第107話 英雄が望む世界

「エドガー陛下、クリューガー帝国の処遇はどうなるのでしょうか?」


 三大国の国王が一堂に会したところで、アルが気がかりだったことを尋ねる。


「詰めの段階はこれからになるが、とりあえず現皇帝には退位してもらう。それから皇太子に帝位を継いでもらうが、実質的にはこの三国から派遣した人材が統治することになるな。まあ事実上主権を放棄してもらうという形だ」


「そうですか、随分と寛大な措置だと思いますが」


「ああ、アルの言う通りだ。今回の件は本来であれば国が滅びたとしても文句は言えない。それでも元を正せば、魔族に逆らえる状況ではなかったという側面も確かにあるし、実働部隊もほぼ魔族とモンスターだ。それに四大国の一角が滅ぶとなれば、色々と面倒でね。それならば表向きは今まで通りにして、骨抜きにしてしまった方がいいだろうということさ」


「うむ、それに加えて帝国は様々な鉱石の一大産地でな、他国との貿易が盛んな国でもある。関税を下げるなどをすれば、攻めずとも国力を削いで、戦争の賠償に充てることも出来る。どの国も今回の戦争で少なからず疲弊しておるからな、可能な限り戦争を長引かせる事は避けたいのだよ。この状況では、そちらの方が都合が良いのだ」


 エドガーの説明を、ベルナルディが立派な口ひげを擦りながら補足する。

 そもそも今回の戦争では魔族とモンスターが主力であったため、帝国自体の戦力はほぼ無傷。確かに三大国が協力すれば落とすことは出来るものの、ある程度の被害が出ることは避けられない。帝国としても亡国の憂き目に遭うくらいならば、要求を飲んだ方がマシという、双方にとって利があるものであった。


「それにしても意外でした。アルさんもそういったことを気にされるんですね?てっきり政治的な話には無関心かと思っておりましたが」


 リオンだけは国王らしからぬ丁寧な言葉遣いでアルに話しかける。この世界出身ではあるものの、日本から来ているアルは、ラズニエ王国からすれば大切な存在に変わりはない。


「ええ、細かいことは良いのですが、あまり人死にが出るのは嫌だなと思いまして。魔族を退けたら、今度は人間同士で戦争だなんてあんまりですから」


 アルの言葉に、ベルナルディとリオンは成程と大きく頷く。


「これもエドガー陛下とファーガソン辺境伯の言う通りでしたか」


「うむ、最初は帝都まで一気に攻め入って制圧する案もあったのだが、二人が強硬に反対してな」


「そうだったんですか……」


「まあそれなりに長い付き合いだからな。これでもアルが嫌がることくらいは分かっているつもりさ。さあさあ、小難しい話はこれで終わりだ。娘が向こうで待ってるみたいだし、行ってやるといい」


「はい、ありがとうございます」


 照れ隠しをするように二人をシルの元へとやろうとするエドガー。アルとセアラはそれに甘えて娘の元へと向かう。


「しかし魔族と神族の混血か……まだまだ現実が見えておらん、青臭い普通の青年にしか見えぬがな……」


「ええ。信頼には信頼を、確かに生き方としては理想ではありますが、私たちのような者には眩しすぎますね。自国の利益を求める以上、それを成すことは難しい。今回は避けられましたが、いずれまた戦争は起こりますよ」


 まるで別世界を生きる者のように目を細めて、アルを評するベルナルディとリオン。


「……そうですね。確かに困難な道で、青臭い理想かもしれません。ですが私は世界から争いを無くすことを目指したいと思いますよ」


 エドガーの父、先王エイブラハムからは絶対に聞かれなかったであろう言葉に、二人は少なからず驚きを抱く。

 世界会議の際にも感じていたことではあるが、アルクス王国は若い王のもと、大きく生まれ変わろうとしており、二人はその変化を慎重に見極めようとしている。その変化が自国にとってそれがどのような結果をもたらすものであるのかを。だからこそ余計な口を挟むことなく、エドガーの言葉を待つ。


