新妖王即位
Side・ヒルデ
9月20日、今日はわたくしが退位し、妹のブリュンヒルドが即位する日です。
ソレムネを滅ぼしてからのわたくしは、トラレンシア国内のことをほぼ全てヒルドに任せ、デセオを中心としたソレムネ地方の統治に力を注いでいました。
ですがいつまでもその状態を続けるワケには参りませんし、ソレムネ地方もエネロ・イストリアス伯国、フェブロ・レヒストレス侯国の2国が無事に独立したこともありますので、正式にヒルドに譲位し、名実ともにトラレンシアを任せることになります。
退位するわたくしは、トラレンシア妖王を務めた者に送られる妖爵となりますが、同時にソレムネ地方統制官へ就任し、しばらくの間は天帝陛下に成り代わり、統治を行うことになっています。
本音を言えば、大和様の補佐を行いながらハンターとして生きていきたいのですが、現状ではそのようなことは許されませんから、やむを得ません。
「ブリュンヒルド・ミナト・トラレンシア、あなたは既に新たな妖王としての実績を積み重ね、国内の統治を全うしています。故に正式に、妖王位を譲ります」
「ありがとうございます。姉上をはじめとした代々の妖王に恥じぬよう、一層の努力を重ね、トラレンシアを発展させることを誓います」
ヒルドの頭上に、わたくしが預かっていた妖王の王冠を乗せ終わり、王権も譲り渡し、マントを妖王配となるアルベルト卿に手渡します。
わたくしからマントを受け取ったアルベルト卿が妻達の手を借りながらマントを着せ終わると、ヒルドは王権となっているクイーンズ・シックルと星球儀を携え、玉座の前に立ちました。
エンシェントヴァンパイアでもあるわたくしの跡を継ぐと正式に決まってから、ヒルドはアルベルト卿と共に狩りに赴き、ハイヴァンパイアへと進化しています。
わたくしも一度同行し、クラテル迷宮へ赴いたことがありますが、即位前に進化できて良かったと思います。
ヒルドの能力に不安があるのではなく、むしろそちらは何の問題もないのですが、エンシェントヴァンパイアの跡がノーマルヴァンパイアだということが、臣下どころか民達にとっても不安になっていたようですから。
「譲位の義は終わりました。以後は私が、トラレンシア妖王国妖王となります。1年以上、姉に代わり政を行ってきたこともあり、今までと大差はありませんが、皆の益々の活躍を期待します」
もうそんなに経つのですね。
だからこそトラレンシア国内は安定していますし、此度の譲位も滞りなくすみましたが、逆にわたくしがヒルドに押し付けた形になっていましたから、そこは申し訳なく思います。
「また、本来であれば妖太子も指名するのが慣習ですが、候補となるルシアとディアナはメモリア総合学園生でもあるため、彼女達が卒業するまでは空位とします。ですが無事に卒業することができれば、従妹となるルシア・ミナト・トラレンシアを妖太子に指名し、立太子の礼典を執り行う予定です」
さらにヒルドは、次の妖王となる妖太子についても言及しました。
ヒルドの次の妖王となるのはルシアですが、学園に通っている学生ということもあり、正式に立太子することができません。
これは連邦天帝国の法で定められているためで、万が一退学などの処分を受けてしまった場合、王位継承権は剥奪されることになっていますから、正式に指名することができないのです。
同じく総合学園生の、アレグリアのデイヴィッド殿下は立太子されていますが、あの方は法が施行される前に立太子の礼典を済ませておられるため、今のところは問題視されていません。
ですが万が一退学となってしまえば、獣太子の身分を剥奪され、生涯幽閉されることとなるでしょう。
いえ、幽閉では済まない可能性の方が高いですね。
デイヴィッド殿下は聡明なお方ですから、そのような可能性は万に一つもないと思いますが。
「それから、1つ報告しておきたいことがあります。数日前、私の懐妊が確認されました」
ヒルドの発言に、戴冠式を執り行っている謁見の間が大いに沸きました。
