第149話 たとえわがままだとしても

「道を開けろっ!」


 ヴェンデル・アルデランドの低く野太い一声で、屈強な男どもの人垣が左右に割れる。そうしてようやくセアラ、ブリジット、クラリスの三人は、肩で息をしながら睨み合うアルとマイルズのもとへと辿り着く。


「アルさん、もう止めてください!こんなことして何になるんですか?」


「セアラ…………つっ……」


 心配そうにアルの頬を両手で包むセアラ。その不安な心中を映すかのような、少し低めの体温がアルの火照った頬に伝わると、ヒビの入った頬骨に走る痛みを自覚し顔を歪める。


「マイルズもそこまでよ。これだけやれば気は済んだでしょ?」


「……ちっ……お前ら、来てたんならさっさと止めろよ……せっかくのイケメンが台無しになるところだっただろ?」


 軽口を叩くマイルズではあったが、鼻からはおびただしい量の出血。一目で折れていると分かるそれを、手馴れた様子で元の位置に戻す。


「よく言うよ、そしたらまだやり足りないとか言うんでしょ?ほんとバカなんだから……」


 クラリスが溜息をつきながら二人に回復魔法を施す。


「悪いけど話は聞こえてたわ。でもこれだけの騒ぎを起こしたんだから、ちゃんと説明しないといけないからね……」


「……ああ、分かってるよ」


 憮然とした表情のまま、アルには目もくれずにマイルズが答える。一方のアルも、その場にあぐらをかいて座り込んで俯いたまま。

 唯一その場において事態が飲み込めていないセアラが、重苦しい雰囲気を嫌ってアルに手を差し出す。


「さ、さぁ皆さん、行きましょう。あちらでマルティンさん方がお待ちですよ」


「……悪い、俺は席を外す。事情を説明するだけなら必要ないだろ」


「あっ……アルさん……」


 セアラの手を取ることなく立ち上がり、自分で回復魔法をかけながら人混みの中へと姿を消すアル。マイルズたちは、その背中に複雑な感情を宿した視線をやるだけで、誰も引き留めようとはしない。


「……セアラはどうするの?アルを追って行く?」


「……いえ、もし皆さんが良ければ、私にも教えていただいていいですか?恐らく、アルさんを追ったとしても、何も出来そうにありませんから……」


「……ええ、良いわよ。じゃあ行きましょ」


ーーーーーーーーーー


「……以上が私とアルの間にあった全てございます。大使という立場にありながら、このような騒ぎを起こしてしまいましたこと、深く謝罪致します。誠に申し訳ありませんでした」


 マイルズが深々と頭を下げる。


「話は分かりました……代表、いかが致しましょうか?マイルズ殿には我が国の為に動いていただいたこともありますので……」


「外との交渉を担っておるのはお前たちであろう?お前たちの裁量で決めれば良い。だがその前に、そちらのご婦人が言いたいことがあるようだが?」


 ヴェンデルがセアラに視線を向ける。


「セアラさん?」


 マルティンに声をかけられても、しばし口に手を当てて考え込むような仕草を見せるセアラ。

 やがて三人に向き直り、ゆっくりと口を開く。


「……一つ、お尋ねしたいことがあります……皆さんは望んでそういったことをされていた訳では無いんですよね?」


「……望む、望まないという話じゃないのよ……親を失った子供がひもじい思いをして、この世界にはどこにも居場所なんてない、そう思っているところに、君の才能を国のために使って欲しいなんて言われれば、たちまち自分は特別だって勘違いしちゃうの。私たちだって、自分たちがしていることはいい事なんだって信じて疑ってなかったわ……」


「……まるで洗脳ですね……」


「それが少しづつ変わっていったのがアルとの旅だった。楽しかったわ、たとえ仮初だったとしても、自由を得て見る世界は全てが新鮮で……私たちの世界はあの旅で一気に拡がったの。だけど……あの時の私たちには、まだ国を捨てて生きていくという選択は出来なかった。それに……アルを連れて国に戻っても、元の世界には戻してあげられないどころか…………本当に、今思うと、何もかも中途半端だった……」


 三人は未だ夢にまで見る、あの場面を思い出し唇を噛む。

 激闘を終えて膝をつくアルの背後からマイルズが切りかかり、ブリジットが放った炎に包まれる光景。そして自分たちに向けられたアルの絶望と怒りに染まった眼。

 どれほど謝罪の言葉を尽くし、行動を示したとしても、たとえアルが許そうとも、慙愧の念が消えることの無い苦しみ。


「……私には……アルさんの気持ちが分かります。マイルズさん、ブリジットさん、クラリスさんが……皆さんのように過ちを認めて苦しむことの出来る方が、ただ贖い続けるだけの人生を送るなんて、私も納得出来ません」


「セアラ、アルにも言ったが……」


「じゃあ!!皆さんはどうすれば良かったんですか?命令なんて聞かずに死ねば良かったとでも言うんですか?」


 マイルズの言葉を遮り、セアラが強い口調で問いただすと、怯むマイルズに代わってブリジットが矢面に立つ。


「いいわけないでしょ?だけど……」


「だけど何ですか?理不尽に命を奪ったのだから当然だと?」


「そうよ、絶対に許されることじゃないし、もう許してくれる人もいないわ」


「じゃあ奪った命よりも、たくさんの命を守ったらいいじゃないですか!たくさんの人を幸せにしたら良いじゃないですか!」


「言われなくてもやってるわっ!!」


「やってません!皆さんのやってる事は、自分が楽になるための誤魔化しです!個人の幸せを遠ざけたまま生き続けることで、苦しみに浸って自己満足をしているだけです!それで誰かの幸せを願ってるって、そういう信念を持ってやってるって、本当に言えますか!?」


