送魂の儀礼

第20話 送魂の儀礼 その1

 収穫祭最終日、キャロルを見送った後の事。その日の夜番が僕であることをすっかり忘れていた。アシュリーに事の顛末を話していた時、漸く思い出したのだ。ビルが、寝ていたアシュリーと交代したらどうかと提案してくれた。ところが、当の本人は拒否してきたし、自分も与えられた役目を他人に任せるのは気が引けたのでそのまま夜番を務めることになった。そして、今、広場で焚き火にあたりながら、教典の言葉を唱えていた。


 夜番は何をするかと言うと、朝課(真夜中)と、讃課(午前3時頃)、1時課(午前6時頃)に鐘を鳴らすこと、それに合わせてお祈りをすること、礼拝所周辺の見回り、朝の支度といった所だ。時間を計るための蝋燭が無いため、大礼拝所の鐘に合わせて鳴らすことになっている。


 それ以外は只暇をもてあますばかりである。広場に火を焚いているとはいえ、本を読むには少し暗く、燃え移りそうで危なっかしい。なにより周囲に気を配っていなければならないので、集中できない。とはいえ何もしないと、このまま眠ってしまいそうだ。


 松明に火を移す。もう1回見回りに行ってみよう。足が痛くなりそうだが、眠ってしまうよりはましだろう。お祈りするのも疲れてきてしまった。

 外套を羽織り直すと、灯りを頼りに歩き始める。まずは真っ直ぐ食堂の方へ向かってみる。傍には倉庫があるので、変わったところが無いか最初に調べておこう。閂は閉まったままになっていた。一応あけて、中の様子をみる。見たところ変化は無さそう。盗まれてはいないようだ。閂を閉じる。


 食堂を通り過ぎ、礼拝堂が見えてくる。ここには裏門があるのだが、誰もいなさそうだ。広場にいると、ここからの侵入者が見えづらいので、門を出て、周囲の様子を伺っておく。畑が広がっていて、まばらに家が建っている。礼拝所は街の東端に近いようで、この辺りは都市というより村という雰囲気だ。偶に動物の鳴き声がするが、家畜のものだろう。


 畑に差し掛かる。冬小麦が少し育っている他は何も植えられていない。もう収穫を終えてしまったのだ。畑の外には小さな林がある。鳥が止まったりしていて、不気味な雰囲気を醸し出しているが、木々の感覚が空いているので、見通しは悪くないし、特に何も無さそうだ。


 寝室のある建物の周辺も回って、正門のところまで来た。ん? 何か変だ。暗闇で見えていないが、何かが動いているような気がする。

 背が高い。動物ではなさそう? 襲われるかもしれない。誰か呼ぶべきか? でも、危険かどうか分からない。向こうはこちらに気づいていない。もう少しだけ近づいてみよう。


 前方を照らし出しながら、距離をつめてゆく。黒い人影が浮かぶ。こめかみの辺りがドクドク言って、汗が噴き出してきた。背丈、肩幅、ゆったりした服装からして女性か?

 振り向いた! 赤っぽい目をしている。呼吸が荒くなる。一瞬、息が止まったかと思った。さあっと鳥肌が立つ。知らない人に会うだけで、これ程まで兢兢とするものなのか。


 相手は、髪と口元を布で覆っていた。さながらダルメシア教徒のようだ。(ダルメシア教というのは、遙か南方で信じられている教えのこと。彼らは常に頭髪を布で覆っており、特に女性は目元以外人に晒すことを禁じられているそうだ)

 彼女は、こちらをじっと見たまま動かない。声をかけてみようか。


「あの、どうかされましたか?」


 影が動く、目が泳いでいる様に見える。ずっと松明を突き出すように持っていたせいか、段々腕が疲れてきた。火の粉が落ちる。地面に赤い跡を一瞬残して消えた。


「……ません、少し、休ませてくれませんか? 橋を渡れなくなっちゃって、本当にすみません」

「構いませんよ。部屋へお連れします」


 祭とはいえ、最終日だ。こんな時間に妙だと思ったが、この寒さの中、外にいるのも可愛そうなので、お客人の部屋へと案内する。時折立ち止まり、振り返ると、彼女は少しふらつきながら、黙ってついてきていた。

 部屋に彼女を通すと、暖炉に火を入れる。部屋には小さな窓が付いていて星の灯りが僅かに差し込んでいる。粗末なベッドと机、椅子代わりの箪笥が置いてあるだけの簡素な場所だ。僕達の部屋とは違って少し分厚い毛布が二枚置いてある。彼女は荷物を置くと、そのままベッドに腰掛けた。


「何か、食べるものを持って来ましょうか」


 彼女はかぶりを振る。長くて黒っぽい髪が零れた。


「どこかお出かけにいく予定だったんですか」


「いえ、川を渡った先の村に住んでいるものですから、帰るつもりだったのですが」

「思った以上に遅くなってしまったんですね。ではここへは祭を見にいらしたんですか?」


「はい。お仕事もあったので。お仕事と言っても良いのか分からないけれど。そんな大したことじゃないから」


「どんなことをされていたんですか」


「街をぐるっと回って案内を。祭を見に来た人に」

「お詳しいんですね」


 街に住んでいる訳ではないのに何故、案内の仕事ができるのだろう。


「いえいえ、そんなことないの。ただ、昔から近くに住んでいるってだけで。でも、やっぱり変だよね。街の住人じゃないのに道案内なんて。弟に、冬になると動けないから今の内にお金を稼いだ方が良いよって言われたのを、つい、真に受けちゃって」