わたくしも初めて聞いたのですが、無事に妊娠してくれたのですね。
ヒルドもわたくしと同じヴァンパイアですから、生まれてくる子はヴァンパイアの可能性が高く、その場合は未来の妖王となります。
妖王は代々ヴァンパイアが即位しますが、王家としての人数は少ないこともあって、後継者については常に頭を悩ませる問題でした。
ですからヒルドが無事に妊娠したということは、トラレンシアとしては歓迎すべき慶事です。
「ありがとうございます。ですがこれによって、この先しばらくは、執務に支障を来すことも出てくるでしょう。ですが代々の妖王にもあったことであり、トラレンシアの未来を担う重大事でもあります。皆、どうか私に力を貸してください」
ヒルドのセリフに、謁見の間は再び沸き立ちました。
わたくし達の母もでしたが、妖王は女性が務める関係上、妊娠によって執務に滞りが出てしまうことは珍しくありません。
子が生まれなければ、そこで妖王家は途絶えてしまいますから、ある意味では執務より優先度は高いと言えます。
ヒルドの次はルシア、その次はディアナと決まっていますが、その次はルシアの同腹妹になる、現在3歳のエイルのみです。
残念ながらわたくしは、まだ妊娠の兆候が見られませんから、ヒルドの妊娠は歓迎すべき事なのです。
「姉上。いえ、先王ヒルデガルド・ミカミ・トラレンシア陛下。終焉種スリュム・ロード討伐のみならず、大敵であったソレムネとの戦争終結という大功、このブリュンヒルド、心より感服しております」
「いいえ、わたくしの手柄ではありません。ラインハルト天帝陛下をはじめとした皆のお力はもちろん、夫や同妻達の力添えがあってこそです。むしろこの2年、トラレンシア国内の政はあなたに任せっきりになっていたこと、心から申し訳なく思っています」
「何を仰います。私も王家に生まれた身、この身を国のために捧げることに、否やなどあろうはずがありません」
耳に痛い一言を発する妹ですが、本心からなのかは甚だ疑問です。
まあヒルドは、歴代の妖王の中でもトップを争うのではないかと思える程真面目ですし、滅私奉公の精神を有しているのも間違いありませんが。
王家の生まれですから、わたくしも在位中は滅私奉公してきたつもりですが、ヒルド程徹底できていたかは微妙ですから。
ですがそちらも大切ではありますが、ヒルドにはお腹の子を最優先にしてもらう必要が出て参りました。
臣下もその方向で動くでしょうが、無茶をしてお腹の子にもしものことがあっては、妖王家としても一大事です。
現在ヒルドは妊娠4ヶ月とのことですから、しばらくは支障が出ることもないでしょうが、妖王という立場でもありますから、臨月間近であっても執務をこなさないワケには参りません。
もう少し早く教えてくれていれば、と思わなくもありませんが、此度の譲位に際して、わたくしの新たな役職やアルベルト卿の立場、さらに国内の祭などの準備もありましたから、直前で判明しても中止にはできません。
ですが無理をさせてしまえば、お腹の子に万が一が起きてしまう可能性も低くはないのですから、妖王の妊娠中に限り、妖王が指名した妖爵が国政に携わることができるようになっています。
大抵の場合は先代になりますから、おそらくヒルドもわたくしを指名するでしょう。
先々代となるお母様と4代前となる伯母様はトラレンシアを出ておられますし、3代前の伯母様はスカラーとしての研究に精を出しておられますから、わたくししかいないという事情もありますが。
「私が臨月を迎える春から夏にかけてですが、慣例に従い妖爵の1人を補佐に任命します。ですが姉ヒルデガルドは、ソレムネ地方の統制官を任されることが決まっているため、現実的ではありません。よって補佐には、私達の母であり先々代でもあるランドグリーズ・ミナト・ヘリファルテに任せることになっています」
ところがヒルドは、既にお母様に打診し、了承まで得ていたようです。
お母様は数年前にわたくしに譲位した後、わたくしとヒルドの実父であるハンターと正式に結婚し、アミスターに移り住んでいます。
