一方、その頃(2)

「“女神ニルダニスの試練” ……ですか?」


 謁見の日の翌朝。

 リーンガミル王城の居館パラス

 その来賓用の食堂で、朝食を摂っていた時である。

 接待役の近衛騎士 “エルミナーゼ” の言葉に、隼人たちのまとめ役となっていた佐那子が聞き返した。

 他の四人も食事の手を止めて、瀟洒だが華美すぎない軍装をまとった男装の麗人女騎士を見つめた。

 明るい空気で始まった朝食の場に緊張が走る。


「はい。あなた方が元の世界に戻る方法を見つけたいのでしたら、それが唯一の選択肢かもしれません」


 エルミナーゼはその漆黒の瞳で、隼人たち五人を見渡した。

 豊かな栗色の髪を肩口で切りそろえた、女王マグダラと瓜二つの少女である。

 五人が顔を見合わせる。

 元の世界に帰る? そんな方法がある?


「でも、昨日陛下はおっしゃいましたよね。人の力では “異世界転移” を行うことはできないと……」


「ええ。ですから “女神の試練” なのです」


 再び訊ね返した佐那子に、エルミナーゼが答える。

 エルミナーゼの説明によると、概要はこうだ。

 

 この “リーンガミル聖王国” には “呪いの大穴” と呼ばれる地下迷宮が存在する。

 迷宮には “K.O.D.s” と呼ばれる伝説の武具が隠されており、それらをすべて集めて最下層の “女神ニルダニスの神像” に捧げると、“ニルダニスの杖” という神器を授かることが出来るのだという。

 その “ニルダニスの杖” を手に入れることが出来れば、女神の天啓を受けられ、あるいは元の世界に戻る方法を授かることができるやもしれぬ……。


(あるいは……やもしれぬ……)


 隼人は表情には見せないように、心の内で嘆息した。


(雲をつかむような話とは、まさにこのことだな……)


 そして視線を食堂の中に巡らす。

 天井のシャンデリアも、壁のタペストリーも、床のカーペットも、女王マグダラの人柄を偲ばせるように、絢爛ではあったが同時に落ち着いてもいた。

 相反するふたつの要素をごく自然に調和させているのは、建築や美術に疎い隼人にも匠の為せる技だと理解できる。

 隼人は視線をエルミナーゼに戻した。

 戻したときには、気持ちは決まっていた。


「その試練は危険なのですか?」


「危険です。迷宮の中には凶悪な魔物が生息していて、腕の立つ騎士や冒険者でも最下層にたどり着くのは至難の業でしょう」


 隼人の問いに、エルミナーゼは偽りなく答える。


「もうひとつ。その試練はひとりでも受けられるのですか?」


「――志摩くん!?」「おい、志摩!?」


 隼人の真意を悟った佐那子と月照が、同時に叫び彼を見た。


「はい。ですがその場合は共に試練に――迷宮に挑む仲間を集める必要があるでしょう」


「それにはどうすれば?」


「この国にある冒険者ギルドに冒険者として登録するのが一番確実でしょう。その場合ギルドが運営している訓練場で、迷宮探索に必要な職業に就くための基礎訓練も受けられます」