「あの時、アルの地上を去るという言葉を聞いてから、自分に出来ることを考えてきました。彼はこの地上において多くの辛い経験、苦い経験をしてきた。それでもなお『人は温かい』と『人が好きだ』と、そう言い切る彼が、そこまでの覚悟を持ってこの世界を救うという選択をしてくれた。セアラのおかげで留まってくれたものの、私には何も出来なかった、引き止める術を持たなかった。私からすれば、一つの森の領有権などでは到底報いることは出来ない程の恩です。ならばせめてアルの望む平和な世界を私は作りたい。きっと彼は私たちにそれを託してくれたのだと、身勝手にも私はそう思いたいのです。そしてそれを実現することこそが、私から彼へ贈る褒賞なのです」


 表面上は冷静に、淡々と自身の思いを吐露するエドガー。しかしその目には並々ならぬ決意が表れている。

 二人は何も語らずその言葉を反芻し、再びアルへと視線を移す。その先には家族と共に、幸せそうに微笑む英雄の姿。

 そしてこの三人の提言により、年に一度、終戦の日にソルエールで世界会議が行われることが正式に決まるのであった。




「パパ、ママ!料理食べないの?すっごく美味しいよ!」


 赤いドレスに身を包んだシルが、皿に山盛りになった料理を持って笑顔を見せる。


「シル〜!お口にソースが付いてるじゃないの。せっかくお姫様みたいな可愛い格好してるんだから、もうちょっとお淑やかにしないと」


 セアラが取り出したハンカチでシルの口元を拭いながら小言を言うと、シルは嬉しそうな顔でされるがままにする。


「ふふ、仲がいいのね」


 リタとドロシーと話をしていたルシアが、優しい眼差しを二人に向ける。


「ルシアさん、もういいんですか?」


「ええ、もうすっかりね。シルちゃんは本当に凄いわ、この歳で既にリリア以上かも」


 貫かれた腹を左手で擦り、右手でシルの頭を撫でながらルシアが笑みを浮かべる。


「お兄さんのことは、その、残念でした……」


「ううん、仕方の無いことよ。あの時には、おそらく既に手遅れだったと思う。それに、確かに魔族に利用されていたけれど、それで罪が無くなるわけじゃないから」


 妖精族狩りが行われるようになったのはここ数年の話。つまりレオンは長らく禁術の研究自体は行っていたものの、それを実行に移したのは最近であったということ。

 今となっては確かめる術はないが、魔王の座を逃したアバドンが、賢者の石を手に入れるために利用したのだろうとルシアは考えていた。それでも最後の一歩を踏み出したのは間違いなくレオンであり、同情の余地はない。


「そうですか……」


 理屈では分かっていても、家族を失うというのは筆舌に尽くし難いもの。そして今なおルシアは兄が凶行に走った原因の一端が、自身にあるという考えを完全には捨てきれていない。

 悟らせまいとしているものの、人の機微に敏感なセアラの表情が曇ると、ルシアはそれを払拭しようと強引に話題を変える。


「あ、そうそう。アルさんは日本の出身なのよね?みんなで王都に遊びに来るといいわ、色々と懐かしいものがあると思うから」


「それは楽しみですね、是非お邪魔させてもらいます」


 気丈に振る舞うルシアの心情をおもんぱかって、アルは明るく務める。


「ちゃんと連絡してよ?私も一緒に回らせてもらうから」


 アルとセアラが何故?と言うような顔をしていると、ルシアが顔を蕩けさせながら、隣で相変わらず食べ続けるシルの頭を抱き寄せる。


「だってシルちゃんに会いたいんだもの。リリアと同じ魔力だから、一緒にいて心地いいのよねぇ。回復してもらっている時も、何だか懐かしくて。もしかしたら本当にリリアの生まれ変わりなんじゃないかって思うくらいよ。ねえねえシルちゃん、うちで暮らさない?」


「もごもご……ううん、私はパパとママと一緒がいいから」


 セアラに叱られないように、シルはきちんと口の中を空にしてからきっぱりと断る。しかしその答えはルシアも予想しているので、落胆するようなことは無い。


「だよねぇ、っていうことでちょこちょこ遊びに来て欲しいなってこと」


「それは構いませんが、それならルシアさんもうちに遊びにいらしたらどうですか?」


「いいの?ええっと、確かカペラの近くの森だったかしら?」


「ええ、そうです。私もルシアさんからは色々と魔法のお話を聞きたいので」


 ニッコリと微笑みながら、ルシアが訪ねて来やすいように、きちんと自分のメリットを提示するセアラ。遥かに年上の自分を気遣ってくれる優しさを持つセアラに、ルシアは思わず顔をほころばせる。


