佐那子の “剣聖” を始め、稀少レアな “聖寵” “恩寵” を有していました」


「そう……それで、彼らもやはり迷宮に?」


「はい。それまでは “女神の試練” には乗り気ではありませんでしたが、一転して彼らも志摩隼人に同行して “呪いの大穴” に挑む気になったようです」


「魔境ね……」


 本気で冒険者を目指すつもりはなく “女神の試練” に興味などなくとも、自分がそれだけの “才能” を有していると知れば、その力を試してみたくもなるのだろう。

 自分の努力で勝ち取ったわけでもない “贈り物” に有頂天になり、灰と隣り合わせの危険極まりない迷宮に楽天的に乗り込んでいく。

 まさしく人を誘惑し破滅に向かわせる “魔の境地” である。


 マグダラは人の才能を、それほどには重視も高く評価もしない。

 才能ギフトは磨いてこそ技術スキルたり得るのであり、その才能を磨くのは個人の意思の力だからだ。


 “勇者” の “聖寵” を持っているから “魔王” を倒せるわけではない。

 “勇者” の “聖寵” を持った者が、その才能を磨く意思を持ち得たから “魔王” を倒せたのだ。


 現に二〇年前の未曾有の災厄からこのリーンガミルを救ったのは、“勇者”の聖寵どころか の潜在能力すら持たなかった少年だった。

 彼は意思の力だけで、この国を……彼女マグダラ自身を救ってくれた。


「……まるであの時を模しているかのようだわ」


 マグダラは自分が文字どおりその中心にいた、二〇年前の災厄――リーンガミル に生きるすべての人間の慢心と驕りが生んだ “人災” を思い起こさずにはいられない。

 “僭称者” と称した凶悪で強大な魔術師は、このリーンガミルが長きにわたってその身の内に蓄えてきたよどみの中から生まれた存在だった。

 その澱―― “悪徳の化身僭称者” を討滅するため、マグダラの実弟は命を懸けた。

 そしてマグダラ自身も、“勇者” や “剣聖” の聖寵や恩寵を持つ者たちとパーティを組み、“呪いの大穴” に呑まれた弟の捜索を行った。

 あの時の彼女の仲間たちも、誰もが才知溢れ、そしてだった。


「やはり女神ニルダニスの……神々の御意志でしょうか?」


 娘の言葉に、マグダラは顔を横に振った。


「神々のお考えを人の身で推し測ろうとしては駄目よ。神々のお考えは神々だけのもの。わたしたち人間はその結果として目の前に現出した事態に対応するしかないのです。そうしなければ自ら目を曇らせ、意思を鈍らせることになるわ」


 神々のお考えだから。神々の御意志だから。

 それは人が思考停止に陥るもっとも安楽な言い訳エクスキューズだろう。

 そうして自らの目を曇らせ、意思を鈍らせ、時として取り返しのつかない事態を招く。


「今の問題は、その現出した事態が目に見えているか否かなのです」


 “今そこにある危機” が “見えざる脅威ファントム・メナス” なのか否か。

 二〇年前はまざまざと目の前に見えていた。

 マグダラを初めとする人々は、迷うことなく自分たちが行うべきことを見出すことが出来た。

 しかし、今は……。


「どちらにしても迷宮に潜るのならば、あとひとり仲間が必要ですね。冒険者ギルドに手配して信用のできる腕の立つ者を――」


「そのことなのですが、陛下。どうかその役目、このわたくしめに御命じください」


「あなたがですか、エルミナーゼ」


 マグダラの手元で高価な陶器が小さく、だがハッキリと音を立てた。


「はい。わたしとて多少の剣の心得はありますし、もはや彼らとも知らぬ仲でもありません。彼らにしてもわたしが最後の一党として加わるならば他の者よりも心強く、また信用も置きやすいでしょう」


「……エルミナーゼ」


「母上…… “呪いの大穴” の封印が解かれることは、近日中にリーンガミル全土――いえ、この “アカシニア”の隅々にまで知れ渡るでしょう。二〇年前に母上が、そして父上が挑まれた迷宮に一人娘であるわたしが挑まないとあっては、いずれ母上のあとを継ぐわたしの資質を疑う者も出てきましょう」


「……」


 マグダラにはエルミナーゼの言わんとする意味が、痛いほどに理解できた。


 “母親は命をかけて女王たる資質を示した。しかるに娘の方はどうか。絶好の舞台を目の前にしながら怯懦にも自身の資質を示す機会を逃した”


 将来的に自分を快く思わぬ者に、自らを口撃する口実を与えることになる。

 エルミナーゼは、それをいとうているのだ。


「あなたは正しくリーンガミル王家の血を引く、正統なる王位継承者。そのような陰口など聞き流しておけばよいのです」


 マグダラは頭を振った。


「それにもしあなたが迷宮に潜れば、この先に生まれてくるであろうあなたの子供にも、同じ試練を課すことになるのですよ。リーンガミル王家にその必要のない過酷な慣例を作ることになります」


 まさしく、賢王にして賢母。

 これが女王以上に、国母として国民に慕われる “マグダラ・リーンガミル” の姿であった。


「母上。わたしに子が授かるときに “呪いの大穴”の封印が三度解かれているとは限りません。それに資質なき者が国の頂点に立つのは、民たちにとって何よりの不幸です。王たる者は常に自らにその資格があることを民に示し続けなければなりません。わたしも、そしてこれから授かるわたしの子にも、常にその心構えをして、させておきたいのです」


