第32話 聖ウァレンヌの日 その3


 この街は、城壁に囲まれた旧市街(内ブラッドリー)と、後に周辺都市や農村からやってきた人々が住み着いて形成された周辺部(外ブラッドリー)に分かれている。

 ギルドというのは商人や職人が同業者で結びつき、助け合ったり、互いを監視したりする組織の事だ。都市の中で一番大きな中央広場の近くに、ギルド会館と呼ばれる建物があり、大きなギルドはその一角を拠点としている。


「今から中央広場まで行くとなると、流石に間に合わないのでは?」


「何言ってんのよ。魔術師ギルド会館は壁の外にあるの。大体魔術師って、大切にされないものなんですって」


「へえ。でも、会館が壁の外にあると、何かと不便な気がします。街にとっても」


「実際大変みたいよ」


 こういう時、自分は世間知らずだったのだと思う。昔から、どうせ聖職者になるのだからと思っていたせいだろうか。世の中にどのような職業があり、街の中でそれぞれがどう位置づけられているのか、という点に余り目を向けて来なかった。


 魔術師ギルドの会館に向かって迷路みたいな道を歩いていると、モモが一旦家に帰りたいと言い出した。服や髪の毛を整えたいという。


「別に、気にしなくて良いわよ」


「折角だから寄ってあげなよ。方向は同じだし、折角お邪魔するなら失礼の無いようおめかししたい、というものじゃないの? それに、きっと同居人に話しておきたいんだよ。勝手に行っちゃうと心配するだろうからね」


 モモは現在、サムという青年と同居している。彼にどこへ行くか話した方が良い、という事だろうが、今まで会った限りだと、少し出かけた位で心配してくれるような人には見えない。それに、妙だ。殆ど女性のことしか考えていなさそうなアシュリーが、同居人を気遣うような発言をするなんて。


「あ、アシュリーがそこまで言うなら……」


 頭を下げるモモを片目に薄ら笑いを浮かべるアシュリー。もしかしてこの人、モモの家に行くよう仕向けていやしないか?


 酒場を通り抜け、小道に入った所に、細長い小屋のような建物がある。3つ程部屋が積み重なっていて、南向きに小さな窓と、扉がついていた。壁には亀裂が所々走っていて、雪の積もった屋根は、所々不自然に盛り上がっている。一番下の窓と扉は他より一回り大きくなっていて、恐らく家主の住む部屋だろうと思われる。外についた梯子のような階段を登った先に、モモの家はあった。


 お下げの少女が扉の向こうへと消える代わりに、同居人が顔を出す。栗色の髪をした、僕より頭一つ分位身長のある男が、無愛想な顔で見下ろしてくる。ベラは完全に僕の後ろに隠れてしまっている。アシュリーは、あれ、どこ行った? 見当たらない。いつの間にいなくなったんだ。


「どうも。お世話になっております。ご用件は何でしょうか」


 サムが一切感情の籠もっていない低音で話しかけてきた。関わりたくないという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。以前会ったときの事を思い出す。ここは手土産にケーキでも持って来るべきだったか。物で釣っているみたいで申し訳ないのだけれど。


「あ、こちらこそお世話になっております……」


 さて、どうやって話を切り出したものか。モモは支度をしていて暫く奥にいるだろうし、なんとかこの人と会話出きそうなアシュリーはどっか行ったし、普段強気なベラは僕の後ろで押し黙っている。何故に。誰も頼りにならない、とにかく何か話さなければ。


「えっと、モモさんって確か1年前位にこの街へ来たのですよね。もしかしたら転送魔法が関わっているかもしれないってことで、魔術師ギルドを尋ねに行こうって話になったんです。ほら、ここの彼女の親がギルドに所属していますので。ですよね」


 振り返ると、ベラが首を縦に振っていた。いつの間にか彼女は僕のキャソックを掴んでいる。


「それって、あなた方に何か関係あるんですか?」


 無いよ。はっきり言って僕達には何の関係も無いよ。それ言われたらぐうの音も出ないですよ。無関係では駄目ですか。好奇心で動いてはいけないのでしょうか。貴方に何かもご迷惑をおかけしてませんよね、しているのかもしれないけれど知ったことか。逆に貴方は知りたくないんですか、同居人がどうやってここまで来たのかを。


 喉元まで出かかっている言葉の数々を吐き出せるはずも無く、お互い黙ったまま、吹雪の日の様な空気がまとわりついていた。


「私遅い、ごめんなさい。行きましょう!」


 モモの声が沈黙を破る。染めの入っていない上着の下からは、若草色の裾が見える。この季節には不釣り合いな色のスカートは、おそらく春の祭で身につけた一張羅なのだろう。貧しい暮らしをしている彼女には、それしか無かった。というべきなのかもしれない。結局防寒具を羽織ってしまうので着替えた意味があったのかは謎だ。


