善悪混成部隊

「四人が……アッシュロードさんたちがいるのは……八階です」


 わたしがそう言った瞬間、レットさんたちの顔色が凍りつきました。

 迷宮に三つの敵あり。


 ひとつ。己自身。

 ふたつ。魔物の群れモンスターズ

 三つ。迷宮それ自体。


 訓練場で教官からまず教わることです。


 ひとつ目の己自身。

 これに負けるようでは探索者など務まりません。

 迷宮では、諦めたらそこで何もかも終わってしまうのですから。


 ふたつ目の魔物の群れ。

 これは当然です。

 探索者を脅かすもっとも危険な存在。

 例え克己こっきすることが出来たとしても、運が悪ければ最弱の魔物である “オークゴブリン” の錆び刀で簡単に命を落とします。

 打ち勝つべき対象が己自身なら、それは絶対的な相手でいつか乗り越える存在ですが、魔物はすべて相対的な相手なのです。

 魔物がわたしたちに負けてあげる理由など、ひとつもないのです。


 そして三つ目の迷宮それ自体。

 迷宮自身。

 それ自体が巨大な罠であり、探索者を死へと誘う悪意に満ちた構造物。

 迷宮は深度を深めるほど危険が増し、最下層の一〇階では熟練者マスタークラスのパーティですら、呆気なく全滅します。

 それほど地下一〇階に生息している魔物は激烈を極めるのです。

 しかし純粋に迷宮の難易度そのもので言うなら、地下八階こそがこの “紫衣の魔女アンドリーナの迷宮” で最高難易度の階層だと、元 熟練者である訓練場の教官たちは口を揃えて言います。