 マグダラは目を閉じ、娘の言葉を反芻し、頭で考え、心に問い掛けた。

 そして、


「どうやらあなたが正しいようです、エルミナーゼ。わたしたちは母である前に、娘である前に、女王であり、その後継者なのですね」


 寂しげに微笑んだ。


「わかりました。あなたの好きにしなさい。元よりそのつもりでしたが、あなたたちの探索が成功するように “リーンガミル” は国を挙げて支援します」


「ありがとうございます、陛下………………わがままを許して……お母様……」


 マグダラは立ち上がり、うつむいて肩を震わす娘を、身にまとっている鋼鉄の鎧ごと抱き締めた。


「武運を祈っています。愛しい娘よ。どうかあなたに 女神の加護がありますように」


 こうして真なる姫騎士である “エルミナーゼ・リーンガミル” は、一冒険者として “女神ニルダニスの試練” に―― 世界屈指の大地下迷宮 “呪いの大穴” に挑むことになった。


◆◇◆


 志摩隼人は真新しいが、すでに身体に馴染んだ板金鎧プレートメイルに身を包み、一行の先頭を城塞都市 の中心に向かって歩いていた。


 鎧の他には、クローズドタイプのヘルム に、木製の大きめの盾ラージシールド、銅製の篭手。

 腰間には一振りのロングソード

 どれも魔法の強化こそ付与されていないものの、これから初めて迷宮に挑む駆け出しの武具として贅沢すぎる装備だ。

 通常なら4~5レベル程度の前衛が身に付ける装備品であり、品質も高く、すべてマグダラ女王の厚意よって揃えられた物である。


 隼人は面頬めんぼおを上げた兜を目深に被り、城塞都市の中央。かつての旧王城があった区画を目指していた。

 彼に続くのは、やはり真新しい武具に身を包み、一ヶ月にわたる基礎訓練を終えた四人の――いや今や五人の友人たちである。

 彼らはこれから、初めての “迷宮探索” に臨むのである。

 やがて “僭称者役立たず” の断末魔の “禁呪” によって旧王城をすべて呑み込み、巨大な地下迷宮と化した “呪いの大穴” の入口が見えてきた。

 隼人は立ち止まり、そして振り返った。


「どうしたの、志摩くん?」


 すぐ後ろに着けていた佐那子が訝しげに訊ねた。

 女性らしい身体の線が見える白い鎖帷子チェインメイルに、頭部を保護する ダイアデム

 そして左腰に、日本刀によく似た形の曲剣サーベルを差している。


「――俺には幼馴染みの “林田 鈴” と “枝葉瑞穂” の安否を女神に問い、その居場所を訊ねるという目的がある。だから命を賭けるし、その結果も受け入れる――お前らはどうなんだ?」


「おいおい、今になって確認か?」


「ああ、今になって確認だ」


 おどけ気味の口調で訊ねた月照に、隼人は底堅い響きで頷いた。

 一時間後には、彼らの中の誰かが、あるいは全員が命を落としているかもしれないのだ。

 この一ヶ月の間に一行のリーダーと目されるようになっていた隼人としてみれば、確認の最後の機会――いや仲間たちに覚悟を決めさせる最後の機会だった。


「俺は潜るぜ。別におまえに付き合ってやるわけじゃねえ。俺にだって目的がある。実家の寺を潰すわけにはいかねえからな」


 “回復魔法” を覚えて、実家の仏寺の経営を立て直す――月照は本気でそのアイデアに命を賭けるようだ。


「わたしも。小さい頃から磨いてきた剣のわざを実戦で試せるなんて、そんな機会元の世界では絶対にないから」


 佐那子の決意も変わらない。そして、


「それに最下層に行けば、こうい曲剣じゃなく、本物の日本刀が――それも物凄い 名刀が手に入るかもしれないんでしょ? それを聞いたら潜らないわけにはいかないわよ」


 屈託なく笑った。


「わ、わたしも――ケッホ、ケッホ!」


 勢い込みすぎて、咽せてしまったのは魔術師メイジの恋。

 サンドベージュ砂色のローブにスタッフ

 ごく一般的な魔術師の格好スタイルだ。


「ご、ごめんなさい。わたしも田宮さんと同じです。わたしの場合はこの世界に来てから身に付けたものですけど、わたしも “魔法” をもっと上手く使えるようになりたいんです。わたし今までなんの特技もなくて、それがずっとコンプレックスだったから、だから、だから――」


「わかった」


 必死すぎて今にも泣き出してしまいそうな恋に、隼人は優しく微笑を返した。

 もしかしたら自分だけ置いていかれるのではないかと怖れたのかもしれない。


「忍、おまえは?」


「……答える必要があるのか?」


「ああ」


「……それは、自分の “我がまま” に付き合わせたんじゃないかって、あとになって後悔したくないからか?」


「結果は受け入れるとさっき言ったはずだ」


 隼人と忍。

 斬り結ぶようにふたりの視線がぶつかり合う。

 緊迫した空気が流れ、他の仲間たちが固唾を呑む。

 先に緊張を解いたのは忍だった。


「……俺は俺が潜りたいから潜る。それだけだ」


 隼人は黙ってうなずき、最後にその視線を六人目の仲間であるエルミナーゼに移した。


「騎士に二言はありません。隼人。我が言葉は我が名誉にして我が命です」


「すまない。君の名誉を疑ったわけではないんだ。ただ……」


「わかっています。今のわたしは “エルミナーゼ・リーンガミル” としてではなく、ひとりの騎士として、そしてただの冒険者としてあなたたちと共にいます。どうかわたしの身分については気にしないでください」


 すでに隼人たちは、エルミナーゼが女王マグダラの一人娘であり、この国の次期女王であることを知っている。

 その上で自分たちに同行を申し出るからには、彼女にも “試練” に挑み、迷宮に潜る理由があるのだろう。

 隼人はエルミナーゼに、“よろしく頼む” とだけ言うと、踵を返し再び迷宮の入口に向き直った。


「よし、それじゃ行こう。俺たちの “初陣” だ」



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