第44話 エルフの森と泉の悪魔 その9

 鳥の鳴き声で目を覚ますと、光が壁の隙間から差し込んでいた。日が昇っているみたいだ。ライリーとアシュリーがうずくまりながら眠っている。その先に1枚の毛皮が吊り下げられている。あそこが入口か。

 

 切妻屋根になっているみたいで、真ん中であれば立ち上がれる位には天井が高い。だから思っていたより広々としているが、3人で寝転がると、流石に足の踏み場がないので、外に出るのは無理そうだ。


 隣で眠っていたエルフのことなど、聞きたいことは沢山ある。だが、キャロルの無事は確認できたので、朝のお祈りをあげたら2人を叩き起こすことにしよう。手を組み、神に感謝と祈りを捧げる。


 キャロルさんを助けて下さり、ありがとうございます。


 祈りの言葉を唱えている内に、2人も目を覚ましたようだ。外へ出ると、柔らかい日の光が降り注いでいた。冷たい風が吹き抜けていく。


 そこには、摩訶不思議な光景が広がっていた。まず目に入るのは太い枝に支えられるようにして建てられた家。丸太を組んで作ったような壁に、葦で葺いたような屋根、細めの丸太が何本も、家を支えている。それが3つ集まっていた。


 生臭い煙が立ち上っていた。ハルディアが焚火をしながら、兎の姿が残ったままの肉を焼いており、傍でキャロルがうずくまっていた。彼女はこちらに気が付くと、涙目で駆け寄ってくる。


「キャロルちゃん! 無事で良かった」


 アシュリーが近づき、2人は軽くハグをする。その後、大粒の涙をぽろぽろと流しはじめた。


「どっか痛むのか?」


 不安げに尋ねるライリーに対して、彼女は大きく首を振る。両手で顔を覆い、声を詰まらせながら尚話し続けた。


「私、わたし約束しちゃった。歌を披露するって、どうしよう、もし、うまく歌えなかったら、怒らせちゃったら、他の子まで――」


 キャロルは嗚咽を漏らしながら崩れ落ちるように座り込んだ。聞きたいことは色々あったけれど、とても話せる状態ではない。



 暫くして、彼女が落ち着きを取り戻すと、ご飯を食べることにした。いつの間にか肉が切り分けられていて、枝に刺さっていた。1人1本ということだろう。そして、見たことのないエルフが座っている。あれ、あのエルフの分も合わせると7本になるのでは?


「あれ、爺さんは?」


 ライリーの言う通り、辺りに老エルフの姿が無かった。


「まだ眠っておられる。老体に鞭打って下さったからな」


 そっけなくハルディアが答えた。だから6本しか用意していなかったのか。

 

再び、見知らぬ顔のエルフを見やる。まず印象的なのは、首に巻かれている狐色の毛皮だ。ひとりでに動いているような感じがする、土で汚れているのに、生気が宿っているような美しさだと思っていたら、小さな耳が飛び出してきた。なんと、生きた狐が巻き付いていたのだ。


 動き回る狐を気にすることなく、黙々と肉にかじりついている。


 銀色の長い髪を垂らしており、前髪は切りそろえられている。ハルディアと同じくらい白く、滑らかな肌をしており、大きな緑色の布を、体に巻き付けている様子だった。体つきは細身で、元気がなさそうな紫色の瞳をしている。


「そこのレディは、どちら様ですか?」


 アシュリーの声に反応して、エルフは肉を食べる手を止めた。女性だと分かるとは凄い。エルフは端正で、儚げな姿をしている為だろうか。性別の区別がつきにくい。


「ルォーフェル」


 ぶっきらぼうだが澄んだ声が返ってきた。これまた呼びにくそうな名前をしている。


「ローフェルさん? 綺麗な名前だね。私はアシュリーどうぞよろしく」


「俺、ライリー」


「あ、僕はマルクと言います」


「わ、私はキャロルです」


「ルォーフェル」


 と言い放ちながら、僕達を鋭く睨みつける女エルフ。やっぱり。彼女も微妙な発音の違いが気に食わなかったみたい。エルフの名前は難しすぎる。ハルディアが女エルフに耳打ちする。彼女は大きくため息をついた。


