第76話 神族と魔族

「セアラ、シル、そういう訳でドロシー先生がしばらく居候することになった」


「はーい」


「あ、えっと……その」


 アルは二人にドロシーがリタと共に魔法を教えてくれることを伝えると、シルは快く受け入れたものの、セアラは複雑そうな表情を浮かべる。しかしソルエールに行くことについては、アル自身の気持ちの整理がついておらず、二人に切り出すことはできなかった。


「うんうん、セアラちゃんの心配ももっともだと思うわ。それじゃあ一つ賭けをしないかしら?」


「賭け、ですか?」


 セアラの思いを察したドロシーが腕を組んで頷き、悪戯っぽい笑みを浮かべると、右手でピースサインを作り提案する。


「ええ、セアラちゃんは二ヶ月で転移魔法を習得する。それが出来れば私はアルに手を出さないわ。もちろん手を抜いて教えることはしない。その辺りはリタさんも一緒に教えるから信頼していいわよ」


「先生、俺の気持ちは無視ですか?」


「さあ!どうするの?」


 明らかに聞こえているはずの言葉を無視するドロシーに、アルは頭を抱えて深い溜め息をつく。


「アルさん!私やります!」


「いや、別にやる必要はないと思うんだが……」


「いえ、区切りがないとだらだらとしてしまいますから!」


 アルの言う通り、転移魔法の習得自体は確かに急いだ方がいいものの、これは受ける必要のない賭け。それでもセアラなりに考えて結論を出す。

 前線に立って積極的に力を奮うことは無くとも、一刻も早くアルの足手まといから脱却したいセアラからすれば、期限を設けて自分を追い込んだ方が都合が良かった。


「ふふ、さすがアルの妻と言うわけかしら。そうね……私のことは師匠と呼びなさい、ビシバシいくからそのつもりでね!」


「はい、師匠!」


 二人のテンションについていけず唖然とするアルが、どこから突っ込んでいいか整理できず、とりあえず気になった質問をする。


「……なんで師匠なんですか?」


「私を先生と呼ぶのはアルだけがいいからに決まっているじゃない!だって師匠と弟子よりも先生と生徒の方が、ちょっとイケない関係っぽいでしょ?」


 どこでそういう知識を仕入れてくるのかと、アルが心底呆れたように天井を見上げて嘆息し、セアラの両肩に手を置く。


「……セアラ、頼むぞ」


「はい!」


「ちょっと!そんなに私と結婚するのが嫌だってこと!?」


 アルのあまりにも真剣な様子に、ドロシーが目をつり上げて二人の間に割って入る。


「最初に言いましたがセアラ以外を娶るつもりはありません。それに先生は俺にとってはあくまで先生です」


 ドロシーは確かに才能豊かで、少々発育不良は否めないが、黙っていれば美人ではある。それでもアルにとってはそういう対象ではなかったし、結婚当初から一貫してセアラ以外の女性のことは興味がない。


「むぅ、まあいいわ。それでも約束は約束だから、誓約をかけさせてもらうわね」


 ドロシーがそう言ってバチンと指を鳴らすと、セアラとドロシーの左の小指に飾り気のない銀の指輪が出現する。


「これは?」


「誓約の指輪よ、約束を違えた場合にはその指輪が小指を切り落とすの。セアラちゃんは二ヶ月で転移魔法を覚えられなかった場合には、私とアルの結婚を認める。そして私はセアラちゃんが条件を達成した場合には、二度とアルに結婚を迫らない。いいわね?」


「はい、分かりました」


 真剣な表情で頷き、拳を握ってやる気を見せるセアラ。

 そして二人のやり取りを見ていたアルが、リタに小声で尋ねる。


「リタさん、そんなこと出来るんですか?」


「私もその手の術を全部を知っている訳じゃないけど……あの指輪を見る限りちょっと嘘っぽい気がするわね……」


 リタが二人にはめられている指輪を凝視して推測を述べると、アルはドロシーと再開してからもう何度目かの深い溜め息をつく。


「全く……昔からああいうことをする人なんですよ」


「ま、セアラがやる気になる分にはいいんじゃない?きっとドロシーちゃんなりに発破をかけているつもりなんじゃないかしらね。アル君もそんなに嫌わないの、お世話になった先生なんでしょ?」


「……嫌ってなんていませんよ、むしろ尊敬もしています。ただそれ以上に面倒くさい人っていうだけです」


「ふふ、浮気はダメよ?」


「ええ、神に誓って」


 その言葉を聞いたリタが不思議そうな表情でアルを見る。


「アル君、信仰している神様がいるの?」


「いえ、そういうわけではないですが……単なる俺の世界の言い回しです」


 そんなにおかしなことなのだろうかとアルが首をかしげると、その困惑を察したリタが疑問を抱いた理由を説明する。


「アル君、この世界には神様、厳密に言うと神族がいるって知ってる?」


「それは……実体として存在している、ということですか?」


 アルの問いにリタは静かに頷いて、説明を続ける。


「神族は神界にね。そしてその対となる存在の魔族は魔界に。だけど地上にその姿を現すことが出来るのは、余程の魔力量を持つ高位のものだけと言われているのよ」


「つまり魔王もまたそうした魔族のうちの一体だと……」


「なんだ、アルは魔王を討伐しに行ったくせにそんな事も知らなかったの?」


 いつの間にかアルとリタのそばに来ていたドロシーが会話に加わわり、セアラとシルは口を挟むことなく静観する。


「しかし、それならもっと信仰があっても良さそうなものですが?」


 神様に当たる存在がいるのであれば、当然抱くであろう疑問をアルは二人に尋ねる。


「うーん、なんて説明しようかな……じゃあアル君の世界では神様への信仰はどうだった?」


「そうですね……私の国では八百万の神と言って、様々な神様がいるという考え方が広まっていましたが、私を含めてそれほど熱心な信仰とは言えないかもしれません。他の国ではもっと熱心な人も、それこそ全てを神様に委ねるような人もいました」