そのハンターが拠点にしている町は、マイライト山脈の東側、ベルンシュタイン伯爵領とトゥルマリナ伯爵領の間にあるクライノート子爵領領都コリーナですから、わたくしも何度か訪れました。
実父が在籍しているハンターズレイドは、確かハイクラス2名ノーマルクラス14名の中規模レイドだったはずです。
コリーナで1,2を争うレイドですが、来年の春から夏にかけてはトラレンシアに来てもらうことになりますから、その間はわたくしもクライノート子爵領の事を気にかけておくべきでしょう。
マイライト山脈の麓ということもあり、確かオークの出現率は上がっていたはずですから。
ちなみにヘリファルテという家名は、お母様が退位される際にお決めになられた家名です。
妖爵は当代限りの爵位ですが、女王在位中は結婚しないという方もそれなりにおられました。
ですので退位と同時に妖爵位を授かる際、お母様と同じように結婚をされることも珍しくないのです。
その場合、家名はお相手の家名を名乗る、もしくは夫共々新たな家名を名乗ることになっています。
ヘリファルテという家名は、お母様が退位される際に自らお決めになられた家名になりますね。
その上で、妖爵であるとことも示すために、妖王家のミドルネームにもなっているカズシ様の家名ミナトも名乗ることになっています。
ですからわたくしも本日より、ヒルデガルド・ミナト・フレイドランシアと名乗ることになりました。
「私が即位したとはいえ、基本的に政策に変更はありません。国内の復興は進んでおり、セイバーズギルドへの登録者も増えてきています。ベスティアのスラム街も規模を大きく縮小しているため、再開発を行う下地もできてきています。ですがスリュム・ロード討伐以来、生態系の変わっているゴルド大氷河、1年半ほど前に生まれたクラテル迷宮という高難易度
ヒルドが口にしたように、ゴルド大氷河は終焉種スリュム・ロードが討伐されて以降、生態系にも変化が生じていると報告を受けています。
スリュム・ロードはタイガー種ですから、かつてのゴルド大氷河はタイガー種が我が物顔で生息していました。
ですが討伐後は、タイガー種の数は減少しており、逆にゴルド大氷河東部にある山岳地帯に、僅かばかり生息していたとされるレオ種が増えてきているそうなのです。
レオ種はタイガー種より格上の魔物ですが、スリュム・ロードがいたこともあってか、ゴルド大氷河に出てくることはほとんどなく、討伐履歴も数例程でした。
ところがここ数ヶ月程で、レオ種の討伐数が激増してきているのです。
幸いといいますか、遭遇したのはエンシェントハンターということもあり大過なく討伐もできているのですが、クラテル迷宮は最西部とはいえゴルド大氷河にありますから、放置しておけない問題でもあります。
「この後は祝宴となります。皆、大いに楽しんでください」
ゴルド大氷河については、わたくしも気にかけておくつもりです。
生態系が変わってしまったこともありますが、スリュム・ロードがいなくなったことで調査に出ることも可能になりましたから。
特にサユリ様が長年探し求めておられる、かん水という水もあると思われますし、他にも未知の資源もあるかもしれません。
サユリ様がかん水を見つけることができなかった理由は、スリュム・ロードがいたため、詳細な調査を行うことができなかったからになります。
ですから大和様や真子も、ゴルド大氷河の調査には乗り気なのです。
まあ、現在大和様が代官を務めているエスメラルダ天爵領領都フィールでは、拡張工事の準備が整ったため、そちらへの対応を優先しなければなりませんから、少なくとも年内は動けないのですが。
わたくしもソレムネ地方統制官という役職に就くことになりますから、簡単に調査に赴くことはできないでしょう。
それでも母国トラレンシアのためですから、何とか時間を取りたいものです。
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