第100話 母と師匠が見せる魔法戦

「ふーん、あなたたちが相手をしてくれるの?どうせならあっちのハイエルフの方がいいんだけど」


 腰まである長い黒髪をかきあげながら、退屈そうに溜息を漏らすその様は、妖艶という言葉が良く似合う。白い肌と赤い瞳を持つ魔族の女の視線は、眼前のリタとドロシーではなく、もう一人の魔族と共にいるセアラに注がれていた。


「いいじゃない、あんた弱そうだし」


「ね、うちの娘とやって勝てるとでも思ってるの?顔も魔法もボロ負けでしょうに」


 侮られたお返しとばかりにドロシーとリタが挑発すると、それまで興味無さげだった魔族の女が、心胆を寒からしめるほどの鋭い眼差しで二人を睨み付ける。


「ただのエルフとハーフエルフごときが、随分と舐めた口を利いてくれるじゃないの?これでも私は魔界一の美貌で通っているのよ?」


「へぇ、魔界っていうのは随分と低レベルなのね」


「ほんとほんと、性格の悪さが顔に滲み出てるわよ」


 怯むことなく相変わらず挑発をしてくる二人に対し、魔族の女は怒りに肩を震わせながら両手を掲げる。


「いいわ、あの娘はあの方に譲るわ。私の名はグレモリー、あなたたちの名前は要らないわ。どうせすぐに終わるんだしね!」




「あなたがこの戦争の黒幕ですね?」


「ほう、まさか言い当てるものがおるとはな?私の名はアバドン、次代の魔王、そして直に世界の覇者となるものだ」


 セアラが相対するのは、腰まである銀髪を後ろで一つに束ねた、長身に筋骨隆々の美丈夫。グレモリーよりも鮮やかな、ルビーのような深紅の瞳と褐色の肌とが相まって、その風貌だけでもカリスマ性を感じさせる。


「そんなの見れば分かるわ、あなたの魔力はお義父様と比べても遜色無いもの」


「そんなことは本来地上の者では分からぬ。お前たちから見れば私たち高位魔族の魔力は多すぎるからな。しかしお義父様……アスモデウスのことだな?加えてハイエルフと言うことは、お前が禁忌の子の連れ合いということか。それにしてもその美しさ、惜しいな……穢れた者にやるには勿体無い。この私のものにならぬか?」


 見つめるアバドンの目が怪しく光るが、セアラはそれを真っ直ぐに見返しながらハッキリと拒否をする。


「……私はあなたに魅力を感じませんし、何より夫を愛しています。私は身も心もすべて夫に捧げていますから。それに……面と向かって夫の悪口を言われるのは、気分が良くありません」


「ふははっ、よもや私の魅了が通じない者が地上におるとはな。その言葉に嘘は無いということか。ますます気に入ったぞ、力尽くで私のものにしてやろう」


「……あちらの方はあなたの伴侶では無いのですか?」


「無論そうだが、あやつだけではない。王となるものならば当然のことであろう?お前が望むのであれば正妃にしてやってもよいが?」


 全く悪気を感じさせずに宣うアバドンに、セアラは嫌悪感を隠さずに睨み付ける。


「権力者が多くの女性を娶ることは分かっていますし、否定はしません……ですが私は願い下げです!」


 セアラが手早く詠唱を済ませると、アバドンが立つ学園前広場を形作る石畳が、無数の鋭利な刃となって襲いかかる。しかしアバドンが一瞥もせずに軽く腕を振ると、岩の刃は塵となって崩れ去る。


「確かにハイエルフというだけの事はあるな。だがお前では決して私には勝てんよ」


「そんなこと……やってみないと分からないです!」


 火の中級魔法『炎槍(ファイアランス)』がセアラから放たれるが、精霊の力を借りればその威力は中級の枠には収まらない。それでもアバドンは、顔色一つ変えずにそれを手で受け止めて掻き消す。


「分かるのだよ、お前にはこうした戦闘の経験が圧倒的に足りぬ。そして自分と互角以上の魔法の使い手と戦ったことがないであろう?」


 アバドンが一瞬にして距離を縮め、セアラを片腕で抱き止める。


「何よりこの体は戦闘には向かぬ、私のものになればこのように戦う必要などないのだぞ?」


「くっ、離してっ!」


 逃れようと必死で体をよじらせ、両腕で突き放そうとするセアラだが、屈強な体を持つ魔族の前ではまるで意味を成さない。


「ふむ、嫌がる者を手元に置くというものまた一興か」


 嗜虐心をそそられたアバドンが顔を背けるセアラの顎を掴み、無理矢理に口づける。


 ガリッ


「ちっ!」


「うっ……くっ……」


 セアラがアバドンの唇を思いきり噛むと、堪らずアバドンはセアラを思いきり投げ捨てる。身体中を擦りむき、思わず呻き声をあげるセアラだが、その瞳には未だアバドンに対する敵愾心が宿り続けている。