「おい、志摩! なに勝手に話を進めてるんだよ!」


 五人の中で一番大柄で仏寺の跡取り息子でもある月照が、思わず立ち上がった。

 月照は驚いていた。

 学校での隼人は物静かで、どこか飄々としたつかみ所のない奴だった。

 率先して自分の意見を述べる人間ではなかったし、まして他のクラスメートを無視して勝手に行動を始めるなんて考えられなかった。


「だからひとりでも受けられるのかと訊いた。みんなを巻き込むつもりはない」


 隼人は表情を変えずに、月照を見上げた。


「そういう問題じゃねえだろ! 今まで一緒にやってきたのになんで急に?」


「そ、そうだよ、志摩くん。その試練って命の危険もあるんでしょ? 元の世界に帰りたいのはわかるけど、でも……」


 それまで黙っていた安西 恋も、月照に同調して今にも泣き出しそうな顔になった。

 隼人は沈黙した。

 意見はある。

 反論も出来る。

 でも、それはエルミナーゼの前ですることではない。

 エルミナーゼがこの話を持ち出してきたのは、それがマグダラ女王の意思であるからに他ならず、もしかしたら自分たちは女王に試されているのかもしれなかった。

 一国の最高権力者である彼女に、身の安全と生活を保証された自分たち。

 そこに命の危険はあるが、自分たちの故郷に帰れるかもしれない “試練” があることを報される。

 反応を見られている――と考えるのは邪推のしすぎだろうか。


 どちらにせよ、隼人がマグダラの立場だった場合、ここでひとりでも気概を示す人間が現れなければ失望しただろう。

 自立と自己責任という言葉が好きで、クレクレが嫌い――そういう日本人的気質が根底にあるにせよ、それが他者から恩を施された人間の最低限の礼儀だとも思う。

 だからこれ以上、他の友人たち怯懦を強調する真似はできない。

 だからエルミナーゼの前で友人たちを論駁するのは、隼人の望むところではなかった。


「一度、ご友人方だけで話し合った方がよさそうですね」


 エルミナーゼがそういって場を繕った。

 月照は再び席に着き、始まりとは打って変わった重苦しい雰囲気の中で朝食が続けられた。


◆◇◆


「おい、どういうつもりだ! いきなりあんなこと訊いて!」


 あてがわれた客室に戻るなり、月照が隼人に詰め寄った。

 隼人、月照、そして忍の三人の少年が使う一室である。

 隣の佐那子と恋が使う部屋とは、室内のドアを使って行き来できるようになっていて、何かあった時にはすぐに駆け付けることができた。

 あえて個室ではないのは、その方が “心細くないだろう” という女王の気づかいだと思われた。


「あれじゃ、まるで俺たちにその気があるみてえじゃねえか!」


「……なぜ、あんな先走るような真似をしたんだ? ……あれが何かの罠で言質を取られたらどうするつもりだ?」


 月照と忍が、それぞれの性格に見合った言動で隼人を責めた。

 忍は隼人に輪を掛けて無口――というか、必要なこと以外はほとんど話さない少年なので、これには隼人も意外な思いがした。


「まってよ。そんなに一遍にじゃ志摩くんだって答えられないわよ」


 総務委員の佐那子が、剣呑な空気に割って入る。


「先走るつもりはなかった。言質を取られるつもりも」


 隼人はひとつ小さく息を吐いてから、先ほどの真意を説明した。


「なるほど……ね。説得力のある意見だとは思う」


 頬に手を当てて、佐那子が呟く。


「確かにマグダラ女王にしてみれば、恩を施されたわたしたちがその身分に胡座あぐらをかいているのを見るのは、良い気分じゃないかもしれないわね」


「……ひとりぐらいはやる気のあるところ見せないと、女王様のご機嫌を損ねるってわけか」


「……」


 佐那子、忍、月照が、三者三様考え込む仕草をする。


「でも、よくそこまで考えが回ったわね。正直ちょっと信じられないレベルかも」


 やがて佐那子が顔を上げて、感心した面持ちで隼人を見た。


「昨日の謁見の時に、いきなりマグダラ様に膝を折ったときもそうだったけど、志摩くんのそういうところ凄いと思う」


「それじゃ、志摩くんは “女神の試練” とかを受けるつもりはないんですね?」


 食堂からずっと曇っていた安西 恋の顔が、明るくなった。


「いや、俺は受けようと思う」


 隼人は、ここで自分の気持ちをハッキリ伝えなければならないと思った。


「俺は冒険者になって、“女神ニルダニスの試練” を挑戦する」


 隼人の気持ちは、最初にエルミナーゼに話を聞いたときから決まっていた。


 

 

 

 そのためなら、この四人と袂を分かっても仕方ないとさえ思っていた。


「なんでだよ!? なんでそんなに急いでんだよ!? そんな危ない橋を渡らなくても、ここでじっくり腰を据えて帰る方法を探せばいいじゃねえか!」


「それじゃ間に合わないかもしれない」


「なにがだよ?」


「あの時、教室にいたのは俺たちだけじゃなかった」


「「「「――」」」」


 隼人の言葉に、他の四人が息を飲んだ。

 自分たち以外のクラスメートのことなど、隼人に言われる今の今まで完全に失念していたからだ。


「俺にはどんな手段を使っても安否を確かめたい奴がいる。そのために “女神の試練” とやらを潜り抜ける必要があるなら潜り抜ける。冒険者とやらになる必要があるならそれになる――それだけだ」


 この世界にきた当初は、五人が一丸となる必要があっただろう。

 生き延びるために、五人で力を合わせる必要があっただろう。

 だが、もうその段階は過ぎた。

 女王マグダラという後ろ盾を得、その庇護を受けた以上、状況はドラスティックに変わったのだ。


 なにより。

 なにより隼人は、もう一秒だとてジッとしてはいられなかったのだ。


 俺は俺の道を征く。

 君は君の道を征け。


◆◇◆


「彼らの反応はどうでしたか?」


「はい、陛下。やはり戸惑っている様子でした」


「そうでしょうね。無理もありません」


 城内でも極々一部の者しか入ることを許されない女王の居室で、マグダラはエルミナーゼから報告を受けていた。


「ですがひとりだけ興味を示した者がいました」


「志摩 隼人ですか?」


「はい」


「なかなか興味深い少年ですね、彼は。他の者たちとは見ているものが違うようです」


 マグダラは思慮深げな眼差しを、手にしているティーカップに落とした。


「自分のさかしさを御せる程度の賢しさは、持っているようですし」


「彼らは――彼は “試練” に挑むでしょうか。命の危険を顧みずに」


「まるで挑んで欲しいような口振りですね、エルミナーゼ」


「い、いえ、わたしは別に」


 マグダラの柔らかな微笑みに、エルミナーゼは頬を赤らめた。


「そうですね……わたし個人としては挑んでほしいと思っています」


 女王は慎重に言葉を選ぶように言った。


「時は一瞬も滞ることなく流れ続けています。前回の “試練” を潜り抜けた者たちは、わたしを含めて皆老いてしまいました」


「いえ、お母様は決して老いてなど」


 エルミナーゼはマグダラを、つい髪を切る前までの呼び方で呼んでしまった。


「ご、ご無礼を。どうかお許しください、陛下」


「構いません。ここは私室です。あなたの好きなようにお呼びなさい。我が愛しい娘よ」


 母は愛娘に、慈愛に満ちた視線を向けた。

 そして嘆息する。


「ですが――やはり老いているのです。老いてしまったのです。肉体もですが、それ以上に心が」


 二〇年も玉座という絢爛豪華な牢獄にいれば、心は徐々に萎えしぼんでいくもの……。

 自分だけでなく、共にあの試練を乗り越えた友人たちも、今やその瞳から鋭気は失われつつある……。


「それは仕方のないことなのかもしれませんが、やはり寂しくもあるのですよ、エルミー」


「お母様……」


「ですが……」


 マグダラの瞳に若かりしころ、弟とふたりで、王家から玉座を奪った僭称者を討ったときのような光が戻った。


「ですが、だからこそわたしは望むのです。”K.O.D.s” ―― “ナイト・オブ・ディスティニー・シリーズ” をまとう、新たな “運命の騎士” の誕生を」



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