 最凶の魔物が探索者を引き裂く、地下一〇階。

 最悪の構造で探索者を呑み込む、地下八階。


 その地下八階に、アッシュロードさんやパーシャは強制転移させられてしまったのです。


「くそっ! なんてこった!」


 ジグさんが掌に拳を打ち付けて吐き捨てました。


「どうする!?」


「助けに行くに決まってる」


「……だが、具体的にどうする? ここからさらに潜るのか?」


 今やジグさん、レットさん、カドモフさんが次々に話しをしていました。


「ここから更に潜って助けに行くのは無理です」


 わたしは三人の会話に割って入り、キッパリと言い切りました。


「地図がありません。レベルも足りません。装備も不充分です」


 ないない尽くしで二重遭難は確実です。

 無理を通り越して無謀の域です。


「地上に戻りましょう。そして助けを頼むのです。ドーラさんなら、きっと助けてくれます。あの人なら八階の地図ももっているはずです」


「それが一番確実か」


 レットさんが苦渋に溢れた表情で肯定しました。


「だな。まるまるエバの言うとおりだ。説得力がありすぎて反論の余地もない」


 そういってから、ジグさんはいつものおどけた様子で、


「とてもさっきまで “わんわん” 泣いていた奴とは思えない」


 カアアァァァァッッッ、


 顔が一気に赤く火照ります。

 お、思い出させないでください。


「……年頃の娘をからかうのは戦士の嗜みではないぞ、ジグ」


 カ、カドモフさん……格好いい。

 そうです。そうですとも。


「……その娘をもう一度好いた男と会わせてやるのが戦士の嗜みだ」


 やっぱりあなたも誤解してます。

 いえ、だからそうじゃなくてですね。そんなんじゃなくてですね……。


「とにかく地上に戻るぞ。なんとしてもだ」


 レットさんが剣を引き抜き、ジグさんとカドモフさんがならいます。

 わたしも戦棍メイスを手に出発の心構えをします。


「エバ、加護はいくつ残ってる?」


「第一位階が五回。第二位階と第三位階が三回ずつです」


「それが頼みの綱だ。出来るだけ温存してくれ。だが――」


「必要なときは迷わず使います――任せてください」


 そしてわたしたちはキャンプを解除し、整然とした造りで来訪者を惑わす地下三階を進み始めました。


◆◇◆


 迷宮地下八階。

 座標不明。


 グレイ・アッシュロードは抜き身の剣を手に、やはり同様に武器を手に身構えている二人の探索者と対峙していた。

 ひとりはエルフの僧侶。

 もうひとりは子供のように小柄な、ホビットの魔術師。

 僧侶は戦棍メイスを魔術師は短刀ダガーを、それぞれ手にしていた。

 共に女。

 ふたりは男を背にして、アッシュロードを睨み付けている。


「もう一度言うぞ――どけ! そいつはもう魔物だ! 今ここで始末しておかなけりゃ、すぐにでも寝首を掻かれるぞ!」


 アッシュロードが怒鳴る。

 苛立ちの混じった怒声と表情。


「いえ、まだ助けられます! 彼の魂はまだそこに存在しています!」


 負けじとエルフの僧侶、フェリリル――フェルが言い返す。


「錯乱して “強制転移の罠テレポーター” を発動させる奴だぞ! もう手遅れだ!」


「それはおっちゃんがみすぼらしい男ローグ” に見間違われたからでしょ! 人のせいにしないで!」


 パーシャに痛いところを突かれて、ぐっと詰まってしまうアッシュロード。

 このホビットは本当に苦手だ。

 頭が良くて口が達者な分だけ可愛げがない。


 だが、それはそれ、これはこれだ。


「いいか、がきんちょ。そこのエルフも。俺たちは今手札を引いちまってる。あと一枚下手な札を引いたら、それで “ブタ” の完成だ」


 その下手な札を、このふたりは自分から引きに行こうとしている。

 これだから “善” ってやつは、始末に負えない。

 ここがアッシュロードの考えている階層フロアなら、状況はだ。

 これ以上のリスクは、それがなんであれ即命取りに繋がる。


「俺は何もそいつを見捨てろと言ってるんじゃない。ここでいったん始末して、あとで生き返らせればいい」


 死体を運ぶのは手間でウンザリする作業だが、いつ豹変して襲い掛かってくるか分からない不死属アンデッドを連れて歩くよりも、よほど安全で慣れてもいる。

 それが迷宮で生き残るための合理的な判断というものだ。


「いえ――いえ、ダメです! そんなことをしたら、二度とアレクさんの魂は身体に戻れません! あなたも君主ロードなら分かっているはずです! 腐敗した身体に魂は戻れないことを!」


 フェルも譲らない。いや、譲れない。

 “善”の戒律に従う者は、たとえ魔物であっても情義を持って接しなければならない。

 それが元人間で知性を有しているとあってはなおのことだ。

 その上、彼女は戒律にもっとも厳しくあらねばならない僧侶プリーステス である。

 さらには “アカシニア”に生存する種族の中でもっとも命を尊ぶ、エルフ族ときていた。

 アッシュロードにしてみれば、いた。


「おっちゃんだって、ついさっき自分の負けを認めたでしょ! アレクについては、あたいたちの意見に従うのが道理のはずだよ!」


 ――だからもう、そんな悠長なこと言ってられる場合じゃねえんだ!


 アッシュロードの苛立ちは青天井だ。

 迷宮で何よりも危険な行動は仲間割れである。

 この仲間割れの危険を少しでも減らすために、異なる戒律の者でパーティを組むことはない。

 どちらが正しく、どちらが間違っているという話ではない。

 あくまで価値観の問題であった。

 そして今、その “善悪” の価値観の違いが最悪な形で露見していた。

 探索者たちを決定的な断絶と崩壊から救ったのは、ふたりの少女にかばわれていた男の掠れた声だった。


「……束……してくれ……」


「なに?」


「……拘束……してくれ……俺を……」


「アレクさん!」


 アレクサンデル・タグマンの言葉にフェルが驚いて顔を向ける。


「……俺も……君たちを……襲いたくは……ない……」


 アッシュロードの顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。

 そんなことでは根本的な解決にはならないのだ。

 魔物が近くいて身を潜めたとき、もし少しでも声を上げられたら。

 戦闘中に突然暴れられ、エルフやホビットとの連携を乱されたら。

 ただでさえ “善”と “悪” の促成部隊なのだ。

 あっという間に戦線は崩壊して、自分たちは全滅する。

 いっそのこと、こいつらを置いて自分ひとりで地上を目指すか。


 アッシュロード自身は、アレクと保険契約を結んでいるわけではない。

 彼を見捨てたとしても、契約による強制ギアスは発生しない。

 ドーラに文句は言われるだろうが状況が状況だ。

 ドラ猫も最後は矛を収めるしかない。

  “善”と “悪” の探索者が無理をして行動を共にするよりも、その方が後腐れがなくていいかもしれない。


 俺は俺の道を征く。

 君は君の道を行け。


 一瞬アッシュロードは、この考えが生還するための唯一無二の良案に思えた。

 エルフとホビットも納得するだろう。

 信用のおけない俺と即席のパーティを組むよりも、お互いの呼吸の分かっている彼女たちだけの方が気が楽なはずだ。

 そしてこの、まだ駆け出し同然のふたりの探索者は迷宮に “苔むした墓” を建てることになる。


 だが、それがどうした。

 アッシュロードは “悪”の戒律に従う者だ。

 自分のパーティならいざ知らず、他人のパーティのために命など張れないし、張ってはいけない。

 小娘ふたりがどうなろうと、知ったことではない。


 だが……。

 しかし……。


「……取りあえず、キャンプを張るぞ。今後の方針を決めるのはそれからだ」


 矛を収めたのは、まずは彼の方だった。

 このエルフとホビットがどうなろうが知ったことではない。

 それでもアッシュロードは “一人で地上を目指す” という選択肢オプションは採れなかった。

 そんなことをすれば、彼が契約しているがどんな反応を示すか。

 その場合の憂鬱過ぎる状況と、このふたりを伴っての困難な脱出行を天秤に掛けた場合……アッシュロードの中で、答えはうんざりするほどに明確だった。

 保険屋は、契約者であり顧客である被保険者の信頼を裏切ってはならないのだ。



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迷宮保険、初のスピンオフ

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連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

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