「気が強い女は嫌いではない。だが何をそこまで拒む必要があるのだ?私のもとに来れば、何不自由ない暮らしが約束されているのだぞ?」


「言ったはずです!私は身も心も夫に捧げていると!愛する人といられること以上に、価値のあることなどありません!」


「……それならば、やつを殺せばお前の心は折れるということか」


「あなたなんかにアルさんは負けない。あの人は世界で一番強い人だから!」


 一分の疑いも持たずに言い切るセアラに、アバドンは端正な顔を僅かに歪めて苛立ちを見せると、聞き慣れない言葉を用いた詠唱を始める。

 広場の中心に広がる巨大な魔法陣、その大きさは直径三十メートルをゆうに越えるほどのもの。


「まさか……これは……」


 いち早くその意図に気付いたセアラの顔が焦燥に染まる。


「察しがいいな、まずはこの広場にいる者たちに絶望を味わってもらうとしよう」


 巨大な魔法陣に組み込まれているのは召喚の術式。そしてそこから這い出るモンスターは、二ヶ月前にソルエールを恐怖のどん底に落としたモノ。


「そんな……ドラゴン……」


 モンスターとの戦闘を終えようとしていた各国の兵たちの顔が、恐怖と絶望に染まる。なかでもソルエールの教師陣たちの動揺は激しく、その姿を見ただけで、戦意を喪失するものや腰を抜かす者が続出する。


「二ヶ月前のゴーレムとは違う、正真正銘生きたドラゴンだ。一日もあればここら一帯は完全に廃墟になるぞ?」


 アバドンはセアラのそばに立つと障壁で自身とセアラを包み込む。


「な、何をっ!」


「どうやらお前には躾が必要なようだからな。ここで他のやつらが死んでいくのをじっくりと見てもらうとしよう。あちらはそろそろ決着が着きそうだ」


「お母さん、師匠…………」




「ねぇ、もう諦めたら?あなたたちの魔法じゃ相手にならないって分かったでしょ?」


 涼しい顔のグレモリーの視線の先で膝をつくのは、至るところに裂傷や火傷を負ったリタとドロシー。アバドンほどではないにしろ、グレモリーの魔法の技量は二人を遥かに上回っており、一撃を入れることすら叶わない。


「あら、お優しいのね。諦めたら見逃してくれるの?」


「そんなわけないでしょ、一思いに殺してあげるってだけ。それともあっちのドラゴンに食べられる方がお好みかしら?」


 この期に及んでも悪態をつくドロシーに、グレモリーが溜め息をつきながら答える。


「そうねぇ、さすがにドラゴンに食べられるのは御免被りたいかしら。後学のために、あなたの最強の魔法っていうのも見ておきたいしね」


「後学ですって?私の魔法に耐えられるとでも言いたいわけ?」


「ええ、そう言ったつもりだったんだけれど、難しすぎたかしら?長いこと生きる割に魔族って知恵が低いのねぇ?まあ強いものが偉いなんて言っちゃうくらいだから仕方ないか」


 小馬鹿にしたような態度でリタがせせら笑うと、グレモリーの目が冷たいものに変わる。


「減らず口を……今の状況が分かっていないようね?いいわ、最後の望みくらい叶えてあげる」


 今までとは比較にならないほどの魔力を練り上げるグレモリーを見て、リタとドロシーは顔を見合わせて、内心でほくそ笑む。


(ようやくかかった……!)


 リタが前に出て、ドロシーがその背中に両手を当てて魔力を流し込む。


「言っておくけど、ちゃちな障壁なんて意味ないわよ!この魔法は全てを消し去る極大魔法。苦しまずに死ねることを感謝なさい!『消滅之闇(アナイアレイション)』」


 グレモリーが両手をリタとドロシーに向けて掲げると、見事に制御され、微塵も霧散すること無く収束した濃密な闇の魔力が二人に襲いかかる。


「リタさん!」


「ええっ!」


 リタの前に亜空間への入り口が開かれると、二人に向かってきた魔法が吸い込まれ、グレモリーを頭上から襲う。それはアルが使用した短距離転移を応用したカウンター技。


「な、何よそれ!?」


「ずっと待っていたのよ!あなたを一撃で仕留められるほどの魔法を放ってくれるのをね!」


「魔法戦は魔法が上手い方が勝つわけじゃないんだからね!」


「そ、そんなバカなことがああぁぁぁぁぁ……!」


 グレモリーが消滅したのを見届けると、リタとドロシーが思わずその場にへたり込む。


「さすがにギリギリだったわね……」


「リタさん……あのドラゴンどうしましょうか?」


「……正直、今の私たちの手には余るわよね……魔王陛下に……」


「……ですね、でもちょっと無理、かも……」


 二人は魔力を使い果たし眠るようにその場に倒れる。




「まさかグレモリーを倒すとはな。フラウロスといい想定外だが……まあいい、十分に戦力は削いだ」


「お母さん、師匠!起きて!」


「無駄だ、呼び掛けて目を覚ますようなものではない。せいぜいドラゴンに殺されぬことを祈っていろ。さてあちらもそろそろか……」


 口角を吊り上げながら歪な笑みを浮かべるアバドン。セアラはそれに気付くこと無く、激しく魔法を撃ち合う二人に視線を注ぐ。その先では間違いなく地上における、最高峰の魔法戦が繰り広げられていた。

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