エルフの森と湖の悪魔
第36話 エルフの森と泉の悪魔 その1
近隣の葡萄畑では木の剪定が行われている。針で刺されるような寒さも和らぎ、春の訪れを感じられるようになってきた。僕がこの街に来てからそろそろ半年位になるだろうか。
クレア王国は11の地方に別れていて、それぞれ大貴族が治めている。しかし、自由都市と呼ばれる、どの領主にも服属しない街もある。ここ、ブラッドリーもその一つだ。
街の端に、神へ祈りを捧げる場所である礼拝所が建てられていた。
礼拝所には、現在五人の聖職者が常駐している。洗礼、日々の儀式、街の祭礼、冠婚葬祭に至るまで多くの儀礼を執り行う祭司様、本来なら見習いに過ぎないが、実質補佐役となっている侍祭の僕、敷地の手入れや見回りを行う守門のビル、そして、隙をついて取り憑き、悪行を働く魔物を追い出す、2人の祓魔師、ライリーとアシュリーだ。
借りてきた本で調べた所によると、祓魔というのは、まだノーヴァムの教えが普及していなかった時代に、布教の手段として用いられたものであるそうだ。
異教の者達に神の御業を示すことが目的だったらしい。しかし、殆どの人間が英雄ノーヴァムの教えに帰依している現在でも、悪魔憑きとそれを祓う人達は根強く残っている。悪魔も中々手強い。
それはさておき、前述した悪魔払いは2人共、一筋縄ではいかない人達だ。なんと、普通の人は感知できない精霊、魔物、幽霊の類いが見えるという。
自分には理解できない感覚だが、彼らの能力に救われた場面もあるし、何より彼らのおかげで、生き別れた産みの母親が天に昇っていくのを見届けることができた。だから彼らが嘘を言っているとは思っていない。
だが、周囲から奇異の目で見られ、疎外感を受けて生きてきたことは確かなようである。
***
礼拝堂で昼のお祈りをしている時だった。やけに外が騒がしいと思っていたら、扉を蹴破るような大きな音が響き渡った。何者かが1人、中へ飛び込んできた。胸の前で組んだ手を解き、彼に駆け寄る。
深緑のマントに皮のズボン、光沢のある革靴を履いている。腰には細身の剣を差し、よく見ると、胴当てを付けていた。背が高く、すらりとした体躯で透き通るような白い肌。金色の長い髪、鼻筋の通った顔に銀色の瞳、そして、何より目を引くのはとがった耳。
吟遊詩人から聞いた特徴が全て合致している。ということは森に棲み、人とは似て非なる種族。エルフなのか。まさか、この目で直接見ることになろうとは。彼、恐らく男性だ、は息を切らしている。
「逃げるなあああ」
「この泥棒!」
感動している場合ではなかった。5、6人の人が、凄い剣幕で押しかけてくる。棍棒や鍋や果物ナイフを持っていて、今にも振り下ろしそうな勢いだ。服装といい、持っている物といい、店から抜け出してきた様子。
「落ち着き給え。ここで荒事を起こしてはいかんよ」
祭司様は冷静に人々を宥める。あいつの味方をするのか、悪いのはあっちなのに、祭司なら悪いエルフなんぞ懲らしめてやったらどうだ、とエルフを追いかけていた人々が、文句を言う。
「どのような者であろうと、ここに来た人を守るのが我々の務めだ。分かって頂けないだろうか」
祭司様は尚、穏やかな口調で話しかける。その隙にライリーがエルフの手を引いて祭壇の方へと連れて行った。実の所、祭壇の裏に小さな出入り口がある。そこから一旦外に出て、別の建物へ連れて行くつもりだろう。
礼拝所はアジールと呼ばれる機能を持っている。簡単に言うと、どんな凶悪な人で
あろうと、一旦礼拝所に逃げてしまえば、少なくとも1日、匿ってもらえるのだ。そして、その間、誰も彼を捕まえてはならない。
つまり、礼拝所は逃げて来た人を守る義務がある。祭司様は、エルフであろうとも、アジールを適用すべきだと判断なさった。僕達はエルフがどんな悪人であろうとも、街の人達の前に突き出すことができないのである。
「一体、何を盗られてしまったのですか?」
事情を把握するため、恐る恐る聞いてみる。
「店のパンを勝手に持っていったんだ」
