第84話 ニーナ
庭に入った時から、なにやら玄関の方が騒がしいとは思っていた。声のする方へ向かって行くと、二頭引きの大きな馬車が鎮座していた。何事かと思った矢先、イーサンの怒鳴り声が聞こえてくる。
「ニーナ! 私に恥をかかせるつもりか。許さんぞ。いつまでも甘やかしてもらえると思うな」
「お兄様がなんと言おうと、絶対に行きません」
ニーナが声を張り上げている。久しぶりに妹の声を聞いた。
「お前達、何を躊躇している。さっさと乗せないか」
近づいてみると、玄関先にイーサンと二人の召使いがおり、扉から出ようとしないニーナを引っ張り出そうとしている。彼女は必死に抵抗しているが、後ろにも召使いの影があった。
流石に年頃の娘を無理矢理連れ出すのは気が引けるのか、イーサンの命令に対し、召使い達は遠慮がちである。ニーナは碧く、裾の長いパーティードレスを着せられていて、髪を上の方でまとめていた。頭に散りばめられていた花飾りが一つ落ちる。
妹と目があった。すると、彼女は召使い達の間を抜け、捕まえようとする御者の手も華麗にかわして僕の背後に回る。そのまま僕の手を掴み、引っ張っていく。
「ニーナ、ちょっとどうしたの」
「今すぐおにいの礼拝所に連れていって下さいな」
「え、何?」
「マルク、今すぐ馬車に乗せなさい」
イーサンがこちらに指示を出してくるが、何をどうして良いか分からない。
一回状況を整理してみる。多分パーティーがある。急遽開かれることになったのだろうか。イーサンは家に帰ったばかりなのに参加を決意し、そしてニーナも連れて行くつもりではあるが、肝心の彼女は拒否をしている。
「ニーナ。折角おめかししているのにどうして行かないの?」
後ろに向かって尋ねると、黙って庭の方に走って行ってしまった。外へ出て行くつもりかもしれない。追いかける。長いドレスを引きずりそうになりながら走っているので、すぐに捕まえることができた。
「ニーナ!」
「おにいまで意地悪するなんてひどい」
彼女は頬を膨らませてぷいっと横を向く。その仕草も、自分だけ「おにい」とちょっと見下した呼び方をするところも幼い頃のままだった。
「折角色々な人と会える機会なんだから、行った方が良いに決まっているだろう」
「舞踏会に行くくらいなら礼拝所に入るもん」
「ニーナが入るなら求道所の方に。って簡単に出家するなんて言っちゃいけないって」
「とにかく暫く家には戻らないから」
靴を脱ぎ捨て、ドレスをたくし上げ、抱え込みながら門へと歩いて行く。外に出て行くつもりなのだ。良く大人しそうな印象を与えがちだが、その実かなり頑固な妹。暫くは連れ戻そうとしても言うことを聞かないだろう。その間にもしものことがあったら大変だ。イーサンの怒りに油を注ぐことになるが、ここはニーナの家出に付きあった方が良いかもしれない。
「家出するならせめて、僕と一緒に行きましょう」
「嫌よ。恥ずかしい」
所詮兄妹なのに何を今更。派手なドレスのまま歩くだけで目立たざるを得ないのだから、誰を隣に連れていようと変わらないではないか。
「道に迷ったり、誰かに連れ去られたりしたら更に面倒だろう」
「大丈夫だもん」
「大体嫌な予感は当たるんだよ。女の子一人で歩いていたら誰だって危ないよ。目立
つし、動きにくい格好しているから尚更だ」
また頬を膨らませる。ドレスを隠すために僕の上着を貸した。
「折角だから僕の友達に会わない? たまたま一緒にここへ来ることになったんだ。今なら宿屋にいるかもしれない。昨晩はここに泊まっていたんだよ」
「確かに今日の朝は騒がしかったけど、友達が来てたからなんだ……。べ、別に、おにいの友達に興味ないし、気を遣わせるのも悪いでしょ」
「そ、そうかなあ。まあ、確かに」
とはいえ兄のほとぼりが冷めるまで時間をつぶさなくてはならない。
「図書室はどうかな?」
中に入ってしまえば周りを気にせず落ち着ける良い場所だが、図書室があるのは公務を行う屋敷の中。家の方に戻らなくてはならないし、父や状況を知っている召使いから捜索令が出されているかもしれない。
「図書室はリスクが高すぎるよ。やめておいた方が良いと思う」
「そっか。家に近づいちゃうからだめなんだ。おにい、どうしよう」
僕達は当てもなく街をさまよい歩く。気がつけば先ほど先輩と話していた広場まで来ていた。目立たずに座れそうな所を探してうろうろして、とりあえず木の根元に腰掛けると、聞き慣れた声が降ってきた。
「私達を出し抜いて女の子を連れ歩くなんて、捨て置けないなあ、兄弟」
アシュリーとライリーが見下ろしている。ニーナが短い悲鳴を上げて、僕の腕をつかむ。
「妹ですよ」
「本当?」
「これは妹だろ。結構面影あるし」
ライリーが冷静に口を挟む。僕は立ち上がって砂埃を払う。妹も立ち上がる。
「とにかく、丁度良かったです。こっちは妹のニーナ」
「ニーナ・ファルベルです」
ドレスの裾を持って挨拶する。二人もそれに合わせて軽く頭を下げた。
「折角会えましたし、これから出かける用事が無ければ、ちょっと部屋にお邪魔しようかと思うのですか?」
「丁度帰る所だったし、大歓迎」
そう言いながらアシュリーは、ニーナの手を取ろうとしたが、引っ込められてしまった。
「まあ、行こう」
寂しそうな声で肩を落としつつ先を行くアシュリーに僕を含めた三人はついていった。
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