「弟さんいらっしゃるんですか」

「はい」


 そう言いながらはにかむように目を細めた。


「では、僕は広場の方にいますので、困った事があったら呼んで下さい」


 会話が途切れたので、僕は部屋を出ることにした。小さくしておいたとはいえ、焚き火が燃え移っているといけない。慌てて広場へ向かう。

 広場では、チラチラと火が揺れていた。燃え移った気配はなさそうだった。目が覚めてきたので、次の鐘が鳴るまでこの辺りにいよう。持っていた松明も焚き火の中に投げ入れてしまう。煙が上がって、変な匂いがした。


 その場を離れ、煙が収まるのを待つ。ぱちぱちと薪の割れるような音。白くなってゆく煙。流れる雲、瞬く星。

 鐘楼に登り、手すりにもたれ掛かる。梯子を登る足音がした。先程の女性が、隣に来る。


「何かありましたか?」

「なんだか眠れなくて。疲れてはいるんだけど。」


 まるで僕みたいだ。眠れない、の意味は違うだろうが。


「夜風に当たりたくて部屋をでたら、登っていくのを見かけたものだから。その、少し、ここにいても良いですか」


「どうぞ。そうだ、少しお話してくれませんか。僕も、暇で仕方ないんです。例えば、街の話とか。実は僕、ここに来たばかりで、街のこと殆ど知らないんです」


「そう、だったの。どうしようかな。面白い話、面白い話、うーん、あれはどうかな、ちょっと怖いかしら……」


 彼女は垂れ下がった布を肩にかけ直す。ぶつぶつ言うだけで、話を始める気配はない。鐘の周りをゆっくり回りながら、まだ考えているみたいだ。時々遠くを眺めている。何かを探しているみたいに。


「あ、そうだ。見て下さい、あそこ、えっと、見えるかなあ?」


 彼女の指し示す方を見る。河があって、その先に森がうっすらとあるのが分かる。特に、変わった所は無いが、少し明るいような? 


「もしかして、光っています?」


「そう。あれは、還っていく魂なの。この時期は、あちらの世界とこちらの世界が近くなってて、多くは残された人々に見送られ戻っていくんだけど、偶に戻れなくなってしまうのもあるんですって。それを還すために、送魂の儀式って言うのが行われるんです。これ、夜中に起きていないと見られないから、運が良いですよ!」


 彼女は心なしか目をきらきらさせながら腕を上下に振る。


「はあ」


 小さく瞬く無数の光。てっきり、星明かりか何かが水面で跳ね返っただけかと思ったが、彼女の話によると違うようだ。


「ずっと昔はこんなに人がいなくてね、この辺ずーっと畑だったの。壁も作りかけで、もっと低くて、のんびりしていたなあ。そうそう、最近は、人が多くなっているのに、送り手が減って大変なんだって」


「送り手って何ですか」


「送り手っていうのは、魂をあちらの世界へ導く人のことですよ。ちゃんと送られないと大変なことになっちゃうの! 最近の魔法使いは色々複雑なことできるみたいだけど、なんか、こういう、あちらの世界との調和? みたいなのを無視しちゃっているような気がするんですよね。だから、エルフも怒っちゃって、ってなんかお説教みたいになっちゃったかも」


 正直、話の続きも気になる所だが、折角だから質問しよう。


「その、魂とやらが送られないと、どうなるんですか?」


 光が段々河の上に集まってくる。火のようであり、雪のようにも思える小さな光が、大きなうねりを形作る。どこに向かうのか、導かれるように、ふわふわと流れに乗ってゆく。


 今見えている景色と同じように、彼女の話もどこか幻想的な響きを帯びている。無くなった人は、天国へ行くか、地獄へ落ちることになっている。死後の世界で、神の化身であるノーヴァムが再び現れ、人の罪が消える日をずっと待つのだ。罪が消える日、この世界にはびこる悪魔は消え、現世に神の楽園が蘇る。


 魂とやらが、この世にとどまることが、ありえるのだろうか。しかし、祓魔師達が、異界が云々と話していた。化け物に取り憑かれた事もあるし、そんな人も何度も見た。何が起きても不思議じゃないかもしれない。


「怖いんですよ。段々自分が誰だったのか忘れちゃって、魂と魂が合体したり、魔物に食べられちゃったりして、こーんな風に襲ってくるんです!」


 そう言いながら、長い袖をこちらへ突きだしてくる。正直危険性が伝わってこない。寧ろ、年上の女性なのに、可愛らしさすら覚える。


「それは怖いですね」


 悴んだ手をさする。自分の発した言葉が、浮いているような気がする。魂の群れは、遙か遠くへ向かっている様に思われた。


「もう、本当に危ないんですってば!」



 ゴーーン ゴーーン ゴーーン


 鐘の音。そうだ、朝課の鐘。そうだ、夜番中だった。鳴らさないと。


「すみません。ちょっと失礼します」


 ゴーーン ゴーーン ゴーーン ゴーーン


 2つの鐘が響きあう。僕はその場で手を組み、祈りの言葉を唱える。そして、懐から聖書を取り出し、1章分読み上げる。これが朝課のお祈り。周囲が明るいので、ランタンに火を灯さなくても、文字を追うことができた。まあ、最悪読めなくても、大体頭に入っているから問題ないのだけれど。



「お待たせいたしました。すみません。ところで、どこまで話しました、っけ? あれ?」


 聖書を読み終わる頃になると、彼女の姿が消えていた。そして、辺りは焚き火の火を残して真っ暗になっていた。



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 もう少し続きます。

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