「奥さんがすごい剣幕で走っていったんだ。なんだ、なんだと思ったらエルフだよ、あいつが食い逃げしていったって言ったから捕まえようとしただけさ、悪いか」
「警官に突き出してやる、目にもの見せてやらんと、その辺の乞食が調子に乗るからな」
「お前らは、毎日汗水誑して働いているあたしらと、泥棒する奴ら、どっちの味方をするんだい」
「神様にお祈りするとか言って、誰でもできるようなことで、金を巻き上げるようなやつらだから、エルフを庇うんだ、そうだろ」
「あんな野蛮な奴らの為に焼いたわけじゃねえ」
「この前、メスエルフが呉服屋を荒らしたって話だ。碌な奴がいないだから嫌いなんだ」
「鞭打ちさせろ、それが無理ってんなら森へ帰らせろ! 二度と来るな!」
怒号と罵声が次々と押し寄せてくる。謂れのない聖職者への悪口には目をつぶり、彼らの言葉から状況を整理する。
あのエルフは、代金を支払うことなくパンを食べてしまったようだ。パン屋とその周辺に店を構えていた人達が、捕まえようとしたので、逃げて来た、というところだろう。気品のある姿からは、飢えを凌ぐために仕方なく盗んだというのは想像しがたい。きっとのっぴきならない事情があったのだ。
商店の人達は持っている道具で壁を打ち付けている。冷静さを完全に失っているみたいだ。懐にはもしもの時に供えて僅かながら銀貨が入っている。パンだとすれば、お詫びを含めても1枚で充分場を収められるだろう。
勢い余って祭司様や礼拝所の皆に、もしものことがあっては困る。そっと懐に手を忍ばせ、銀貨を1枚、取り出す。何かに包んだ方が良いだろうか。その時、腕をぐいっと掴まれた。
「駄目だよ。兄弟、そういうのは」
アシュリーだった。目を合わせて来る。皆からは見えない方を向いていたはずなのに。僕が思っていた以上に彼は目敏かった。
「ですが、このままでは」
「お金を払えば済む話じゃないよ。それに、
確かに、後々お金をだせば、盗んで良いということではない。その時対価を支払わなければいけないのだ。今回はパンだったから懐の銀貨で足りたけれど、もし今後似たような事態があったとして、盗られたのがもっと高価な品だったら、とても支払えない。更なるトラブルを招くことになる。
それに、僕が支払うことは、エルフの男から許しを請う機会を奪うだけでなく、更なる咎を負わせることになるのだ。僕は、自らの浅はかさを恥じた。
「父さんなら大丈夫だよ」
アシュリーはあくまで平然としている。すると、みるみるうちに、追いかけて来た人達の勢いが弱まってきた。溜め込んでいたことを吐き出せたおかげなのか、単に疲れただけなのか。あるいは、入り口を取り囲むように、野次馬が集まってきたせいか。
「祭司様に言ったって仕方ないことだったね」
と言う人まで現れ始めた。祭司様は優しく諭すように話し始める。
「忙しい中、仕事を抜け出してきたのだろう。そろそろ戻ったらいかがかね。彼には、こちらからも詫びをいれるよう伝えておこう」
商店の人達は、やや不満げな顔をしながらも、お願いしますよ、頼みますよ、と言い残し、群衆を追い払いながら去っていった。あれだけの罵声を耐えきり、彼らを諭し続けた祭司様。
対して僕は何もできなかった。よくよく考えれば、あの人達だって、事情がある相手に分け与えようとせず、財産に執着していた。強欲の罪があったと考えることもできなくはない。
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お待たせいたしました。今回から新しいエピソードが始まります。暫くは1日おきに更新できると思います。
〈補足〉
改めて侍祭について調べてみると、トーチを持つトーチベアラー、十字架を持つクロスベアラー、香水を持って振るサリファーなど、色々な役割があるそうです。
本作品の舞台となる場所では、1人しか侍祭がいないという設定なので、主人公はお色々な役割を担っていると思います。
少しでも面白い、続きが読みたいと思って下さった方は、フォロー、コメント、応援して下さると嬉しいです。
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