「っ……」


「自分の幸せを望まない人が、誰かを幸せにしようだなんて、そんな考えは傲慢です!人はそんなに偉くない……出来るはずがないんですよ!!」


「……そんなこと……」


「だから自分の命を軽いものだなんて、幸せになる権利が無いだなんて思わないでください」


「もう遅いわ……今更そんなこと言われたって……それにそんなこと、セアラに言われることじゃ……」


「アルさんが悲しむんですよっ!!!!」


 頑なに反論をしてきたブリジットが、セアラの気迫に圧されて言葉を失う。


「……先程、私はアルさんが珈琲コーヒーを楽しむ時間を、とても大事にしていると言いましたよね?」


 その問いに、ブリジット、クラリスは言葉を発すること無く、ただこくりと頷く。


「その大切な時間に、私に皆さんとの旅の話を楽しそうにしてくれたりするんです。皆さんに一度は裏切られても、今でも大切な仲間だって、友人だって、そう思ってるんですよ?そんなアルさんが皆さんの幸せを願うのは、当たり前の事じゃないですか……?」


「……アルが……そんなことを?」


 しばしその場を沈黙が支配する。


「……私にも……あるのかな?」


 ポツリとクラリスが零すと、セアラはブリジットから視線を移してその続きを待つ。


「ねぇ、セアラ。私も幸せになっていいの……?私にも……恋をする権利はあるのかな……?私、力も弱くて回復魔法や補助魔法くらいしか取り柄がないから……だから……」


 自らの体を抱いて肩を震わせるクラリス。その金髪をセアラが優しく撫でる。


「クラリスさん……」


「こんな穢れた私でもね、小説の世界ではさ、キラキラしたドレスを纏った、可憐で清楚なお嬢様になれるんだよ。クライマックスには一途で素敵な王子様に、甘くて情熱的な愛の言葉を囁いてもらえるんだよ」


 願ってはダメだと自分に言い聞かせ、必死で自分の気持ちを押し殺してきたクラリス。そしていつしか物語の中に逃げ込むようになっていった彼女を、セアラは抱き締めて穏やかに語りかける。


「幸せになる権利も、恋をする権利も誰にだってあるんです。それに私はクラリスさんが穢れているなんて思いませんよ?だってこんなにも純粋な心を持ってるじゃないですか」


「……はは、そっかぁ……」


 セアラの言葉を受け入れたクラリスは安心したように呟くと、ポタポタと涙の雫で床を濡らす。


「したいなぁ……私、恋をしたい……物語のヒロインみたいなキラキラしたドレスも、ロマンチックな出来事もいらないから……平凡でいいから、恋をしたいよ……ねぇ、マイルズ、ブリジット……私、自分の気持ちに嘘をつきたくない……」


「……クラリス……」


「……皆さんの過去の行いは消える訳ではありませんし、それは贖い続けなければならないんでしょう。でもそれならば、皆さんがそうせざるを得ない環境で育ったことへの救いがあってもいいはずです」


「……それは……セアラにとって、アルが救いだったみたいに?」


 ブリジットの問いに、セアラはこくりと頷く。


「救いのカタチ、幸せのカタチは人によって違います。ですがどんなカタチであれ、それを追い求めることは、自分を突き動かしてくれる原動力になるんです」


 セアラは目を閉じ、リタと離れて王城で過ごした日々を思い出す。灰色の世界で彷徨い続け、全てを諦めていたその日々を。

 そして胸に手を当て、アルへの恋心という救いを見つけたその瞬間を思い出す。世界が再び色を取り戻し、輝き出したその瞬間を。


「その救いを、幸せを掴むには、皆さん自身の意志が必要なんです。だからアルさんは、皆さんに前を向いて生きて欲しいんです」


「……あいつ……口下手にも程があるだろ……」


 毒づくマイルズに、セアラは困ったような笑みを浮かべる。


「元々、他人の生き方に口を出すような方では無いですから、その願いが自分のわがままだということも理解されているんです。それでもアルさんにとって、皆さんはやっぱり特別ですから……」


「アルの事なら、そんなことまで分かるんだな……」


 マイルズの言葉に、セアラは両手を重ねて胸に当て、いつものふわりとした幸せそうな笑みを浮かべる。


「いつもアルさんと一緒にいて、アルさんのことを想う、それが私の見つけた幸せ、私の救い。だから私には分かるんです。私は皆さんの生き方をどうこう言える、そんな立場にはないことは分かっています。ですから私が願うことは一つだけ、アルさんのわがままに向き合ってみていただけないでしょうか?どうかよろしくお願い致します」


 深く頭を下げるセアラ。その願いを突っぱねず正面から受け止めたマイルズは、嘆息して頭をガシガシと掻き、ブリジットとクラリスは、ただ静かに涙を流すだけだった。

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