「ふふ、じゃあお言葉に甘えようかしら」


「私もリリアさんのお話聞きたいなぁ」


 シルが可愛らしく上目遣いでルシアを見ると、当然断れるはずもなくそれを了承する。


「ええ、もちろんいいわよ。そうねぇ……じゃあ遊びに行く度に一つお話をすることにしようかな」


「うん!楽しみだな〜、いつでも来ていいよ!」


「ありがと〜!」


 頭を撫で、再び抱きしめるルシアと満更でもなさそうなシルに、アルとセアラは思わず笑顔になる。


「それにしても生まれ変わりか……神族や魔族以外にもそういうことが有るのか?」


「無論だ、地上の者の魂も例外なく輪廻転生をする。とは言え記憶も全て失う上に、知覚出来るほどの魂は滅多におらぬがな」


「っ……!?いきなり会話に入ってくるなよ……」


 突然父親から声をかけられ、どう接していいのか分からずに、まるで反抗期の子供のような悪態をつくアル。そしてそれを見て、愉快そうに笑う一同。

 この二人が面と向かって話すのは、戦ったあの日以来のこと。アスモデウスは戦いが終わると、機を逃さぬように、すぐに魔界を完全に掌握するために向かっていた。


「いい顔になったな……」


「当たり前だろ?あんな状況と比べられればな」


 相変わらず悪態をつくアルに、アスモデウスは微かに口角を上げて否定する。


「そうではない、我と戦う前と比べてもという事だ」


「……そう感じるのなら、間違いなく良い妻と娘がいるおかげだ」


 傍らに立つセアラを見つめ、シルの頭を優しく撫でるアル。


「うむ、それが分かっているのならば何も言うまい。ところでまだ家族を紹介してもらってないのだが?」


「アルさん、私もアルさんからお義父様に紹介していただきたいです」


「私も〜!」


 半笑いのアスモデウスの言葉に、既に知っているだろうとでも言わんばかりに嘆息するアルであったが、セアラとシルからもせっつかれ観念する。


「……妻のセアラだ、こっちは娘のシル……それで、今度……ディオネで結婚式をすることになった。その……良かったら来て欲しい」


「そうか、喜んで出席させてもらおう。それと一つ頼みがある。その日一日だけでもアフロディーテを元に戻してやってくれぬか?」


「そんなことが出来るのか?」


「うむ、多少強引な方法ではあるがな。お前たち三人ならば、問題はなかろう。光属性の魔力を潤沢に注いでやれば、他人の魔力であっても一日くらいであれば持つ」


「アルさん!やりましょう!私もきちんとご挨拶したいですし」


 セアラがアルの腕にギュッと掴まり、花のような笑顔を咲かせながらやる気を見せる。


「ああ、そうだな。シルも頼めるか?」


「うん!もう一人のおばあちゃんとお話するの楽しみだな〜!」


 セアラに負けず劣らずの満面の笑みを見せながら、ドレスから伸びる尻尾を揺らすシル。その仕草は、アルたちでなくとも可愛らしさに思わず頬が緩むというもの。


 今、この場所には温かな時間がゆっくりと流れていた。会場中からアルたち家族に注がれる視線は、優しさに満ち溢れている。決して畏れなどではなく、仲睦まじい家族に向けられる温かなもの。


 この世界にいざなわれ、信頼した仲間から裏切られたアル。幼い頃に母親から引き離され、謂れ無き罪を負わされたセアラ。意図せず聖女となり、突如として里を追われたシル。三者三様のルーツと、過去に深い傷を持つ三人。各々が信じていたものに裏切られること、大切なものを奪われる絶望を深く知っている。

 それでも三人は互いを大切な存在と位置付け、共に生きて行くことを選ぶ。それは大切なものがない人生の無意味さ、空虚感を知っているから。孤独に生きることよりも、大切なものと共に生きる日々の素晴らしさ、幸福を知ったから。


 そして英雄アルは望む。たとえ青臭く困難であろうとも、どれだけ時間がかかろうとも、全ての国と種族が手を取り合い、この世界が幸せで溢れる日が来ることを。



※あとがき


これにて今章は終わりとなります。

次回からはしばらく日常編、そのうち結婚式となります。

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