「サムさん、行く? 私達、と」

「行かない」

「なぜ」

「面倒」


「えー。悲しい。あ、忘れてた。あげます、これ」


「何だこれ」

「これは花ですよ」

「とてもそうは見えないんだけど。まあ、いいや」


 がっくりと肩を落とす少女。だが、すぐに立ち直って、靴を履き、笑顔で彼に手を振った。青年も、花を持ったまま手を軽く手を上げる。袖口に継ぎを当てられているのが目に入る。


「本当に行くのなら、いっそこのまま送り返してくれませんかねえ」


 僕達を見送りながら、そう小声で呟いた。怒りにも似た何かがふつふつと沸き上がってくる。しかし、すぐに治まってしまった。一階下の扉を叩いているアシュリーを発見したからである。


「ねえ、行こうよ、リンちゃん。君だって友達なら知りたいだろう。どうやってモモちゃんが来たのか、分かるかもしれないんだよ」


 なるほど。ベラを説得したのは、近所に住んでいるリンを誘い出す為だったのか。リンは、モモの友人であり、魔法使いだと言われている人だ。恥ずかしがりなのか、噂によると余り表に出たがらないらしい。何度か会ったことがあるが、口数が少なく表情の変化も乏しいので、つかみ所のない人だと感じている。


 アシュリーは何故か彼女の事が気になっているらしく、時々リンを誘い出そうとしている。大概は何の反応もなく、扉を開けることすらできていない。


「モモちゃん、誘ってあげてよ」


 不思議そうに首を傾げるモモ。


「だって、置いていったら可愛そうだと思わない? 君だって、友達と行く方が楽しいでしょ」

「モモさん、気にしないで」


 アシュリーはただ、リンに会いたいだけだろうから。


「はい!」


 悲しきかな、アシュリーの屁理屈を真に受けてしまったモモは大きく頷き、一緒になって扉を叩く。


「リンちゃーん。行く! 私達と」


 モモが声を張り上げると、奥からドッタンバッタンと微かながら不穏な物音がした。バタバタと慌ただしい足音も聞こえてくる。ガチャンと物が落ちるような響きも。大丈夫だろうか、色々と。


 きしむような音を立てながら扉がゆっくりと開く。隙間から、黒いローブを着た青白い顔がこちらを覗いている。


「やっと出てきたね」


 リンが即刻扉を閉めようとする。アシュリーが隙間に手を掛け、邪魔をする。暫しの間膠着状態だったが、結局アシュリーが力尽くで扉を開き、リンの腕を掴んで引っ張り出した。

 リンはローブの裾に足を引っかけバランスを崩す。階段の手すりにつかまったのと同時に、バタンと扉の閉まる音がした。余程驚いたのか、肩で息をしている。


「リンちゃん、おはようございます。あれ、違う?」

「……」

「久しぶりだね。やっと会えて嬉しいよ。元気だった?」

「…………」

「ちょっと、誰この子。どういう関係?」


 上から下までリンを眺めた後、アシュリーに詰め寄るベラ。


「この前話さなかったっけ? 黒魔女の会の家にさ、魔法陣あったでしょ。中庭の」

「確かにあったわね」

「あれ書いた子」

「じゃあ、この子を会に誘いたいって言ってたの?」

「うん」


 ベラはリンの手を掴み、ぎゅっと握った。顔を思いっきり近づけて話しかける。


「私ベラ。こう見えても魔術師を目指しているの。あんなの呼び出せるなんて、あなた凄いのね。是非とも会に入って欲しいわ。それはそれとして、アシュリーに手を出すのは辞めてくれる? 私のなんだからね。私の方が先に会ったんだからね」


「別にリンは何もしていませんよね」


 寧ろ君達の方から手を出しているようにしか見えないのだが。リンの方は目線を逸らし、一歩二歩後ずさりして、握られた手を振りほどこうとしている。表情こそ変わらないものの、困惑しているのは目にも明らかだ。


「五月蠅いわね。アシュリーが来るってことは、女の方が誘っているも同然なのよ」


「さっきまで凄くしおらしかったのに。どうしちゃったんですか」


「だって……。会ったこと無かったんだもの」


 消え入りそうな程の声で話すベラ。初対面の人にあの態度を取られたら、尻込みするのも頷けるが。何だか意外。勝手に知り合いだと思っていた。


「ほら、さっさと行きましょ」


 ベラに促され、僕達はモモ達の家を後にした。

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