 リタの質問にアルは他の国と濁しながらも、孤児院での過去を思い出すようにゆっくりと答える。

 孤児院は基本的にお金が潤沢にあることは珍しい。アルが育った場所もご多分に漏れず、決して恵まれた環境とは言い難かった。それでも院長を始めとした大人たちは、信じる者は救われると言って憚らなかった。

 もちろんアルは育ててくれた院長たちに尊敬の念を抱いており、嫌ってなどいない。だがその考え方だけはどうしても好きになれなかった。


「ほー、全てを委ねるか、それはなかなか面白いね。ところでその者たちは、肝心の神の姿を見たことがあるのかしら?」


 ドロシーがアルの答えを聞くや否や、底意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「神話の類はありました……ですが見たことがある人はいないのではないかと……」


「成程ね、じゃあもう一つ質問。アル君は神様に限らず、超常的な物に対して祈りを捧げる人ってどんな人が多いと思う?」


 アルはその質問の意図に思いを巡らせるも、リタの求める回答に見当がつかず、結局はストレートに思ったことを口に出す。


「……自分ではどうにもならないことに苦しんでいる人……でしょうか?」


 どの宗教に対しても信仰心の薄いアルからすれば、お百度参りのようなものしか思い浮かばなかった。


「うん、それもあるでしょうね」


 どうやら不正解といかないまでも、この答えでは不十分なようだと理解し、アルは再び頭を悩ませる。


「はい!神様のことを尊敬している人じゃないかな?」


「私は神様のことを畏れている人、かな?」


 シルが手を挙げながら答えると、セアラもそれに続く。リタとドロシーは二人の意見に笑みを浮かべると、


「そう、セアラとシルちゃん両方正解よ。尊敬と畏れ、一見正反対の言葉のように思えるかもしれないけれど、畏れ敬うって言葉があるくらいだからね」


「アル、ここまで言えばもうわかるだろう?人が祈る対象というものは、人知を超えた理外の存在ということよ」


「この世界の神族はそういった類のものではない、そう言うことですか?」


 リタとドロシーの物言いは暗にそう言っているに等しいものだった。


「ええ、神族がそんな大層なものじゃないってみんな知っているのよ。わざわざ地上の者の運命に干渉することは無いし、それどころかかつて神族と魔族は地上を戦場にした戦争を引き起こしているもの。ちなみに詳しいことは分からないけれど、地上で両種族が存在するために大きな魔力量が必要になったのは、この戦争が契機になっていると言われているわ。もちろんこれは神話なんかじゃなくて、れっきとした史実よ」


 二人の話を聞く限りでは、地上に住む者たちにとって神族とは、少なくとも畏敬の念を抱くような存在ではないということだった。それどころか戦争の件を聞く限り、魔族同様に危険な存在と言っても過言ではない。


「以前セアラと訪れたディオネの町は、女神信仰が盛んと聞きましたが……そういった場所があるのはなぜですか?」


 アルの脳裏にふとファーガソン領ディオネの美しく整備された街並みが思い浮かぶ。そこは辺境伯のファーガソン家が信仰を押し付けているわけでもなく、町全体が進んで女神を信仰している様子だった。


「そうねぇ、私も全ての歴史を知っているわけじゃ無いからあれだけど、恐らく昔に何か信仰をするに値する出来事でもあったんじゃないかしら?神族なんて気まぐれだから、各地にそういう場所があってもおかしくないわ」


「成程……神族の行動に理由を求めても仕方ない、ということですね」


「ふふふ、まさしく神のみぞ知る、ということだ」


 ドロシーが腕を組んで自信満々に頷く。上手いことを言ったつもりになっているようだが、セアラとリタは愛想笑いをし、シルは意味が分からず首を傾げる。そしてアルは完全に無視。

 その反応が面白くなかったドロシーが抗議の声をあげようとすると、一歩先にセアラがおずおずと頬を染めながら提案をする。


「アルさん、もう結婚指輪が出来ていると思いますので……その、ディオネの女神さまの前で指輪交換ができたらと思っているんですが……」


 以前セアラはディオネの教会で宣誓をしたときに、アルから本来であれば指輪の交換があるという話も聞いており、それ以来ずっとやってみたいと密かに思っていた。


「セアラ……ああ、行こう。ファーガソン家の人たちに会って、宿の礼もしておきたいしな」


「はい!」


 互いの手を取り合って見つめ合い、二人の世界に入るアルとセアラ。シルはそれを笑顔で眺め、リタとドロシーは呆れた声を上げる。


「アル君、信仰心が薄い割にはそういうのはするんだね……」


「現金な奴だな……」


 アルは言われて初めてそれに気付く。しかし、何故かアルとセアラは、そこで指輪の交換をすることが自然なことであるように感じていた。


※ちょっと補足


神族と魔族は未だに仲は良くないのですが

攻めるにしても地上を介さないといけないので

十分な戦力を確保することができません

その為、現時点では直接衝突するようなことはないです

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