 もしかしたら、『人間は我々の名前をきちんと言えないのだ』、『そうなのね』みたいなやり取りだったのかも。


 焚火を囲んで肉にかぶりつきながら、キャロルの身に起こった話を聞く。肉には一切味付けが無かったが、とても脂がのっていて美味しい。


 キャロルはローフェルともう1人、誰か男の人の手によって、泉まで連れていかれた、そこには巨大な蛙のような化け物が居座っており、結婚を要求された。断ったキャロルは代わりに歌を歌うことを提案し、今日の夕方、披露することになった。化け物が満足すれば解放されるが、お気に召さなかったら、彼女を殺し、別の乙女が連れて来られるらしい。


 何故、キャロルを連れだしたのか、もう1人はどこにいるのかと、ローフェルに尋ねてみるが何も答えない。そのうち、彼女は立ち上がり、どこかへ行ってしまった。


「本当はすぐに帰って頂きたいのですが、約束してしまったのなら歌うしかないですよね」


「そうね。裏切ったりしたら、他の子が襲われるだけですわ。ここで終わらせないと。でも、私にできるかしら。急に不安になってきちゃって」


 キャロルは目尻に涙を滲ませる。


「歌姫さんなら大丈夫だと思うけどな。マルクじゃあるまいし」


「ちょっと先輩、どういうことですか」


「確かに、兄弟の隣で歌っていると、音程を取るのが大変なんだよね」


「歌うのが兄弟だったら、確実に怒らせていたな」


「練習だって言って、先に兄弟の歌を聞かせ続けたら、多少失敗しても凄く上手に聞こえたりして」


 僕は確かに歌が苦手な方だが、あんまりな言い草ではないだろうか。


「ですが、それ、名案かもしれません」


 練習中に怒らせるリスクがあるということは悲しくなるから言わないでおいた。大事なのは上手さだけではない。心を込めて歌うことだ。きっと、頑張れば届くはず。


「そんなことできませんわ、正々堂々歌いたいの」


 キャロルが強く訴える。きっと聖歌隊の一員として、歌姫としてのプライドが許さなかったのだろう。彼女は殊更歌うことに関しては、どこまでも真摯だ。


「でも、そうね。折角綺麗な森にいるんですもの。一人だと寂しいですし、練習に付き合っていただけませんか」


「勿論ですよ」


 そうして、僕達は聖歌を合唱し始めた。葉の落ちた木の隙間から、うっすらと泉が見えた。大きな、尻尾のようなものが岩の上にあったような気がする。肝が急に冷えるような心地がして、慌てて目を逸らした。


 時折、笛の音が聞こえた。ハルディアが草笛を吹いていた。今僕達の歌っていた聖歌のメロディだ。


「あら、お上手ですわ。もう覚えてしまいましたの?」


「昨日、貴公らの所で聞いたからな」


「マルクさんより音程が正確ね、流石ですわ」


「ちょっと、キャロルさんまで」


「ふふふ」


 キャロルは、口元に袖を当てながら、目を細めて笑う。さっきの泣き顔を思い出す。悲しい顔はして欲しくないから、もう、これで良いような気がしてきた。どうせ僕は下手ですよ。


 色々な歌を歌った。聖歌だけではなく、巷で流行の音楽も、知っているのも知らないのも歌った。少し冷たいけれど、澄み渡った空気を吸って、風に乗ってどこまでも響いていくような、動物達まで一緒に歌ってくれているような森の中で、皆で好き勝手歌うのは、新鮮で、楽しかった。


 森の中には妖精や魔物が数多く居ると聞く。祓魔師の2人には、もっと賑やかな光景が見えているのかもしれない。

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